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noel






 心地よい風が運んできた落ち葉に読書を邪魔されて、私はその葉を栞代わりにパタンと本を閉じて膝に置いた。

 まだ少し、前世の記憶とこの世界に戸惑うことはあれど、だいぶ記憶の齟齬は埋められてきたような気がする。前世の「私」の意識が強いからなのかも知れない。

 王子と初めてお会いしたこの裏庭は、あまり人も来ず、なんだかんだと私の気に入りの場所になってしまった。ここではたまにアルベール王子を見かけることもある。ゲームでも王子とエンカウントしやすい場所だ。王子がいるのだからクラリス様をお見かけすることもあるかも!なんてちょっとした打算で、一人になりたいときはここにベンチに来るようになって、いつの間にかお気に入りの場所になってしまった。


「いい天気だなぁ…」


 気温も吹く風もさわやかで、木々の間から差し込む太陽の光がキラキラと輝き、その光が降り注ぐような様子に、私はふと先日の新入生歓迎会を思い出した。


 あの日、アシュレイ様とともに私のもとを訪れたクラリス様とお知り合いになれたのだ。


 選んでよかった外交魔術科。そして勉強頑張っていて本当に良かった。勉強が楽しかっただけ……とも言うけど。


 アシュレイ様と連れ立って私のところまでやってきたクラリス様は本当にお美しかった。そのうえで、成績も優秀な私とこれからぜひ仲良くしたいと仰ってくださったのだ…!

 恐れ多いですううと叫びそうになったけれど、伺うように小首を傾げるお姿が尊くて私に否なんて言えるはずがなかった。クラリス様とお話しできるなんて光栄すぎる。

 あれから何度かお会いするたびにお話ししたりお茶に誘っていただいたりして、夢のような時間を過ごして、気付いたのだけど…クラリス様は仲の良い女の子、お友達、というのが欲しかったのかもしれない。

 悪役令嬢としてのシナリオの強制力なのか、クラリス様は学園内で日常お見かけするときはいつもお一人。常に凛として表情を崩さず氷の微笑なんて呼ばれて貴族子女の憧れではあるけど、近寄りがたいのは確かに真実かもしれない。昼休みや放課後なんかはカイル様がお傍に控えていることも多いけど、本当に控えているって感じなので、対等じゃないんだよね。仕方ないけど。そもそも、クラリス様は身分も高いし、次期王妃であるので、打算で近づいてくる子女も多いのだと思う。

 だからかな、私が授業での話や読んだ本の話など、どう考えてもクラリス様にお聞かせするような話ではないことを喋っても、微笑んで聞いてくださって、去り際にはいつも、「楽しかったです、またお話しして下さいませね」と言ってくださる。クラリス様はそんなに他愛ない話に飢えていらっしゃるのだろうか。だとしたら私がいつだってお傍に侍るのに……!ってくらいには、本心で楽しんでくれているみたいなんだ。もう、私本当に生きててよかった、ってそのたび強く思うんだけど……なんだかクラリス様の孤独というか、そういうものを垣間見ているような気がしてしまって。


 裏庭は今日も天気が良い。

 先生のご都合で休講となってしまって、この時間は自由にしていいといわれている。

 私は読みかけだった本を手に、ここに来た。読み終わってしまっても、ここなら魔法の練習ができるかな、と思ったからだ。

 お気に入りの裏庭のベンチから西には、お昼寝にはちょうどよさそうな木陰がある。ここではたまにアルベール王子をお見かけすることもあった。たいてい学園内では女の子に囲まれている王子も、裏庭ではお一人かもしくは護衛である男子学生とご一緒だ。実はこの方も攻略対象。真面目が服を着て歩いている、という噂のルカ・ハーヴェスト様だ。

 ルカ様は濃紺の髪と切れ長の瞳、知的な印象にさらに磨きをかける眼鏡は冷たい印象を受けるし、実際彼の攻略ルートもだいぶ塩対応のまま進むんだけど、さすがツンデレはデレたら早いっていうか、ある一定のイベントをクリアしたら坂を転がるようにデレデレになってくれる方なんだよね。

 ゲームでは常に王子の傍に控えていたけど、リアルで見ると四六時中というわけでもない。未来の側近であることは間違いないし、控えていない時も少ないけどね。王子ルートでは、あいつは監視役だと王子が漏らすシーンもあるから、信頼はしていても気が休まらないこともあるのかも。職務に忠実って職場関係を保つのちょっと難しかったりするもんね。

 そんなわけでやっぱりここは王子が息抜きに来る場所らしくて、ルカ様も控えていないことが多い。

 そう、この裏庭は王子の息抜きの場所で。どこかリラックスした顔をされていることも多い。プライベートってまではいかないみたいで、私を見かけてる微笑んでくださるけど。

 でもそんな風に王子が来る場所だから、クラリス様もいらっしゃるんじゃないかなぁという私の期待は、ひと月ほどで打ち砕かれた。

 そもそもというか、学園内で、王子とクラリス様がともにいることはほとんど見かけないんだ。

 先日の新入生歓迎会のようなパートナーを伴っての場所でない限り、ご一緒しているところを見たことがない。いつだって女子生徒にきゃあきゃあともてはやされて、にこやかに手を振って。隣を歩くのはたいてい護衛であるルカ様だ。


 婚約者なのにな、と思ってしまうのは私がクラリス様贔屓だからってだけではないと思う。


 小さくため息を吐いて、私は立ち上がった。遠く聞こえるチャイムは午前の授業が終了した合図。空腹だからいろいろと考えてしまうし、いい考えに辿り着かないんだ。よし、と思考を切り替えるように口の中で呟く。

 とりあえずご飯だご飯。







 トレイをテーブルに置いて席に就こうとすると、ふと上から影が差し顔を上げる。

 私の目が輝いたのは、きっと気のせいじゃない。

「クラリス様!」

「ごきげんよう、ノエルさん。ご一緒してもいいかしら」

「もちろんです!」

 弾むように立ち上がって歓喜を示した私に、クラリス様が嬉しそうに口元を綻ばせた。


 学園の食堂のメニューは基本的にバイキング形式。

 並ぶ大皿から取り分けてくれるのは給仕係だけど、ちゃんと並んで取り分けてもらい、自分で配膳する。基本メニューは毎日同じで、メインは二種類の日替わりになっているのと、並ぶメニューから好きなものをチョイスできるのがポイント高い。

 そこから今日はチキンソテーのバジルソースに、グレープフルーツとルッコラのサラダ。それと小さなオムレツにトマトソースをかけてもらったものを選んで席に着いた私のもとに、同じくトレイを持ったクラリス様が現れた。席は自由だけど、ほかにも空いている席はあるので、私を見つけて声をかけてくださったんだ。

 今日のクラリス様は最近お気に入りらしい髪飾りをつけている。これはスチルでも何度か見かけたことある髪飾り。何度も見てきた髪飾りだけど、こうしてモニター越しではなく見ると本当に繊細な細工が施されていて、クラリス様がお気に入りになるのもわかる逸品。

「ありがとうございます、失礼しますね」

「はい、クラリス様とお食事できるの嬉しいです」

「まぁ」

 私の返事に目元をわずかに細めてくださったクラリス様のトレイの上には白身魚のポアレ。レモンバターソースに心惹かれて、最後までチキンと悩んだやつ。ああ、やっぱりあれも美味しそうだった。まためぐってくる時が来るのを待とう。それとグリーンサラダにキノコのマリネ。バケットは私とお揃い。クラリス様のバケットは私の半分だったけど……。いやいや午後は魔法の実技だし、ちゃんと食べなきゃね!

 あまり音もたてず静かに席に着いたクラリス様は、これぞ貴族のお嬢様の見本の中の見本という所作でナイフとフォークを操り、小さめに切った魚を口に入れる。その一つ一つが洗練されていて、見ていてため息が出るほどに美しい。さすが、私の推しは食べる姿まで完璧……っ!


「ノエルさん、今日のリボンよく似合っていますね」

「こ、光栄です!」

 ゆっくりと完璧なマナーで食事を勧めながら、クラリス様が私の髪を結ぶリボンに気づいて、褒めてくださった。

「先日の歓迎会でのドレスと同じ色ですね。お好きなのですか?」

 わあああしかも覚えていてくださった!感動で、チキンの味がよくわからない。チキンの上に振りかけられていた刻んだナッツを思わず強めに噛み締めて、かりっと口内で音が鳴ってしまったのを誤魔化すように、私はフォークを置いてクラリス様から見えるように少しだけ首を傾けた。

「いつもの赤いリボンも素敵ですが」

「はい、このリボン、ドレスと一緒に両親から送られてきたんです」

 ああしかもいつものリボンの色まで覚えていてくださってる。貴族としてほかの令嬢の装いは覚えておくのは常識だけど、こうして外ならぬクラリス様に褒めていただけるなんて本当に光栄すぎる。送ってくれた両親に感謝しかない。

「素敵なご両親なんですね」

「ありがとうございます。クラリス様も、素敵な髪飾りですね」

「ええ、ありがとう。最近のお気に入りなのです」

「ばらの飾りですか?そういえば歓迎会の時もお花の髪飾りでしたね」

 今クラリス様がつけているのはあの時よりも控えめで手のひらにすっぽり収まるサイズの髪飾りだ。あれもよくお似合いだったけど、スチルで何度も見たこの髪飾りもやっぱりとってもお似合いだ。先ほどの言葉通りクラリス様もお気に入りのようで、こくりと小さく頷いてくださった。 

「歓迎会と言えば、クラリス様は隣国のエリク殿下とお話しされていましたね。仲がよろしいのですか?」

「ええ、エリク様は、兄の友人なのです。兄が隣国へ留学した際に親しくして頂いて。そのご縁で仲良くしてくださっているのですわ」

 そうだったのか……! クラリス様のお兄さまは、ゲームには出てこない。兄と弟がいるという設定だけが公式ブックに書いてあったくらい。お兄様と弟君、どんな方なんだろう。いつか拝顔できる日が来るかしら。それにしてもエリク様とお兄様がご学友だったのなら、そりゃあ自慢の妹を紹介したくもなるよね。クラリス様とエリク様が並ぶと本当に美の競演!って感じで眩しかった。

 マナー違反にならないように気を付けつつ、会話を楽しみながらとっていた食事の最後の一口を飲み込んで、手を伸ばしたのは、適温になったハーブティーのカップ。口に含めばほっとする香りで、クラリス様とお食事をしながらお話しできてさらに新しい情報もゲットできた幸せでいっぱいになる。

 クラリス様はまだお食事途中なので、邪魔をしないようにと思ったけど、お茶を飲む間くらいいいよね。それともデザートも食べようかな。今日はチョコレートムースか、レモンのタルトだったはず。


「……」

「クラリス様?」


 あ。

 ふと、クラリス様の食事の手が止まった。どうしたのかとクラリス様の視線の先を追うと、食堂に今入ってきたらしいアルベール王子とルカ様の姿があった。

「ノエルさん、デザートはいいの? レモンのタルトが美味しそうでしたわ」

 あっという間に女子学生の視線を独り占めし、我先にと掛けられる華やかな声に包まれながらもにこやかに手を振って返す姿から、自然に視線を逸らしたクラリス様は、そんな風に私に微笑みかけた。

 全く何にも気にしていない、理解ある婚約者の顔。

 私は思わず、眉を顰めてしまった。

 王子にも、クラリス様にも。

 だって私にはどうしても、『クラリス・ルクレティア・フォン・グランツ』という悪役令嬢を愛し推し続けてきた私にはどうしても、クラリス様があれを完全に受け入れているようには思えなくて。

 それは私の、エゴなのかもしれないけど。

「クラリス様、クラリス様は……」

「ノエルさん?」

 少し落ちてしまった私のトーンに、クラリス様がナイフとフォークを置いて心配そうにお声をかけてくださる。こんな身分が下でクラリス様の何の役にも立たない私にも優しい方なのに、クラリス様は悪役令嬢なのだと思うと、憤りすら浮かんでくる。


「ノエルさん、大丈夫?具合が悪いのでしたら」

「クラリス様は、アルベール王子に令嬢の皆様が群がっているのはお嫌ではないのですか」


 しまった、と思ったのは、虚を突かれたかのように目を軽く見開いたクラリス様の口元が慄くように震えたのを見てしまったから。震える口元がどうしても寂しそうに見えたのは、私の見間違いなのか。

 問いかけた声は抑えられていたと思うし、周りには聞かれなかったかもしれないけど、言葉はもう少し選ぶべきだった。群がるとかあんまりよい言葉じゃない。けれど一度口から飛び出した言葉はなかったことにはできない。本心から出た言葉だったからなおさら。

 震えるくちびるを、クラリス様は珍しく扇ではなくご自身のてのひらで覆った。膝の上に置いたままの扇を手にする余裕すらなかったのだろうか。私には質問はそれほどクラリス様に衝撃を与えてしまったのか。それでも、私は。

 私はクラリス様が幸せに笑っているところが……


「殿下は」

 けれど、一瞬の動揺を周囲には気づかせないよう巧みに隠して、クラリス様はいつも通りのお顔で私に笑いかけた。


「殿下は素敵な方ですし、大勢の人の声を聴くのも王族の務めですもの」

 ちらりと殿下を見やり、また私への視線を移す。

 私もまた、王族の務めを果たしているという王子を見た。一瞬だけ、アルベール王子と目が合った。王子は私とクラリス様に気づくと、いかにも営業です!というようなスマイルを浮かべた。それを真正面から受け取った私は、失礼にならないように小さく頭を下げてからクラリス様に視線を戻す。

「ノエルさんは、自分だけを見てくださる殿方がお好き?」

「もちろんです!貴族の娘としては間違っているかもしれませんが……でも……私はやっぱりちょっと嫌です……」

 王族の務めだとしても、と呟いた私に、クラリス様はほんの少し困ったように眉を下げた後で笑みを深めた。

 王族の務めだとしても、クラリス様を放ってあんなふうに令嬢の皆様に笑顔を振りまくような王子がクラリス様を幸せにできるとはやっぱりどうしたって思えない。

 こんなことをどう言っていいのか悩む私に、クラリス様はそうね、と頷いた。

「ノエルさんは、それでよいと思いますわ」

「クラリス様?」

「きっと、ノエルさんを……きゃ、」

「クラリス様!」

「申し訳ございません!」


 何か言いかけたクラリス様が小さく上げた悲鳴と切羽詰まった押し殺したような謝罪が響き、私はひどい焦燥を胸に咄嗟に立ち上がった。

 クラリス様の背後には、恐怖で顔を真っ青にした給仕係。いったい何が、と焦った私は、クラリス様の髪から、髪飾りが消えていることに気づいて、テーブルを回りこんだ。



 私はこのシーンを知ってる……!



「ノエルさ…」

「よかった!クラリス様、壊れてはいないようです!」

 クラリス様の足元にしゃがみ込み、落ちてしまったそれをそっと手に包む。

 最近クラリス様が気に入って、いつもつけていた花の髪飾り。繊細なレースとシルクの生地で作られたらしい黒ばらは、いくつかの小さな青い石が散りばめられている。まるで殿下の瞳の色のような蒼。これはタンザナイトだろうか。角度によって色を変える蒼は、サファイヤっぽくないような。鉱石はあんまり詳しくないから、正確にはわからなかったけど。今はその石が何かよりも、傷がついていないかどうかが重要だ。

「傷もついていないとは思うのですが……」

 確認しながら私が差し出した髪飾りに、クラリス様は一瞬だけ表情を固めた。その涼やかな瞳の奥に、微かな翳りがよぎる。それは憂いか、困惑か、あるいはほんの僅かな焦燥か、なぜそんな表情をされるのか判別できなかったけれど、いつもの完璧な笑みが、微かに、ほんの微かに揺らいだように私には見えた。

「ええ、ありがとう」

 手を伸ばして髪飾りを受け取ったクラリス様が、その髪飾りを大事そうに抱きしめた。

 その様子を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。

 よかった。

 そんな私たちに、不注意でクラリス様にぶつかってしまった給仕係が再度勢い良く頭を下げる。


 ああ、見たシーンだな、と私は思った。

 でも、私はこのシーンをヒロインと悪役令嬢が対立するシーンには決してさせない。


「誠に申し訳ございませんでした」

「問題はなかったので、咎めるつもりはありません。以後気をつけなさい」

「はい!」

「それと、ノエルさんにもお礼を」

「はい!エイヴァリー子爵令嬢、この度はありがとうございました」

「誰にでも間違いはあるわ。でもクラリス様のおっしゃるように気を付けて」

「はい」

 給仕係がまた深く深く一礼して去っていく。


 シナリオ通りでありシナリオ通りにはならなかったシーンが、今私の目の前で繰り広げられた。

 ゲーム内では、『クラリス様にぶつかり髪飾りを引っかけて落としてしまった給仕係に対して叱りつけようとしたクラリス様に対し、ノエルが給仕係を庇って助ける』ことになる。周囲はこそこそと他人に厳しい悪役令嬢クラリスへの噂を広げ、その代わりに心優しい少女としてヒロインを学園内に印象付ける出来事になる。

 でも今の流れなら、クラリス様を悪役と認識した人はいないはずだ。

 よし私えらい!

「クラリス様、大丈夫ですか?……髪飾り、大切なものだったんですね」

「ええ……これは兄とエリク様がご一緒に選んでくださったものなの」

「そんな大事なものだったんですか!」

 そりゃあゲームの中のクラリス様も怒るよ!と私は内心で憤慨した。だって考えてみれば、クラリス様はゲームの中でも『給仕係を叱りつけたわけじゃない』。なにか言おうと口を開いたところで、勝手に給仕係が怒られちゃう!と勘違いをして庇うように出てきたのはヒロインであるノエルだ。

 でも今、食堂は和気あいあいとしたいつもの雰囲気に包まれている。

 ヒロインと悪役令嬢の対峙なんてシーンは、なかったのだ。


 なんだか肩の力が抜けたような気がして、私はふにゃりと笑った。

 そんな私に、再度、クラリス様がお礼を言って下さる。

「なんか緊張が解けたらケーキ食べたくなってきました」

「ふふ、ノエルさんらしい。レモンタルト、おすすめです」

「クラリス様のおすすめならぜひ!」

 先ほども勧めてくださったタルトを取りに立ち上がった私の視界の端で、王子がこちらを見ていた。

 少し眉根を寄せてこちらを見ていた王子とは、今度は視線が合わなかった。

 いったい何の用で、と私も眉根を寄せたけれど、クラリス様を見ているのかと悟り、はっとしてクラリス様を見る。どうかしたの?とこちらを見上げるクラリス様の小首を傾げる角度がたまらなく可憐かつ尊くて何もかもどうでもよくなるけど、今はそんなことじゃない、あの視線は絶対クラリス様を見ていた。


 けれど、こっちに来るかも、と再度王子へ視線を向けた時には、王子はもうその場を移動してしまっていた。


 そりゃあ小さい騒ぎだし丸く収まったよ?でもそれはないんじゃない?


 こちらを振り向きもしないその様子に、私はテーブルの下でこぶしを握り締めた。


 絶対に、絶対に、あの王子なんかにクラリス様は相応しくない!と強い決意を込めて。







「エイヴァリー子爵令嬢」

 食堂から教室に戻る際中、掛けられた声に私は振り返った。幾度も聞き覚えのあるこの声は。

 そこには、自他ともにクラリス様の護衛として噂のカイル様の姿があった。攻略対象でもあるカイル様は、目の前で見るとやはりオーラがすごいけど、私に何か用だろうか。どうやら食堂から追いかけてきたらしい。何の用があるのかと思わず身構えてしまう。

「ローレンス様、ごきげんよう」

 慌てて背筋を伸ばした私に、ローレンス様は真面目な顔を少し崩し気さくに笑った。

「先ほどはありがとう。礼を言う」

「ローレンス様にお礼を言われることなどしておりませんが……?」

 全く身に覚えがない。なにかしただろうかときょとんとして問い返すと、カイル様は、「クラリス様のことだ」とはっきりと言った。

「クラリス様の?」

「ああ、あの方の名誉を守ってくれて感謝する」

「そんな!私何もしていませんよ!」

「いや、あの方は誤解を受けやすい……人目を惹く方でもあるからな。俺も咄嗟に入ろうかと思ったが。話が大きくなりかねなかったから、君がいてくれてよかった。エイヴァリー子爵令嬢の対応は、あの方の助けになっただろう」

 にこやかに笑って、重ねてお礼を伝えてくれるカイル様に、私も思わず笑顔になった。

「クラリス様は素敵な方ですもの、周りの方に誤解されるのは私も本意ではございません」

「そうか」

 カイル様のお気持ちがうれしくて私も素直にそう返せば、カイル様もまたやっぱり嬉しそうで。ああ、この人は本当にクラリス様を敬愛なさっているんだなぁと思って、また嬉しくなってしまう。やっぱり絶対、こういう人のほうがいいと思うよね、クラリス様のお相手。

「エイヴァリー子爵令嬢は」

「ノエルで結構です。クラリス様ほんっっと素敵ですよね、カイル様のようにクラリス様がどれだけ素敵かってお話しできる方がいて嬉しいです」

 クラリス様大好き仲間ができたのが嬉しくて嬉しくてついオタクとしての本性が顔を出してマシンガントークを開始しそうになってしまうのを抑え、それでも抑えることができない気持ちを込めてそれだけどうにか伝えると、カイル様は声をあげて笑った。

「俺もカイルでいい」

「そうですか?それならカイル様。こちらこそいつもクラリス様を守ってくださりありがとうございます」

「ノエル嬢は面白いな」

「そうですか?」

「クラリス様に近づくご令嬢は、警戒対象がほとんどなんだが」

 そこで言葉を切るカイル様の瞳は獰猛で、ひえ、と悲鳴を飲み込む。そんな私に、カイル様はすっと手を差し出した。

「俺では守り切れぬところも多い、ノエル嬢、どうかこれからもよろしくな」

 獰猛さは一瞬。

 あっという間に精悍で真面目な騎士の顔に戻ったカイル様が差し出してくれた手に、私は満面の笑みで自分の手を重ねた。

 クラリス様の幸せ第一の忠臣最高、クラリス様にはこういう方と幸せになっていただきたい!!!


「頑張りましょうね、カイル様!」

「ん?ああ、もちろん」







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