表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第四章 白い月が還る夜に
54/58

10

 それから時は流れ、もうすぐ高校受験という時期になったが、ぼくの生きる意味は変わらなかった。幼いころに覚えてしまった本能からの快楽は、そう簡単にやめられるものではない。

 人を殺すのはたいてい夕方だったけれど、夜中に抜け出すこともあった。そういうときは帰ると必ず彼女が待っていて、少し哀しそうなカオで「おかえり」と言って微笑むのだった。ぼくはそれを見るたびに少し胸が痛んだけれど、やっぱり殺人をやめることはできなかった。

 だから、ぼくは自分から彼女と離れることにした。


「えっ、高校は、別……?」

「ああ」

「どうして? 一緒に同じ高校に行こうって言ったじゃない」


 すがるようにぼくの服を掴み、こちらを見上げる彼女。

 この施設では、中学を卒業したら独立してもいいことになっている。多くは大学かららしいけれど、ぼくは高校からそうすることにしたのだ。


「君は『普通』の人間だ。もうぼくとは関わらないほうがいい」

「やだよ! あたしはずっとあなたと一緒にいるって決めたの。あなたが人殺しだとしても、あたしはあなたがすきなの! だから、だから……っ」

「そう、ぼくは快楽殺人者だ。ぼくの手は真っ赤な血で染まっている。だけど、君の手は、紅くない」


 はっとしたように顔を上げた彼女に微笑みかけ、ぼくはその額にキスをした。


「う、えっ!?」

「ぼくも、君のことが大切だよ。でも、」

「あたしは、生きる意味にはなれない、ってこと……?」

「――ああ」


 それは、彼女に殺人がバレたときと同じく、強い肯定だった。どんなに頑張っても、彼女はぼくの生きる意味にはなれない。もしかしたら、と考えたこともあったけれど、ぼくが殺人の快楽を忘れられる自信なんてないし、そんなの、彼女にとってよくない。彼女は「普通」の人間なのだから。

 そのとき、彼女の肩においていた手が震えた。もちろん、ぼくが動かしたのではない。彼女が震えているのだ。


「……泣いてるの?」

「ま、さかあ! あたしは強いんだから、泣くわけないでしょ?」


 彼女は震える声でそう言って、目じりを指で拭ったかと思うと、顔を上げてにっと笑った。しかし、その目は赤く充血している。


「まったく、バカだね、君は」

「だって、あなたが悪いんじゃない……やだよ、離れたくないよ……っ」


 ぼくの服にしがみついた彼女は、うっうっ、と声を上げ、今度は本格的に泣き始めてしまった。ああ、どうしよう。できれば鼻水はつけないでほしいものだ。そんな失礼なことを考えつつ、ぼくは彼女の背中をさする。

 しばらくして、彼女が落ち着いた頃合いを見計らい、ぼくはその肩を掴んで自分から引き離し、まだ涙が浮かんで潤んでいる彼女の目を真っ直ぐに見据えた。


「君の手は、紅く染まってなんかいない。君は普通の人間なんだ。だから、君はぼくのことなんか忘れて、普通に高校生活を送ればいい」

「でもっ」

「新しくすきな人ができるなら、そのほうがいい。ぼくはそれに関して何も言わないし、そもそもぼくが君の選択にとやかく言う筋合いはないからね」

「だったら、あたしの人生はあたしが決める。あたしは、あなたとずっと一緒にいる」


 強い意志を瞳に秘め、胸に手を当てた彼女によって放たれた言葉。それは当然といえば当然のものだろう。

 だけど、


「ダメだ。君はぼくから離れるべきだよ」

「どうして……!」

「ぼくは、快楽殺人者だから」

「でも、あなたはあたしを殺さないでしょ?」


 にこ、といたずらっぽい笑みを浮かべる彼女に気がゆるみそうになるが、それを振り切ってぼくは先を続ける。


「でも、いつかは殺すかもしれない」

「じゃあ、その『いつか』まで一緒にいる。万が一、殺されたとしても、悔いはないと思うよ。だってそれって、あなたの生きる意味の一部になるってことでしょ?」


 同い年で、さっきまで子供のように泣いていた彼女は、時々今みたいに達観したようなことを言う。だから、ぼくはその寛容さに甘えてしまいたくなるが、それではダメなのだ。


「それでも、ダメだ」

「どうして? そんなにあたしが嫌い?」

「違う」

「じゃあ」

「でも」


 彼女の肩を掴む手に力を入れ、もう一度彼女を見つめる。


「もし、ぼくと離れて普通に高校生活を送っても、卒業するまでにぼくを忘れられなかったときは――同じ大学で逢おう」


 彼女の目が大きく見開かれた瞬間、残っていた涙がそのほおを一筋、流れ落ちた。

 そして、彼女はうつむいたかと思うと、また肩を震わせて泣いて――


「……君、笑ってるの?」

「え? ふっ、ご、ごめん……ふふっ、あはははっ」


 彼女は、笑っていた。


「何がそんなにおかしいの?」

「だ、だって『同じ大学で逢おう』って……そこは普通『迎えにいく』とかじゃないの?」

「大学になったら君も施設を出るのに、どこに迎えにいけって言うのさ」

「もう、そんなとこだけ冷静なんだから」


 呆れたように口を尖らた彼女は涙を拭うと、じっとこちらに視線をよこした。


「大丈夫。『もし』なんてないよ。あたしはずっと待ってるから」

「期待はしないほうがいいと思うよ」

「あなたが来なかったら、あたしから逢いにいくもん」

「……そう、勝手にしなよ」

「うん。あたしの人生はあたしのものだからね」


 そうして、ぼくと彼女は最初で最後のキスをして、別れたのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ