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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第四章 白い月が還る夜に
48/58

04

「君は、すきな人とかいないの?」


 部屋の静寂を破る、澄んだ声。そんな質問をしたのは、やはりと言うべきか、もちろんと言うべきか、とにかく、彼だった。


「いないよ」


 ぺらり、ぼくは本をめくりながら答える。


「ええー? つまんないなあ。今までも? 一人もいなかったの?」


 今まで、ね。そのとき、『誰か』の笑顔がふと脳裏をよぎった。


「――いたよ。一人だけなら」

「へえー……ってウソぉ!? ホントに?」

「ぼくはウソはつかない主義なんだ」

「へえー、君にもすきな人がいたんだねえ。どんな人?」

「うるさくて、メンドくさかった」

「ええー? それで何ですきになったのさ?」

「彼女は淋しがりやで、ぼくがいないとダメだったから」

「ふぅーん?」


 ぼくの恋愛話(と言えるのかは微妙だが)がそんなに珍しいのか、彼はニヤニヤと愉快そうな笑みを浮かべている。余命わずかの彼女のときもそうだったが、彼は色恋沙汰がすきなようだ。


「そういう君こそ、その『大切な人』とやらとはどうやって出逢ったんだい?」

「あれ? 君が他人に興味を示すなんて珍しいね」

「君を他殺願望なんていう、とんでもない死にたがりやにした人間だからね」

「ああ、確かに。そうだなあ、彼女と出逢ったのは、高校一年生の春、入学式の日だったんだ――」


       * * *


 ボクは知ってのとおり天才で、十五歳でアメリカの大学を卒業したあと、日本に帰ってきた。そのとき、もう四月から警視庁で働くことになっていたけれど、社会勉強ということで、同時に高校にも通うことになった。小学校までは日本にいたんだから、別にそんなのなくてもよかったんだけど。

 そんなこんなで入学初日――なのに、ボクは寝坊してしまった。急いで学校に向かい、ギリギリで到着してふと目に留まったのは、校庭にある桜の下にたたずんでいる一人の女ノコ。それが、のちにボクの唯一の大切な人となる『彼女』だった。

 彼女は桜を見上げ、指で目を拭って――え、泣いてる?


「あの、大丈夫ですか?」


 彼女に近づいてそう問うと、彼女はゆっくりとこちらを向き、まだ潤んでいる瞳――やっぱり泣いていたのか――でにこっと笑ったのだ。舞い散る桜をバックに見たそれは、とてもキレイで。ボクは一目ぼれしてしまった。

 そんなに長い時間は経っていなかったと思うけれど、はた、と気付いて時計を見ると本当にヤバかったので、ボクは「すいません、今から入学式なんで!」と言ってそこに彼女を残し、体育館へ向かった。

 それから教室に帰ってビックリ。そこには、あの女ノコがいたのだ。同じ学校なんだから、きっとまた逢えるだろうとは思っていたけれど、その予想を遥かに上回る速さで再会してしまった。


「え? 君、在学生なんじゃ……」

「ううん、新入生だよ? それなのに置いてっちゃうんだもん……酷いっ」

「いやいやいや、あんな時間にあんなところで余裕かましてたら、普通新入生だとは思わないでしょ」

「うーん、確かに」

「あ、認めるんだ」

「「――ぷっ」」


 そうして、彼女はボクの高校で初めての友達となった。

 彼女は明るくてやさしい人で、時々おちゃめで冗談も言うし、ボクと気が合った。

 だけど、それとは対照的に、一人になったときには初めて逢ったときのような哀しげなカオもしていた。だから、ボクがずっと笑顔にしてあげたいって思ったんだ。

 一方、ボクは刑事のかたわらで高校生をやっていたから(今思えばめちゃくちゃハードだったなあ)休みがちで、いつも出席日数はギリギリだった。まあ天才だから、そこは試験でカバーして、何の問題もなかった――のだけれど。


「ねえ、どうしてそんなにちょくちょく休むの?」


 高一の三学期、学校にいる日は一緒にお昼を食べるのが習慣になっていたある日、彼女はそう尋ねてきた。


「え? えーと、それは……」

「別に病弱なわけじゃないんでしょ?」

「いや、実はボクってすごくか弱くて」

「ウソ。体育のとき、すっごい生き生きしてるよ。ねえ、何で?」


 ずいっと迫ってくる彼女から目をそらし、だけどそんなのよく見てるなあと思いつつ、ボクはため息をついた。彼女になら、話してもいい、かな。


「……ボク、実は十五歳でアメリカの大学を卒業してて、本業は刑事なんだ」

「は?」


 そのときの彼女の驚きまくった表情を、ボクは今も憶えている。


「え、ちょっと待って。じゃあもしかして、ホントは年上なの? 潜入捜査してるとか?」

「あはは、違うよ。ここにいるのはただの社会勉強。飛び級での卒業だから、ちゃんと君と同い年だよ」

「確かに、あんなに休んでるのにいつも学年首位だもんね……すごいじゃない!」


 両手で拳を握り、ばっと顔を上げた彼女の瞳はキラキラと輝いていて、ボクのほおは自然とゆるんだ。


「あはは、ありがと。でも、これはヒミツだよ?」

「ええー、何で? 言えばいいのに。ていうかそういうのって教えていいの?」

「んー、まあ捜査情報を漏らしたわけじゃないしね。君が黙っていてくれれば済む話だよ」

「何それ、あたしの責任重大じゃない」

「そーゆーこと」

「ひっどーい」


 彼女はそう言ってぷう、とほおをふくらませたかと思うと、すぐにそれをしぼめ、上目遣いでこちらを見つめてきた。


「どうして、あたしに教えてくれたの?」


 どうして、って――そりゃあもちろん、


「すきだから、かな」

「えっ?」


 そのときの彼女は、ボクが刑事だとバラしたときよりも驚いていた。しかし、それはすぐに哀しそうなカオに変わってしまう。

 ――ああ、これは彼女がいつも一人でいるときの表情だ。ねえ、どうして君はそんなカオをするの?


「……ごめん、なさい。あたし、すきな人がいるの」

「……それって、誰? って、聞いてもいいのかな」

「別の高校の人。でも、離れてもずっとすきなの」

「そう……もしかして、入学式の日に泣いてたのは、それが原因?」

「……うん。恥ずかしいけどね」


 自嘲するように、薄い笑みを浮かべる彼女。彼女がそれほどまでにすきな人は、どんな人物なんだろう。そんなにすきなら、どうして離れてしまったのだろうか――色々聞きたいことはあったけれど、それ以上深く突っ込んではいけない気がした。

 でも、ボクはもう、彼女のそんな哀しいカオを見たくないんだ。だから、


「代わりでも、いいよ」

「え?」

「その人の代わりでもいいから、ボクを見てくれないかな。ううん、違う。ボクが勝手に君のそばにいたいんだ。……ダメかな?」

「……あなたは、それでいいの?」

「うん、君のそばにいられるなら、いいよ」


 へらっと眉を下げて笑うと、彼女はぷっと吹き出した。


「――じゃあ、いいよ」

「っ、やった!」


 勢いあまって出してしまった大声に、周囲の視線が集まり、彼女は恥ずかしそうに慌てていたが、ボクは嬉しくて仕方なかった。

 それが、ひとときの夢だとも知らずに。




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