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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第二章 蒼い月が嘆く夜に
21/58

07

 ゆるやかに堕ちていく、

 この感覚は。


       * * *


「――あ」

「……ああ、君か」


 珍しく死神が留守番をしているので、僕一人だけでの帰り道、あの快楽殺人者の「彼」を見つけ、思わず声を上げてしまった。顔を合わせたのはあの日以来だったが、どうやら僕のことを覚えていてくれたらしい。


「え、と……あの、お久しぶりです」

「そうだね」

「今から帰るんですか?」

「いや」

「じゃあ、今から出かけるんですか?」

「ああ」

「そう、ですか……」


 ごく自然な流れで途切れた会話。今は午後十時だ。こんな時間にどこへ行くのかかなり気になるが、そこまで親しいわけではないので、それを聞くのは野暮というものだろう。

 すると、彼はふ、と口元を歪め、皮肉るような笑みを浮かべた。


「君は鈍いようだね」

「え?」

「君、ぼくがどんな肩書きの人間なのか、彼から聞いたんだろう?」


 どんな肩書きって言われても、年齢とか職業とかはまったく知らないし――


「あ。」

「ようやく気付いたようだね。ぼくは快楽殺人者だよ? つまり、ぼくはこれから今日の人形を壊しにいくってわけさ」


 そう、この人の肩書きは「快楽殺人者」だ。確か彼の言う「人形」は「人間」のことで、つまり彼は今から人を殺しにいくというわけか。ようやく合点がいった。

 それにしても、少しバカにしたような物言いだったが、この人に言われると何故か嫌な気分にはならず、むしろ僕が悪かったというような気にすらなってしまう。これが死神だったら言い返しているところだ。

 そんなことを考えていると、彼はため息まじりに口を開いた。


「彼ならすぐにこう言ったよ。『今から人殺し?』ってね」

「ああ、あの死神なら言いそうですね」

「まったく、彼は勘が良すぎるよ」


 あの死神は勘が良いというよりは、すでに人の心を読んでいると言っても過言ではない気がする。


「君は、どうして死にたいの?」

「えっ?」


 いきなりの質問だったので、マヌケな声が出てしまった。初めて逢ったときに向けられた鋭い視線から、この人はあまり他人に興味がなさそうだなと思っていたから、かなり意外だった。


「ぼくが質問するのがそんなに意外かい?」

「え、いや、そんなことないですけど……」

「いいよ、彼もそんな反応だったしね」

「な、何かすみません」


 一応そんなに驚いた表情はしていないつもりだったのだが、どうやらこの人もあの死神のことは言えないくらい、人の心が読めるらしい。まあ、今は彼の質問に答えることに集中しよう。


「えーと、どうして死にたいか、ですよね」

「ああ」

「そんなの、簡単です。この世界は腐っているから」


 蔑むような笑みとともに、僕はキッパリと吐き捨ててやった。それを聞いた彼の眉間にわずかだがシワが寄る。


「だから、生きる意味なんてない?」

「はい」


 聞かれるのなら、何度だって答えてやる。この世界は、腐っている。これはもう、僕の信条だ。

 すると、彼が今度は目に見えて困ったように笑った。


「死にたがりやって、みんな同じようなこと言うんだね」

「え? あの死神もそう言ったんですか?」

「ああ、この世界が大っ嫌いだって言ってたよ。まったく、ぼくには理解できないね」


 ため息まじりにそう言いつつも、その表情は何故かとても穏やかだった。それだけ死神はこの人が心を許した人間だということなのだろう。そうでなければ、死にたがりやは殺せないと言った人が、死にたがりやを殺したりはしないはずだ。

 じゃあ、もし僕がこの人と仲良くなったのなら、この人は僕を殺してくれるのだろうか?


「あの……」

「君は、ぼくがこわくないの?」

「え?」

「まあ、こわいわけないか。君も死にたがりやだもんね。もし今ここでぼくに殺されたとしても、死ねるんだから本望だよね」


 僕のセリフを遮って投げかけられた問いに答える前に、自己完結してしまった彼。確かに僕は死にたいと思っている人間だから、彼のような人に遭遇して通りすがりに殺されたとしても、それが本望なのかもしれない。

 だけど、そもそも人間には「恐怖」という本能がある。快楽殺人者なんて非現実的なものに出くわしたら、恐怖でおののくというのが一番最初で普通の反応だろう。でも、僕はまったくそんなのは感じなかったし、今だってこの人がこわいとは思わない。それは何故だろうか? 

 ……いや、今はそれよりも先ほど遮られてしまった質問をもう一度したい。


「あの、どうして死神は殺したのに、僕はダメなんですか?」

「君は死にたがりやだから」

「死神だってそうだったんでしょう?」


 僕が食い下がると、彼は初めて逢ったときのような哀しそうな微笑みを浮かべ、すぐに「じゃあ、ぼくはこのへんで」と言って、以前と同じように去ってしまった。

 ――ああ、そうか。僕があの人に恐怖を感じなかったのは、あの微笑みを見たせいだ。無愛想で、快楽殺人者なんていうとんでもない肩書きを持っているのに、あの微笑みは作り笑いを連発する死神より、よっぽど人間らしい。

 彼はどうしてあんなカオをするのだろう。あの人と死神の間に、何があったのだろうか。




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