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静けさが支配するこの時、海からの風が安らぎを与えてくれる。
港町は、寝静まるのが早い。
虚空に響く靴音が、波のさざめきにかき消される。
家にたどり着いた後、布団に入るまでの労力に若干の憂鬱さを感じる。
目に飛び込んできたのは、街灯の下で座り込んでいる人の姿だった。
その姿を認識した瞬間、駆け出していた。
「大丈夫ですか?」
肩を揺らしながら、問いかける。
声が届いたのか、長く綺麗なまつ毛が動いた。その刹那、目の前に居る女の人の澄んだ瞳が鼓膜に飛び込んできた。
「こんなところで寝ていたら、風邪ひきますよ」
右手を差し出し、起き上がるのを助ける。その人は、差し出された手を少し強めに引き、立ち上がる。
彼女の顔が、街灯の光に照らされた時、記憶の引き出しが開いた気がした。
この人どこかで・・・
「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
「いいえ」
「すみません、人違いです」
「いいえ」
彼女の落ち着いた声は、聴き心地が良い。
「ところで、こんな夜遅くにお散歩?不良少年君」
少し上ずった語尾が、からかわれている証拠になった。
「バイトの帰りですよ。酔っぱらいのお姉さん」
「こんな時間に帰ったら、お母さん心配するよ」
思わぬカウンターに、何も返せず視線を逸らしてしまった。
しばしの沈黙は、未熟の俺には長く感じた。
「ごめんなさい」
彼女が出した答えが何か分からないけれど、この人が謝ることじゃない。
「大丈夫です。僕の方こそ、気まずくしてしまってごめんなさい」
頭頂部に何かが当たった感触があった。
二人の男女が、薄く雲がかかった夜空を見上げる。
霧のような糠雨が、僕らに降り注がれた。
「家で雨宿りしませんか?」
「お風呂までありがとうね」
白熱灯の下、タオルを首にかけたその女の人に俺は見惚れていた。
電子レンジが、鳴る。
「これ、残り物ですけど良かったら」
「良いの?」
「妹と二人で食べても余りそうなんで」
「ありがとう」
冷蔵庫を開け、冷えた麦茶を手に取る。
氷の入ったコップの音が、この空間に響いた。
料理を前にして、手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
ひどく乾いた喉に、冷えた麦茶を流し込む。
「すごく美味しい、これ君が作ったの?」
「はい」
目の前の人の言葉が、どうしようもなく嬉しくて。
「私ね、記憶が無いの」
「え?」
思わず箸を止め、相手の顔を見る。
「本当だよ。私が何者なのか、どこに帰るべきなのか分からないの」
突拍子もない話に、理解が追いつかない。
「まだ酔っぱらっているんですか?」
「そうかも」
いたずらっぽく笑う彼女に、遊ばれている気がする。
「ところで、相談なんだけど、、」
「はい」
「私をここに泊めてくれない?」
週二回投稿できるように頑張ります。