スタートライン ーヴァリオンの1歩
コップに注がれたのは、まるで森の底をすくったかのような濃い緑色の液体。ドロリと重く、何かが蠢いているような気がする…。
意を決して、一口飲むと、ねっとりと舌に絡みつく苦みと草っぽい香りが口中に広がった。ヴァリオンは思わず顔を顰め、鼻を窄める。
緑色の薬は、まるで小さな森をそのまま飲み込んだみたいで、見るからに怪しい。だがルミナが『効きますよ』とにこっと笑うので、覚悟を決めて口に運んだ…。
「…………この薬、大丈夫なのか?」
大丈夫とは胃腸の調子の方なのだが…。
「これは薬草の基礎になる薬です!だめですよ、全部飲んでくださいね?…間違えてないですよね……」
ルミナの手には薬学の手本書なる本が…。
本当に大丈夫なんだろうか…。
「ところでルミナ……ここはどこなんだ?」
ヴァリオンは窓の外を見て問う。
窓からは海しか見えないが……一体ここはどこなんだろうか?
「はい、ここは元は人も棲みつかない様な名も無い小島なんですよ!南大陸の端に位置するんです!」
「えっ!?」残念ながら窓から辺りを確認したかったがなんせ足が動かせない。
「なんで君はこんな小島に?1人で住んでるのか?」
当然の疑問にルミナは首を横に振った。
「いいえ、師匠と住んでます」
「師匠……?」
「はい!師匠は大魔法使いなんです!私はいつも怒られてばっかりの駆け出しの魔法使いで……」おどけて見せた笑顔にヴァリオンはお腹を摩り引き攣った笑顔で返した。
「師匠は今調べ物しているので終わったら来ますのでゆっくり休んでいて下さいね!ヴァリオンさん!」
「あれ?名前名乗ったかな……?」
「ああ!師匠にかかれば名前や歳や善か悪かもお見通しですから!」
「へ……へえ……すごいなそりゃ」
ルミナは深くお辞儀をして部屋を出ていった。
ーーこうして1人になると、リュミールの町の事ばかり考えてしまう……。
母さんやアスティアはどうなったんだろう。小麦は餌を食べてるだろうか……。街の皆もどうなったんだろう。
…………哀麗はどうしてるんだろう。
胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
ヴァリオンは騎士の手本書を熟読していたが、次第に睡魔に吸い込まれて、本を開いたまま眠りに落ちてしまった。
「ここは……?」ヴァリオンは真っ暗闇の森を彷徨っていた。霧で先が見えない。
バサバサ!羽音がして、霧の中で剣を振るうけど、手応えがなくてただ空を切る音だけ響く。
(「助けて…」「どうして…」「おなか…すいた…」)聞き慣れた声のはずだ……だが、振り返ると誰もいない。
「わっ!?」
足元の地面が崩れ落ちていくのに体が動かない!落ちていく……!
落下した先に、黒い影がブレイブのシルエットがして、倒れ込むヴァリオンを見下ろす。
「お前のせいで町はめちゃくちゃだ。お前だけが逃げたんだろう?」
「守れもしないで、何が騎士だ……そんな弱いお前が騎士を名乗るつもりか?」
ブレイブが冷徹な目を向けて自分に切先を向けて「今度は容赦……せん!」と言い切った後に刃が上半身を貫通した……!!
「うわあああああ――!!」
ヴァリオンは胸を押さえて悲鳴を上げ、飛び起きた。
…だが、痛みはない。
手のひらを見ても、血は一滴もついていない。
胸が早鐘を打つ。汗でびっしょりと濡れた寝間着が肌に張りつく。
現実感を確かめようと荒い呼吸を繰り返し、ようやく夢だと理解する――。
「はあ……はあ……っ」
まだ心臓がバクバクしている。
嫌な汗が纏わりつく。
「どうしました?大丈夫ですか?」
ヴァリオンの声を聞いて慌てて駆けてきたらしいルミナの声にホッとする。
「ごめん……嫌な夢を見ただけだよ」
「そうでしたか……足の治療を先にして海沿いでも散歩しませんか?夕方になって涼しいですし、景色もきれいですよ?」
優しい笑顔に「そうしようかな」とヴァリオンはそう答える。
海辺に並んで歩く二人。
オレンジ色に染まる波間が、ゆっくりと揺れる。
「足は痛まないですか?」ルミナはポニーテールを揺らしながら振り向いて微笑みかけて来た。
「ああ……大丈夫だ。治癒魔法はすごいな、本当に」
あんなに痛かったさっきまでの時間が嘘みたいだ。
砂浜に座り込み、ヴァリオンは膝を腕を抱えた。ルミナは隣にそっと座っている。
「こうして海を眺めてると落ち着くな……」
「そうですよね?私は失敗するとよくこうして夕日が沈むまで座って、よし!明日もがんばろー!って気合い入れ直すんです!失敗ばかりなんですけどね?」
少しだけ切ない顔で笑うルミナ。
「そうなのか?」
「はい、私なんて師匠から怒られてばかりです……」ルミナは両腕で膝を抱えて少し悄げる。
「少なくとも、俺はルミナに助けられたし、治癒魔法をかけてもらえたし……なんて言うか……その……す、すごい!って感じだ……」ヴァリオンは言葉が出て来なかった分、拳をぎゅっと握り締めたがルミナは目をぱちくりさせていた。
「あはは!ありがとうございます!ヴァリオンさん!気持ち!しかと受け取りました!」ルミナは小さく敬礼した。
「はは……俺なんかまだスタートラインにすら立ってないよ」首の後ろの髪を掻きながら目を伏せる。騎士の手本書を読んだだけ……剣すら持っていない。ブレイブとも逃げたり、罠を使ったりしただけだった。
「スタートラインはみんな違うんです。大事なのは、自分の一歩を踏み出すことですよ、ヴァリオンさん!そんなに怪我して戦ったんですよね!?それはすごい事ですよ!私だったら泣いて逃げちゃいます!」
「………………!」
そうだ……スタートラインがどうとか問題じゃないんだ。自分が先に進めばいい、それだけなんだ……。
「そうだよな?ありがとうルミナ!!」
ヴァリオンは力強く敬礼をした!
沈みゆく夕日の中で2人の笑い声が響いた。
――翌朝からヴァリオンは早速騎士の手本書片手にトレーニングを開始した。
まずは、海岸ランニング。
砂浜で走るのは体幹も鍛えられて、足腰に負荷がかかる。
ルミナから借りた槍を本を片手に素振りを繰り返す。
「朝から精が出ますね!ヴァリオンさん」
「あ、おはよう、ルミナ」
ルミナはトレイに2食分の食事を持っていた。
「せっかくなので朝食は外でいただきませんか?私もご一緒しちゃいますが……」
ウッドデッキのテラスには、白と水色のルミナ色のパラソルが立っている。淡い影が落ちる下には、丸い木製のテーブルと椅子が並んでいる。
ルミナは木製の丸テーブルの上にパンケーキとフルーツとサラダを並べてくれた。
「美味そうだ……」
椅子に腰掛けるヴァリオン。
ルミナは紅茶ポットを持って来て、氷を浮かばせアイスティーにしてくれた。
「冷たくてスッキリする!!」
汗をかいたから一気に飲み干してしまった。何も言わずにおかわりを注いでくれたルミナ。
2人で朝食を頬張る。
「美味いな!これは見たことない果物だな!南国にはよくあるのか?」
「ええ、この辺では珍しくは無いんですよ?」
甘くてトロっとしていてジューシーだ!
朝食を食べ終えた頃、ゴゴゴ…と重低音と地響きが起きる。
「な………なんだ!?」海を見ると激しく波打っている。
「ああ、ご心配なく師匠が帰って来たんですよ、出迎えに参りましょう!こちらから裏側に行けば分かりますよ」
「え……?」
波の音がゴゴゴと響く中、ヴァリオンはゴツゴツした岩の間を慎重に歩いた。
「足元、気をつけてくださいね」
ルミナが少し先で声をかける。潮風に髪を揺らし、白水色のローブが揺れる。ヴァリオンはうっすら汗をかきながらも、岩を一歩一歩踏みしめた。
すると眼前に広がった海には、ところどころで渦がぐるぐると渦巻いていた。
太陽の光が波に反射してキラキラと輝く中、渦だけが深い藍色に沈み、まるで海そのものが呼吸しているかのようにうねっている。
潮風が顔を打ちつけ、波しぶきが岩に飛び散る。渦の中心には見えない力が渦巻いているらしく、水面が歪み、吸い込まれそうな不気味な圧が漂っていた。が唸り、光と魔力の渦巻く様子に息を呑む。
「こ、これは……!?」
思わず後ずさるヴァリオン。心臓が跳ねる。
ルミナは落ち着いた様子で、横から声をかける。
「魔力の渦です。最近ここに魔力が集まり、転移魔法で飛ばされて来る負傷者が後を絶たないんです。ヴァリオンさんもここから現れたんですよ」
渦の中心から光が差し込み、ゆっくりと姿を現す。
全身を深い色のローブで包み、頭にはフードをかぶったお婆さん――しかし、その小さな体からは圧倒的な存在感が滲み出ている。
目元は鋭く光り、まるで心の奥底までを見透かしているかの様だ。口元には微かな笑みを浮かべているが、その目力に圧倒され、思わず身がすくんだ。




