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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第二章 蒼い月が嘆く夜に
27/58

13

 あの夜も、蒼い月が空に浮かんでいた。

 ぼくが命日と決めた、あの日のような。


       * * *


 僕は何のために生きていて、その意味は何なのか。そんなこと、考えたこともなかった。だって、この世界は腐っていて、僕は世界に絶望していたのだから。

 でも、あの二人と出逢ってから、少し考えが変わった。僕の「救い」とは何だろうか? 僕の「希望」とは何だろうか? こんな僕にも、生きる意味はあるのだろうか?

 ああ、もしかしたら生きてみたいのかもしれない、なんて考えている自分がこわい。死ぬことなんてちっともこわくないのに、こんなことがこわいなんて滑稽だ。今なら、「生きていることのほうがこわい」と言っていた死神の気持ちがわかるような気がする。

 この世界は腐っている。それは僕の信条であり、支えでもあった。今でもそう思っているし、きっとこれからもこの考えが完全に消えることはないだろう。

 でも、そんな世界の中で生きる意味を見つけることができたのなら、それは僕の「救い」、そして「希望」になるのだろうか。そうしたら、僕はやってやったと世界を見下すことができるのだろうか。

 ――それなら、僕は。


「もう、いいだろ? いいかげん、僕に審判を下してよ」


 やはりまたいつものように僕の部屋に三人で集まっていたときに、僕は切り出した。


「そうだね。君と出会って今日でちょうど一ヶ月だし、今日、審判を下すことにするよ」


 あまりにあっさりと承諾された僕の願いに、じゃあ今までは何だったんだと問いたくなったが、そうと決まれば話は早い。僕はこの人たちに、「彼」に、自分の生きる意味をゆだねてみたい。

 やがて、死神の口がゆっくりと開かれる。


「君への審判は――」


 さあ、どうか早く僕を「生かして」。


「死、だよ」

「――え?」


 にこり、死神は初めて逢ったときとまったく同じキレイな作り笑いを浮かべ、またしても僕に残酷な宣告をした。


「ど、うして……」

「『どうして』? 君は死にたかったんだろう?」


 死神の代わりにそう言った快楽殺人者の彼が、冷たく笑う。

 確かに僕は異常なくらい死を切望する自殺願望者――「だった」。でも、今は違うんだ。


「僕は、少しでも希望があるのなら、生きてみたい」

「おやおや、君も変わったねえ。さて、どうしようか?」

「どうするもこうするも――」


 刹那、全身が総毛立つほどの恐怖を感じた。見れば、快楽殺人者の彼が自身の生きる意味を語ったときのような、狂気的で狂喜的な眼をして嗤っているではないか。


(残念だけど、死にたがりやは殺せないよ)


 ふと、彼に殺してほしいと頼んだときに返ってきた言葉を思い出した。ああ、そうか。あれはつまり、


「生きたい人間は、殺す」


 彼はすっと取り出した拳銃をこちらに向け、じりじりと迫ってきた。僕は一歩一歩後ずさるものの、すぐに壁際に追い詰められてしまう。僕と彼の距離は約五メートル。よけられる自信なんて、自慢じゃないがこれっぽっちもない。

 だけど――彼に殺されるのなら、本望かもしれない。

 そう思ってぎゅっと目をつぶった次の瞬間、サイレンサーをつけていたのか、ピシュ、という小さな音が聞こえた。ああ、これでついにこの腐った世界ともおさらばか――


「――……?」


 しかし、標的であるはずの僕には、いつまで経っても痛みが襲ってこなかった。これではまるで、自殺を決行したあのときみたいじゃないか。

 恐る恐る目を開けてみると、銃をしまおうとしている彼と、その横でにこにこしている死神が見えた。


「君、ワザト外したでしょ」

「さあ、君を殺してから銃なんか使わなかったから、手元が狂ったかな」

「ふふ、相変わらず銃が嫌いなんだね」

「面白くないだけ、だよ」


 その会話を聞いてばっと壁を振り返ると、僕が立っていた場所からわずか三センチほど横に弾丸がめりこんでいた。これが本当に当たっていたら、と想像してゾッとすると同時に、僕は今「生きて」いるんだということを実感して、その場にへたりこんでしまった。

 でも、僕はまた死ねなかった。なのに、生きることも許されないなんて、じゃあ。


「僕は、どうしたらいいの――……?」


 わからない、わからない。


「ホントウに、わからない?」

「え?」


 顔を上げて快楽殺人者の彼を見つめれば、彼は困ったように眉を下げて苦笑した。


「君は『相変わらず』鈍いようだね。今のが答え、だろう?」


 今の、とは、僕が死ななかったこと? それとも、彼が僕を殺さなかったこと?

 ――つまり、今、僕が「生きている」ということ?

 それでもまだわからなくて、すがるように死神に顔を向けると、彼はこちらに近づき、僕と目線をあわせるようにすっと屈んだ。そして、最初から最後までちっとも変わらない、相変わらずの作り笑いを浮かべた。


「君に、最後の審判を下すね。君への審判は『生』だよ。生きて、生きる意味を見つけて、やってやったと世界を見下してやればいい」

「僕は、生きていてもいいの?」

「もちろん。彼も言ってたでしょ? これが答え、だよ」

「じゃあ、僕の生きる意味は?」

「残念だけど、僕は『死』を司るものだから、それには答えられないよ」


 死神は立ち上がって肩をすくめ、ちらり、と快楽殺人者の彼に視線を向けた。僕も同じように彼を見て、口を開く。


「僕の生きる意味は何ですか?」

「そんなの知らないよ。でも、」


 この人たちは好き勝手言って僕を生かしたくせに、あとは放置だなんて無責任すぎる。


「ぼくと彼に出逢って君の考え方が変わったのなら、それは君の人生において大きな意味を持つだろうね」

「あのっ……」

「生きたいのなら、サヨナラ、だよ」

「っ」

「頑張ってね。もう出逢わないことを祈ってるよ」


 そう言った死神はその嫌味とは裏腹に、ホンモノの笑みを浮かべていた。

 二人が出ていった部屋は、ほどなくして深い闇と静寂に包まれた。彼らがここにいたという証である銃弾を見て、僕は蒼い月に見守られながら声を殺して泣いた。




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