01
あかい、アカイ、紅い。
今日もぼくは人を殺す。
快楽と血を、求めて。
恐怖と痛みに歪むカオと、飛び散る緋色の鮮血。
それが、ぼくの生きる意味。
* * *
枯渇する音が、聞こえる。
ぼくの中に流れる紅い血が、快楽と血を求める音が。
今宵、満月。紅い月。
ぼくは別に狼男ではないので、満月の日に力が増すなんてことはないが、ぼくの中の殺人衝動が疼いているのは確かだ。ましてやそれがいかにも妖しげな紅い月の夜となれば、なおさらだ。
ただし、ぼくが人を殺すのは満月の日や、紅い月の日だけだというわけではない。こういう日は殺人衝動が強くなるというだけだ。ああ、そう考えると、ぼくはやはり狼男なのだろうか――いや、そんなことはどうでもいい。ぼくはただ、この殺人衝動に従って、今日も人を殺すだけだ。
今日の『人形』は黒い髪がきれいな女の人。自慢ではないが、ぼくの顔は整っているほうなので、適当に笑みを浮かべて声をかけてやれば、その人形はすぐにぼくについてきた。
一緒に路地裏に行くと、何かくだらないことを期待しているような眼で見つめられたので、ぼくはにこ、と微笑み――ナイフを取り出した。その瞬間、さっと青ざめた人形の口を手で塞ぎ、身体を壁に押しつける。こんなことは慣れているから、暴れられてもびくともしない。
そして、ぼくはニィ、と嗤い、人形の四肢を次々に刺していった。ぼくの手の中でくぐもった声を出し、苦しむ人形。ぼくはその恐怖と傷みに歪んだカオを見るのが楽しくてたまらない。ナイフを引き抜くたびに飛び散る緋色の鮮血に、ぼくの脳は揺さぶられる。
――ああ、ぼくは今、人を殺している。
そんな快楽に十分浸ったころ、人形はすでにぐったりとしていた。さて、そろそろとどめを刺そうか。
「サヨウナラ」
そう言って、ナイフを振りかざした刹那、
「見ーつけた」
この場にそぐわない、明るく、澄んだ声が聞こえた。その声のした方向をゆっくりと振り向けば、一人の人間と思しき影が見える。先ほどの声とその背格好からして、細身ではあるが男だろう。犯行現場を見られたというのに、そんなふうに相手を観察できるほど、ぼくは冷静だった。
いざとなればこの男も殺して逃げればいい――そう思っていたのだが、それはできないかもしれないと考え直した。何故なら、その男の手には拳銃が握られていたから。しかも、その銃口はこちらに向けられている。ぼくはなるべく冷静な口調で切り出した。
「……君は、誰?」
「ボクは、ケーサツだよ」
「へえ……」
ぼくの返事が終わらないうちに、男は持っていた拳銃の引き金を引いた。ぼくがとっさに今日の人形を盾にすると、弾は人形の心臓に命中し、小さな呻き声を上げて人形は絶命した。こうなってしまっては、もうこれに用はない。ぼくが人形から手を放すと、それはどさりと崩れ落ち、本当の『人形』になってしまった。
「あーあ、ダメだよ、よけちゃあ」
「まったく、今日の人形が台なしだよ」
「人形って、その人のこと?」
「そうだよ」
「そうなんだ。それは残念でした」
「君が代わりに人形になるかい?」
半分ほど本気で言ったのだが、男は冗談と受け取ったのか、何も言わずににこりとキレイに微笑むだけだった。しかし、そのキレイすぎる笑顔を見て、ぼくは確信した。この男の笑顔は、作りものだと。あまりにキレイすぎるものは、時に不自然さを感じさせる。
すると、男は拳銃をこちらに向けたまま、おもむろに口を開いた。
「ねえ、どうして君は人を殺すの?」
――何を言い出すんだ、この男は。
唐突な質問に一瞬驚いたが、どうして人を殺すか、なんて、そんなの愚問だ。ぼくは嘲笑を浮かべてやった。
「ぼくの中に流れる誰よりも紅い血が、快楽と血を求めているからさ」
ただ、それだけ。
それを聞いた男が目を見張ったのも束の間、拳銃を持っていないほうの手で自身の顔を覆うと、壊れたように笑い出した。
「あはははははっ。君、面白いこと言うね」
「面白い? ぼくは普通のことを言っただけだよ」
「ふふっ。それ、全然普通じゃないよ」
心外なことをさらりと言い放った男は拳銃をしまい、こちらに向かって歩いてきた。深い闇に、コツコツという足音が響く。男はぼくの目の前で足を止めると、腰を折って上目遣いでこちらを見てきた。
「ボク、君に興味を持ったよ」
にこり、男は笑う。ああ、また作り笑いか。
「だからさ、ボクも君の人形にしてくれない?」
その作り笑顔のまま、男は言った。ぼくの人形になる、ということは、すなわち『死』を意味する。つまり、なるほど、この男は死にたがりやか――面白い。
ぼくには自然と笑みがこぼれていた。
「ああ、いいよ。君がこいねがうほどに生きたいと思うようになったらね」
「ええー? 今殺してくれないの?」
「ぼく、死にたがりやは殺さない主義なんだ」
そう言うと、男は不満そうなカオをしたが、当たり前だろう? 死にたがりやを殺したって全然面白くないし、何の意味もない。
ぼくが求めているのは、快楽と血。恐怖と痛みに歪むカオと、飛び散る緋色の鮮血だけ、なのだから。
こうして、ぼくと死にたがりやの狂おしくも滑稽な物語が始まったのだった。