7
いつもの時間に、いつものアラーム音に起こされる。起きた瞬間の可もなく不可もない感情も一緒だった。
洗面所に行き、目を覚ます。そのまま、キッチンに移動してコンロに火をかける。
この静かな朝の時間が、前よりも寂しく感じている自分自身に少し驚く。
目の前の卵が焼ける音を聞きながら、そう思う。
俺だけの時間、俺だけの空間。だけど、ここにはあなたがいない。
詩的に浸っているこの時間も、刻一刻と終わりが近づいてきた。
ふと時計を見ると、短針が七時を指していた。
「おはよう。相変わらず今日も早いね」
声のする方へ振り向くと、パジャマ姿ののぞみさんがいた。
「おはようございます。昨日は、すぐ寝ちゃってすみません」
「いいよいいよ。私、海人君に何もしてあげられていないからこれくらいさせて」
のぞみさんは、一息おいて再び口を開く。
「それに、乃愛ちゃんとガールズトークで盛り上がっていたから」
どこか含みを持たせた笑みを浮かべているあなたは、とても魅力的だった。
昨日から考えていたことを口にする。
「明日、三人で夜ご飯食べに行きませんか?」
今日ほど、バイトが終わる時間を待ち望んだ日を覚えていない。
「お先に失礼します」
「お疲れ様。三連勤してくれてありがとうね」
店長からの労いの言葉を、半分聞き流し店を出る。
バイトが終わったことを、メールでのぞみさんに伝え、俺は歩き出す。
海岸沿いの道を歩くと、空と海がオレンジ色に輝いていた。
この後何もなければ、しばらくこの素晴らしい景色を見惚れているところだった。
海の彼方に見える夕日に別れを告げ、乃愛とのぞみさんとの待ち合わせの時間に間に合うように急ぎ足となる。
「お兄ちゃんこっち!」
俺を見つけた乃愛が、右手を振って呼んでいる。一方、左手はのぞみさんの右手をしっかり握っていた。
「乃愛、お待たせ」
俺を見上げる乃愛の頭に手を置く。
「海人君、バイトお疲れ様」
乃愛の隣に立っていたのぞみさんが、労ってくれる。
「三連勤は、流石に疲れました」
「海人がそういうこと言うなんて珍しいね」
のぞみさんが、腰に手を当てながら店の中から出てきた。
「綾音さんもここに来てたんですか?」
「のぞみからここで夜食べるって聞いたから、せっかくなら私たちもって思って」
「そうなんですね」
「ねぇねぇお兄ちゃん、お腹空いた。早く食べに行こうよ」
「うん」
乃愛の右手を手に取り、店の中へと入っていく。
「いらっしゃい」
元気で勢いのある声が、出迎えてくれた。小さいながらも、活気のあるこの店が俺は好きだ。
「海人、こっちこっち」
綾音さんが、響く声と手招きで呼んでいた。
綾音さん家族がいるテーブルに向かう。
「海人久しぶりだな」
野太いその声は、相変わらずよく通る。
「和にぃ、久しぶり」
浅黒くよく日に焼けたその肌は、漁師の誇りだと和にぃはよく自慢していた。
「その子が、綾音が言ってた子?」
和にぃは、のぞみさんを真正面から見据えていた。
「うん、そうだよ」
綾音さんは、和にぃを指差した。
「のぞみ、これが夫の和樹」
「和樹さん、初めましてのぞみです」
「う、うん。のぞみちゃんはじめまして」
和にぃの少し上ずった声を、綾音さんが見逃すはずがなかった。
「和樹、のぞみに変な気を起こすなよ」
口調は怒っているが、目は笑っているのは、信頼しているからだろう。
「分かってるって」
和にぃは、恥ずかしそうに頭をかいていた。
「ママ、私これ食べたい」
心音ちゃんが、メニュー表でお好み焼きを差していた。
「乃愛もそれがいい」
「わかったわかった。順番な」
次々と運ばれてきた料理に舌鼓を打ち、六人の笑い声が店内に響いていた。
喧騒があふれる店内と打って変わって、外は静寂に支配されていた。
今日は、星が瞬いて綺麗な夜だった。
「僕たちの分も出してくれてありがとうございます」
「私たちは、出したくて出してるだけだよ」
「そうそう」
綾音さんと和にぃは、お互いに目を見合わせ、笑いかけてくれた。
月と星々に照らされるこの二人のような大人になりたいと思う。
綾音さんたちと別れ、三人の靴音が夜の町に響いていた。
「乃愛、お好み焼き美味しかった?」
「とってもおいしかった」
乃愛の笑みを見たら、外食をしたという選択は間違っていなかったと安心した。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんはおいしかった?」
「美味しかったよ」
のぞみさんと異なり、俺は頷いてこたえる。
「明日綾音さんにお出かけ誘われたんだけど、海人君も一緒に来る?」
「乃愛も行くんですか?」
「乃愛ちゃんも行くよね」
乃愛は、勢いよく首を上下に振る。
「それなら俺も行きたいです」
「海人君ならそう言うと思った。綾音さんに伝えとくね」
のぞみさんからの思わぬ提案に、明日が待ち遠しく感じる。