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整理整頓で消えた男 ―Archive_2007―

作者: 水主町あき
掲載日:2025/10/13

 急な辞令で、見知らぬ街に引っ越した。

 住まいが見つかるか心配し、条件を下げることも考えたが、いい物件があった。

 新しい家は閑静な住宅街の中。

 ただ、近くの空き家だけがちょっと気になった。


 近所に引っ越しのあいさつに行ったら、その家の話になった。


「急にいなくなったらしいのよ。娘さんが警察に届けたみたいで、おまわりさんが聞き込みに来てね」


 ドラマみたい、と弾んだ声の女性に、嫌悪感を隠しながら相槌を打つ。


「マイナンバーカードもクレカも置きっぱなしだったんですって。何か知らないかって聞かれたけど、そういえば、最近顔を見てないな、としか思わなくって」


 あいさつを終えて、新居に戻る。

 行方不明者なんて、よくある話だ――そう思った。


 新しい職場は小さな事務所。

 前の担当者からの引き継ぎもそこそこに、自分のデスクを片付ける。


 共有の棚が目に付いた。ファイルはバラバラで、期限切れの書類まで適当に突っ込まれている。


 ――危ないな、これ。ここは“職場”というより、物置だ。


 俺は重要な契約書類をなくしたことがあった――それで、ここに来た。


 黙って整理を始めた。ラベルを貼る。黄色は契約、白はその他。いらないものは捨てる。

 二日かけて終わらせると、職場がスッキリした。

 静まった棚の奥から、薄い機械の息だけが往復していた。


「助かるわー、ありがとう」


 同僚が笑顔で声をかけてくれる。ここでなら、うまくやれそうだ。


 ふと、パソコン画面の共有フォルダに、見慣れない名前が一瞬映った。

「Archive_2007」

 何だろう、と思ったが、すぐに別のウィンドウが開いて見えなくなった。


 整頓の達成感はあった。だが棚が片付くと、境界線が曖昧になった。

 付箋の色、クリップの向き、引き出しの浅い音――他人の机にも不足が見えた。

 帰り際に、空いた席の乱れをつい整えていた。


「あれ? ここにあった書類がない」


「こちらにありますよ」


 ホチキスの向きを揃えた。針の列が一方を向く。


「……勝手に、触らないでくれる?」


「いえ、見つかったんだから――」


 彼女の表情がこわばる。明るかった声のトーンが、わずかに下がった。

 目線が一瞬止まる。黙る。

 その沈黙を、秩序が埋めた。


 それからは、残業の記録は残さずに片付けを続けた。

 せっかく並べ直した書類が元に戻っていることもあった。

 誰もやらないなら、俺がやる。そう決めた。

 夜の事務所は音が少ない。紙が空気を切る音と、引き出しの爪の擦過音だけが残った。


 ある夜、画面の中が気になった。

 共有サーバーのフォルダ名はばらばらで、階層は崩れていた。

 ここも同じだ。名前を揃え、重複を排除し、残りを収める。

 最初は単純だった。やっていることは正しい。

 誰もがそう言った――最初のうちは。


 でも、だんだん不具合が出始めた。

 必要なファイルが見つからない。

 更新された日時がおかしい。

 消したはずの文書が復活している。


 誰かのミスだと思って、自分で調べてみた。

 そして、最下層のディレクトリで、それを見つけた。

「Archive_2007」


 プロパティが開かない。数字が出ない。

 開こうとすると、筐体の奥で、ファンがひとつ余計に回った。

 金属の奥で、誰かが息を吸う音がした。


 翌日、そのファイルについて職場で聞いた。

 誰が作ったのか、誰が権限を持っているのか、誰も知らない。


「これはマズい」と思った。胸の奥で、嫌な熱がじわっと広がった。


 この職場は、定時になると急に静かになる。

 人気のない事務所で、パソコンに向かった。


 指先だけ体温が落ちた。カーソルは震えないのに、手の骨だけが鳴った。

 だが、マウスの手は止まらない。これも片付けなければ。

 右クリックで消去を選んだ瞬間、画面が一瞬暗くなった。


 パソコンが短く鳴った。まるで満足したように、ひとつ息を吐いた。

 これを消せば、全部きれいになる――はずだった。


 翌朝、俺が出社したとき職場は騒然としていた。


「重要データが全部消えた」


 上司が真っ青な顔で言った。

 契約管理表、決裁記録、過去5年分のデータ。

 バックアップにもない。

 システム担当が調べたら、削除実行者は俺だった。

 時間は深夜23時42分。俺が会社を出て4時間後だ。


「その時間、どこにいた?」


 上司が問い詰める。


「家にいました」


「証拠は?」


 答えられない。一人暮らしだし、家族もいない。誰も証明できない。

 しかも、今まで俺が残業をごまかしてたことも、システム担当にバレていた。


 口を開いた。誰も目を合わせない。上司の視線が書類の上で止まったまま動かない。

「あいつならやりかねない」みたいな空気だった。


 真面目すぎる人間は、疑われたら誰も擁護してくれない。


「部屋に出入りした記録があるはずです」


 そう主張したら、夜間の事務所の入退室ログを確認することになった。

 ログは正常に記録されていた。


「この時間は部屋に誰も入っていませんね」


 記録を見ながらシステム担当が言った。


「じゃあ、誰が入ったことになってる?」


 [23:42:17]AUTH/K SUCCESS

 [23:42:17]DOOR/Office NO ENTRY


 でも、サーバの認証履歴には K がログオンしている。皆で首をひねるしかなかった。

 とりあえず、俺への疑いは晴れた。晴れたのは疑いだけで、削除の記録は残ったままだった。


 自分のパソコンを開くのが怖くなった。

 でも開けないわけにはいかない。

 データを元に戻さなくてはいけない。


 バックアップツールを起動して、消されたファイルを探した。

 そしたら、見覚えのないファイルがあった。


「K_backup.zip」


 開いてみると、俺の作業記録が入ってた。

 俺が整理した棚のリスト、分類した書類の一覧、消したファイルの履歴。

 まるで俺自身が記録されてるみたいだった。


 冷蔵庫が一度だけ唸って止まる音がした。

 画面に映る自分の名前をクリックする。


「アクセスが拒否されました」


 エラーメッセージが表示される。


「対象のユーザーは存在しません」


 画面を見つめた。エアコンの機械音が、静かな事務所の空気を震わせる。

 耳の奥で一定の周期が鳴り、心拍と重なっていく。


 次の日、会社に行かなかった。電話もメールも無視した。

 家のパソコンから共有サーバーに接続してみた。――入ることができた。


 フォルダを開く。バックアップを戻す。ファイルを整理する。削除する。分類する。

 夜になっても、朝になっても、ひたすら画面を見つめてた。


 ふと窓の外を見た。隣の空き家に、明かりがついてる。

 いや、明かりじゃない。窓ガラスに映る、パソコンの青白い光だ。

 その画面の前に、誰かが座っている。


 立ち上がって、窓に近づいた。

 俺と同じ姿勢で、同じようにモニターを見ている。


 気づいた。

 あれは、俺だ。いや、片付ける前の俺だ。


 転勤のもう一つの理由を思い出した。

 ある日突然、職場からいなくなった"常識知らず"。

 似たログを昔見た気がしたが、記録は見つからなかった。


 [03:11:08] AUTH/? SUCCESS

 [03:11:08] DOOR/Office NO ENTRY


 その人は、共有サーバーの整理をしていた。「これを片付けないと」が口癖だった。

 最後に残されてたのは、きれいに整頓されたフォルダと、「作業完了」と書かれたテキストファイルだけだった。


 窓を閉め、カーテンを引いた。

 パソコンの前に戻って、また作業を始めた。

 整理するべきフォルダは、まだたくさん残っている。

 削除すべきファイルも、分類すべきデータも、無数にある。


 マウスを動かし続けた。静かに、ただ静かに。


 俺の存在が、どこかのフォルダに、きちんと整理されて収まるまで。

 誰にも迷惑をかけないように。誰の手も煩わせないように。

 それが、俺の仕事だから。


 俺がいなくなっても、誰も困らない。

 日常は何も変わらない。

 ただ、片付いた世界だけが残る。


 ……これで、全部片付いた。



 翌月、社内規定が更新された。

「データ整理のルール」が追加されて、作成者の欄にはKの文字。

 みんなが口にする。「Kさんの教訓を忘れないように」

 研修スライドのフッターには「Author: K」。


 上司がぽつりと言った。「……なんで黙っていなくなったんだろうな」


 誰も答えなかった。


 上司の言葉に頷きながら、誰もその顔を思い出せない。

 整理された世界では、記憶もフォルダの一つだ。

 必要がなければ、削除される。


「Archive_2007」のファイルはまだある。


 新しい担当が言った。「これ、消してもいいんじゃない?」


 返事はなかった。どこかで、短い"カチ"という音だけがした。

……この話には、以前書いた短編の中で触れた風景や出来事が、少しだけ影を落としています。

読んでくださった方は、どこかでその気配を感じ取っていただけるかもしれません。


前作:

https://ncode.syosetu.com/n1654le/

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