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ばあちゃんへ

作者: 朱潮 一初
掲載日:2026/03/20

ばあちゃんへ


貴女(ばあちゃん)に会うのは家族4人で帰省する、年に一度の夏休み。


帰省準備の一つが、母に連れられ商店街の菓子専門店で大量の駄菓子を購入することだった。


母は兄兄姉姉姉の六人兄姉の末っ子。

従兄弟、従姉妹が21人。

ほぼ全員が集まる約一週間のおやつにと、駄菓子を箱買いして母たちと毎年帰省した。


母の父母と長兄家族が住まう佐渡島の実家に、五家族が帰省しお盆を過ごす。

昼は皆で海水浴へ行き、夜は皆で蚊帳の中で雑魚寝状態。


お盆には迎え火を焚き、皆で墓参りに行った。


送り火の時には、各家々で送り火を焚き、港には部落のお婆さんたちが集まり、ちんちん鐘を鳴らしながら念仏を唱え、ご先祖様の御霊を船に乗せ黄泉に帰すという儀式(風習)をおこなった。貴女もちんちん鐘に参加していた。

そして毎年、「ちんちん鐘に行くぞ」と誘われて同行するのは私だけだった。


どんな時も私は貴女の傍ら居た。


貴女が畑に行く時も、一緒に畑を耕し野菜の収穫を手伝ったのは私だけ。


「さぁ、一緒に寝んかな」と、

貴女とじいちゃんの間に挟まれて寝たのは私だけ。


夜中に起こされて、

「ハッサクを食べよう。皆には内緒だぞ」と、

いたずらに笑う、お茶目な一面を知っているのは私だけ。


母はよく『獅子舞の獅子を見ると佐渡の母を思い出す。獅子のように怖くて厳しい人』と言っていたけど、私はそうは感じなかった。

私に対してはいつも笑顔で優しいばあちゃんだったから。


私は他の従兄弟、従姉妹たちより可愛がられていた...と思っていた。


東京に帰る日は皆が別れを悲しんで涙していた。私も東京に帰りたくなくて、貴女と離れたくなくて泣いた。

貴女も泣いていた。

それは私と離れるのが寂しいからだと思っていた。


別れるときは必ず、

「元気で頑張れ。お前のかあさんを頼んだよ」

「わかった。任せて!」と、

貴女に頼まれたことが嬉しくて、貴女の言う通りに、東京に戻ったら『私が母を守るんだ』と思っていた。


貴女は、私に話す時だけ自分の末娘を『かあさん』と言った。


私に刷り込むように『お前のかあさん』と呼んだ。


私の母親だから『母さん』で間違いはないが、今思えば刷り込みとしては完璧だった。



父母が喧嘩し離婚騒動になる度に、私は母の味方をした。当たり前のように母と一緒に父を非難した。


いよいよ母から、

「離婚して家を出る」と言われたときは、この不毛な戦場からやっと解放されると何故だかホッとした。

高校を中退して母と一緒に働こうと、真剣に未来図を描いた。直ぐに退学届の書き方も調べた。


しかし、舌の根の乾かぬうちに「〇〇(長男)が『離婚しないで欲しい。もし離婚するなら自分は父親につく』って言うから離婚を止めたわ」とあっさり言われて愕然とした。


あぁ、やっぱりこうなるかと…私より弟を大切にしていたのは気づいていた。だけど、私の覚悟を返して欲しい...

心底母に失望し、落胆した瞬間だった。


貴女に頼まれていたから、疑いなく母の味方になっていた。


そう、私は貴女と約束したから頑張った。


毎年...毎年...

貴女は「かあさんを頼む」と私に呪縛をかけ続けた。


貧しい生活の中で、子供たちを高校に進学させることが出来ず、末娘を中学卒業と同時に東京に行かせなければならなかった親の懺悔。

15歳で島を離れて働かなければならなかった不憫な末娘のことを案じた親心。


貴女の愛情は私ではなく、自分の末娘…私の母に注がれていた。



貴女が亡くなったとき、自営業の両親を葬儀に参列させるために、私は東京に残り、親の代わりに家業を稼働させ続けた。


葬儀に参列したかった気持ちを抑えて、私は両親を佐渡島に行かせた。母親を早く貴女の元へ行かせてあげたかった。この時はまだ、貴女の呪縛に気付いていなかったからこの決断が正しいと思っていた。


親戚からは『あんなに可愛がられていたのに、葬儀に参列しないなんて冷たい』と叱責された。母は私を庇うことなくそのまま話を流した。これでは肯定したも同義。家業を守るために東京に残ったつもりが、後日談では私の行動は全て無意味で必要なかったことになっていた。



それでも私は貴女との約束を守りたかった。


ずっとずっと大好きだった

『ばあちゃん』

 

ばあちゃんの魂にもう一度会って話をしたくて、

ばあちゃんを傍で感じたくて、

催眠療法を自分に施した。



が…気付いてしまった。

催眠療法は心の深い場所、無意識に触れることができる方法でもある。


【悪意の無い悪意】

純粋だからこそ恐ろしい無自覚な悪意。

末娘の幸せを願う無垢な思いが、私にとっては『呪縛』になっていたことを理解した。


貴女にとっては悪意のない無垢な愛情表現だった。


私はずっとばあちゃんの言霊に縛られていたんだと。

ばあちゃんの大切な末娘を守るためのに存在した傀儡でしかなかったと理解した。


驚いた。

信じていたし愛情を疑っていなかった。


貴女の『呪縛』は完璧だった。


『呪縛』は母から掛けられた呪いだと思っていた。

私は母親の厄年に産まれた女児。

「母親が厄年の時に産まれた女児は、母親の厄災を半分背負って生まれてくると言われているの。女児を産んだ母親の厄災は軽くなるのよ。母親とその女児は一蓮托生の命にあり、母親の半身であり一心同体なの。だから私とあなたのご縁、結び付きはとても強いものなのよ」と、幼いときからずっと言われ続けてきた。


母親方にしかメリットがない言い伝えを、さも『一緒に分かち合いましょう』と言われているようで腑に落ちなかった。女児(私)にしたら、生まれた瞬間から災難を背負わされているのと変わらない。この話が出る度に、忌み子みたいだと感じていた。


そうか、これらの昔話は母から子へと伝承されるもの。母親が娘の出産の手伝いのために佐渡島から上京した時に言って聞かせた話。

「厄年に生まれた娘だから、大切に育てればあなたの味方になるはず」...と。

生まれた瞬間に枷をはめられていた。



失笑した。

言葉にならなかった。


でも...この解き放たれた感覚をどのように表現したらよいのだろうか。


安堵した。


もう母親に縛られなくていいのだと涙が出た。


心の何処かで気付かないようにしていた違和感。

『愛されている』ことを疑ってはいけない、疑うのは私の愛情や優しさが足りないからだと。



物心がついた頃から、自分は何モノなのか、自分は何のために生まれてきたのか…とずっと悩んできた。

答えが見つからなくて苦しかった。


8歳の時、

「産んでくれなんて頼んでない」と、

母と喧嘩になった時に初めて本心をぶちまけた。


『親不孝者』と頬を叩かれ、

『産んでくれてありがとう』と言えない私は歪なのだと諭された。


納得いかず理不尽に感じたことを、今でも鮮明に覚えている。



今の今まで自分の存在意義が見つからなくても当り前だった。私は『私ですらなかった』のだから。


貴女が私の自我を封印していたから、私は何モノにもなれなかったのだと。



これからは『私』を取り戻すために、今ここに宣言しよう。



◆◆◆


ばあちゃんへ


来世、貴女たちの魂と交差するのは勘弁…なので。


今世は私なりに精一杯尽くしました。

貴女たちに対して思い残しや、後悔はありません。


ここで縁切りです。

バイバイ。


                不肖の孫より


















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