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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第三章 黄昏月が微笑む夜に
41/58

12

「あ、おはようございます」


 リビングに入るなり聞こえた第一声。ここで敬語を使う人間は、一人しかいない。

 ぼくも「おはよう」と返し、その声の主――余命三ヶ月だという少女――が作った朝食が用意されているテーブルにつく。しかし、彼女はなかなかイスに座ろうとはせず、周りをきょろきょろと見回していた。


「どうかした?」

「あの、死神さん知りませんか? 起きてからずっと見てなくて……」

「……さあ? ぼくも見てないよ」

「そう、ですか……最近よくいなくなりますよね」


 言いながら彼女が腰を下ろしたのを見て、ぼくは朝食に手をつけた。

 彼女がさがしている彼は、言わばユーレイのようなものなので何も食べなくても平気なのだが、いつもいる人物がいないと気になるのは確かだ。まったく、いればいるでメンドくさいのに、存在感のある人物は良い意味でも悪い意味でも影響力が強い。

 そして、ぼくは彼が時々いなくなる理由を知っていた。


「彼も一応死神なんだし、仕事をまっとうしてるんじゃないかな」

「あ、そうですよね。死神さんも大変ですね」


 ぼくのセリフをあっさりと信じた彼女は疑問が解決されたのか、安堵の笑みを浮かべた。

 ――ああ、滑稽だ。そんなの、ウソだというのに。

 彼は死神の仕事をまっとうするどころかむしろその逆で、ぼくの目の前で朝食のウィンナーを口に運んだ彼女の寿命を延ばす方法を模索しているのだ。死ぬ人間を迎えにいくはずの死神が、人間を生かそうとしているなんて――思えば、あの自殺願望の彼のときもそうだった。そして、いつかの彼のセリフが頭をよぎる。


(ボクはね、他人にはやさしいんだ)


 それはもう、ただのお人好しとしか言いようがない。まったく、ぼくはウソはつかない主義なのに。

 そう思ってため息をこぼすと、それに反応するように彼女がびくっと震えた。


「あ、あの……もしかして、まずかった、ですか?」


 おずおずと上目遣いで尋ねてくる彼女。何を言い出すかと思えば、そんなことか。


「今のため息はそういう意味じゃないよ」

「じゃ、じゃあ、おいしいですか?」

「ぼくはおいしいと思ったものしか口にしない」

「ホントですか!? よかったー……」


 ほっと胸をなでおろすように、彼女は破顔した。彼女はこの二週間弱もぼくがまずい朝食を我慢して食べていたとでも思っていたのだろうか。もしまずかったのなら、あの日「これからも朝食をよろしく」なんて言っていない。

 朝食を済まし、今日の授業は午後からなのでリビングでくつろいでいると、彼女がぼくの真正面に座り、口を開いた。


「あの、あなたは人を殺すことが生きる意味だと言いましたよね」

「ああ」

「あなたは、どうして人を殺すんですか?」


 真っ直ぐな視線に射抜かれ、すでに聞き飽きた質問を投げかけられる。しかし、ぼくも飽きもせずにそれに答えようとしていた。何故なら、これは永遠に変わることのない、ぼくの真理だから。


「ぼくの中に流れる誰よりも紅い血が、快楽と血を求めているから、だよ」

「……お願いします。もうそんなことはやめてください」

「それはムリなお願いだね」


 ぼくは冷たくあしらったが、彼女の悲痛な叫びは続いた。


「ダメです。人の命は、そんなに簡単に奪っていいものじゃない……!」

「君がさっき言ったように、これはぼくの生きる意味なんだ。人を殺すことができなくなったら、ぼくが死んでしまう」

「そんなの……っ」


 彼女は瞳を潤ませてそう叫んだが、そのあとに続く言葉はなかった。「そんなの」――「狂っている」だろうか。でも、それが事実なのだ。

 リビングが重い沈黙に包まれたため、ぼくは話題を変えることにした。


「そういえば明日で二週間が経つけど、君、どうするの? まさかこれ以上置いてくれ、なんて言わないよね」

「……大丈夫です。ちゃんと約束は守ります。――でも」


 ぴくり、最後の単語にぼくは眉をひそめた。


「最後に一つ、お願いがあるんです」

「この前のが『最後のお願い』なんじゃなかったのかい?」

「お願いします! これが本当に『最期の』お願いなんです!」


 そう懇願する彼女はあまりにも必死で、そして、どこか哀しそうで――ぼくは盛大なため息を吐き出した。


「……何?」


 その瞬間、彼女の顔がぱあっと明るくなったので、ぼくは少し、いや、かなり後悔した。

 そして、その「最期のお願い」を聞いてさらに後悔することを、ぼくはまだ知らない。


       * * *


「ただいまー」

「あっ、死神さん、おかえりなさい」

「君、ちゃんと彼女と仲良くしてた?」


 にこり、彼はいつものように笑う。――これから何が起こるとも知らずに。


「ああ、もちろん」

「ええー? ウソくさいなあ」

「君の作り笑いよりは真実味があるだろう?」

「うわ、酷いなあ。でも、そうかもね」


 何かいいことでもあったのだろうか。くすくすと笑う彼は上機嫌のようだ。

 カチリ、そして時計の針は午前零時を指し示す。

 さあ、終幕の始まりだ。




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