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こんな田舎にも、怪談というものは存在する。
その昔、この地は漁場としてそれなりに栄えていた。そして、海の神様を祀った大きな神社があったそうだ。この土地と人々を見守ってきたその神社は、憩いの場でもあり人々の祈りの場でもあった。
しかし、いつしかこの町の活気も時代と共に無くなっていった。町を見守ってきた神社に訪れる人も次第に減っていき、ついには神主までもが跡継ぎがいないこともあって管理する者がいなくなった。その結果、今では廃寺になっている。
本題はここからで、廃寺になったその地は夜になると、女の人のすすり泣く声が聞こえただとか浮遊する火の玉を見ただとかの話が、今現在になっても絶えることはない。特に、境内の奥にある祠は、いわくがあるらしく好奇心旺盛で怖いものがない子供たちさえ近づくことはないらしい。その祠に近づいて生きて帰った者が、いないだけかもしれないが。
「海人君の話し方が上手で、背筋が少しゾクッとしたよ」
八月も後半に差し掛かったのに、相変わらず気温は恐ろしいほど高い夏の昼下がりに気分だけでも涼しくなろうと怖い話を披露した。
「廃寺や管理されていない神社に、動物の霊とかの低級霊が集まってくるのはよくある話らしいですよ」
「でも、それって作り話でしょ?」
「目に見えるものが真実とは限らないって言いますけどね」
「怖いこと言わないでよ」
怖がっているのぞみさんを、見ていたら妙案を思いついた。
「今夜、作り話が本当なのか嘘なのか確かめに行きませんか?」
俺の提案に、のぞみさんは露骨に嫌な顔をしていた。
「乃愛もいきたい!」
さっきまで昼寝をしていた乃愛が、話を聞いていたのか賛成してきた。
「決まりですね」
思わず口角が上がった俺を見て、のぞみさんは睨み返していた。
夕食を食べた俺たちは、夏の夜の小さな冒険に出かける。今夜は、空気が澄んでいるようで星々が瞬いていた。そして、俺たちは明かりが全くない真っ暗な山のふもとまでやってきた。
「俺の後をしっかりついてきてください」
家から持ってきた懐中電灯のスイッチを入れる。
俺、乃愛、のぞみさんの順番で例の神社がある山へと踏み入れていく。山と言っても、高さはそれほどなく、少し歩けば神社もすぐ見えてきた。
廃寺の名の通り、何年も人の手が入っていないことはその外観を見れば明らかだった。赤い塗装も剥がれ、朽ちている鳥居は、久方の来訪者にどんな想いなのだろうか。鳥居を見上げた俺は、木々の間から漏れ出た星々の光に照らされていた。
「乃愛ちゃん走ったら危ないよ!」
のぞみさんの声で、現実に引き戻される。
鳥居を超えて走り出している乃愛の姿を、視界に捉えたのと同時に、俺も走り出していた。
すぐに追いつき、乃愛を止める。
「暗いから俺とのぞみさんから離れるな!!」
「ごめんなさい」
泣き出しそうな乃愛を見て、強く言い過ぎたことに気づく。
「いきなり大きい声出してごめんな。分かってくれたらいいから」
そう言って、乃愛の頭を撫でる。
「はぁはぁ。二人とも急に走り出すのはやめて」
膝に手を当てて、息を切らしているのぞみさんが文句を言う。
「のぞみさん怖かったんですか?」
額に汗が滲んでいるのぞみさんを煽る。
「そ、そんなことないよ!」
動揺を隠しきれていないのぞみさんは、見ていて面白い。
「思ったより大きな神社だったんだね」
のぞみさんが、辺りを見回した。
水が枯れている手水舎、所々石が崩れている参道。そして障子が破れ、中が見えている拝殿。
今はもう存在しないここに訪れた数多な人々の活気を想像する。
「お兄ちゃん、ここに犬がいる」
乃愛に呼ばれ、視線を向ける。
乃愛が見上げていた先には、二匹の狛犬が鎮座していた。
「乃愛ちゃん、これは狛犬だよ」
「こまいぬ?」
乃愛が、のぞみさんの説明に首をかしげていた。
「狛犬は、悪いものから神様を守ってくれているんだよ」
のぞみさんも、狛犬を見つめる。
乃愛が、再び狛犬を見上げ、少し背伸びをして狛犬の足を撫でた。
「こまいぬさん、えらいね」
幾年の間ずっと神を守り続ける二匹に、乃愛の優しさがどうか届いて欲しいと願った。
しばらくの間、俺は思いを馳せていた。
「海人君、あそこに何かあるみたいだよ」
のぞみさんの声で引き戻される。
のぞみさんの指を差した先には、神社の奥から森に続く一本道が見えた。
一本道に近づくと、右手に祠のようなものがあるのに気づく。俺たちは、祠の前で手を合わせた。
何かに惹きつけられるように、何の疑問も持たずに奥へと進んでいった。生い茂っていた草木が、途端になくなり視界が急に開けた錯覚に陥った。
「きれい」
誰かがそう言った。
目の前には、星月夜の下に青々とした芝生が広がっていた。そして、小川のせせらぎも耳に届いた。
生きてきた中で、見たことのない絶景に息を呑む。
気がつくと、乃愛が芝生に踏み入れていた。続いてのぞみさん、俺の順で入っていく。
示し合わせることなく、俺たちは芝生の絨毯に寝転がり、星空観賞をする。水の音が、安らぎをもたらしてくれた。
この場の神聖さに、誰一人口を開くことはなかった。天空による賛歌が聞こえてくるような夜だった。
翌日、もう一度三人で神社に行ったが、あの芝生が広がる場所も祠も一本道すら見つけることは出来なかった。不思議な夏の夜の思い出として胸に刻まれた。