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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第二章 蒼い月が嘆く夜に
22/58

08

 開けてはいけないパンドラの箱、

 食べてはいけない禁断の木の実。

 先に手を出したのは、誰?


       * * *


「ねえ、どうして君は自殺願望なの……?」


 唐突に、しかも嘆かわしげに口を開いた死神。加えて、その手はうつむき加減の額にあてられ、悲壮感を醸し出している。

 が、しかし。


「そのメンドくさい芝居をやめてくれたら、教えてあげないこともないかな」

「うん、わかった。で、どうして?」

「変わり身早っ」


 にぱっ、といつもの作り笑いを浮かべたこの死神は、本当に理解できない。そう思いつつも、ぼくは質問に答えることにした。


「だって、死にたいって思ったら普通自分で死のうと思わない?」

「そうかなあ?」

「そうかなあ、て……」


 カクン、とわざとらしく小首をかしげる死神。そのカオには「理解できない」という文字が浮かんでいるように見えるが、それはこちらのセリフだ。

 すると、


「君の他殺願望のほうが『どうして』だと思うよ」

「ええー? そう?」


 ちょうど僕の部屋に来ていた快楽殺人者の「彼」が的確なツッコミを入れた。彼とは先ほど出かけたときにばったり出くわして、死神が「遊びにこない?」と誘っていたのだ。

 だけど、前にも言った気がするが、ここは僕の家なのに、どうして死神がさも住人ですというような感じで聞くのだろうか。まあ、僕は「彼」が嫌いじゃないから別にいいんだけどね。


「僕もそう思う」

「ええー? 二人して酷いなあ」

「どうして自殺願望か、なんて当たり前じゃないか。すぐにでも死にたいからだよ。他殺願望だと、いつ死ねるかわからないじゃないか」

「それも一つの賭けみたいなものだよ。そう思うと、ワクワクしてこない?」

「するわけないだろ。僕は早く死にたいんだ。今すぐにでも、ね」

「あはは、ごめんねえ」


 僕の嫌味をさらりとかわし、死神はへらりと笑う。くそ、やっぱり彼は僕を死なせてくれないらしい。


「それに、自分の人生には自分で決着をつけたいしね」

「ふぅん、君は律儀だねえ」


 死神は何か珍しいものを見るような目でつぶやいた。そんなに自殺願望というものがおかしいのだろうか。

 いや、そんなはずがない。どう考えたって死神のほうがおかしいに決まっている。同じ死にたがりやなのに、ホントウにどうやったら「他殺願望」なんて考えにたどり着くのだろうか。


「まったく、君たちには死への恐怖がないのかい?」


 僕がため息をつくよりも先に、黙って話を聞いていた快楽殺人者の彼が呆れたようにため息を吐き出した。

 それは、普通の人間(彼を「普通の人間」と言っていいのかは疑問だが)からしたら当然の質問なのかもしれないが、その答えは当然「イエス」だ。だって、死にたがりやに「死ぬのがこわい」などという感情はないのだから。


「アレ? 君にはそれがあったっけ?」

「ないよ」

「それじゃあ人のこと言えないね」

「君には一番言われたくないけどね」


 微笑みながら会話をしている二人に、僕が入ってはいけないような空気を感じたが、頑張ってその輪に入ることにした。しつこいようだけど、この部屋の主は僕なのだから。


「あのさ、じゃあ逆に聞くけど、そうしてアンタは他殺願望なのさ」

「そうだね、自分じゃ死ねないからだよ」

「自分じゃ死ねない? 死ぬのはこわくないのに?」

「うん」


 死ぬのがこわくないのなら、さっさと自殺してしまえばいい。それなのに自分で死ねないなんて。矛盾している。


「ホントは、死ぬのがこわかったんじゃないの?」

「ううん、ぜーんぜん。むしろ生きてることのほうがこわかったよ」


 そう言った死神は複雑な表情を浮かべていた。それは自虐的で、でも哀しそうで、どこか苦しそうで――そこにはそんな様々な感情が入り混じっているように見える。

 しかし、生きていることがこわい、とはどういうことだろうか。僕はそんなふうに思ったことはない。生きていることはくだらなくて、ムダなことだと思う。だって、この腐った世界で生きている意味などないのだから。


「君は、ボクも世界が腐っているという理由で死にたかったのか、って聞いたよね」

「答えは教えてくれなかったけどね」

「教えてあげるよ、ボクが死にたかった理由」

「え」


 それから、死神はゆっくりと語り始めた。

 彼にはたった一人の大切な女の人がいたこと。その人が不慮の事故で死んでしまったこと。そして、その人を追って死のうとしたけど、何故か死ねなかったこと。だから、他人に殺してほしいと思うようになったこと。それから夜の街を彷徨って、快楽殺人者の彼に出逢い、その人に殺してほしいと思うようになったこと。

 あと、生前の死神は天才で、アメリカの大学を飛び級で卒業し、警視庁に入って最年少で警視になったこと――このことはすごく自慢げに教えてくれた。


「その人が、君の『ようやく逢えると思った』人?」

「うわ、君、そんな独り言まで聞いてたの? 地獄耳だね」

「人の心を読んでる君に言われたくないと思うよ」

「ええー? 君まで酷いなあ」


 けらけらと笑うその表情は相変わらず発言と合っていない。

 それはさておき、ここで僕には疑問が一つ。


「どうして、教えてくれたの?」


 このずる賢い死神が、タダで自分の過去を教えてくれるとは思えない。絶対何かウラがあるに決まっている。

 すると、死神は待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。


「だって、君の過去を知るには、僕の過去も話さないとフェアじゃないでしょ?」


 にこり、その笑顔は、罠だ。まったく、この男はどこまで人の心に土足で上がりこんでくるつもりなんだ?

 ――まあいいや、どうせこの笑顔からは逃げられないということを、僕は知っている。だけど、これは諦めじゃない。挑戦状だ。


「いいよ、教えてあげる。僕の過去を」


 さあ、パンドラの箱は開かれた。




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