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noel





「もう、アラン先生ってば温厚なのに押しが強い…」


 抱えた書類を胸に抱き直して、講堂への近道を進む。

 ノエルに転生しているという混乱から、ちょっと思考を整理したいと早めに寮を出て登校したところを、先生に捕まってしまったのだ。

 初等部から在籍しているとはいえ、私だって高等部の新入生のはずなのに。でもにこやかに笑って現れた『攻略キャラ』に、ノエルとしてはイエス以外の返事はできなかった。


 攻略キャラの一人であるアラン・ストーン先生は、学園の歴史の先生だ。

 プレイヤーがゲーム内で出会うのは授業が始まってからだけど、私は初等部からここにいるし、もちろん知っている。彼の攻略ルートは一度だけプレイしたことがあるけど、なんていうかとっても平和な日々が送れて、最終的には先生と一緒に研究者になって好きなように研究ができる!ってなるんだよね。クラリス様の断罪ルートは、このルートでも進行していて、「クラリス様が断罪されたそうよ…まぁ怖い…」みたいな噂でしか触れられない。クラリス様とかかわらないルートでも断罪されんの?!おまけに私の推しをナレ死ってどういうことよ???と攻略よりもそっちが気になってしまったために、正直記憶は薄い。ごめん先生。


 そんな先生なので、見つけた瞬間Uターンでもよかったんだけど、入学式っていうイベント前でばたばたといろいろ用意をしている教師陣を見て、大変ですね、とつい声をかけてしまったのだ。そんな私に、先生はにっこりと笑って、今から講堂に向かうのであれば、と新入生に配る手紙を講堂前の受付まで届けてくれないかと頼んできた。少し申し訳なさそうに言われては断れるわけもない。断る前に書類の束を押しつけられて、それじゃあ頼みましたよ!って去っていたので断れるわけもなかったけど。



「……」

 仕方ない。

 受付に届けるだけだし、そんな大した手間でもないし。


 あと、私がこれを引き受けたのは、これイベントにつながるっていうのもわかっていたからだ。




 入学式の前。ノエルは、スチルやシーンはなかったけど、やっぱり先生に同じことを頼まれて、近道を利用して講堂まで向かうのだ。


 その途中で。




「っ」


 突然、強く吹いた風に、胸元の書類が一枚攫われた。

 あっという間に手元を離れ高く舞い上がる紙は、いたずらな風の気の向くままどこに行ってしまうのかわからない。

 だけど。




「これかい?」

 青空に舞い上がったプリントだけを追っていた私の目の前。

 杖を片手に、こちらへ笑いかけるその人は。



「……はい、その、新入生への案内のプリントでして…」

「困っているレディを助けるのは当然だよ」


 空高く見失ってしまいそうになっていたプリントは、この目の前に立つ人の魔法の杖の少し上でひらひらと揺れている。おずおずと差し出す手を見て、杖が軽く振られると、迷子になりかけていたプリントは、私の手の中にひらりと舞い落ちた。


「ありがとうございます」

「いや、力になれたなら何よりだ」


 微笑むその姿は眩しい。

 ぐ、顔がいい。さっきのアラン先生の時にはここまで感じなかったのに。思わず目を逸らしてしまいそうなほどに眩しい。その眩しいほどの顔の良さを惜しげもなくこちらに披露してくれている方から、私は不自然にならぬように目をそらしたくて、慌てて頭を下げた。


「ありがとうございました。王子殿下の手を煩わせて…」

「気にしなくていい」


 王子殿下。

 そう、王子殿下である。

 この国の第一王子、アルベール・セレノ・アルヴァート殿下。


 これぞ典型的な王子様という金髪碧眼。ほかの追随を許さないほどの顔の良さ。スチルでもムービーでも見たはずなのに、リアルでこの目に映すととんでもなく顔がいい。顔はいいけど…なんていうかちょっと軽いっていうか。全ての女性に公平に接するその姿は、王族として立派なのかもだけど、ちょっと軽薄に見えちゃうんだよね…。それに攻略対象の中で言うなら私の好みはどっちかっていうとエリク様なんだよね。エリク様は隣国の傍系王族で、今は貴族に地位にいらっしゃる。彼のルートはストーリーの中盤で成績優秀者の必須条件である隣国留学が含まれているので、攻略する気はないけど。だって私の目標はクラリス様を幸せにすることだからね!隣国なんて行っている暇はないのだ!


 そう、クラリス様。

 そのクラリス様を幸せにするために私はここにいるわけで。

 そして目の前の王子殿下は、クラリス様の婚約者。


 頭が考えるより先、知識(私)と経験ノエルが、口と身体を動かした。


「失礼しました、私、エイヴァリー子爵が娘、ノエルと申します」

「ああ、エイヴァリー家の」


 決意を込めて名乗るシーンはゲームシナリオ通り。

 けれど私にとってこれは宣戦布告だった。


 私の推しを断罪するのはこの男なのだ。


 王子がヒロインに向かって微笑む。

 私もまた、にっこりと微笑んで見せた。


 ここまではゲームシナリオ通り。早くどっか行ってくれないかな、と私が思わないのには訳がある。

 ヒロインと王子の邂逅イベント。

 それはつまり、クラリス様との出会いでもあるのだ!

 胸の裡でぐっとこぶしを握り締める。

 ヒロインである私と二人きりでこんなところで会話をしている状況にほんの少し眉を顰め、あまり軽率なことはしないほうがいいと苦言を呈すのだ。悪役令嬢らしい登場はプレイヤーへのご挨拶のようだけど、これはさぁ多分ノエルじゃなくて王子に言ってるんだよね。軽率な行動。それをゲーム中にプレイヤーは誤解して、ノエルへのいじめに見えてしまう。違うんだってば、見ず知らずの同級生の女の子に突然ケンカ売るような方ではないのよクラリス様は!どっちかっていうと王子の身を心配して言ってるんだよね。導入的に誤解されやすいストーリーだし、むしろ誤解されるためにこんな登場をさせてるんだろうけど…。ああでもこのスチルの中で愛用の扇で口元を隠していてもなお、その姿は凛としてお美しかった、クラリス様…!



 なのに。



「それじゃあ、気を付けて。もう風に攫われないように」

「……はい…?」


 あ、あれ…?

 微笑んで踵を返した王子は、講堂とは反対方面へ歩いていく。

 私はぽかんとその姿を見送った。


 え、あれ…?

 

 どういう、こと?


 クラリス様が現れない。

 ヒロインと王子の邂逅イベント。

 軽率な行動は慎めと、悪役令嬢としてわかりやすく立場を明確にしてこの場に現れるはずなのに。


「…なんで、クラリス様が来ないの…」


 呆然と立ち尽くす私の足元に、小さな小鳥が飛んできて地面をつつむ。平和だ。青い空と、王子様の後姿を見送る私。

 乙女ゲーのヒロインとしてなに一つおかしくないシーンになるはずなのに、ここに決定的に足りないものがある。


 なんで。

 どうして、どうしてここに、クラリス様がいないの。


 胸に抱いた書類を受付に届け、私はついでに受付を済ませて入学式の会場である大講堂へと入った。王子とのイベントで時間が潰れたせいか、講堂には半分ほどもう生徒が入って思い思いに過ごしている。プリントは追加分だったらしく、間に合ったことだけはよかったけど、どうしたってきょろきょろとあたりを見回してしまうのをやめられない。

 席は自由だ。だから序列はない。でもなんとなく、暗黙の了解で前のほうの席には家格の高い子女が座る。それはゲームの知識じゃなくて、ノエルの知識。初等部からの持ち上がりで顔見知りの、または仲良くしている友人に声をかけられて笑顔で言葉を交わしながら、私は、そのお姿を探すことをやめられない。


 クラリス様がいないなんて。


 そんな馬鹿な。

 ここまで「君クロ」のゲームと全く同じ展開だったのに。もしかして私が転生者としてノエルの中にいるからクラリス様がいないなんてそんなこと。だったら私は何のために、ここにいるの、クラリス様がいないなら、この世界で私はどうやって生きていけばいいの。


 不安でうまく思考が纏まらない。指先が冷たくなっていることも気づかず、友人に促されるまま席について、それでも会話のすきを狙って往生際悪く入口へと視線をちらちらと向けていると、大講堂の空気が一瞬ピンと張りつめた後で、ざわりと揺れた。




(クラリス様だわ)

(グランツ家のご令嬢よ)

(噂にたがわぬまるで人形のような…)



 慌てて視線を向けた先。


「っ」

 開かれたままの重厚な扉から、クラリス様が姿を現した。

 息をのむほどの美しさ、とは、こういうことをいうの。



 深く艶やかな漆黒のストレート。夜闇のような長く絹のような髪は、色も相俟ってまるで光を吸い込むような質感で輝いている。黒という色が輝くのを私は初めて知った。雪のように白くて、一切の疵もない透き通るような肌。まるで夜明け前のような神秘的な紫の瞳。その中に感情はあまり見えないから、人形や彫刻のようだと周りがいうのもわかる気はした。

 何度も何度もスチルで見た、愛用の扇の奥にお顔の半分を隠されていても、その美しさは隠せない。私が、ゲームを始める前からぞっこん惚れ込んだ、はっと息をのむような美を放って、クラリス様がそこにいた。



 やばい、生の推しヤバイ。

 尊い、私の推しがこんなに美しいはずがないわけがない。

 ほんっとヤバイ、何あの美しさ…




 うっとりと見つめるしかできない私の視線の先で、クラリス様が少し顔を上げた。


「クラリス」

「殿下」


 おっと、そうか、そうだよね。認めたくないけど婚約者だもんね。さすが婚約者としての身は理解しているのか。ゲームのシナリオにはなかったシーン。だけどそれも当たり前。

 最前の席に座っていたアルベール王子が立ち上がり、クラリス様を迎えに行く。伸ばされる手に、クラリス様はほんの少し躊躇したあとでそっと手を重ねた。


「遅かったな?」

「申し訳ございません」

「殿下、クラリス様は先ほど医務室で…」

「カイル、」

「体調が悪いのか」

「申し訳ございません。御心配には及びませんので」

「無理はしないようにな」

「はい、殿下」


 クラリス様の後ろで控えるようにいたのはやはりカイル様だな!クラリス様の幼馴染の騎士様!カイル様のアルベール王子への報告は、クラリス様に遮られてしまったけど、肝心なところは伝わった。医務室にいたってことは体調悪かったのか、クラリス様…。だからあのシーンでいらっしゃらなかったんだ。ていうか体調悪いって大丈夫なの。よくよく見てみれば、横から見える頬にあまり血の気がない。真っ白で雪なような頬に色がないと、本当に人形のように見えてしまう。周りでひそひそと噂される声も、王子の物腰の柔らかさがプラスされたイケメンさとクラリス様の精巧な彫刻のような美しさを受けて、ちょっとしたミスマッチに戸惑っているようだった。並ぶとお似合いなのはわかるけど、でもなぁ…。

 それにしても体調不良って大丈夫なのかな、クラリス様。

 シナリオでは、クラリス様が病気や体調不良になるシーンはなかった。もしかして、私という存在が、シナリオを変えてしまっているんだろうか。この先、どうなるんだろう。クラリス様は幸せになるべきお方。幸せになってほしい。だってクラリス様は─




 王子にエスコートされてクラリス様が席に着く。それを見計らったように、入学式の開会が告げられた。


 凛と前だけを見つめる姿は、私が愛した推し、クラリス・ルクレティア・フォン・グランツ様。

 その隣で同じように前だけを向く王太子殿下。体調が悪かったというクラリス様へ向けた言葉も一言だけ。今も気遣う様子もなく、同じように壇上を向いている。


「……」


 やっぱり、あの王子ではクラリス様を幸せにできる感じ全くないよね。

 よし、方向性は決まった。

 私っていうイレギュラーがどうゲームのシナリオを変えていくのかはわからない。

 だけど私がすることはただ一つ、

 クラリス様、クラリス様が笑って過ごせるために、私、絶対に頑張ります!




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