10
それから時は流れ、もうすぐ高校受験という時期になったが、ぼくの生きる意味は変わらなかった。幼いころに覚えてしまった本能からの快楽は、そう簡単にやめられるものではない。
人を殺すのはたいてい夕方だったけれど、夜中に抜け出すこともあった。そういうときは帰ると必ず彼女が待っていて、少し哀しそうなカオで「おかえり」と言って微笑むのだった。ぼくはそれを見るたびに少し胸が痛んだけれど、やっぱり殺人をやめることはできなかった。
だから、ぼくは自分から彼女と離れることにした。
「えっ、高校は、別……?」
「ああ」
「どうして? 一緒に同じ高校に行こうって言ったじゃない」
すがるようにぼくの服を掴み、こちらを見上げる彼女。
この施設では、中学を卒業したら独立してもいいことになっている。多くは大学かららしいけれど、ぼくは高校からそうすることにしたのだ。
「君は『普通』の人間だ。もうぼくとは関わらないほうがいい」
「やだよ! あたしはずっとあなたと一緒にいるって決めたの。あなたが人殺しだとしても、あたしはあなたがすきなの! だから、だから……っ」
「そう、ぼくは快楽殺人者だ。ぼくの手は真っ赤な血で染まっている。だけど、君の手は、紅くない」
はっとしたように顔を上げた彼女に微笑みかけ、ぼくはその額にキスをした。
「う、えっ!?」
「ぼくも、君のことが大切だよ。でも、」
「あたしは、生きる意味にはなれない、ってこと……?」
「――ああ」
それは、彼女に殺人がバレたときと同じく、強い肯定だった。どんなに頑張っても、彼女はぼくの生きる意味にはなれない。もしかしたら、と考えたこともあったけれど、ぼくが殺人の快楽を忘れられる自信なんてないし、そんなの、彼女にとってよくない。彼女は「普通」の人間なのだから。
そのとき、彼女の肩においていた手が震えた。もちろん、ぼくが動かしたのではない。彼女が震えているのだ。
「……泣いてるの?」
「ま、さかあ! あたしは強いんだから、泣くわけないでしょ?」
彼女は震える声でそう言って、目じりを指で拭ったかと思うと、顔を上げてにっと笑った。しかし、その目は赤く充血している。
「まったく、バカだね、君は」
「だって、あなたが悪いんじゃない……やだよ、離れたくないよ……っ」
ぼくの服にしがみついた彼女は、うっうっ、と声を上げ、今度は本格的に泣き始めてしまった。ああ、どうしよう。できれば鼻水はつけないでほしいものだ。そんな失礼なことを考えつつ、ぼくは彼女の背中をさする。
しばらくして、彼女が落ち着いた頃合いを見計らい、ぼくはその肩を掴んで自分から引き離し、まだ涙が浮かんで潤んでいる彼女の目を真っ直ぐに見据えた。
「君の手は、紅く染まってなんかいない。君は普通の人間なんだ。だから、君はぼくのことなんか忘れて、普通に高校生活を送ればいい」
「でもっ」
「新しくすきな人ができるなら、そのほうがいい。ぼくはそれに関して何も言わないし、そもそもぼくが君の選択にとやかく言う筋合いはないからね」
「だったら、あたしの人生はあたしが決める。あたしは、あなたとずっと一緒にいる」
強い意志を瞳に秘め、胸に手を当てた彼女によって放たれた言葉。それは当然といえば当然のものだろう。
だけど、
「ダメだ。君はぼくから離れるべきだよ」
「どうして……!」
「ぼくは、快楽殺人者だから」
「でも、あなたはあたしを殺さないでしょ?」
にこ、といたずらっぽい笑みを浮かべる彼女に気がゆるみそうになるが、それを振り切ってぼくは先を続ける。
「でも、いつかは殺すかもしれない」
「じゃあ、その『いつか』まで一緒にいる。万が一、殺されたとしても、悔いはないと思うよ。だってそれって、あなたの生きる意味の一部になるってことでしょ?」
同い年で、さっきまで子供のように泣いていた彼女は、時々今みたいに達観したようなことを言う。だから、ぼくはその寛容さに甘えてしまいたくなるが、それではダメなのだ。
「それでも、ダメだ」
「どうして? そんなにあたしが嫌い?」
「違う」
「じゃあ」
「でも」
彼女の肩を掴む手に力を入れ、もう一度彼女を見つめる。
「もし、ぼくと離れて普通に高校生活を送っても、卒業するまでにぼくを忘れられなかったときは――同じ大学で逢おう」
彼女の目が大きく見開かれた瞬間、残っていた涙がそのほおを一筋、流れ落ちた。
そして、彼女はうつむいたかと思うと、また肩を震わせて泣いて――
「……君、笑ってるの?」
「え? ふっ、ご、ごめん……ふふっ、あはははっ」
彼女は、笑っていた。
「何がそんなにおかしいの?」
「だ、だって『同じ大学で逢おう』って……そこは普通『迎えにいく』とかじゃないの?」
「大学になったら君も施設を出るのに、どこに迎えにいけって言うのさ」
「もう、そんなとこだけ冷静なんだから」
呆れたように口を尖らた彼女は涙を拭うと、じっとこちらに視線をよこした。
「大丈夫。『もし』なんてないよ。あたしはずっと待ってるから」
「期待はしないほうがいいと思うよ」
「あなたが来なかったら、あたしから逢いにいくもん」
「……そう、勝手にしなよ」
「うん。あたしの人生はあたしのものだからね」
そうして、ぼくと彼女は最初で最後のキスをして、別れたのだった。




