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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第三章 黄昏月が微笑む夜に
30/58

01

 黄昏時。空は暗くなりつつあり、もうすぐ闇がすべてを包む。空に輝く金色の月は鋭くもやさしい光を放ち、ぼくを何とも言えない気分にさせた。

 こんな日は、少し躊躇う。忘れたい記憶の中の「誰か」を殺したのも、こんな夜だった。あの日から、いや、それよりもずっと昔に感情などどこかにおいてきたはずだったのに、こんなことを思い出して感傷的になるなんて、ぼくにもまだ良心が残っていたのだろうか。

 それとも、これは悼み、だろうか。

 ――ああ、なんてくだらない。ぼくは躊躇いなどしない。ぼくはぼくの求めるままに、今日も人を殺すのだから。それが、ぼくの唯一の生きる意味だ。


       * * *


 今日もぼくは夜を歩く。

 快楽と、紅い血を求めて。


 今夜の人形はやさしい笑みを浮かべる女の人。おっとりとした口調の純粋そうな彼女は、ぼくが穏やかに微笑みかけてやれば、少し恥ずかしそうにうつむきながらもぼくについてきてくれた。その奥ゆかしさがぼくの気持ちを高揚させる。さて、この人はどんなカオで泣き叫んでくれるのだろうか?


「ちょっと目をつぶってもらえるかな?」


 人気のない路地裏で向かい合い、やさしくお願いすると、彼女――いや、「今日の人形」は何も疑うことなく、素直に目を閉じた。心なしか、ほおは赤く染まっている。

 しかし、ぼくは彼女が期待しているようなことはしてあげられない。何故なら、


「目を開けてもいいよ」


 ふ、と人形が目を開けると同時に、先ほどポケットから取り出したナイフを下腹部に突き刺した。その口から、かはっ、という小さな呻き声が漏れる。

 勢いよくナイフを引き抜いて、人形にもそれが見える位置に持っていけば、すでに蒼白くなっていたその顔が、鮮明な恐怖で歪んだ。ああ、ぼくはそのカオを待っていたんだ。

 傷口から緋色の鮮血をしたたらせ、そこを押さえている人形に顔を近づけて、ぼくは嗤う。


「サヨウナラ」


 そう告げたあとは、ぼくの独壇場だった。次々と人形の身体を刺し、とどめに心臓を貫く。

 そして、最後にぼくは――


「――君、そこにいるんだろう?」


 ゆっくりと振り向いて静かに尋ねれば、少しの間を置いて、路地の入り口からひょこっと一つの影が現れた。


「あ、バレちゃった?」


 明るい声でセリフを放ち、にこりと笑う男。いつもと変わらぬ作り笑いをよこす彼に、ため息をついた。


「当たり前じゃないか。わかるようにつけてくるそのクセ、直したほうがいいと思うよ」

「君は目ざといなあ」


 男は困ったように肩をすくめたが、心の中ではそんなことは一切思っていないのだろう。彼はそういう人物だ。

 彼は、他人に殺されたいという奇妙な願望、つまり「他殺願望」を持った死にたがりやで、色々あった結果、本当にぼくに殺されてしまった。そして死後、どういうわけか死神になり、今は生前と同じようにぼくの家に居候している。最近はそれなりに死神の仕事もしているようだ。


「それにしても、相変わらずえげつないね」

「殺人はぼくの生きる意味だから、ね」

「ふふ、そうだったね」


 えげつない? これはぼくの「人形」だ。自分の人形をどんなふうに壊そうと、ぼくの勝手だろう?


「それにしても、今日は一段と残酷じゃない?」

「そう?」

「だって抉ったの、子宮でしょ?」


 足音もなくこちらに近づき、ぼくの足元に倒れている人形をまじまじと直視しながら指摘する彼。さすが生前は刑事だったというだけあって、死体を目の前にしても特に動じる様子はなかった。

 そう、この人形の心臓にとどめを刺したあと、ぼくは最後に子宮を抉った。まるで、女性であることを否定するかのように。いつもなら眼球を抉っていたし、今日だって直前までそうしようと思っていたはずなのに、何故子宮を抉ってしまったのか、自分でもわからなかった。

 憶えているのは、人形の恐怖と痛みに歪むカオと、飛び散る緋色の鮮血。そして、その最中にちらついた「誰か」の笑顔。あれは、誰だったっけ?


「ま、でもボクの彼女のときは心臓だったもんね。それよりはマシ、かな?」


 彼のセリフではっと我に返る。そちらに顔を向ければ、彼は嫌味っぽく得意の作り笑いを浮かべていた。


「ぼくが彼女を殺したっていう証拠はないんだろう?」

「うん。でも、絶対に君だよ」

「刑事の勘かい?」

「アタリ。まあもう刑事じゃないけどね」


 あはは、と声を出して彼が笑うと、先ほどまで少し張りつめていた空気がゆるんだが、冤罪もいいところだ。ただ、ぼく以外に心臓を抉るなんてことをする人間がいるのなら、少し会ってみたい気もするけれど。

 彼はまだ、ぼくのことを恨んでいるのだろうか。「彼女」、つまり彼にとって唯一無二の大切な人を殺した犯人をぼくだと思っているのなら、それは有り得ないことではない――


「、っ」


 刹那、背後から聞こえた息を飲む音に反応して素早く振り向くと、セーラー服を着た高校生くらいの少女がこちらを見て立ちすくんでいた。

 ――見られた。




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