09
僕の冷たい青い記憶、
僕の哀しい蒼い記憶。
* * *
僕が世界を嫌いになったのは、ずっと昔。普通なら、世界がまぶしくて仕方ない、毎日が楽しくて仕方ないはずの子供のころだった。
僕は名家の一人息子で、父も母も四十歳に近くになってあきらめかけていたときに生まれた子供だから、それはもう並大抵ではない愛情を注がれていた。
特に父は、僕を家を継ぐにふさわしい立派な人間に育てようと、物心がつく前から僕に英才教育を受けさせていた。最初こそ楽しかったものの、次第に周囲の期待が重荷になって嫌気がさしてきた。学校、家庭教師、英会話、ピアノ、その他の習い事――自由なんて何一つない、ただ息苦しいだけの毎日。僕が初めて世界を嫌いになった瞬間だった。
中学生になると、親戚だけでなく、父の周りの大人との付き合いも増えた。うわべだけの笑顔で媚を売り、僕につけこもうとする汚い人間たちがたくさんいた。
僕はここで作り笑いや本音とタテマエを見分けるスキルを身につけ、自身も仮面のように貼りつけた薄っぺらい笑みを浮かべながら、適当にそいつらをかわした。僕はそんな自分自身にも大人たちにも絶望し、こんな世界で生きていることに吐き気を覚えた。
この世界は腐っている――それが僕の出した結論だった。
それからもずっとそんな毎日を送った。うわべだけの付き合い、作り笑い、相変わらずの英才教育。息苦しくて仕方がなかった。
この世界はくだらない。
こんなところで僕が生きていたって、何になるっていうんだ?
だから、僕は自殺しようとした。
でも、死ねなかった。――そう、死神と同じように。
手首を切ればすぐに家政婦に見つかり、首を吊ればその瞬間を執事に見られてロープを切られ、家の屋上から飛び降りれば風に流されて木の上に落ち、一命を取り留めた。
ねえ、こんな腐った世界で生きている意味なんてこれっぽっちもないのに、どうして僕は死ねないの?
それでも、死神のように「他殺願望」になることはなかった。というか、ハナからそんな選択肢は頭になかった。だって、当たり前だけどそんなことを頼める人なんていなかったし、僕は僕自身の力でこの世界からおさらばしてやると思っていたのだから。
しかし、自殺未遂があまりに続いたせいか、僕は軟禁――いや、あれは監禁と言ってもいいだろう――されてしまった。もちろん刃物やロープ状のもの、あるいはそれらの代わりになりそうなものはすべて没収され、僕は自殺する術を失ってしまった。ああ、そんなことしたら、やることがないじゃないか。僕は本当に自由を失ってしまったのだ。
だから、僕は決心した。いつか絶対にこの家を出て自殺してやろう、と。この家の中で死のうとするからいけないんだ。今は確実にムリだから、まずは昔みたいに良いコを演じて、この軟禁状態から解放してもらおう。そして、段階を踏んでここを出られたら、自殺してやるんだ。
そう決意した僕の変わり身は早かった。今までの人生で培った猫かぶりのスキルをフル活用し、自殺未遂をくり返していたころの自分がウソであったかのように、それはそれはもう完璧なまでの優等生を演じてみせた。その結果、僕の目論見どおり、まずは軟禁状態を解かれ、普通に学校に行けるようになった。
でも、まだダメだ。まだこれでは死ねない。だから、僕は家でも学校でも完全なる良いコ、聖人君子のような人間を演じた。自分にこんなことができたことに少し驚いたけれど、僕は死ぬためなら何でもやってやるって決めたんだ。
そう、自殺願望の僕を突き動かしているのはただ一つ。「僕自身の死」だった。死ぬために生きているとは、何とも可笑しな話だ。
そして、僕は高校までを無事に卒業し、大学に入ってからは一人暮らしをしてみたいと両親に頼みこんだ。もちろん最初は猛反対された。きっとあの自殺未遂の件を思い出して、一人にしたら何をしでかすかわからないと思ったのだろう。それはあながち間違いではないし、むしろ正解だった。だって、僕は死ぬために家を出ていくのだから。
しかし、当然ながらそんなことは言わず、自立心を養うためだとか、「可愛い子には旅をさせよ」ってことわざがあるだとか、人生何事も経験だとか適当な詭弁を並べ、相当警戒しているらしい両親を説得して、とりあえず「最初の二年だけ」という契約を勝ち取ったのだ。
短いな、とは思ったけれど、家を出ることを許してくれただけでも十分だ。両親にはこの世に僕を生んだ恨みしかなかったけれど、このことには素直に感謝したいと思った。
同時に、このために必要だった作り笑いや猫かぶりのスキルを教えてくれた(正確には僕が自分で学んだのだが)あの汚い大人たちや周りの人間にも、初めて感謝した。
やがて、一人暮らしを始めた僕は死ぬのにふさわしい場所をさがし求め、あの廃ビルを見つけた。あとは日時だが、すぐに死ぬのはダメだ。やはり一年は過ぎて、一人でも大丈夫だと思わせてからでないと。
そうして決めたのが、一人暮らしを始めてから一年と三ヶ月が過ぎたあの日だった。何年も待ちわびて、恋い焦がれて、ようやく死ねると思った――いや、「死ねた」はずだった、のに。
そこに現れたのは、にこりとキレイな作り笑いを浮かべる、あの死神だった。
ねえ、僕は死ぬに値する人間なのに、どうして死ねないの?
可笑しな話だけど、僕は死ぬために今日まで生きてきたのに。
お願いだから、早く死なせてよ。
籠の中の鳥が羽ばたける日は、来るのだろうか。




