秦檜
多分、こんな風だったろうと想像して書きました
秦檜は、中国史上最も憎み嫌われた男である。
そして、恐らく今日でも最も憎まれる男である。
秦檜は1090年に産まれた。
時代は宋の時代である。
秦檜は若いころから優秀で、徳行にも学問にも秀でた評判の人物であった。
秦檜は1115年に科挙に合格し、順調に出世を重ねた。
さて、この時代、宋にとって最大の問題は北方の「金」国であった。
金は北方民族の興した国で、強大な軍事力を持ち、南下して中国を併呑しようとしていた。
宋軍も対抗してはいたが、金軍に比べると弱体で、じりじりと領土を削られていた。
1127年、自ら出陣した宋皇帝、欽宗は金軍との戦いに敗れ、捕らわれの身になって金に連れ去られるという事態になり、ここに宋は滅び、中国の北半分は金の手に落ちた。
一方、華南(中国南方)に逃れた皇族のうち、欽宗の弟である「高宗」が皇帝となり、「宋」を継いだ。
中国全土を支配していたそれ以前の宋を北宋、この南に逃れた宋を南宋と言う。
さて、華北(中国北方)を取った金は、金の傀儡政権である楚を建てようとした。
模範的な官吏であり、忠義の士である秦檜がこれを黙って見ているはずはなかった。
彼は宋の官吏達の先頭に立って楚に反対し、華北を取り戻そうとしたのである。
ある夜、秦檜の家は金軍に襲撃され、妻子ともども捕われて、金の領内に拉致された。幾人かの同僚も一緒だった。
この時、秦檜の息子の一人が、金軍に立ち向かって行き、秦檜の目の前で斬り殺された。
秦檜は大いに泣いた。
華北に連れて来られた秦檜に、金の皇帝は言った。
「お前が宋の能臣だということは聞いている。宋に仕えても良いことはないぞ。金の臣にならないか?」
秦檜は言った。
「忠臣は二君に仕えないものだ。
ましてや、仇で、韋狄(異民族への蔑称)である者などに仕えるか!」
金皇帝は怒って、秦檜を牢獄に入れた。
秦檜は牢獄で日夜拷問を受けて、息も絶え絶えであった。
数週間たって、一人の金人が牢を訪ねて来た。
彼はダランと名乗った。ダランは皇族の一員で、金政府内の有力者だった。ダランは言った。
「お前が秦檜か。そろそろ金に仕える気になったか?」
「断る」
「このままでは、ここで獄死するだけだぞ」
「忠臣は死んでも節を曲げないものだ。
それに、いずれ我が宋が華北を取り返しに来てくれるだろう。」
「いや、それはないな」
「宋の力が足りないというのか?」
「違う。宋の現皇帝には華北を取り返す意志が無いというんだ」
「なんだと?」
「考えてもみろ。今の宋皇帝は、前皇帝の欽宗がこの金に捕われて、いなくなったから皇帝の地位に就けたのだ。
今、華北を取り返せば必ず欽宗をも取り返す事になる。
そうすれば、皇帝自身の地位が危うくなる。宋皇帝はそんな事はすまい。」
秦檜は笑った。
「韋狄の考えそうな事だ。我々には人倫というものがある。欽宗は現皇帝の兄にあたるお方、長上を敬うのは人の道だ。
皇帝は華北を取り返した後で欽宗に位を譲られるなりするだろう。」
「お前もずいぶんお人好しだな。実を言うと、宋皇帝はすでに断ったのだ」
「何をだ?」
「我々は欽宗を返そうと宋に申し出たのだ。だが宋皇帝は断った。
皇帝には自分の地位しか頭にない証拠だ」
「嘘だ。俺は信じない」
「ここを出たら、自分で確かめるがいい」
数日後、秦檜は出獄して、監視付きとはいえ自由に外出できるようになった。
ダランの力によるものらしい。ダランは秦檜に目を掛けているようだった。
一年後のある日、秦檜が監視役と共に外出すると、街の郊外に立派な屋敷があって、護衛が立っていた。
秦檜は監視役に尋ねた。
「あれは誰の屋敷ですか?」
「宋の欽宗皇帝のです。」
「!」
後日、秦檜はひそかに欽宗を訪ねた。
秦檜は欽宗の前にひれ伏して涙を流し、言った。
「陛下、いつか私と共に中国に帰りましょう」
欽宗は暗い顔で言った。
「実を言うと、私はあまり帰りたくない」
「なぜです?」
「今帰れば、現皇帝である弟にとって私は邪魔者になる。
弟は自分の皇帝位を守るため、私を殺すかもしれん」
「なんて事をおっしゃいます。
現皇帝とはご兄弟ではありませんか。骨肉の間柄ではないのですか」
「お前は宮廷内に暮らした事がないから分かるまい。
皇族の兄弟どうしには情など無い。互いに仇敵の如く思っているのだ。
現に、弟は私を返そうという金の申し出を断った。」
「その話は私も聞きましたが、金のでっち上げではないのですか」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。確かなのは、宋軍がまだ助けに来ていないという事だ。
しかし、助けに来たとしても、私は誰か軍の有力者に守られてでなければ帰りたくはない。
無防備で帰れば、死にに行くようなものだ。現に、ここにまで弟の放った暗殺者が来た事があるのだ」
「バカな・・・それも金の工作なのでは・・・」
「いずれにせよ、私は弟を信用していない。
お前も科挙に合格したなら、「韓非子」を読んだ事があるだろう。
韓非子は間違っていなかった。人は皆、私利私欲で動くものだ」
秦檜は欽宗の元を辞してから、ずっと苦々しい気持ちが消えなかった。
翌日、一緒に連れてこられた官吏の張という者が路上で泣き喚いているのに出くわした。
秦檜は尋ねた。
「どうしたんだ?」
張は言った。
「宋に残してきた、俺の家族がみな処刑された!
誰かが、俺が金に寝返ったと言いふらしたからだ!!」
秦檜は急に宋に残してきた両親が心配になった。それで張に尋ねた。
「私の・・・私の家族は無事なのか・・・?」
張は言った。
「お前の家族の事など知るか!」
秦檜は、殴られたようなショックを受けた。
張は、相変わらず泣き続け、路上に頭をぶつけている・・・
突然、秦檜は、冷たい憎しみの感情がわいてきた。
目の前で泣き喚いている張に、少しの同情も感じられなくなったのだ。
秦檜は適当なお悔やみの言葉を述べて去った。
金に来て三年が経った。
秦檜には、この地で新たに孫が産まれた。
孫は、あの金軍に立ち向かって殺された息子の子で、彼の死後、その妻が産んだのだった。
秦檜はこの孫を非常に大切に育てていた。
それなりに、安定した生活ではあった。
ある日、ダランが訪ねて来て言った。
「秦檜よ、宋に帰れる日が来たぞ」
「何?」
「お前を帰してやる」
「そんな事が・・・できるのか?」
「ただし、孫とその母は別だ。彼らはここに残る」
「!?」
「彼らの事は心配するな。大事な人質だからな。
俺はお前をタダで帰してやるのではない。
俺は、金はこの華北を取り、宋が華南を取ればいいと思っている。
だが知っての通り、華北を取り返そうと戦ってる宋の義勇軍がいるだろう。義勇軍だから、宋皇帝は戦いたくなくても止める事ができないでいる。
お前には、俺に協力して、宋の側から奴らを止め、北を金、南を宋が取る条約を結ぶよう働いてもらいたい」
「俺に・・・国の半分を売れというのか?
・・・もし、嫌だと言ったら?」
「孫達はまともな死に方はできないぞ。
息子が死んだ時の事を忘れたか?もうあれを繰り返したくないだろう?」
秦檜はダランを八つ裂きにしたいと思った。
しかしここは敵地、彼の家族もみな敵の手の内にあるのだ。
秦檜にはどうする事もできなかった。
夜のうちに、秦檜一家は金から「脱出」して、宋に帰って来た。皇帝は喜んで、秦檜を高い地位につけた。
宋に帰って、秦檜が調べた所、あの話は本当だった。
皇帝は、欽宗を返そうという金の申し出を断ったのだ。
皇帝いわく、「これは皇帝二人の間で争いを起こさせる金の策略だから、乗ってはいけない」のだった。
さて、華北の奪回のために戦っていた義勇軍のうち、最大の勢力と、民衆の絶大な支持を集めていたのは、岳飛の率いる岳家軍だった。
岳飛は農民の出身だが、人望もあり、学もあり、もちろん実力もあった。
一時は、華北にあったかつての首都を取り返す寸前までいった程である。
ちなみに、岳飛には三国時代の武将、張飛の生まれ変わりという噂があった。
名が同じなのは、彼の母が張飛の夢を見た後、岳飛を産んだので「飛」と名付けたのだという。
張飛は知勇かね備え、忠義の厚い、民衆に好かれる人物であった。この事も、人気の一因だったかもしれない。
秦檜は、一時は孫達を見捨てようとも思ったが、結局できなかった。
彼は和平に向けて働き始めた。
しかも、皇帝は秦檜を支持していたのである。
皇帝の意向も、前にあげた理由から和平に向いていた。
皇帝の信任をうけた秦檜は出世し、ついに宰相になった。
秦檜にとって、岳飛は最大の邪魔者だった。
秦檜が金との和平のために働いていても、岳飛ら義勇軍を率いる軍閥が勝手に戦っているのでぶち壊しになる。
彼らは、秦檜ら和平派を、腰抜けだ、売国奴だとののしっていた。
中には、姦臣を除くべしと言って、秦檜を倒そうと言う者もあった。
彼ら軍閥同士は仲が悪かった。
そこで秦檜は彼らが互いに対立するよう仕向け、個別に交渉して、彼らに高い地位や財産や土地を与えて朝廷側に引き込み、義勇軍を朝廷の正規軍に吸収して、軍閥たちを無力化していった。
義勇軍とはいえ、彼らは必ずしも華北の奪回のために戦っていたわけではなかったのである。
さて、こうした懐柔にも岳飛は応じず、あくまでも華北の奪回と、前皇帝欽宗と皇族たちの奪回を主張して戦い続けていた。
前述のように、岳飛は民衆の圧倒的支持を集めていた。
秦檜は、岳飛とケリをつけなければならないと思った。
そこで秦檜は、岳飛が宰相たる自分の命令に従わず、自軍を解散させないのは、反乱を企んでいるからだと言い掛かりをつけて、岳飛を逮捕させたのである。
そして拷問にかけて、反乱の計画を自白させようとした。
四日ほどしたが、岳飛はいっこうに自白しようとしなかった。
秦檜は自ら牢獄におもむいた。
見ると、岳飛は牢獄の壁に自らの血で、「青天白日」と書いていた。
自分の潔白は、天が知っている、と言った所であろうか。
そこで気付いたが、岳飛の背中には刺青が入っていた。
「尽忠報国」-忠義を尽くして国に報いる-という字だった。
秦檜は言った。
「岳飛よ、いい加減白状したらどうだ。白状したら、罪一等減じてやってもいいぞ」
岳飛は言った。
「悪党め。貴様の言いなりになどなるか。俺は決して嘘は言わん」
「岳飛、お前はなぜそこまでするのか。そんなに華北が大事か」
「華北には俺の故郷がある。先祖の墓がある。
先祖代々の地を取られたまま放っておけば先祖に対して申し訳がたたん。それに、俺を信任して下さった皇帝陛下のためにも」
「皇帝はお前を信任してなどいない。皇帝だって和平を望んでいるのだ。
どうだ岳飛、正規軍の将軍にならないか?お前ほどの男なら大将軍にもなれるぞ。
俺と協力しようじゃないか。ここから出してやるぞ」
「断る」
秦檜は、岳飛を見て説得はできないと悟った。
岳飛は何故そこまで忠義を尽くせるのか。
秦檜には、恐らくもうできないことだった・・・
牢を出て、秦檜は刑を担当する役人に言った。
「岳飛を殺せ」
「え?でも、まだ何も自白していません」
「自白書くらい後から作れる。和平が成立するかどうかは、ここにかかっているのだ。あの男を釈放でもすれば全てがぶち壊しだ。
前より一層悲惨な事になる。」
(それに、そうなれば金にいる孫たちも・・・)
「し、しかし・・・並の罪人ならともかく、岳飛将軍は今や民衆から絶大な支持・・・」
「いいからさっさと殺せ!!
人気がある!?ああ知ってるさ!だからこそ、今殺らなければ取り返しのつかない事になるんだ!!
貴様の首が飛ばないうちに、さっさと殺れ!!」
「は、はい」
秦檜が宮廷に戻ると、なにやら騒がしくなっていた。
軍閥の一人で、岳飛の友である韓世忠が、秦檜を訪ねてやって来ていたのだ。
韓世忠は、一目でわかる殺気をみなぎらせ、秦檜にくってかかった。
「宰相!!岳飛が反乱を企んでいるといいますが、一体、確かな証拠があっての事なのか!?
もう捕らえられて四日になるという事だが、証拠がないなら、今すぐ釈放してもらいたい!!」
秦檜はさすがに気圧され、つい口走った。
「証拠?ああ、無いとも言えない、かもな」
「かも、だと!?そんな理由で岳飛を逮捕したのか!!岳飛が帰ってきた時、もし五体満足でなかったら、お前を・・・」
そこで韓世忠は護衛に追い出された。
秦檜は冷静に戻って、刑役人に言った。
「分かっただろ、今殺るしかない」
こうして、岳飛は養子の岳雲、軍幹部の張憲と一緒に処刑された。
韓世忠はその後、一切政治から身を引いて田舎に引きこもってしまった。
かくして、岳飛ら軍閥を始末した秦檜は、様々な困難にもめげず和平を実現し、金が華北を、宋が華南を領有する条約を結び、南宋はその後130年ほど命脈を保った。
このように、国の半分を売ったのは前代未聞の事であった。しかもこの条約は、宋が金に対して毎年、税を払うという屈辱的なものだった。
それでも講和が成立したのは、秦檜の努力に、皇帝の後押しがあったからだった。
欽宗は、結局宋に戻る事なく、金で没したのである。
ちなみにダランは、金内部の争いで殺されていた。
秦檜の岳飛殺しと売国行為は天下周知のことであり、誰もがそれを暗に非難しているように秦檜には思われた。
朝廷でも、街中でも、会う人全て、すれ違う人全てが自分を非難しているように見える。
ある時、帰宅途中の秦檜は暴漢に襲われ、危うく殺されかかったが、男は供の者に斬り殺された。
それ以来、秦檜は常に護衛を従えて外出するようになった。
ある日、秦檜が自分の屋敷を歩いていると、使用人が話すのが聞こえた。
「ご主人は、今に岳飛将軍の霊に憑り殺されるよ。関帝が呂蒙を殺したみたいに。」
「声が大きいよ。でも確かに、岳飛将軍は冤罪で殺されたんだから関帝より恨みが深いだろうね」
秦檜はその二人を捕らえさせ、縛り上げて中庭にひざまずかせ、護衛に刀を抜かせた。
二人は泣きながら命乞いをした。
秦檜は言った。
「みじめなもんだな、え?
お前ら、そんなに俺に死んでほしいか。岳飛に俺を殺してもらいたいか?ああ、今まさにそう思うだろうな。
だが、岳飛は助けちゃくれないぞ。
ええい、泣くんじゃねぇ!!
情けねぇ奴らめ、貴様らなんかに岳飛の何がわかる。貴様らが岳飛を語るなど笑止千万だ!殺れ!」
二人は、「お慈悲を!!」と叫びながら首をはねられた。
その後、秦檜は朝廷から一般庶民に至るまで言論統制をしき、政府の政策-つまり秦檜(と皇帝)の政策を批判した、あるいは批判したとみなされた者は見つけしだい殺した。
文章にした者も殺した。
言い掛かりのような理由でさえ殺した。
人々は戦々恐々とし、口をつぐんで目で語り合うといった風だった。
しかし、口を封じれば封じるほど、自分に対する憎しみをひしひしと感じ、誰もかれもの目に殺気が宿っているようにさえ感じられた。
ある日、秦檜が家に帰ると、妻が泣きながら一心不乱に神像を拝していた。
秦檜は穏やかに尋ねた。
「何をしているんだ?」
妻は言った。
「私達が・・・神罰を受けて、地獄に落ちないですむように願っているのです。
私達が、岳飛将軍を殺・・・」
秦檜は、「岳飛」という名を聞いたとたんに絶叫し、神像を蹴り倒して床に叩きつけ、粉々に砕いた。
そして妻の方に向き直って叫んだ。
「罰だと!?この俺がどんな罰を受けるってんだ!?どんな罪だ!?
おい貴様、言ってみろ!!」
妻は、がたがた震えて声も出ない。
秦檜の目は血走り、悪鬼のごとき形相であった。
「神が俺にどんな罰を下すってんだ!?大体、もしこの中国が神の管轄下だというなら、なぜ神は金軍が進攻してくるのを止めなかったのだ!!
神には金軍を止める力は無くて、俺を罰する力だけがあるというのか!?
クソふざけやがって、神も仏も、滅んでしまえ!!」
秦檜の家の隣には関帝廟があった。
関帝とは、三国時代の武将、関羽のことである。
関羽は義に厚く、高潔な人物だったので、死後、神になったと言われている。
神になった関帝は悪鬼を払ったり、死人に公平な判決を下したりする逸話もあり、中国では広く信仰される神である。
関羽は忠義で聞こえ、落ち目の主君と、落ち目の祖国に最後まで尽くした人物である。
秦檜は、関帝廟が自分の家の隣にあるのが、何か自分に対する当て付けのように思えて気に入らなかった。
ある日、秦檜が関帝廟に参拝に行くと、周囲の人々は始めは黙って神妙な顔をしていたが、そのうち誰かがクスクス笑いだした。笑いは伝染して広がり、ついにはそこにいた全員が笑いだした。
秦檜は烈火の如く怒り、その全員を殺した。
ある日、夜遅く家に帰った秦檜が、いつものように警戒しながら食事をすませ、警戒しながら風呂に入って、寝床に向かおうとして、わずかの間、護衛を連れずに廊下を歩いていると、
暗闇の廊下に、突然、大刀を持った関羽が、絵で見たのとそっくりな姿で現れた。
秦檜は魂魄も消し飛ぶほど驚き、逃げながら
「助けてくれ!」
と叫んだ。
関羽は、憤怒の形相を浮かべ、大刀を構えて追いかけてくる。
無我夢中で逃げていると、つまづいて転び、廊下に置いてあった壺に頭をぶつけた。
目を回し、はっとして起き上がると、関羽がすぐ近くまで迫っている。
大刀を振りかざし、顔には激しい怒りを表し・・・
秦檜は突然、信じがたいほどの憎悪が全身からわき上がり、跳ね起きると関羽に向かって拳を固めて叫んだ。
「羽!!!てめぇ、俺を殺そうってのか!!面白ぇ、殺れるもんなら殺ってみろ!!
貴様は死んでから神になったとかうぬぼれてるようだが、結局、自分の祖国が滅ぶのも、主君が死ぬのも救えなかっただろうが!!
貴様の力なんてそんなもんだ!貴様など恐れるか!!
この俺が叩っ殺してやる!!!」
秦檜は、壺を取り上げて関羽に叩きつけた。
壺は粉々に砕け散ったかと思うと、関羽の姿は消えていて、秦檜は一人、暗い廊下で荒い息をついていた・・・
秦檜は、皇帝の信任厚かったおかげで、宰相の地位にあること20年、1155年に病死した。
その後、金も宋も共に元に滅ぼされたが、希代の裏切り者、売国奴としての秦檜の悪名は今日にまで残り、後世の文人たちは、地獄に落ちた秦檜の様々な苦しみを描いてみせた。
一方、秦檜に殺された岳飛は、死後、岳王、岳忠武侯と呼ばれ英雄視され、岳飛を祭る岳王廟が建てられて、人々の崇敬を集めた。
岳王廟の前には、後の時代に、縛られて正座した秦檜夫妻の像が作られ、岳王廟を訪れた人々は、この像に唾を吐きかける習慣が最近まであったという。
完