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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第四章 白い月が還る夜に
53/58

09

 あまりの有り得ない最悪な状況に、ぼくの頭はこれ以上ないほどに混乱していた。

 これが彼女以外の知らない人間なら、死体処理班の仕事を増やして悪いけれど、そのまま殺していた。しかし、目の前にいるのは、紛れもなく、幼いころから日々をともに過ごしてきた彼女だ。その彼女を、殺すことはできない。

 この状況を冷静に整理するために、ぼくはふう、と一つ息を吐き、ゆっくりと口を開いた。


「……どうして、君がここに?」

「あ、たし……今日、部活が早めに終わったから帰ろうとしてたら、あなたが見えたの。だから、ちょっとおどかしてやろうと思ってあとをつけてたら、あなたが知らない女ノコに声をかけてて……それを追ってきたら……」


 震える唇で途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼女。そのカオは何が起こっているのか未だによくわからないという感じだった。まあ、それもそうだろう。普通の人間は、殺人現場、ましてや血まみれで臓器が抉られた悲惨な状態の死体なんて見ることはないのだから。

 それよりも、そんなに前から見られていたとは――快楽で頭がいっぱいだったとはいえ、まったく気付かなかった。本当に最悪だ――


「ねえ」

「え?」


 ぼくの思考を遮るように、彼女の声が発せられた。顔を上げれば、彼女が目の前まで来ているではないか。まただ、また隙をつかれてしまった。


「……この人、あなたが殺したの?」


 真っ直ぐこちらを見つめる彼女に、ウソはつけない。いや、そもそもぼくはウソはつかない主義なんだ。


「――そうだよ」


 短く、しかしはっきりと肯定する。それを聞いた彼女は目を大きく見開き、哀しそうにうつむいたが、すぐに顔を上げると、真っ直ぐな目でぼくを見据え、口を開いた。


「もうやめてよ、こんなこと。あたし、ケーサツには言わないよ。今ならまだ戻れる。だから、人を殺す、なんてダメだよ」


 それは、先ほどのぼくの肯定と同じくらい力強いものだった。

 だけど、


「それはムリだね」

「っ、どうして?」

「だって、これはぼくの生きる意味だから」

「生きる意味、って……人を殺すことが? そんなのおかしいよ!」

「ああ、君みたいな普通の人間にはわからないだろうね。ぼくはね、五才のときに初めて人を殺したんだ。それは、両親だった。だからぼくは孤児になって、施設に入ったんだ」

「う、そ……」


 強かった瞳が、見る見るうちに驚愕の色に侵食されてゆく。――ああ、ぼくは自分から彼女にバラしてしまった。

 それでも、ぼくの自分語りは止まらなかった。止めるわけには、いかなかった。


「そのとき、血で真っ赤に染まった手を見て、殺人の快楽を知ってしまったぼくは、それが生きる意味になった。飛び散る緋色の鮮血と、恐怖と痛みに歪むカオ。ぼくはそれが見たくて仕方ないんだ」


 そう、ぼくにはそれしかない。ぼくはそれだけを求めて生きてきたんだ。

 だから、


「人間はみんなぼくの人形だ。自分の人形を自分で壊そうと、ぼくの勝手だろう?」

「そ、んなの……」

「なんなら、君もぼくの人形にしてあげようか?」


 その言葉に反応してばっと顔を上げた彼女に見せつけるようにして、ぼくは取り出したナイフを舐めてみせる。我ながら下手な演技だとは思うけれど、仕方ない。ぼくには彼女を殺せない。

 彼女も多分、警察には言わないだろう。そもそも、言ったところでこの死体は数十分後にはキレイに消えているのだから、意味はない。とにかく、何でもいいから彼女をここから遠ざけなければ。ぼくから、離れさせなければ。早く、早く――。

 刹那、ぱしゃ、という音が聞こえた。無意識のうちにぎゅっとつぶっていた目を開けてみれば、視界から彼女が消えている。急いで視線を下げると、彼女はぼくが壊した人形のそばにしゃがんで、その周りに流れている血だまりに手を突っ込んでいるではないか。


「君、何やって……!」

「ふふ、これであたしも血まみれだね」

「な……」


 ゆっくりと顔を上げた彼女は、いつものような無邪気な笑みを浮かべ、両の手のひらをぼくに向かって広げてみせた。


「ほら、あたしの手も紅いでしょう?」


 その笑みに、狂気は感じられない。しかし、彼女はいたって「普通」の状態で、そんな狂ったことを言っているのだ。


「これで、あたしもあなたと一緒。あたしは、あなたから離れたりなんかしないよ」

「どうして……」

「だって、あなたがすきだから」


 にこり、と屈託ない笑みが咲く。


「だから、あたしが嫌なの。独りは、淋しいでしょう? あなたが人殺しだとしても、あなたはあなただもん。さっきだって、あんなこと言ってあたしを遠ざけようとしたけど、それだってあなたのやさしさでしょう?」

「……違うよ」

「ウソ。昔、あたしのトナリで寝てくれたときと、ちっとも変わってないよ。それに、ダメじゃない。あなたは、ウソはつかない主義なんでしょ?」


 諭すようにそう言って、彼女はぼくの手を握った。その手についた紅が、ぼくの手にも移る。


「だから、あたしはずっとあなたのそばにいる。それで、いつか絶対『あたし』を生きる意味にしてやるんだから!」


 この場にそぐわないことを堂々と宣言した彼女に、ぼくは思わず吹き出してしまった。


「ちょっと、何で笑うのよ」

「それはムリなんじゃないかと思ってね」

「なっ、ムリじゃないもん!」

「そう。じゃあ頑張ってね」

「何で他人事みたいなのよ!」


 そうして、ぼくと彼女は施設へと帰っていった。

 紅く染まった手を、つなぎながら。




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