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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第三章 黄昏月が微笑む夜に
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エピローグ

「……何?」


 たっぷりと間を空けて、ゆっくりと吐き出された言葉。たった二文字だけなのに、その声はどこか嫌そうで、呆れたと言いたそうなのがひしひしと伝わってくる。

 しかし、はっきりとわたしの耳に届いたその言葉に、たくさんの嬉しさと、少しの驚きでぱっと顔を上げると、案の定、彼はしかめっ面をしていた。それがおかしくて、つい口元をゆるめてしまう。


「……何かおかしい?」

「い、いえっ、何もっ!」


 さっきとは違う、少し冷たい口調に肩が震える。彼にそんなつもりはないのだろうけれど、責められているような気がして、いつもこわいと思ってしまうのだ。

 すると、彼の口からため息が一つこぼれた。


「あのさ、ぼく、別に怒ってるわけじゃないから。ビクビクしないでくれるかな」

「え?」

「自分で言うのもなんだけど、ただ無愛想なだけだから」


 心を読まれたのかと思ってすごくビックリしたけれど、怒っているんじゃなくて本当によかった。彼は彼なりに気にしていたらしい。人を殺すのが生きる意味だという、異常な考えを持っている快楽殺人者なのに、何だか可笑しな人だ。そう思って、わたしはまた笑ってしまった。

 ――ああ、わたしはまだ笑えるんだ。


(――残念ですが、お嬢さんはもってあと三ヶ月というところでしょう)


 二週間前、わたしは母と主治医が話しているのを立ち聞きしてしまった。幼いころから身体が弱くて入退院をくり返していたわたしだったが、今回もまたすぐに退院できるだろうと思っていたので、それがとてもショックで信じられなかった。――否、信じたくなかった。

 わたしはこんなところで死んでしまうの? まだ、たった十七歳なのに? そんなの嫌だ。――嫌だ!

 そして、行くあてもなく病院を抜け出して、出逢ったのがあの人たちだった。一人は犯罪者で、もう一人は死神。ああ、わたしはもうここで死ぬ運命なんだなと思った。

 でも、犯罪者の彼の家に一晩泊まるという意外な展開になり、必死にお願いしたら二週間置いてもらえることになった。しかし、だからと言って何か目的があったわけじゃないし、彼が犯罪者だと知ってしまったからには、二週間後に殺されてしまう可能性だってある。それでも、この二週間だけは余命三ヶ月だということを忘れられるのだ。それだけがわたしの救いだった。

 そのあと、余命のことがばれてしまったけれど、彼が約束を守ってくれたおかげで、わたしは今こうやってここにいる。

 そして、ついに明日が最後の日となってしまった。わたしがこの先どうするかはもう決めてある。この二週間、彼らと過ごすうちに自然と決まったのだ。わたしは今、その決意――「最期のお願い」を快楽殺人者の彼にしているところだった。


「で? その『最期のお願い』とやらは何だい?」

「はい。――わたしを、」


 にこり、わたしは今までで一番の笑みを浮かべた。余命三ヶ月という絶望的な状況なのにこうやって笑えるのは、この人たちのおかげだ。


「わたしを、殺してくれませんか?」

「は?」


 自分で無愛想だといっていた彼のカオが、一瞬にして歪んだ。驚き、訝り、わけがわからないというような色々な表情が入り混じっているのがわかる。


「人を殺すなんてやめろって言ったのは、君じゃなかったっけ? それに、君は生に執着しているとも言っていた」

「そう、なんですけど……う、ごほっ」

「大丈……、!」


 ソファーから腰を浮かせてこちらをのぞきこんできた彼の目が、大きく見開かれる。その視線の先にあるわたしの手についていたのは、真っ赤な血。

 ああ、やっぱりわたしにはもう時間がない。


「わたし、余命三ヶ月って言いましたけど、それは『もてば』の話なんです」

「……その様子じゃ三ヶ月はもたないだろうね」


 それは直視したくない現実を示す残酷な言葉なはずなのに、何故か嬉しくなった。この人が本当にウソをつかない、裏表のない人だとわかったから。

 勝手に病院を抜け出して、薬も飲まなかった結果がこれだ。今まで何もなかったことのほうが奇跡だと思う。「生」に執着していると言ったくせに、自分で寿命を縮めてしまうなんて、自業自得も甚だしい。

 だけど、


「だから、最後に知り合った素敵な人たちに看取られながら死にたいんです」

「病院に戻ったら少しは生に執着できるかもしれないよ?」

「ダメです。病院はわたしにとって『死』でしかありません。でも、ここは違う」

「快楽殺人者と死神からも『死』しか連想できないと思うけど」

「わたしにとっては、そうではありませんから」


 出逢ったときこそそうだったかもしれないけど、今となっては、彼らはわたしにとってただの「やさしい人たち」でしかなかった。

 それなのに、わたしは彼らを裏切ってしまう。これがわたしにとって最善の策だと気付いてしまったのだ。


「お願いします! これが本当に『最期の』お願いなんです……っ」


 ばっと勢いよく頭を下げ、数秒おいて頭上から聞こえてきた答えは、


「――わかった」

「え……」


 顔を上げると、彼は少し哀しそうに微笑んでいた。


「いいよ。苦しまないように死なせて――いや、殺してあげる」


 こうして、わたしの「未来」は決まったのだった。


「そう。じゃあ、残念だけど――サヨナラ、だね」


 そう言って彼が引き金を引いた瞬間、死神さんがわたしを守るようにして目の前に来てくれた。しかし、銃弾は死神さんの身体を通り抜け、わたしの心臓を正確に貫いたのだった。


 ありがとう、死神さん。わたしを、生かしてくれて。

 ありがとう、名前も知らない快楽殺人者のあなた。わたしを、殺してくれて。

 倒れていく瞬間、窓から月が見えた。ああ、そういえば彼らに初めて逢った日も、こんなふうにやさしくほほえんでいるような黄色い月が出ていたな――。

 このとき、わたしの意識はもうなかったのだけれど。


 いつかまた、黄昏月の下で逢いましょう。




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