09
「今日もごくろーさま」
不意に後ろから聞こえた声は、振り返らずとも誰のものかすぐにわかった。相変わらず見計らったかのようなタイミングだ。
しかし、
「残念、今日は何もしてないよ。――君も、見ていただろう?」
「さあ、どうでしょう?」
ゆっくりと振り向けば、いつもと変わらぬ作り笑いを浮かべる彼が佇んでいた。まったく、わかるようにつけてくるくせに、白々しい。そう思って、ぼくは一つため息を吐き出す。
「あっ、またため息ついた。ダメじゃないか。ため息つくと、」
「幸せが逃げるんだろう?」
「何だ、わかってるの?」
彼はぷう、と拗ねたようにほおをふくらませたが、誰がその原因だと思っているんだ。
しかし、それを口に出すことはせず、ぼくたちは家に帰るべく並んで歩き出した。と言っても、ほかの人に彼は視えていないのだけれど。
「ねえ、君は彼女のこと、どう思う?」
彼からの突然の質問。相変わらずのパターンではあるが、最近の彼の関心は彼女にばかり向いていたので、ぼくに向けられた質問が何だか新鮮に感じる。まあ、質問の内容はやはり彼女に向いているのだが。
「君はどう思うの?」
「うわ、ずるいなー。でも、ボクはやさしいから答えてあげるよ」
「何で上から目線?」
「そうだなー、ボクは『面白い』かな」
ぼくの言葉を無視して、彼は先を続ける。
「だって彼女、君が人殺しだって知って、自分も殺されるかもしれないっていうのに、ホントにケーサツに言ってないんだよ?」
「彼女が自分でそう言ったんじゃないか」
「そうだけどさ。しかも、君に向かって『人を殺すなんてやめて』なんて言った上に、『ここに置いてくれませんか』だって。肝が据わってるよね」
くすくす、と楽しそうに笑う彼。ああ、これは本当に愉しんでいるときのカオだ。
「――でも、まさか余命三ヶ月だとは思わなかったけどね」
その重い一言で、一気に空気が変わるのがわかった。十月の風も、心なしか冷たく感じる。
「彼女の名前を見つけたときはビックリしたけど、それだけ死期が近ければ、ボクのことが視えるはずだよね」
やれやれというように肩をすくめて苦笑したかと思うと、彼はぱっと表情を変え、得意の作り笑いを咲かせた。
「でも、ボクにもまだ威厳があったみたいでよかったよ。誰にでも視える死神なんて、カッコ悪いもんね」
「死神に威厳なんてあったの?」
「それ、前にも聞いたなあ」
そう言って、彼はくすりと笑みをこぼす。
「ボクはね、他人にはやさしいんだ」
「何だい? 藪から棒に」
「特に、深く関わった人間には、ね」
「……だから?」
「だから、彼女がもう少し長生きできるようにしようと思って」
こちらを向いてにこっと笑い、あっさりと、さも当然だとでも言うようにそう告げた彼。ああ、最近は驚くようなことばかりを聞かされている気がする。もちろん、カオには出さないが。
「死神がそんなことしていいの?」
「あはっ、ダメかもね」
「そもそも、そんなことできるの?」
「うーん、頑張ればできるんじゃない? 死神は『死』を司るものなんだから、その『死』を操ることができるかもしれないでしょ?」
確かにそういう考えもできなくはないが、死にゆく人間を迎えにいくのが死神なのではないのだろうか。そもそも、よくそんな限りなく不可能に近いことをやろうと思えるものだ。
「やけに彼女の肩を持つんだね」
「だから言ったでしょ? ボク、他人にはやさしいって」
「それ、どういう意味?」
「そのままの意味だよ。彼女に生きていてほしいから頑張る。ただ、それだけだよ」
「他人」にはやさしい、ということは、「自分」にはやさしくない、ということだろうか。――ああ、そうだ。彼は他殺願望の死にたがりやだったじゃないか。自分を殺してほしいだなんて、究極的に自分にやさしくないだろう。しかし、他人にやさしいというのなら、他人に自分を殺させる役を頼まないでほしい。
そんなことを考えていると、彼がぽつりとつぶやいた。
「それに、ちょっと似てるんだ」
「何が?」
「彼女が、ボクの大切な人にね」
にこり、その作り笑いは彼女を殺した(と彼は思っている)ぼくへのあてつけだろうか。
「だからかな、余計に生きていてほしい、って思うんだよ」
「そう」
「というわけで」
くるり、ぼくより一歩前に踏み出した彼が振り返る。
「明日からちょくちょくいなくなると思うけど、ちゃんと彼女と仲良くしててね?」
「ぼくとしては、十分仲良くしてるつもりだけど」
「いーや、君には愛想が足りないよ」
「君みたいにほいほい作り笑いを連発するよりはマシだと思うけど」
「うわっ、酷いなあ」
そして、彼はまた酷いだなんて思っていないような笑顔を浮かべていた。




