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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第三章 黄昏月が微笑む夜に
32/58

03

「人を殺す、なんてダメだよ」


 君に、ぼくの何がわかるっていうんだ。殺人はぼくの生きる意味で、ぼくの本能が、ぼくの中に流れる紅い血が、そう叫んでいるんだ。

 君に、ぼくの何が――


「……夢、か」


 ゆるり、と目を開ければ、見慣れた自室の天井が視界に入ってきた。安堵か呆れかわからないため息を一つこぼし、身体を起こす。何とも嫌な夢のせいで、朝から気分は最悪だ。

 とりあえず顔を洗おうとドアを開けると、キッチンのほうからいいニオイが漂ってきた。方向転換をしてそちらに足を進めると、そこには、


「あ、おはよー」

「お、おはようございます!」


 朝からまぶしいくらいの笑みを浮かべる死神の彼と、コンロの前でせわしなく手を動かしている「彼女」がいた。


「……君、何してるの?」

「あ、あのっ、冷蔵庫の中のものとかキッチンとか勝手に使ってすみません!」

「いや、そうじゃなくて」

「ボクが許可したんだよ。彼女が泊めてくれたお礼に朝食を作りたいって言うからさ」


 にこりと笑う彼の説明で状況は把握できたが、この部屋の主であるぼくを差し置いて、どうして彼が許可するのだろうか。まあ、ぼくに直接頼まれたとしても断りはしなかっただろうから、別にいいんだけど。

 ――ああ、彼はそれを予測していたから許可したのかもしれない。まったく、もしそうなら本当に嫌な男だ。

 一方、ぼくがそんなことを考えている間、彼女は朝食作りの続きに励んでいた。ぼくが人を殺したということがバレたというのに、彼女はこうして生きているし、彼の言ったとおり、昨晩ここに泊まったことも事実だ。それは何故か。

 答えは簡単だ。全部彼のせいである。


       * * *


「……み、君、ぼーっとしてどうかした?」


 彼がひょっこりと横からぼくの顔をのぞきこむ。彼女の懇願するようなセリフで、ぼくはフリーズしてしまっていた。


「いや、何でもないよ。さて、どうしようか?」

「うーん、じゃあとりあえず君の家に泊めてあげるとか」

「何でそうなるの?」

「だって今ここで帰したら、ケーサツに言っちゃうかもしれないでしょ?」

「彼女は誰にも言わないって言っただろう?」

「それ、本当に信用できる?」


 そう問いかけてきた彼は珍しく真面目なカオをしていた。しかし、それが逆にウソくさくて仕方ない。確かに彼の言うことには一理あるが、彼が一番信用ならないのだ。


「だからさ、一日様子見てみない?」

「君、この状況を面白がってないかい?」

「まっさかあ」


       * * *


 そのセリフは否定を表していたが、その顔に浮かんだ笑みは完全な肯定を示していた。

 そして、従わなければ殺されるとでも思ったのか、彼女がその提案を承諾してしまったために、現在のような状況に至ったわけである。

 ぼくが洗面所から戻ってくると、テーブルの上にはご飯に味噌汁、焼き魚、玉子焼き、サラダ、納豆という典型的な朝食が用意されていた。


「あの、お願いがあるんですけど」


 それを遠慮なく頂いていると、彼女が真剣な面持ちで切り出してきた。


「何?」


 それに応えたのはぼく、ではなく、彼だった。


「わたしをここに置いてくれませんか?」

「断る」


 ただでさえこの死神がいて面倒だというのに、これ以上変な居候が増えるのはごめんだ。ぼくは必要以上に他人と関わることはしたくない。


「少しくらい話を聞いてあげたら?」


 至極楽しそうに口元を歪めている彼にため息をつき、ぼくは箸を置いて、嫌々ながらも口を開いた。


「……どうして、ここに置いてほしいの?」

「わたし、昨日家出してきたんです。だから、帰るに帰れなくて……」


 昨日、彼女が彼の提案を受け入れた理由には、それも含まれていたのだろう。


「どうして家出したの?」

「そ、れは……」

「言えないのなら、ここには置けないね」


 冷たく言い放つと、彼女ははっと瞬いたあと、きゅ、と唇を噛みしめてうつむいてしまった。


「君は酷いなあ。誰にでも一つや二つは秘密があるものだよ?」


 彼はすかさずフォローしたが、それ以上の秘密がある、いや、むしろ秘密のカタマリである上に、他人の秘密を見透かしているような人には言われたくないセリフだ。

 すると、彼女は顔を上げ、昨日と同じような真っ直ぐな眼でぼくを見据えた。


「お願いします。少しの間でいいんです。そのうち絶対に帰りますから」


 そのうち、ねえ。深々と頭を下げる彼女を見て、ぼくはもうすべてがメンドくさくなってしまった。


「――二週間。それ以上は認めない」


 ぼくがそう告げると、彼女は頭を上げて安堵の表情を浮かべ、彼も嬉しそうに笑っていた。何だか彼の思惑通りになってしまった気もするが、彼女の朝食がなかなか美味しかったから良しとしよう。

 そう思って、ぼくは再び箸をとった。




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