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紅い月が叫ぶ夜に  作者: 久遠夏目
第一章 紅い月が叫ぶ夜に
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「君、ホントウに死にたいの?」

「アレ、まだ疑ってるの?」

 酷いなあ、とそんなことは全然思ってなさそうなカオで、彼はへらへらと笑った。相変わらずウソくさい演技だ。

 それはさておき、ぼくはさっき質問したように、彼が本当に死にたいのか疑問に思っていた。何故なら――

「君は待ってくれている人がいるから、死ぬのはこわくないと言った」

「言ったねえ」

「じゃあ、さっさと自殺すればいいじゃないか」

「うわあ、あっさりと酷いこと言ったね」

「事実を述べたまでだよ」

 そう、彼が本当に死にたいと思っているのなら、飛び降りでも首吊りでも、自殺してしまえばいい話だ。それなのに、彼はそうしていない。しかも、生きているほうがこわいと言っていたくせに、今もこうやって生きていて、しかもぼくに殺されようとしている。――ぼくは、死にたがりやは殺せないと何度も言っているのに。

 すると、彼は小さくため息をついてから、おもむろに服の袖をまくり上げた。

「何度も死のうとしたさ。ホラ」

 見た目どおりの細い腕をす、と差し出されたので見てみると、その手首にあったのは、刃物で切りつけたような無数の傷跡。そう、いわゆるリストカットの痕だ。

「ボクは、死にたくても死ねないんだ」

 ため息まじりに自傷癖を告白して、彼は服の袖を下ろす。

 一方、ぼくには可笑しさがこみ上げてきた。くつくつとのどから笑い声が漏れる。

「どうしたの? 急に笑い出して……すごく不気味なんだけど」

「ああ、いや。とても可笑しくてね」

「人の不幸を笑うなんて酷くない?」

「君はとても滑稽だよ。死にたいなんてウソなんだろう?」

「……ウソ?」

 怪訝そうな表情をこちらに向けた彼を、ぼくは見下すような目で見る。

「リストカットは自殺には向いていない。むしろ、その痛みで生きていることを実感するために、生きていたい人間がすることだ」

「……それは一般論じゃないかな」

「それに、その傷の大半はためらい傷なんじゃないのかい? 君は、生きていたいから躊躇ったんだ」

「そんなこと……」

 ない、といつもの作り笑いで言おうとしたのだろうが、ぼくがにらみつけるようにして彼を見ていたので、彼はごくりとつばを飲んで押し黙った。それを見て、ぼくは先を続ける。

「それに、死にたいのなら、一番確実なのはその拳銃で頭を撃ち抜くことだ。口にくわえて引き金を引けば、即死できるよ?」

「……うるさい……」

「それなのにそうしないってことは、君――」

「ちがう……」

 ニィ、とぼくは嗤った。

「ホントウは、死にたくなんかないんだろう?」

「違う!」

 夜の静寂を破るような叫び声が部屋に響く。大声を出した彼は、肩で息をしながら震えていた。へえ、とうとう本性をあらわしたか?

「違う、違う……ボクは死にたいんだ……生きていたくなんか」

「いいよ。そんなに生きていたいのなら、殺してあげる。君の望んだ“死”だ」

 そう言うと同時に、ぼくはポケットに忍ばせてあったナイフを取り出し、震えている彼の肩を掴んでソファーに押し倒す。そして、流れるような動作で、そのナイフを喉元に突きつけてやった。彼は恐怖におののいているのか抵抗は見せず、カオを隠すようにして震えているだけだった。

「泣き叫んでくれたら最高だったんだけどね。まあ、死にたがりやの君が震えているだけでも十分か」

 そして、ナイフを振りかざした刹那――彼の表情がハッキリと見えた。

「――ああ、ようやく殺してくれるんだね」

 そのカオは恍惚としていて、至極嬉しそうに微笑んでいるではないか。

 ああ、なんてことだ。この男は恐怖で震えていたのではなく、笑いをこらえていたために震えていたのだ。それは、ようやく死ねるという嬉しさか、それとも、ぼくがだまされたということに対する可笑しさか――まあ、そんなことはどちらでもいい。この時点で、彼は死にたがりやに戻ってしまったのだから。

 ぼくは振り上げた手を下ろしてナイフをしまい、彼から離れた。

「アレ? 殺してくれないの?」

「ああ、死にたがりやは殺さないよ」

「ありゃりゃ。ちょっと早かったかな?」

 上体を起こした彼がにこり、と作り笑いをよこした。それはいつもの彼だった。

 では、さっきまでの彼は、誰だ? 生きたいのか死にたいのか、ホントウの彼はどちらなのだろうか。

「君、ホントウに死にたいの?」

 ぼくがもう一度そう聞くと、彼はやはりにこりと――しかし、どこか哀しげに――微笑んだ。

「もちろん。ボクは早く君に殺されたいんだ」

 さて、真実はどこにあるのだろうか。



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