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【短編小説】愛は散逸しない ~ある物理学者の喪失と癒しまで~

作者: 霧崎薫
掲載日:2026/03/28


――科学と祈りが出会う場所で




 電話が鳴ったのは、十一月の、光の薄い午後だった。


 奏は研究室にいた。ホワイトボードの数式を睨んでいた。ユニタリ行列の展開が一箇所合わない。マーカーのキャップを外したり嵌めたりしながら、式の第三項を書き直そうとしていた。そのとき、ポケットの中で震えが始まった。


 父の番号だった。


 父は日中に電話をかけてこない人間だ。用件があればメールを書き、急ぎでも「夜でいい」と言う人だ。その番号が、午後二時十七分に、震えている。


 奏の指先の温度が下がった。それが何を意味するか、身体のほうが先に知っていた。


「奏か」


「うん」


「お母さんが……」


 父の声が途切れた。電話の向こうで、何か硬いものが床に当たる音がした。受話器か、あるいは父の膝か。


「病院に来てくれ」


 通話が切れた。


 ホワイトボードの数式は途中のまま残された。ユニタリ行列の第三項。系の情報は決して失われないことを証明するための、あの数式。


 奏はマーカーのキャップを嵌めた。白衣を脱いだ。それからしばらく、自分が次に何をすべきか分からなくなって、研究室の真ん中に立っていた。時計の秒針が六回刻む音を、異様にはっきりと聴いた。




           *




 病室に着いたとき、母の身体はまだ温かかった。


 その温かさが奏の手のひらに触れた瞬間、横隔膜が痙攣した。声は出なかった。喉の奥が膨張して、気道が細くなっていく感覚だけがあった。


 母の顔は穏やかだった。眉間の力が抜けて、口元がわずかに開いている。寝ているように見えるという紋切り型の描写を、奏は拒否した。寝ている人間は呼吸をする。胸郭が動く。母の胸郭は静止していた。その静止が、部屋の空気を根こそぎ変えていた。


 父は窓際の椅子に座っていた。両手を膝の上に置いて、手の甲に浮いた血管を見つめていた。


「朝は元気だったんだ」


 父は奏のほうを見ないで言った。


「味噌汁を作って、洗濯物を干して。それで、昼前に胸が苦しいと言って……」


 言葉が砂のように崩れた。父の顎が震え、それを止めようとする筋肉の動きが見えた。六十七歳の男の顎は、思ったより細かった。


 奏は母の手を握ったまま、その温度が一度ずつ下がっていくのを感じていた。三十七度から三十六度へ、三十六度から三十五度へ。エントロピーの増大。熱力学の第二法則。閉じた系における秩序の崩壊。


 そんな言葉が浮かぶ自分を、奏は殴りたかった。


 律子。おかあさん。六十三歳。急性心筋梗塞。搬送後四十分で心肺停止。蘇生措置に反応なし。午後一時五十一分、死亡確認。


 カルテに記される情報はそれだけだ。六十三年分の、朝の味噌汁の湯気も、洗濯物を干すときの鼻歌も、娘の寝顔を見に来る深夜の足音も、そこには書かれない。




           *




 通夜と葬儀は、母の実家の菩提寺で行われた。東京から電車で三時間、山あいの小さな寺だった。


 本堂の畳は冷たく、線香の煙が天井に向かって紐のように伸びていた。参列者は多くなかった。母は派手な交友を持たない人だった。近所の人、親戚、母のパート先だった図書館の同僚が数人。それだけだ。


 読経が始まった。


 住職は八十近い老僧で、声は低く、枯れていたが、どこか木の幹を叩いたときの響きに似ていた。般若心経の一節一節が、堂内の空気を物理的に揺らした。


 奏は正座していた。足の痺れが脹脛を這い上がり、感覚が消えていく。それがむしろ丁度良かった。身体の一部が消えていく感覚。母が消えていった過程を、微弱になぞっているようで。


 戒名が読み上げられた。


「清風律光信女」


 奏はその音の並びを聴いて、眉根を寄せた。律子の「律」が入っている。しかしそれ以外は、母とは何の関係もない漢字の羅列だった。清風。律光。信女。記号だ。母が好きだったものは甘い卵焼きと時代劇と、雨の日の図書館の匂いだった。それがこの四文字に圧縮されるのか。


 読経が終わった後、老僧は奏のそばに来た。


「物理学をやっておられるそうですな」


 奏は頷いた。


「量子情報理論です」


「情報」


 老僧はその言葉を、口の中で転がすようにして、繰り返した。


「お若い方にはよく訊かれます。戒名に何の意味があるのかと」


 奏は何も言わなかった。まさにそう思っていたからだ。


「名前を呼ぶということは、宇宙の雑音の中から、たった一人を選び出すということです」


 老僧は線香の灰を指で払いながら言った。


「この戒名は、仏さまの世界での住所のようなものでしてな。あなたがお母様を想うとき、その名を唱えるとき、あなたの意識は宇宙の広大な闇の中から、お母様という一点に焦点を結ぶ。それは物理学のお方なら、観測と呼ぶものに近いのではありませんかな」


 奏の背筋に、微細な電流のようなものが走った。


 量子力学における観測問題。重ね合わせの状態にある系が、観測によって一つの状態に収縮する。老僧が言っていることは、その比喩として驚くほど正確だった。


「でも」


 奏は言った。声が掠れていた。


「観測しようにも、もう本人がいません」


 老僧は頷いた。ゆっくりと、深く。


「本人がいなくなったから、呼ぶのです。いるなら、呼ぶ必要がない」


 その言葉が、線香の煙と一緒に天井に昇っていった。奏はそれを目で追った。煙は拡散し、やがて見えなくなった。消えたのではない。分子が散らばって、肉眼の閾値を下回っただけだ。


 散逸。


 物理学者は、それを散逸と呼ぶ。




           *




 東京に戻った。


 研究室のホワイトボードには、あの日の数式が残っていた。同僚の誰も消さなかった。マーカーの線は乾いて、少し薄くなっていた。


 奏はその前に立った。ユニタリ行列。量子力学の根幹を成す原理。


 ユニタリ性とは、一言で言えば、こういうことだ。宇宙で起きたことの痕跡は、決して完全には消えない。情報の総量は変化しない。過去の状態は、原理的には、未来の状態から再構成できる。


 これは数学的に証明された事実であり、物理学の基盤であり、奏が十二年間研究してきたテーマだった。


 しかし今、その数式は嘲笑のように見えた。


 情報は失われない? では母のあの声はどこにある。台所から「ごはんよ」と呼ぶ声。受話器越しに「無理しないでね」と言う声。あの声の周波数、倍音構造、抑揚のパターン。それらの情報は、宇宙のどこに保存されているというのか。


 奏はマーカーを取った。キャップを外した。


 書けなかった。


 腕を下ろし、マーカーをトレイに戻し、研究室を出た。


 廊下の自動販売機で缶コーヒーを買った。プルタブを引く音が、静かな廊下に響いた。一口飲んだ。苦い。砂糖なし。母はいつも「あんたは何でブラックなんか飲むの、苦いだけやのに」と言っていた。関西の出身だった。標準語を話すのに、コーヒーの話題のときだけ関西弁が出た。なぜコーヒーのときだけだったのか。それはもう永遠に分からない。


 誰にも訊けない質問が、日に日に増えていった。




           *




 葬儀から二週間が経った。


 奏は実家の母の部屋を整理するために、再び帰省した。父は手をつけられていなかった。部屋の扉を開けることすらしていなかった。


「お前に任せる」


 父はそう言って、居間でテレビをつけた。音量がいつもより大きかった。何かを聴きたくない人間の音量だった。


 母の部屋は六畳の和室だった。押し入れに衣類、本棚に文庫本、机の上に裁縫箱と老眼鏡。


 奏は衣類から始めた。畳んだ服を段ボールに入れていく。母の匂いがした。柔軟剤とは違う、もっと深い層にある匂い。皮脂と体温が長い時間をかけて繊維に染み込んだ匂い。奏はセーターを一枚、顔に押し当てた。呼吸が荒くなった。肺が必要以上の空気を求めて膨らみ、横隔膜が追いつかない。


 やめろ、と自分に言った。作業を続けろ。


 本棚に移った。母の蔵書は、そのほとんどが文庫本だった。時代小説が多い。藤沢周平、山本周五郎、池波正太郎。背表紙は日焼けして、頁の角が丸くなっていた。何度も読み返した本特有の柔らかさがあった。


 一冊の本が、逆さまに差してあった。


 抜き出すと、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。文庫版。カバーはなく、表紙の端が反っていた。中を開くと、一箇所だけ鉛筆で傍線が引いてあった。


「カムパネルラ、僕たちいっしょに行かうねえ」


 ジョバンニの台詞だった。


 母が何歳のときにこの線を引いたのか、分からない。少女時代かもしれない。奏を産んだ後かもしれない。あるいはごく最近、自分の死を予感してもいない平穏な午後に、何気なく引いたのかもしれない。


 鉛筆の線は薄く、しかし確かに紙に刻まれていた。


 宮沢賢治がこの物語を書いたのは、最愛の妹トシを結核で失った後だった。賢治は二十七歳。トシは二十四歳。大正十一年の冬、花巻の自宅で、トシは息を引き取った。


 その日、賢治は妹の枕元で「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という言葉を聞いた。みぞれを取ってきてくれ。妹の最後の願いだった。賢治は裸足で外に飛び出し、松の枝に積もったみぞれを椀に受けて戻った。


 その経験から生まれた「永訣の朝」という詩を、奏は暗唱できた。高校の国語の授業で覚えさせられたのだ。母が「暗唱のテストがあるんやったら、お母さんの前で練習しなさい」と言って、台所で卵焼きを作りながら聴いてくれた。


 奏は「永訣の朝」を暗唱した。母は卵焼きをひっくり返しながら、「賢治さんは妹さんのこと好きやったんやねえ」と言った。


 あのときの台所の照明。蛍光灯の青白い光。卵焼きの甘い匂い。母のエプロンの紐が片方ほどけていたこと。


 今、それらの情報は奏の海馬と大脳皮質のシナプス結合の中にある。ニューロンとニューロンの接続パターンとして、電気化学的に符号化されて、存在している。


 しかし母の側にあった記憶は、もうない。


 母が台所で何を考えていたか。賢治の詩を聴きながら何を感じていたか。娘の声を聞きながら、卵焼きの火加減をどう調整していたか。その情報を格納していた神経回路は、荼毘に付された。


 奏は本を閉じた。


 段ボールには入れなかった。鞄に入れた。




           *




 十二月に入った。


 研究室に戻ったものの、論文は進まなかった。数式を書いては消し、書いては消した。指導教官の三嶋教授が、ある午後、コーヒーを二つ持って奏のデスクに来た。


「砂糖入りだ。今日は飲め」


 奏は受け取った。三嶋教授は六十代半ば、白髪を短く刈り込んだ男で、声が小さく、語尾が消えかかる話し方をする。理論物理学の世界では珍しく、競争心というものをほとんど持たない人間だった。


「ブラックホール情報パラドックスの論文、読んだか。先月のネイチャーに載った新しいやつ」


「読みました」


「どう思った」


「ホーキングの計算が間違っていたとは思いません。でも、ページの議論にも穴がある。情報が本当にホーキング輻射に乗って戻ってくるとしても、それをデコードする方法は……」


 奏は途中で黙った。三嶋教授は待った。


「デコードする方法は、今の物理学には存在しない」


「その通りだ」


 三嶋教授はコーヒーを一口飲んだ。


「しかしな、それは情報が失われたという意味ではない」


「……分かっています」


「分かっているのか」


 三嶋教授の視線が、奏の目をまっすぐに捉えた。普段は視線を合わせない人だった。それが今、逸らさない。


「お母さんのことで苦しんでいるのは知っている。おせっかいを承知で言うが、一つだけ、私の話を聞いてくれないか」


 奏は頷いた。


「私は三十八のとき、息子を亡くした」


 奏の瞳孔が開いた。三嶋教授に息子がいたことを、奏は知らなかった。


「七歳だった。白血病だ。二年間闘病して、最後の三日間は意識がなかった」


 三嶋教授の声は平坦だった。感情を排した声ではなく、長い年月をかけて、その声でしか語れなくなった声だった。


「妻と私は、最後の夜、息子の手を交互に握っていた。妻が右手、私が左手。そうしているうちに、息子の心電図がフラットになった。午前三時十二分だった」


 研究室の蛍光灯が微かに唸っていた。


「その後、私は三年間、まともに研究ができなかった。物理学が憎かった。宇宙の法則を記述する学問が、息子一人を救えないことが、許せなかった」


 三嶋教授はコーヒーカップを両手で包んだ。


「ある日、散歩をしていて公園を通りかかった。砂場で子どもが遊んでいた。その子が笑った。その笑い声の周波数が、息子の笑い声と似ていた。似ていただけだ。同じではない。しかし私の聴覚野は反応し、私の扁桃体は発火し、私は公園のベンチに座り込んで、四十分間動けなくなった」


 奏の手の中で、コーヒーの缶が微かに震えた。


「そのとき気づいたんだ。息子の情報は、消えていない。私の神経回路の中に、文字通り物理的に刻まれている。息子が笑ったとき、私の脳はその音を符号化し、シナプスの結合強度として保存した。それは今もそこにある。私の脳が機能する限り、息子の笑い声は存在し続ける」


「でも、それはただの記憶です」


 奏は言った。言ってから、その言葉の残酷さに気づいた。


「ただの記憶か」


 三嶋教授は穏やかだった。


「君は量子情報理論の研究者だ。聞くが、情報と、その情報を記録している媒体は、同じものか」


「……違います」


「そうだ。本に書かれた文字は、本が燃えれば読めなくなる。しかし同じ内容が別の本にも書かれていれば、情報は失われない。息子の身体は失われた。しかし息子が私に与えた情報は、私の中に複製されている。不完全な複製だ。劣化している。しかし消えてはいない」


 三嶋教授は立ち上がった。


「もう一つだけ。これは物理学ではなく、生物学の話だが」


「はい」


「マイクロキメリズムという現象がある。胎児の細胞が胎盤を通過して、母体の中に残る。逆もある。母親の細胞が子どもの体内に入り込み、何十年も生き続ける。君の体内には、今もお母さんの細胞がある。それは比喩ではない。組織学的な事実だ」


 奏の呼吸が止まった。


「君のお母さんは、文字通り、君の一部だ。君が生きている限り、お母さんの細胞は生きている。これを情報の保存と呼ぶか、愛の残響と呼ぶか、それは君が決めればいい」


 三嶋教授は研究室を出ていった。廊下の足音が遠ざかり、消えた。


 奏はデスクの上のコーヒーに口をつけた。甘かった。母が好きだった甘さだった。砂糖をたっぷり入れた缶コーヒーを、母はいつも嬉しそうに飲んでいた。




           *




 その夜、奏は自宅のアパートで論文を読んだ。


 マイクロキメリズム。三嶋教授の言葉を確認するために、PubMedで検索した。論文は山のように出てきた。


 一九九六年、ダイアナ・ビアンキらの研究チームが、出産後二十七年を経た女性の血液中に、男性の胎児由来の細胞が存在することを確認した。息子を産んだ女性の体内に、息子の細胞が四半世紀以上にわたって生存していた。


 さらに驚くべき論文があった。二〇一二年、ワシントン大学の研究チームは、死後の女性の脳組織を調べ、男性由来のY染色体を持つニューロンを発見した。胎児の細胞が母体の血液脳関門を越え、脳に定着し、ニューロンとして機能していた可能性がある。


 奏は画面から目を離した。


 つまり母の脳には、奏のニューロンがあったかもしれないのだ。母が何かを考えるとき、感じるとき、その思考回路の一部に、娘の細胞が参加していた可能性がある。


 そして、奏の体内にも、母の細胞がある。


 臓器のどこかに。血流のどこかに。もしかすると脳のどこかに。母の遺伝情報を持った細胞が、奏の身体の中で今も分裂し、代謝し、生きている。


 奏は自分の手のひらを見た。指紋の渦。爪の半月。その下を流れる血液の中に、母の細胞が混じっている。


 比喩ではなく。


 文字通り。


 奏は手を握った。強く。爪が掌に食い込むまで。




           *




 年が明けた。


 一月の寒い日曜日、奏は母の四十九日法要のために、再び山あいの寺を訪れた。


 法要の後、老僧が茶を点ててくれた。本堂の裏にある小さな茶室だった。炉の炭が赤く、鉄瓶の湯が沸く音が絶え間なく続いていた。


「少し、昔の話をしてもよろしいですかな」


 老僧は茶碗を奏に差し出しながら言った。奏は頷いた。


「私が得度したのは十九のときでした。師匠は厳しい人でしてな。修行中に私が泣くと、こう言いました。『泣くな。涙は蒸発する。経を読め。声は空気を震わせ、その振動は壁を震わせ、壁は地面を震わせ、地面は地球を震わせる。お前の読経は、宇宙の果てまで届く』」


 奏は茶碗を両手で持ったまま、老僧の顔を見た。


「それは……物理的には正しいです」


 老僧は笑った。皺が深く刻まれた顔に、炉の火が影を作った。


「そうでしょうな。師匠は物理学など知らなかった。寺から出たこともほとんどない人でした。しかし六十年間、毎朝読経を続けた人間の直観は、時に理論物理学と同じ場所に辿り着く」


 老僧は自分の茶碗に口をつけた。


「仏教には『ごう』という概念があります。行いは結果を生み、その結果はまた行いを生み、連鎖は途切れない。これは因果律そのものです。お釈迦様は、因果の糸は宇宙のどこまでも延びていると説かれた」


「ユニタリ性と同じ構造ですね」


「ほう。それはどういうものですか」


「量子力学の基本原理です。系の情報の総量は時間発展によって変化しない。つまり、起きたことの痕跡は、形を変えても、宇宙から消えることはない」


 老僧はしばらく沈黙した。炉の炭が爆ぜる音がした。


「二千五百年前のインドの修行者と、現代の物理学者が、同じことを言っている」


「同じかどうかは分かりません。でも、構造が似ています」


「構造が似ているならば、それは偶然ではないかもしれませんな。人間が世界を深く見つめれば、辿り着く場所は一つなのかもしれない」


 奏は茶を飲んだ。少し冷めていた。抹茶の苦味が舌の奥に残った。


「和尚さん」


「はい」


「母は、どこにいると思いますか」


 老僧は即答しなかった。茶碗を回し、畳の目を見つめ、それからゆっくりと口を開いた。


「あなたの中に、と私は思います。そしてお父様の中に。お母様が触れたすべてのものの中に。図書館で本を棚に戻すとき、お母様の指の圧力が本の背表紙に加わった。その圧力は微小な変形を残し、その変形は棚板に伝わり、棚板は床に、床は地面に。鎖は切れません」


 奏の鼻腔の奥が熱くなった。


「ただし」


 老僧は言葉を継いだ。


「それを感じ取れるかどうかは、別の問題です。宇宙に情報が残っていても、読み出せなければ、私たちにとっては失われたも同然だ。だから私たちは祈るのです。祈りとは、散逸した情報に手を伸ばす行為です。届くかどうかは分からない。しかし手を伸ばすこと自体に、意味がある」


「手を伸ばすこと自体に」


「ええ。手を伸ばしている間、あなたの意識はお母様に向いている。あなたの脳は、お母様との関係性を再構築している。関係性が更新される限り、お母様は過去の人ではない。現在の人です」


 鉄瓶の湯が静かに沸き続けていた。蒸気が上がり、冬の空気に触れて消えた。消えたのではない。水分子が拡散して、見えなくなっただけだ。




           *




 二月。


 奏は一冊の本を手に取った。C・S・ルイスの『悲しみをみつめて』。


 ルイスはイギリスの文学者であり、キリスト教弁証論の大家だった。ナルニア国物語の著者として知られるが、その晩年、彼は妻ジョイ・デイヴィッドマンを癌で失った。


 『悲しみをみつめて』は、その喪失の中で書かれた日記だ。原題は "A Grief Observed"。「観察された悲嘆」。科学者の眼差しに似たタイトルだと、奏は思った。


 ルイスはその中でこう書いている。悲しみは恐れに似ている、と。同じ喉の収縮、同じ腹部の不安、同じ落ち着きのなさ。


 奏はその一節を読んで、自分の身体の反応を確認した。確かにそうだ。母を失ってからの自分の身体は、慢性的な恐怖に似た状態にある。副腎からコルチゾールが持続的に分泌され、交感神経が優位になり、消化器系が抑制されている。食欲がないのは、そのためだ。


 しかし、ルイスの記録で最も奏を揺さぶったのは、別の箇所だった。


 ルイスは神学者だった。キリスト教の教義を論理的に擁護することに生涯を捧げた男だった。その彼が、妻の死後、神の存在を疑った。「神は宇宙的なサディストではないのか」とまで書いた。


 しかし日記の終盤、彼はこう記す。怒りをぶつける相手がいるということは、その相手が存在するということだ。神に怒れるということは、神との関係が続いているということだ。


 奏はそのページを閉じた。


 怒りをぶつける相手がいるということ。


 奏は母に怒っていた。死んだことに、ではない。死に方に、だ。何の前触れもなく、朝は元気に味噌汁を作っていたのに、昼前に倒れて、そのまま逝った。別れの言葉もなく。準備する時間もなく。


 言いたいことがあった。訊きたいことがあった。ありがとうを、まだちゃんと言っていなかった。


 未完の対話。


 イタコのことを思い出した。青森の恐山で、死者の言葉を「口寄せ」するイタコたち。科学的に証明できるかどうかは別として、遺族の多くが「言えなかった言葉を言えた」と語る。未完の対話に一つの区切りを与える行為。


 奏に必要なのは、それかもしれなかった。区切りではなく、対話の継続。母との対話を、母の不在のまま、続けること。




           *




 三月。


 梅が咲いた。


 奏のアパートの窓から見える公園に、一本の梅の木がある。毎年、母は奏に電話をかけてきた。「梅、咲いた?」と。実家のほうが東京より遅いから、東京の梅で春の到来を確認するのが母の習慣だった。


 今年は電話が鳴らなかった。


 奏は窓を開けた。冷たい空気が入ってきた。梅の花びらが風に揺れていた。


 マリー・キュリーのことを思った。


 一九〇六年四月十九日、パリの雨の日、馬車に轢かれてピエール・キュリーが即死した。マリーは最愛の夫であり研究パートナーを一瞬で失った。


 マリーの日記が残っている。彼女はピエールの死後も日記を書き続けた。宛先は死んだ夫だった。


「ピエール、私は歩いています。あなたがいつも歩いた道を。でもあなたはいない。あなたの不在が、石畳の一つ一つに染み込んでいます」


 マリーは研究を続けた。一九一一年、二度目のノーベル賞を受賞した。ラジウムの単離。それはピエールと共に始めた研究の延長線上にあった。


 晩年、マリーは言ったという。私が研究を続けるのは、ピエールがそれを喜ぶからだ、と。


 喜ぶ。現在形。死者を主語にした現在形。


 それは文法的な誤りではなく、マリーにとっての事実だった。ピエールの喜びは、マリーの神経回路の中に保存されており、研究室で新しい発見があるたびに再生された。ピエールならどう反応するか、マリーの脳は正確にシミュレートできた。三十年以上の共同研究で培われた、パートナーの反応予測モデル。それは死によって破壊されなかった。


 奏は窓を閉めた。


 机に向かった。


 ノートを開いて、母に手紙を書き始めた。




           *




 書き始めると、止まらなかった。


 お母さん。梅が咲きました。そちらはまだでしょうね。


 この前、面白い論文を読みました。お母さんの細胞が、私の体の中に残っているという研究です。妊娠中に胎盤を通じて、母親の細胞が赤ちゃんの体に入り込んで、何十年も生き続けるんだそうです。ということは、私が生きている限り、お母さんの細胞も生きていることになります。お母さんはきっと「なんやそれ、気色悪いわ」って笑うと思うけど、私はこの論文を読んだとき、研究室の自販機の前でしばらく動けなくなりました。


 三嶋先生が教えてくれたんです。三嶋先生も息子さんを亡くしていたんです。知らなかったでしょう。私も知りませんでした。


 お母さん、私は今、自分の研究が何のためにあるのか、少しだけ分かった気がしています。ユニタリ性。情報は失われない。私はこれを数式で証明するために十二年間研究してきたけど、その数式が本当に語っていることを、お母さんがいなくなるまで理解していませんでした。


 情報は失われない。


 それはつまり、お母さんが私を見た目も、お母さんが味噌汁を作った手の動きも、お母さんが「無理しないでね」と言ったときの声の振動も、宇宙のどこかに刻まれているということです。読み出すことは、できないかもしれない。でも、消えてはいない。


 お寺の和尚さんが言っていました。祈りとは、散逸した情報に手を伸ばす行為だと。


 だから私は手を伸ばします。届くかどうかは分かりません。でも、手を伸ばすこと自体に意味があると、あの人は言いました。


 手を伸ばしている間、私の意識はお母さんに向いている。私の脳はお母さんとの関係を更新している。お母さんは過去の人ではない。今も、私の中で現在進行形の人です。


 お母さん。


 ありがとう。


 言うのが遅くなってごめんなさい。


 ペンを置いた。指がインクで少し汚れていた。右手の中指の第一関節。ペンだこがある場所。小学生のとき、母が「あんた、ペンの持ち方変やで」と言いながら、正しい持ち方を教えてくれた。母の指が奏の指に触れた。その圧力、その温度、その角度。それらの情報は、奏の体性感覚野に今も保存されている。


 奏はノートを閉じなかった。


 開いたまま、机の上に置いた。インクが乾くのを待った。




           *




 四月。


 桜が咲いた。


 奏は研究室のホワイトボードの前に立っていた。五ヶ月前に中断した数式。ユニタリ行列の第三項。


 マーカーのキャップを外した。


 今度は書けた。


 式が展開されていく。項が増え、変形され、簡約される。物理学の言語で、宇宙の約束が記述されていく。情報の総量は変化しない。消えるものはない。形を変えるだけだ。


 熱は拡散する。音は減衰する。光は赤方偏移する。物質は崩壊する。しかしそれらが運んでいた情報は、宇宙の因果構造の中に織り込まれたまま残る。


 原理的には。


 原理的には、だ。現実的にはデコードできない。散逸した情報を元の形に再構成することは、事実上不可能だ。しかし「読めない」ことと「消えた」ことは違う。図書館の奥にある、誰も開かない本。その本の中の文字は、誰にも読まれなくても、存在している。


 奏はホワイトボードの端に、数式ではない一行を書いた。


「愛は、散逸しない」


 散逸という言葉には、物理学的な意味がある。エネルギーが熱として環境に拡散し、利用可能な形では取り出せなくなること。エントロピーの増大。秩序の崩壊。


 しかし散逸は消滅ではない。


 エネルギーは形を変えて、環境の中に残る。部屋を暖めたストーブの熱は、ストーブを消した後も、壁に、床に、空気に、分散して存在する。もう「ストーブの熱」としては認識できない。しかしエネルギー保存則により、総量は変わらない。


 愛もまた、散逸する。


 愛した人が死ねば、その愛が集中していた焦点は失われる。愛は拡散し、形を変え、直接には認識できなくなる。


 しかし、消えない。


 あなたの判断の癖の中に。他者への接し方の中に。何かを美しいと感じる瞬間の中に。困難なときに踏みとどまる力の中に。愛は散逸し、しかし保存されている。


 マルティン・ブーバーは言った。「存在するとは関係することだ」と。人間は孤立した個体としてではなく、他者との関係の中にこそ存在する。


 母と奏の関係。その関係の一方は物理的にはもういない。しかし関係性は、両端が揃っていなくても存在し得る。手紙の宛先が不在でも、手紙は書かれる。祈りの相手が沈黙していても、祈りは捧げられる。


 哲学者ニコラス・ウォルタストーフは、二十五歳の息子を登山事故で失った後、こう書いた。嘆きとともに生きることを学んだ。嘆きは過去ではなく、愛の継続だ、と。


 悲しみを消す必要はない。悲しみは愛の散逸形態だ。形が変わっただけで、総量は変わっていない。


 奏はマーカーのキャップを嵌めた。


 一歩下がって、ホワイトボード全体を見た。数式と、一行の日本語。物理学の言語と、人間の言語。二つの言語が、同じことを言っている。


 窓の外で、桜の花びらが風に乗って飛んでいた。一枚の花びらが窓ガラスに貼りついた。薄い桃色。光を透かすと、葉脈のような筋が見えた。


 花びらはやがて風に剥がされて、飛んでいった。


 消えたのではない。


 見えなくなっただけだ。




           *




 その年の夏、奏は論文を完成させた。


 タイトルは「開放量子系における情報保存の幾何学的証明」。ユニタリ性の新しい証明方法を提示する、純粋に技術的な論文だった。


 しかし奏は、論文の謝辞にこう書いた。


「この論文を、母・奏律子に捧げる。彼女は情報が失われないことを、私よりもずっと前から知っていた。彼女はそれを物理学ではなく、毎朝の味噌汁で証明していた」


 査読者の一人が「謝辞が学術論文にしては詩的すぎる」とコメントした。奏は修正しなかった。


 掲載された。


 論文が出版された日、奏は実家に帰った。父と二人で、母の仏壇に線香を上げた。煙が昇り、拡散し、やがて見えなくなった。


「お父さん」


「ん」


「お母さんの卵焼き、甘かったよね」


 父は仏壇を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。それから、喉の奥から搾り出すようにして言った。


「あれは、お前が生まれた日に初めて作ったんだ。それまで卵焼きなんか作ったこともなかったのに、お前を抱きながら『この子に甘い卵焼きを食べさせたい』って言い出して」


 知らなかった。


 三十四年間、知らなかった。


 奏の視界が歪んだ。涙ではない。屈折率が変わったのだ。空気の密度が変わったのだ。世界の見え方が、一行の情報によって、不可逆的に変わったのだ。


 母の卵焼きは、奏のために作られたものだった。奏が生まれたその日に発明されたレシピだった。その味付けの分量、火加減の感覚、フライパンを傾ける角度。すべてが「この子のために」という一つの初期条件から生まれた。


 そしてその初期条件は、今、奏の味覚の中に保存されている。甘い卵焼きの味を知っているということは、母の愛の情報をデコードできるということだ。


 奏は立ち上がった。


「お父さん、卵ある?」


「冷蔵庫にあるだろう」


 奏は台所に立った。フライパンを取り出した。卵を割った。砂糖を入れた。


 火をつけた。


 母がいつもやっていたように、菜箸で卵液を巻いていった。最初はうまくいかなかった。形が崩れた。焦げ目がついた。しかし二回目は少し良くなった。三回目は、もっと。


 手が覚えていた。母の横で何百回と見た、あの手の動き。記憶はシナプスの中にあり、シナプスは指先に信号を送り、指先はフライパンの上で母の動きを再現した。不完全に。しかし確かに。


 卵焼きが焼けた。皿に盛った。父の前に置いた。


 父は箸でひと切れつまみ、口に入れた。


 咀嚼が止まった。


 父の目が細くなり、唇が震え、顎の筋肉が痙攣した。箸を持つ手の甲に、血管が浮き出ていた。


「……似てる」


 父はそれだけ言った。


 奏も一切れ食べた。甘かった。母の味とは少し違う。しかしその差異の中にこそ、母の味の輪郭があった。完全に同じではないからこそ、オリジナルがどんな味だったかを、舌が探し始める。不在の中に存在を知覚する。影によって光源の位置を知るように。


 二人は黙って卵焼きを食べた。


 線香の煙が仏壇から流れてきて、台所の空気と混ざった。卵焼きの甘い匂いと、線香の匂い。二つの匂いの分子が空気中で混合し、拡散し、やがて鼻腔の受容体で検出できない濃度にまで薄まっていく。


 散逸。


 しかし分子は消えない。窓から出て、空に混じり、風に乗り、どこかの誰かの肺に届くかもしれない。届かないかもしれない。しかし存在はしている。


 母の愛も。


 この卵焼きの中に。この煙の中に。この台所の空気の中に。


 形を変えて。


 しかし、確かに。




           *




 夜、奏は実家の自分の部屋で眠りについた。


 枕元に、母の本棚から持ってきた『銀河鉄道の夜』を置いた。カムパネルラの名前に引かれた、母の鉛筆の線。その線の黒鉛の分子は、母の指の圧力によって紙の繊維に押し込まれ、何十年もそこに留まっている。


 宮沢賢治は妹トシの死後、「永訣の朝」を書き、そして『銀河鉄道の夜』を書いた。カムパネルラは死者だ。ジョバンニは生者だ。二人は銀河を旅する。生者と死者が同じ列車に乗り、同じ窓から同じ星を見る。


 しかし旅は終わる。カムパネルラは消える。ジョバンニは一人で列車を降りる。


 降りた後のジョバンニの人生を、賢治は書かなかった。しかし奏には想像できた。ジョバンニはきっと、夜空を見上げるたびに銀河鉄道の窓の光を探しただろう。見つからなくても、探し続けただろう。探すという行為自体が、カムパネルラとの旅の延長だったから。


 奏は目を閉じた。


 まぶたの裏に、母の顔が浮かんだ。


 鮮明ではなかった。輪郭がぼやけ、細部が欠落していた。記憶は必ず劣化する。シナプスの結合強度は時間とともに減衰する。いつか、母の顔を正確に思い出せなくなる日が来るだろう。


 しかし。


 母が奏を見たときの、あの目の温度。あの瞳の中に奏の像が映り、その像を見つめる母の網膜が光信号を電気信号に変換し、視神経を通じて後頭葉の視覚野に届き、「ああ、私の娘だ」という認知が生まれる。その一連の過程が生み出す、あの温度。


 それは消えない。


 なぜなら、同じ温度が、今度は奏の中で再生されているから。誰かを見つめるとき、奏の目にも同じ温度が宿る。母から受け取ったその温度は、奏を通じて次の誰かに伝わる。そしてまた次の誰かに。


 情報は複製される。伝播する。変容する。しかし消滅しない。


 人は二度死ぬという。一度目は息を引き取るとき。二度目は、誰にも名前を呼ばれなくなるとき。


 奏は暗闇の中で、声に出して言った。


「おかあさん」


 返事はなかった。


 返事がないことを、奏は知っていた。知っていて呼んだ。呼ぶことに意味があるから。呼ぶとき、奏の声帯は振動し、その振動は空気を震わせ、空気は壁を震わせ、壁は地面を震わせ、その微細な震えは、理論上は、宇宙の果てまで届く。


 減衰する。散逸する。検出不可能になる。


 しかし、消えない。


 愛は、散逸しない。


 形を変える。薄まる。拡散する。もう元の形では取り出せないかもしれない。


 しかし、宇宙の因果構造の中に、永久に、刻まれている。


 奏はそのことを、数式で証明できる。


 そして今夜、数式よりも確かな方法で、それを知った。


 母の卵焼きの、あの甘さで。




           *




 翌朝。


 目が覚めると、窓の外で鳥が鳴いていた。名前の分からない鳥だった。母なら知っていただろう。母は鳥の名前に詳しかった。「あれはヒヨドリ、あっちはメジロ」と教えてくれた。


 奏は窓を開けた。冷たい朝の空気が入ってきた。頬が引き締まった。


 台所に降りると、父がすでに起きていた。テーブルの上に、味噌汁と白飯と、卵焼きが並んでいた。


 卵焼きは不格好だった。焦げ目があり、形が崩れていた。


「お前のを食べたら、作りたくなった」


 父は照れたように、味噌汁の椀を持ち上げた。


「味は……まあ、六十点だ」


 奏は座った。箸を取った。卵焼きを一切れ口に入れた。


 甘かった。


 母の味とは違う。昨日の奏の味とも違う。父の味だった。しかしその甘さの根にあるものは同じだった。母が三十四年前に発明した甘さ。「この子に甘い卵焼きを食べさせたい」という一つの願いから生まれた甘さ。


 その願いは今、三つの変奏を持っている。母のオリジナル。奏の再現。父の挑戦。三つの異なるバージョンが、同じ初期条件から分岐して、それぞれの味になった。


 情報の複製と変容。


 それこそが、生きていくということなのかもしれなかった。


「お父さん」


「ん」


「六十五点はあるよ」


 父は鼻を鳴らした。味噌汁を啜った。


「お母さんのほうが美味かったけどな」


「うん」


「だいぶ」


「うん」


 二人は笑わなかった。しかし、台所の空気が少しだけ温まった。体温で。呼気で。味噌汁の湯気で。


 窓の外で、鳥がまた鳴いた。


 ヒヨドリだろうか。メジロだろうか。奏には分からなかった。


 今度、図鑑で調べよう、と思った。母が知っていたことを、自分も知りたいと思った。


 それは学問的な興味ではなかった。


 母が世界を見ていた目を、自分の中に再構築したかった。母が聴いていた鳥の声を、同じ名前で呼びたかった。母の世界認識のパターンを、自分の神経回路の中に、もう一度、刻みたかった。


 散逸した情報を、集め直すように。


 完全には元に戻らないことを知りながら。


 それでも、手を伸ばすように。



           *




 奏は駅に向かって歩いた。冬の朝の空気の中を、白い息を吐きながら。


 鞄の中に、母の『銀河鉄道の夜』が入っていた。カムパネルラに引かれた鉛筆の線と一緒に。


 電車に乗った。窓の外を、山と田畑と民家が流れていった。


 奏はふと、母がこの風景を何度見たのだろうと考えた。母は毎年、正月と盆にこの路線に乗った。六十三年間で百回以上は見ただろう、この車窓からの風景を。


 同じ風景を、今、奏が見ている。


 母の網膜に映った光の配列と、奏の網膜に映る光の配列は、同じではない。季節が違い、天候が違い、時刻が違い、車両の座席の位置が違う。しかし同じ山があり、同じ川が流れ、同じ空がある。


 重なる部分と、重ならない部分。


 それが、生者と死者の関係だ。


 完全に重なることはない。完全に離れることもない。


 電車が長いトンネルに入った。窓ガラスに奏の顔が映った。


 母に似ていた。


 目元の形。口角の角度。顎の輪郭。母の遺伝情報が、奏の顔の骨格と筋肉と皮膚に翻訳されて、そこにある。鏡を見るたびに母に会える。それは呪いではなく、贈り物だった。


 トンネルを抜けた。


 光が車内に戻った。窓ガラスの反射が消え、代わりに外の風景が現れた。


 空が見えた。雲ひとつない冬の青。


 その青さの中を、光が進んでいた。太陽から八分十九秒前に出発した光子が、地球の大気を通過し、窓ガラスを透過し、奏の網膜に到達していた。


 光もまた、情報の運搬者だ。宇宙に存在するすべての光子は、それが最後に相互作用した物質の情報を運んでいる。


 母の身体から放たれた赤外線の光子たち。体温三十六度の人体が放射する波長十マイクロメートル前後の電磁波。それらの光子は、母が生きていた六十三年間、絶え間なく放出され続けた。その一部は窓から外に出て、大気を抜け、宇宙空間に飛び出し、今もどこかを光速で進んでいる。


 母の体温が運んだ光子が、今この瞬間も、宇宙のどこかを旅している。


 そう考えると、奏の胸郭の奥で何かが動いた。心臓が一拍だけ強く打った。それは物理的な事実に対する、身体の応答だった。


 母は宇宙を旅している。光子として。情報として。


 銀河鉄道に乗って。


 奏は鞄から本を取り出した。


 「カムパネルラ、僕たちいっしょに行かうねえ」


 鉛筆の線を、指でなぞった。母の指の圧力が残した溝を、奏の指がたどった。二つの指紋が、時を超えて、同じ紙の上で重なった。


 電車が揺れた。


 奏は窓の外を見た。冬の空。遠くに山の稜線。


 どこかで母が、同じ空を見ている気がした。


 気がしただけだ。証明はできない。


 しかし、証明できないことと、存在しないことは、違う。


 それを奏は知っている。


 物理学者として。


 娘として。




(了)



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