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Clarice





馬車の扉が開いた。

眩しさに一瞬だけ目を細めて、差し出された手に自分の手を重ねる。学園の石畳に足を下ろし、ふぅ、と小さく息を吐いた。


「緊張していますか?」

「いいえ、少しも」


問いかけてくるのは、幼馴染でもあり、今日の護衛でもある友人。エスコートの手を放し、クラリスは使用人が差し出す鞄をすらりと受け取った。


扉が開いたときと同じように、もう一度、眩しいな、と胸中で呟いた。


入学式が始まるまでにはまだ時間がある。準備が整っていない朝早くに到着してしまった罪悪感から目をそらすように空を仰ぎ見た。新しい生活のスタートに相応しい快晴だ。高く澄んだ青空は、まるであの人の瞳のよう。

自分が早めに行動してしまったことで、時間を狂わされた使用人もいるだろう。学園ではどうだろうか。もてなしはないはずなので大丈夫のはずだが。全て確認するべきだったか。けれど、今日からここで学べるのだと思うと、心が急いてしまう。


最近は会う回数もめっきりと減ってしまった。

けれど今日からはここで、彼とまた、学びを始めるのだ。


手にしていた扇を、胸の前でぎゅっと握り締める。

いけない。

何をしているの、と自分を叱咤した。

貴族令嬢として、どこにも隙のない完璧な笑みを口元に乗せる。


私はクラリス・ルクレティア・フォン・グランツ。


幼馴染の言うように、緊張しているわけではない。

これから始まる学園での生活に不安はない。

不安を感じる隙など、クラリスにはなかった。幼い頃から、グランツ家の一員として、王太子の婚約者として、貴族令嬢として、どこに出しても恥ずかしくない女として生きてきたのだ。

誰よりも厳しい兄からも及第点は貰えている。先日国王陛下と王妃陛下に入学前の挨拶に参上した際も、お褒めの言葉を頂いていた。

だから、緊張などしない。新しいことを学べるのは純粋に楽しみでもある。

けれど、懸念が一つだけあるとすれば、それは……

いいえ、それも自分の努力次第だ。


俯きかけた視線を、クラリスは意志の力でまっすぐに正門へと向けた。


「ああ、もう登校している生徒がいるのか」


幼馴染の声に、そうね、と頷いて、クラリスはその少女を見た。


見て、しまった。


「クラリス様?!」


傾きかけた体を、とっさに支えようと伸びる腕を制し、自らの足が石畳を踏みしめていることを確かめる。小さく吐いた息を、吸い込むことさえ忘れ、私は自らの足元を呆然と見つめた。


少女はすでに学園の中へ。門の中に消えていったふわふわとしたハニーブロンドの柔らかそうな髪。画面越しではない。そう、本当に柔らかそうな髪だった。


再度、息を飲む。やはり吐き出し方が一瞬わからずに、止まる呼吸を見かねて、心配そうに手が伸ばされた。


「クラリス、顔色が悪い」


口調が昔に戻っていますわ、と声に出しかけて、あまりにも心配そうな幼馴染の顔に、少し冷静さが戻ってきた。


「問題ありません」

「あるよ」

「ないと言っています」

「あるって!」

「カイル、わたくしは問題ないと申し上げております」

「……承知しました。ですが一応医務室には……」


すらすらと淀みなく口から出てくる言葉によって、私は自身を認識した。

視線を下に向ける。鏡などない今は、こうすることでしか己を認識できない。その視界の中で、さらりとまるで生糸のように流れる黒髪。何度も眺めた扇が、手の中にある。

私はクラリス・ルクレティア・フォン・グランツ。


でも、私は──。


心配症な幼馴染のエスコートの手を不要だと断り、歩き出す。

先ほど見た少女と同じ、門の中へ。







ハニーブロンドのふわふわした髪を真っ赤なリボンでポニーテールにまとめた少女。エメラルドのような新緑の瞳はまるで宝石のようで、無機質な石に力を与えるような輝きを放っていた。一瞬だったが、一目見たら忘れられない彼女の輝き。



「あれは」

あの少女は。










あああああ、あれノエルだよね、ノエルちゃん!

ノエル・エイヴァリー!

この学園に初等部から在籍する辺境子爵家の一人娘。貧乏だけどとっても素敵な両親に愛されて育って、この学園でも優秀な成績を収めて、将来を期待される令嬢……!その中でも、悪役令嬢であるクラリスの妨害にも負けず、王子様との恋をつかみ取り、その優秀さと愛の力で、王太子妃、さらに王妃へと昇り詰める私のヒロイン……!!!


最高!え、私死んでよかった!車にぶつかった時は、さすがにちょっと考えなしだったって思ったけど、あれしか思いつかなかったし、そのおかげで転生できたみたいだし!すごく痛かったけど!異世界転生?!本当に?!ただの大学生だった私が異世界転生だなんて!オタクでよかった!

自分の身と引き換えにご老人を助けたことのご褒美?!神様ありがとう!ノエルちゃん!ノエルちゃんが生きて笑ってる姿が見られるなんて最高!つまりここは、そう、ああ素敵!私、『君クロ』の世界に転生してる……!!!!


「……推しが生きて笑って、このまま恋に突き進む姿を、この目でリアタイできるなんて……」


顔色が悪いから少し休みなさい、と叩き込まれた医務室のベッドの中。

私は手を合わせて、神に祈りと感謝を捧げた。


神様最高、本当にありがとう。


自分の立場が悪役令嬢クラリスだというのがちょっとネックだけど。

だって私、ちょっと彼女ゲームのクラリス苦手なのよね。今は私だけど。ヒロインの妨害ばっかりするし、悪事にまで手を染めてさ。でもこれはそう、悪役令嬢として彼女の邪魔をしなきゃ、いや、この妨害はこのカプのスパイスだから、やりすぎないように調整すれば、ギャラリーとしてはいい位置なのでは?

そうしてノエルちゃんとアルベール王子を成就させるべく、私は──


「……?」


また少し、呼吸が苦しくなった。

先ほどのあれは、推しに会えた興奮による呼吸困難だと思っていたけど、本当に少し具合が悪かったのかな。クラリスに胸の病気があるなんて、そんな設定もなかったはずだけど……。

そっと胸元を抑える。重く、痛みを訴えるような胸の感覚は、今は落ち着いている。

ほんの一瞬だったし、気のせいだったのかもしれない。今日のところはおとなしく休んでおこう。

悪役令嬢クラリスは、病的なくらい肌の色も白くて線も細い。儚げな美女なんだよね、クラリスの見た目。儚げな割にはやること過激だけど。けどこの細さはちょっと心配になるレベル。生まれつきなだけで、持病があるわけじゃないけど、これも今後、推しを推すため。体調管理は万全にするべきだよね。

それにしてもさすが貴族子女の休むベッド。ゲーム画面ではこんな背景なかったけど、こんな風になっていたのか。普通の保健室みたいにカーテンじゃなくて個室なのね、と思っていたら、ドアの向こうから聞こえてきた声に、私は我に返った。


「──ローレンス君、ここは先生が見ているから、君は入学式に」

「いやでも、クラリス様が──」


そう、入学式。

入学式では新入生代表の挨拶を王子がするのよね、その姿にノエルが邂逅イベントを思い出して素敵だなって……。


「っ!」


公爵令嬢クラリスとしてはあまりにもはしたなく、私はベッドから飛び起きた。


「ノエルちゃんと王子の邂逅イベント、見逃してる……っ!」


悪役令嬢として、あまりにも情けない失態を前に、私は扇を握り締めたまま、力なくその場に倒れこんだ。





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