5
noel
高等部に進学して、約ひと月が経った。
私の生涯目標である「クラリス様を幸せにしたい!」という壮大な目標には、まだ大きな進展はないのだけど、学園での生活は思った以上に充実していた。
私たちが通うこの王立アストラル魔術学園には、初等部、中等部、高等部がある。
初等部では基礎的な学問、中等部でも基本的な魔法や王国の歴史、いわゆる数学などを習っていて、基本的には全員一律で同じ教育課程になっている。いわゆる日本の小学校中学校とあまり変わらないかな。初等部も中等部もそれぞれ3年間。けれど、上位貴族の皆さんが入学する高等部からはガラッとその内容は変わる。
専門的なコースが設けられて、自身の将来に向けての学びがより明確になるのだ。
コースは4つ。騎士魔術学科、政務魔術学科、外交魔術学科、宮廷魔術学科。
コース名の示す通り、それぞれ軍事・戦闘に特化していたり、内政や法律、経済に特化していたり。まるでお貴族様専用の職業訓練学校のようになっているんだ。
こんな細かな設定は、ゲームにはなかった。けれど、たぶんあれかな、って思うのが1つ。
このゲーム、ヒロインの名前を付けるときに、いくつかの質問があるんだよね。その質問によって、ヒロインの性格が決められるんだ。ステータスには影響しないんだけど、やっぱり攻略キャラのそもそもの好みの対応っていうのがあって、これが合致してると初期好感度がほんの少し高い。とはいえ、ゲーム内の好感度上げの方が優先だけどね。
公式にタイプ名は発表されてなくてA~Dみたいな感じだったけど、往年の伝説的乙女ゲームシステムをもとに、ファンの間では元気、知的、勝気、温和って呼ばれている。
これが多分、入る学科なんじゃないかなぁ。なんとなく4タイプでそれぞれ授業スチルの背景が違うし。
ちなみに私は外交魔術学科に入った。
これはすでに私がノエルとして前世を思い出す前から進路希望を出していて、思い出す前も私は私だったんだなと納得した。
外交魔術学科は、異文化理解、言語学、歴史学、国際情勢なんかを学ぶんだけど、これが結構面白い。各国の魔術文化や信仰体系が、どう外交に影響を与えてきたか、なんて前世じゃ絶対に体験できない授業だ。いわゆる水鏡を使った通信魔法なんてのも習ったよ。常時非常時関係なく、各国で連携を取り合うときに使うんだって。思わず「ウェブオンライン会議システム…?」なんてボソッと呟いてしまって、隣の男子に「なにそれ?」って顔をされてしまったけど。
でも知らないことを学ぶのって楽しいよね。
クラリス様を幸せにしたいのはもちろんだけど、こうして授業を受けて、改めて卒業後は外交官的な立ち位置で働けたらいいなぁと思ってる。
前世もそうだったからね、どちらかというと、内政よりも外交とかそういうほうがあっている。授業もとっても興味深いものだらけで楽しいけど、私みたいに飛び回りたい!なんていう女子は少なくって、クラスメイトは男の子ばかりだ。
当然だけど、この学園の女性は貴族の令嬢なので、卒業後はそのまま結婚する方も多くて、要職に就く方って少ないんだ。でも、貴族としてはやっぱり領地経営なんかもあるからね。夫が不在の間だってあるし、結婚して家から出なくなっても、領地経営なんかに役に立つからって政務魔術学科が女の子には人気かな。将来の王妃クラリス様ももちろん政務魔術学科だよ。
しかし王妃クラリス様……響きはいいけど、あの王子様が相手じゃあちょっとね。やっぱり不安だよ……。あの顔だから、学園の女子の皆様も首ったけで、キャーキャー言われている。それにやっぱりファンサよろしく微笑んで手を振り返したりしてるんだよね。前世で言う車の中からお手振り……と思えばおかしくはないような、でもやっぱりちょっとその軽薄さが滲み出ている気がしてやっぱり好きになれない。絶対クラリス様には釣り合わなくない? 無事に断罪を回避しても、不安が残るよね……。クラリス様の婿候補探しも課題だな。
そんなこんなで思った以上に順調な日々を送っているけれど、あくまでもここは乙女ゲームの世界。
乙女ゲームの世界なのだから、好感度を上げるようなイベントが待っているのだ。
それがこの、「新入生歓迎舞踏会」である。
あくまでも将来を見据えた学習の場なので、いわゆる社交界のお勉強ではあるのだけど、やっぱりこの異世界でのパーティーって響きはちょっとときめいてしまう。
前世はオタクだったから、陽キャの皆さんがワーワーキャーキャーしているパーティーには無縁だったけれど、仕事柄レセプションなどには多数出席してきた。まぁスーツだけどね、ビジネススーツ。でもこの世界ではもちろんドレスである。
実家の両親から、舞踏会用にってドレスも送られてきた。アプリコットみたいなかわいいオレンジ色のドレス。私が活発な女の子であることを理解しているのか、いわゆるプリンセスラインのふわふわひらひらのスカートではなく、Aラインのシルエットになっていて、デザインはかわいいんだけど、かわいすぎなくてとっても気に入った。こんな素敵なドレスを送ってくれるなんて本当にありがたい。愛されているんだなぁ、ノエル。もちろん私の頭の中にもお二人に愛されて育ってきた記憶はある。けれど中の人がアラサーとなってしまった今の私だと、なんだかしみじみと感謝してしまうよね。前世ではあんなに早く死んでしまって親不孝をしてしまった分、こちらの両親には心配なんかはかけたくない。丁寧に丁寧にお礼を書いて手紙を送ったよ。
ドレスやパーティーだけで舞踏会が楽しみなわけでもなくて。
私が舞踏会が楽しみなのはもちろん、クラリス様がご参加なさるから!
どうしたって学科が違うので、同じ学園内で同学年だっていうのにあんまりお会いできないんだよね、クラリス様……。たまに学園内のいろいろなところでお見かけはするんだけど、すれ違う時に会釈するのが精いっぱい。だって私の推しがあんなに尊いのに、不用意に話しかけられない、だって何話せばいいの?! 「クラリス様マジ尊い」とか口走って嫌われたくない。だって、最初の邂逅がないせいか、私クラリス様に嫌われていないみたいなんだもん!!
クラリス様と廊下ですれ違う時に、ちょっと道を譲って会釈をしたりすると口元に笑みを浮かべて同じように会釈をしてくださったりするんだよ????
私の推しが!
わがアルヴァート王国四大公爵家のうちの一つ、グランツ公爵家のご令嬢、クラリス・ルクレティア・フォン・グランツ様が!
悪役令嬢という不名誉なレッテルを貼られているクラリス様が!
ヒロインである私に!!!!!!
もう本当にお綺麗。見た目だけではないんだけど、見た目がもう完璧すぎる。控えめに目を伏せて、こちらへの礼を込めて口元と目元だけで微笑んでくださるの。ちょっとマジで破壊力とんでもない。そのままぼーっと見惚れていたら、クラスメイトでもある男子生徒に笑われてしまったこともあった。そっちこそあんまりにもお綺麗なクラリス様にどぎまぎしてたくせに。
「改めて諸君、入学おめでとう!」
壇上で開会の宣言をしていた学園長の手から、光が溢れ出た。
煌びやかなシャンデリアは、学園内の講堂だからイメージよりもちょっと控えめだったのに、学園長先生の魔法をまとうとまるで夢のような光景の一部に変わった。
キラキラとした色とりどりの光はシャンデリアを照らしながらまるで雪のように舞い落ちる。
それは息を呑むほどに美しい光景だった。
授業で自らも何度か使った魔法も毎回驚きの連続だったけど、こんないかにもファンタジーって感じの演出に使われると感動もすごい。
さらにそんな幻想的で美しい光景の中に、クラリス様がいるんだからもう…!!
いつもお綺麗だけど、もう本当に尊い…っ
「エイヴァリー、転ぶよ」
「あ、ごめん、ありがとう」
アルベール王子の隣に佇むクラリス様をうっとりと眺めていたら、隣から噴き出すような苦笑が聞こえてきた。私は慌ててせめて表情だけは引き締める。ふらふらとクラリス様に引き寄せられかけていた。危ない危ない。
「いや、無事ならいいよ。ちゃんと前を見ておけよ」
「はーい」
「言ってるそばからクラリス様見てるな」
「見ない選択肢あるかな?」
「……ないんだろうなぁ」
「控えめに言って女神」
「エイヴァリーも今日はいつもと違うよな」
「まぁ一応ね」
もうちょっと女の子をほめる言葉が出るところではなかろうか、と思いながら私も笑った。
私は両親に贈られたドレスに身を包み、ふわふわの髪を苦労して編み込んでまとめあげて、今日はちょっと高めのヒールのパンプスなんて履いて舞踏会に参加をしている。こういう時だけ侍女を呼んでもいいことになっているんだけど、私は自分で頑張った。
頑張ったけど、当然のことながら私が攻略を進めていないせいで、誘ってくれる攻略対象者はもちろんいなかった。
だけど、婚約者がいない生徒は結構まだ溢れていて。誘う相手のいないクラスメイトの男子たちが日本でいうじゃんけんのようなものをして、勝ち抜いた面々がクラスの女子をエスコートする権利をもぎ取った。私の隣にいるのも、その彼だ。
ランディ・フォスター。そう、彼も攻略対象者。実際のゲームでも、各攻略対象がある一定の好感度まで上がっていないと、舞踏会は彼にエスコートされることになる。
緑の髪にヘーゼル色の瞳。一見騎士コースかな?って思うくらいにはスポーツも万能だし活発なんだけど、次男坊で結構自由に生きられるから外の世界を見てみたいなって思って、外交魔術学科に決めたそうだ。クラスの人気者的なさわやかな男の子で、実際こうして気安い会話もできる。モテるんだろうなぁと思ったんだけど、結構女の子には奥手らしい。ちょっと意外。クラリス様が横を通った時に少し顔が赤くなってたんだよね。でもあれはどっちかというと普通の男の子の反応だと思う。クラリス様が特別ってわけじゃない感じ。彼のルートって私も軽くプレイしただけなんだよね。スチルは集めたいから頑張ったけど。最初から最後まで、いい子だなぁって印象がすごく強くて、きゃー!って感じにならなかった。実際にこうして転生して目の前にいても、うん、すっごくいい友達になれそうだなって思う。家格も子爵でうちと変わらないしね。そして彼と話していて気が楽だなって思う一番の原因が、「私がクラリス様にあこがれてる」のを理解しているからかもしれない。
そういうのを茶化してこない年頃の男の子って貴重。
「フォスター君、別にずっとエスコートしてなくても大丈夫だからね」
「ああ」
軽く笑って告げれば、彼もあちら側に並ぶ料理が気になっていたようで、じゃあ何かあったら呼んでくれと言ってそちらに向かっていった。近くにほかのクラスメイトの男子もいたので、合流してさっそくちょっと盛り上がっている。うん、すごく学園ものらしいシーン。そのまま見ていた私に気づいて手を振って、また男子との会話に戻る。私のところにも仲良くなった女子が寄ってきて、あっちのお菓子が美味しかっただとか、こっちのケーキが美味しかっただとか教えてくれた。アルベール王子が素敵、みたいなお声もちらほら。王子だけではない。ほかの攻略対象のキャラクターもやっぱり存在感が半端ない。あっちにいるのは3年のルカ・シルヴァーノ先輩、あちらには2年のリカルド先輩。どちらも攻略キャラ。こうしてみると本当に君クロの世界なんだなぁと実感する。パーティー会場は生徒である貴族の子女だけではなく、卒業生や来賓姿もある。もしかして3年生にとっては就活の一部だったりもするのかな。人脈づくりとかも大事だよね。もちろん、ご令嬢ご令息の皆さんのお相手探しみたいなところもあるんだろう。どこか浮足立った雰囲気は、新入生だけではないのも見ていてワクワクしてしまう。
乙女ゲームのヒロインとしてはあるまじきだけど、攻略は後回しにしている私にとってみれば、この新歓パーティーの目的は、やっぱり一つしかない。
よし、と気持ちを入れ替えて、私は講堂の奥のほうで、学園長先生と会話をしているクラリス様を思う存分眺めることにした。
本日のクラリス様のドレスはアメジストのような紫。
クラリス様の瞳の色を合わせたそのドレスは、長い漆黒の髪と相まって、控えめに言っても夜の女神のようだった。シルエットは私と同じAラインなんだけど、スカート部分にたくさんのひだが寄せられて、シルエットはシンプルなのにとっても見た目にも豪華。ウエストラインに咲く大きめの花は髪飾りとおそろいになっていて、ドレスよりも少し濃いめのラベンダーみたいな色。そこに銀糸の刺繍まで施されていて、さすが公爵家っていうのがわかる。ごてごてしないのにとっても品が良くて、それを着こなすクラリス様が本当に素敵。私がレースを使ったアメリカンスリーブのドレスなのに対して、クラリス様はフレンチスリーブのドレスなのも、すごく上品で素敵なんだよね。この舞踏会って、どうしても攻略キャラとのひと時とか好感度アップのためでクラリス様の立ち絵なかったから、ドレスめちゃくちゃ楽しみにしてたの……!
本当に想像以上。あー私転生してよかった。
「っ、きゃ……」
「あ、ごめ……ごめんなさい、よく見てなくて」
「私こそ、ごめんなさい、気づかなくて」
クラリス様に見惚れていたら、知らない男の子にぶつかってしまった。顔は見たことないから攻略対象じゃないのかな。さすがにこんなとこでぶつかってそのままってわけにもいかず、慣れないカーテシーのポーズをとって名乗ると、彼も慌てて名乗ってくれた。
やっぱり知らない名前だった。聞けば宮廷魔術学科に在籍しているんだって。知らないわけだ。気の弱そうな彼は、茶色の柔らかそうな髪を掻きながら、本当にごめんねと言って去っていく。こうして攻略対象以外の人と接点を持つのも、不思議といえば不思議で、でもノエルとして生きてきた記憶があるから、すんなりと受け入れることができる。
このひと月で、私もだいぶ、ノエルでいることに慣れてきたと思う。
でもクラリス様を幸せにするって目標がなかったら、こんなにすんなりと受け入れられなかったかもしれない。私の生きる意味、推しの存在は本当に尊い。
「って、あれ」
先ほどまで、クラリス様の隣にいたはずの王子が、女の子たちに囲まれていた。いつも通りといえばいつも通りの光景だけど、婚約者を差し置いてマジ何やってんの王子様。クラリス様の立場がないようなことしないでほしい、もしかしてクラリス様あの集団に押しのけられてるの……って、あれ、移動されてる。隣にいらっしゃるのは……
「っ」
私は思わず息を呑んだ。
美の競演。
そんな言葉が脳裏の電光掲示板を滑っていく。オタクとしては過去の様々も履修済みです。ってそうじゃなくて、ウソ、でしょ?
あれってエリク様?エリク・フォン・ローゼンクロイツ公爵?!
え、ウソなんでいるんだろう。エリク様は、私が君クロで一番いいなって思う攻略対象キャラ。隣国の王子なんだけど継承権が低すぎて今は継承権を放棄して貴族の位をもらってる方なの。いやもうとにかく美形。クラリス様と同系統の美人。そう、私の趣味はわかりやすい。
え、こんな時期に舞踏会にいたの?あ、でもどこかの攻略動画でいたの見た気がする!お会いできることはできるんだけど、この時はお会いできてもどの選択肢を選んでも好感度に変化なしなの。あくまでも隣国に留学してからでしかエリク様のルートはスタートしないから、完全に忘れてた……!
プラチナブロンドの髪とアイスブルーの瞳。服装にも仕草にも一切の無駄がない。クラリス様の隣に並んでも見劣りしないその美貌。
まさに美の競演。目の保養。推しが推しとしゃべってる。すごい最高のご褒美…
でもなんでエリク様とクラリス様、少し親しげなんだろう。エリク様は隣国の公爵で、いうなれば要人。この場にいるのも不思議だけど、クラリス様と親しいなんて設定はなかった気がするんだけどな……。王太子の婚約者として外交か何かでお会いしたことがあるってことだろうか。
考えてみたら、悪役令嬢であるクラリス・ルクレティア・フォン・グランツ様は、公式設定がものすごく少ない。私が彼女の真実の一端を知った分岐シナリオも、出すのがすごく大変な隠しルートで、ファンの間でも見たことある人は少ない。そのために幻かウソか二次創作なのではって言われているくらいで、それを見ない限り、クラリス様が断罪される理由だって、よくわからないくらいで。
でも、クラリス様はこの世界に生きている。
私の推しは、私が愛する推しは、こうしてこの世界の一員で、いろいろな方と関わりを持って生きている。知らなかったエリク様との交流も、そう思えば、新鮮な喜びに変わる。だって推しの新しい情報が知れるんだよ、最高じゃない?
クラリス様とエリク様が語らっているところに新たに現れたのは、あれは王弟のアシュレイ様だ。親しげに声をかけて会話に入っていくのを見る限り、お二人ともと親しいんだろう。アシュレイ様は攻略対象じゃないけど、アルベール王子のルートでも、もう一人の王子のルートでもちょくちょくシナリオに出てくるかたなんだよね。今はエリク様と同じように、継承権を返上して公爵家を建て、外交特使としてアグレッシブに動いていらっしゃる、というのは授業の豆知識で聞いた話。
もう一人、輪に入ったのは最近どう見てもクラリス様の忠実な騎士になっているカイル様。いやぁカイル様本当好青年。エリク様ともいいけど、真面目そうで騎士でクラリス様のおそばでいつも控えめに仕えてるカイル様も本当によい。クラリス様にお似合いだと思う。絶対幸せにしてくれるタイプじゃない? アルベール王子よりもよっぽど頼りになりそうだし誠実そうだし。
ああ、クラリス様が生きて笑っていらっしゃる。
あの断罪を何度も何度も見てきた私にとって、この光景がどんなに幸せなことか。
推しが笑って生きている。
もはやこれは極致というやつでは。
素晴らしい光景に目を細めて幸せいっぱいでほうと息を吐いた私に、戻ってきたランディがグラスを差し出してくれた。ぱちぱちと泡が中ではじけるこれは見た目はシャンパンだけどもちろんノンアルコール。そういうとこ、日本の法律のままなんだよね、とちょっとおかしく思いつつ。
「エイヴァリーって本当、クラリス様大好きだな」
と私の視線の先を見て、呆れたように笑うランディのグラスに「ごめん」と謝ってグラスをカチンとぶつけた。
乙女ゲームの主人公としては0点な私かもしれないけれど。
とりあえず今日も推しが美しく、幸せです。