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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第三章 黄昏月が微笑む夜に
34/58

05

「君はどうして家出なんかしたの?」


 ――ああ、また彼の悪いクセが始まった。

 彼女がここに居候し始めてから二日が経った夜、彼はいつものウソくさい笑みを浮かべながら問いかけた。人懐っこくて誰とでもすぐに仲良くなれるのはいいことだと思うが、彼の場合はさらにその上を行き、人の心に土足で上がりこもうとするので厄介だ。

 彼女もいきなりかつストレートな質問をされて、戸惑っているようだった。あるいは、もうそのことには触れられないと思っていたのかもしれない。ぼくはそれを見て哀れむような気持ちを覚え、ため息をついた。


「この前はボクが彼を止めたから、油断してた?」

「……はい」

「ダメだよ? 油断大敵ってね。あの場は君を助けるために彼を止めたけど、だからといって聞かないわけじゃないんだよ?」


 そう言って彼は目を細め、にっと意地の悪い笑みを浮かべた。そのセリフも、味方だった人物がいきなり敵に回ったような(実際彼女からすればそうなのだろうけれど)、意地の悪いものだ。まったく、彼は本当にタチが悪い。


「で? 君はどうして家出したの?」

「それ、は……」


 彼の顔には興味津々という文字が浮かんで見えそうだったが、無表情なぼくもそれなりに興味はあったので、視線でそれを訴えていた。ただし、ぼくは「彼女」に興味があるのではなく、「彼女が家出した理由」に興味があるのだけれど。ぼくは他人に興味などない。

 ぼくたちの視線に耐え切れなくなったのか、彼女は黙ったままうつむいてしまった。しかし、やがてゆっくりと顔を上げると、にこ、とやわらかく微笑んだではないか。その笑顔が、「誰か」に似て――


「それは秘密、です」

「ええー? ボクにヒミツを作ろうだなんて、十年早いよ?」


 ともすれば脅しのようにも聞こえるセリフだが(彼も人のことは言えない)、彼女は毅然とした態度のまま微笑むだけ。どうやら彼女も一筋縄ではいかないらしい。

 すると、先にあきらめたのは彼のようで、苦笑しながら肩をすくめていた。


「まあいいや。君が話したくなったら言ってね」

「はい、そうします」

「即答かあ。君、なかなかいい性格してるね」

「君には言われたくないと思うよ」

「ちょっと、それどういう意味?」

「そのままの意味さ」


 そんな会話をしていると、くすくすという笑い声が聞こえた。その声の主はもちろん彼女なのだが、何がそんなに面白かったのだろうか。


「あの、今度はわたしが質問してもいいですか?」

「いいよ。答えられる範囲ならね」

「あなたたちはどういう関係なんですか? どうして人間と死神が一緒にいるんですか?」


 それは基本的かつ当然の質問であり、核心でもある重要な質問だった。人間、しかも犯罪者が死神と一緒にいるなんて、客観的に見ればとても滑稽な話だ。


「これは答えられる範囲なのかな? それとも、ボクたちもヒミツで通す?」

「別に隠すことでもないし、どちらでも構わないよ」

「そ? じゃあ、君がそう言うなら」


 そうして、彼は語り始めた。

 まずは自分が半年ほど前までは人間で、職業は刑事だったこと。次に「他殺願望」の死にたがりやだったこと。それからぼくと出逢い、ぼくに殺されたいと思うようになって、最後は本当にぼくに殺されたこと。ああ、ぼくはそれらの日々を鮮明に憶えている。

 それにしてもこの男、ところどころ省いてはいるが、ウソはついていない。さすがと言うべきか何と言うべきか、ぼくは素直に感心した。


「――そして、気付いたらボクは死神になってたんだけど、三ヶ月くらい前に彼と再会してね、今また一緒にいるってわけ」

「すごい……素敵な人生だったんですね」

「でしょ?」

「どこが?」


 二人の会話にすかさず口を挟む。彼が自分からそう言うのならともかく、彼女がどうしてその人生を素敵だなんて思えるのか、ぼくには理解できなかった。


「だって、死神さんは最終的にあなたに殺されたんですよね」

「そうだよ」

「じゃあ、死神さんの最後の願いは叶ったってことでしょう?」


 確かにぼくが彼を殺したことで、「他殺願望」という彼の望みは叶ってしまった。だけど、ぼくは――


「いいなあ。わたしもそんな人生を送りたいです」

「え? 君も死にたがりやなの?」

「違うと思うよ」

「ええ、そうじゃなくて、なるべく多くの願いが叶う人生を送りたいな、と思って」


 彼女より先に否定してしまったが、彼女が本当に死にたがりやではなかったので、ぼくは少しほっとした。いつかの自殺願望の彼も含め、もう死にたがりやと出会うのはごめんだ。


「なーんだ、そういうことか。じゃあ大丈夫だよ。君、まだ若いんだし、きっと素敵な人生を送れるよ」


 得意の笑顔で彼が励ますと、彼女も微笑み返した。

 しかし、その瞳にわずかな憂いの色が映っていたのを、ぼくは見逃さなかった。




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