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絵本の向こうのシンデレラ

作者: 寒雀

マジ長い。暇なひとはどうぞ。

基本的にディズニーのシンデレラのもじった感じになっていますので、「本家しか勝たん」というひとはお控えください。あとシンデレラと王子様の扱いが可哀想なので、その二人が推しなひともやめたほうがいいかもしれないかもしれない……。あくまでネタとしてお願いします。





 始まりは、立ち寄った本屋で偶然見つけた絵本を手にしたことだった。





 それは、何の変哲もないある日のこと。

 好きなマンガの新刊が発売されたと聞き、わたしは近くの本屋に向かった。


 中学、高校を卒業して、今は大学生のわたし。

 部活に勉強にと追われていた高校生の時ほどではないけれど、部活の代わりにアルバイトが一日のスケジュールに追加された今も何気に忙しい。この目まぐるしい日々には、好きなマンガ、もといそれに出てくる推しという精神安定剤が必要不可欠なのである。


 ということで、わたしは暇を見つけて本屋へと向かったのだ。





 無事にお目当てのマンガをゲットしてさあ帰ろうと踵を返した時、ふと目立たせるように立てかけられた本が目についた。

 幼児向けの絵本コーナーに置かれた、一冊の絵本だ。表紙が厚く、角が丸く作られていて、素朴な色鉛筆のイラストが表紙に躍っている。真ん中に描かれているのは、金髪に青いドレスを纏ったかわいらしい女の子。

 大きくその上に印刷された題名には、一人の女の子の名前があった。


 その名前は、シンデレラ。



 言わずと知れた、童話『シンデレラ』である。



 懐かしい。

 そんな気持ちに駆られ、わたしは衝動的にそれを買ってしまった。







 家に帰ったわたしは漫画を読むのもそこそこに、絵本に手を伸ばした。

 ぺらり、とページをめくる。

 ひらがなとカタカナだけで構成された、単純かつ幼児向けな文章で、お馴染みの物語が綴られていた。



 いつも継母や義理の姉たちに虐められていたシンデレラ。

 王子様のお城で舞踏会があったときも行かせてもらえず、悲しくて泣いていたところに魔法使いが現れた。魔法で美しいドレスに着替え、カボチャの馬車に乗って舞踏会に参加したシンデレラは、王子様に見初められ一緒に踊る。しかし12時の鐘が鳴ると魔法が解けてしまうことを思い出して急いで帰っているうちに、お城の階段で履いていたガラスの靴を落としてしまった。

 王子様はシンデレラのことが諦めきれず、国中の女性にガラスの靴を履かせてサイズが合うひとを探す。そのうちにシンデレラを見つけ、見窄らしい少女だったシンデレラは王子様と結婚した。そして、いつまでも幸せに暮らしましたとさ……



 というのが、『シンデレラ』の簡単なあらすじである。

 もちろん童話というのはご都合的なところも多くて、『好きなひとの顔くらい覚えんかい』とか『ガラスの靴って安全面とかどうなの』とかいろいろツッコミたいところもあるわけだが、それを差し引いたって昔から愛され続けてきたのがこの物語だ。

 煌びやかで美しいガラスの靴。汚れた服が、杖の一振りで綺麗なドレスになる奇跡。平凡な女の子が、王子様と結ばれる明るい物語。


 きっと『シンデレラ』は、世界中の子どもたちに甘やかな夢を見せたに違いない。


 そしてわたしも、その子どものうちの一人だ。

 小さい時は素直だったからご都合なところにも文句をつけることはなかったし、きらきらした物語に胸を躍らせた。

 ………なんて、昔の話だけれど。

 弱い立場のひとが簡単に極上の幸せを手にすることができるほど、この世界は甘くない。社会人になってから痛いほど思い知らされたことだ。

 わたしはぱらぱら、とページを繰る。

 最後のページ、王子様の隣に並んで微笑むシンデレラは何とも嬉しそうだ。最初のページに戻れば、彼女は顔を悲しみに染めて床を雑巾で拭いているのに。

 最初と最後ではすごい違いだ、と思わずくすりと笑った、その時。



『何を笑ってるの!?』



 キンと甲高い声が耳を刺した。

 わたしは大きく目を瞠って、顔を上げた。

 辺りを見回す。


 一人部屋はしんと静かだった。


 よく考えれば、ここにわたし以外の人間がいるのはあり得ない。だってわたしの部屋なのだから。結婚相手も彼氏も両親も、ここにはいない。


 ここに人間はわたししかいない。



 では、誰の声?



 するともう一度、声がかけられる。


『一体どこを見てるわけ!?ここよ、ここ!』


 その声は、自分の手元から。


 まさか。でもそんなはずは────。


 それでも万が一と、わたしは手元を────『シンデレラ』の絵本を見下ろす。



『やっとこっちを見たわね!さっさと気づきなさいよ!』



 ああ、なんてこった。

 一番あり得ないと否定していた選択肢が正解だったなんて。

 そう。



 声を上げたのは、絵本の中の、俯き悲しそうな顔をしていたはずのシンデレラだったのだ。


 それもしゅんとしょげた顔なんてかなぐり捨てて、怒りに顔を赤くしたシンデレラが。





 とはいえ、状況が理解できないわたしである。

 だってそうでしょ、ファンタジー小説の世界じゃあるまいし、喋る絵本なんて見たことも聞いたこともなかったんだから。近所迷惑かもと悲鳴をギリギリで飲み込んだのを褒めてほしいくらい。

 驚き硬直するわたしを差し置いて、シンデレラは騒いだ。

『さっきも言ったけど、一体何をにこにこ笑っているの!私は馬車馬みたいに働かされてるのに!』

 騒がしいキンキンとした金切り声が響く。

 それにしても、まさか絵本の中の絵が喋るなんて。意味不明すぎる。

 疲れてんのかな……。



『ちょっと!聞いてるの!?』


「ゔっ」

 ガン、と殴られるような高音で現実に引き戻される。高校時代吹奏楽部でピッコロを吹いてたわたしでさえキツい高音だよ、この声。

 現実逃避しかけた目線を戻せば、シンデレラはますます苛ついている。

 やばい、怒らせちゃったっぽい。いや、さっきからずっと怒ってるんだけど。

『全く、どいつもこいつも低脳な猿ばかりね!どうして、わたしを助け出そうとか誰も思わないのよ!?こんなに困ってるのに!この!私が!!』

 プリンセスにあるまじき暴言を吐くシンデレラ。

 しかもいつの間にそんなに自己肯定感が高くなったのだろう。シンデレラって、そんなひとのイメージないんだけど……。

 しかし尚もぷんすか怒り、地団駄を踏んだシンデレラは『もう決めた!決めたわ!』と大声を上げた。



『私、もうこんな報われない生活はもううんざり!お前に全部、押し付けてやるわ!』



「……………えっ!?」

 わたしは思わず声を上げた。



 ちょっと待って。

 今、『押し付けてやる』って言わなかった?

 それって、まさか………!?



 何をする気なのか想像がついて、わたしは慌てて本を閉じようとした。

 早く、早く、これを本棚に戻すんだ。『押し付けられる』前に!

 でも、シンデレラはそれを許さない。そのページが閉じられるより早く、色鉛筆で彩られたかわいらしい手がぎゅっとわたしの手首を掴んだ。恐ろしい力だ。

「は、離してっ」

 そう言おうとしたのに、声が出ない。どうして。

『お前なんか、不幸せになってしまえばいいんだわ!私みたいに、虐められればいいんだわ!』

 シンデレラの金切り声。色鉛筆の薄橙の腕が、とんでもない力で本の中へ引き摺り込もうとする。

「や、やめ………っ」

 必死に足に力を込めて踏ん張ろうにも、時すでに遅し。体は本の中へ動いていく。

「やめて────」

 振り絞った悲鳴も、誰にも届くことはない。

 やがて、目の前が眩しい光に包まれて。


 ふっと意識が途切れた。


 ◇◇◇


 はっ、と目を覚ます。



 わたしは、小さな部屋のベッドの上で横になっていた。



 視界いっぱい映る、茶色い木の天井。その端っこにぼやけて見える花柄の壁と、上品なタンス。

 その部屋は日本とは程遠いテイストで、中世のヨーロッパみたいだった。見たことないから想像でしかないけれど。

 もちろん、見覚えなんてない。

(こ、ここは……)

 どこだ、と心の中で呟こうとして、さっきの出来事が蘇る。

 そうだ、わたし、家で『シンデレラ』を開いた時にシンデレラを怒らせてしまって、本の中に連れていかれたんだ。

 ここはどこからどう見ても家ではなくて。

 というか、もはや自分の記憶にあるどこでもない。

 ということは。


 まさか、絵本の世界?


 本当に、引き摺り込まれてしまったのか……。


 思わず起きあがろうとすると、気を失ったあとぶつけたのか頭がずきんと痛む。

 思わず「ゔ」とうめくと、つんと澄ました二つの声がした。


「急いで起きようとしないで」

「あなた、地面に頭を打って倒れてたのよ」


 入れ違いのようにかけられた、聞き覚えのない声。

(だれ………?)

 わたしは目だけでその声たちを追った。

 そこには、美しいドレスを纏った女性が二人いた。

 綺麗な茶髪と、ふわふわの黒髪の二人。顔立ちはとてもよく似ていて、背格好もそっくりだ。きっと姉妹か双子なのだろう。

 『シンデレラ』の内容を思い出してみる。

 シンデレラの家族構成といえば、継母、そしてその娘たち────いわゆる、義姉である。

 ということは、その義姉がこの二人ということか。

(思ったより優しいんだな……)

 わたしは失礼にもそう思った。

 だってシンデレラの義姉たちって、物語の中ではシンデレラを弄ってばかりだったから。こんな心配をしてくれるなんて、とっても優しいでしょ。

 ………いや、自分がシンデレラとすり替わったなんて、ま、まだ確定してないんだけどね……?いや、あの、も、もしかしたら、実は義姉って三姉妹でわたしもそのお姉さんの一人かもしれないし?


 閑話休題。

 とりあえず、心配してもらったのでお礼を言っとく。ひととしての常識だよ、常識。

「あ……気遣っていただいて、ありがとうございます」

 敬語で合ってんのかな、シンデレラの口調がわかんない。

 これでいいのかな……まあいっか。どうにでもなれ。

 ちらり、と二人の表情を盗み見る。


 二人は揃って、何か未確認生物でも見るような顔をしていた。


 ぴき、と空気が凍りつく。


 わー!

 やめてその顔!わかってるよ、なんか間違ってたんでしょ!ごめんってば!


 その目線に怖気付き、心の中でびゃあびゃあ騒いでいると。

 黒髪の方がその顔のままぼそりと言った。

「……そ、それじゃあ。しばらく仕事はなしにしてあげるから、大人しく寝とくのよ」

 茶髪の方も頷く。

「そ、そうそう。また動き回られて怪我されても困るし。あ、これ、冷やしたタオル。頭に乗せときなさい」

 どこからか濡らした布を取り出して、額に置いてくれた。


 冷たい。気持ちいい。ありがたい。


 やっぱ神だよこの二人。


 しみじみお礼を言った。

「何から何までありがとうございます……元気になったら何でも言うこと聞きますので……逆立ちして町内一周でも何でもしますので……」

 町内一周どころか逆立ちもできないんだけどね。ていうか、それ以前に側転もできない運動神経皆無人間、それがわたしである。体育の成績はいっつも悪かった。

 お義姉さま方も戸惑い気味である。

「いやそこまでしなくていいんだけど……」

「ま、まあとりあえず、私たち行くから。今日一日は寝てるのよ」

「はあい」

 返事をすると、二人は訝しげな顔のままそそくさと部屋を出て行った。ひそひそ囁く声が聞こえる。


「聞いた?『ありがとうございます』って」

「聞いた聞いた。あの『傲慢シンデレラ』が、お礼を言う日が来るなんてねえ。頭打っておかしくなっちゃったのかな」

「かもよ。でも私は、あっちのシンデレラの方が好きだけどね」


 その言葉を最後に部屋のドアが閉まって、ひそひそ話は聞こえなくなる。


 何だかすごいことを聞いてしまった。

 今の会話だけで、わかったのは二つ。



 一つは、たぶんわたしはこの世界の主人公であり高貴なるプリンセス「シンデレラ」と入れ替わってしまったこと。

 確定はまだできないけど、おそらく本物の「シンデレラ」は日本の大学生の「わたし」と入れ替わって、今頃家でマンガとか読んでると思う。知らんけど。


 それからもう一つは。


 本物のシンデレラは『傲慢シンデレラ』の名の通り、かなりの問題児であることが予想されること。



 ◇◇◇



 次の日。

 あの後継母さんが持ってきてくれた絶品ミルク粥をいただいて、義姉さんたちの言いつけ通り一晩大人しく寝ていると、頭を打った痛みはすっかり良くなった。

 朝日が昇る前、だいたい6時くらいに起きてしまったので(わたしは朝に強い人間なのだ。伊達に十何年も学生やってない)、二度寝はせずに状況整理に専念する。

 まず部屋に置かれた鏡の前に立ってみると、姿は当然ながら変わり果てていた。

 黒くストレートな長い髪とちまっと低い背丈、つぶらな黒い瞳を持った平均的な日本人女性だったはずの『わたし』は、ふわりと広がる金髪とすらりと高い背丈、ぱっちりした青い瞳を持った美女『シンデレラ』になっていた。

 纏う服は粗末だけれど、さすがはプリンセス。映画女優ばりにかわいいっす。


 しかしこの姿から、わたしは『シンデレラ』で間違いないことも証明された。

 昨日立てた仮説は正しかったということである。

 そしてわたしがシンデレラであるということは、この先あの優しそうだった義姉さんたち二人に虐め抜かれる毎日が続くことが予想される。『シンデレラ』ってそういう話だからね。

 もちろん舞踏会の日がやってきて、うまく魔法使いを捕まえられればこの家族とはさよならできるわけなのだけれど。

 当然わたしは舞踏会がいつなのかは知らない。よって目星も立てられない。

 痛いのは嫌だなあ。機嫌を損ねたりしないように、頑張らなくちゃ。



 話題は少し変わって、昨日聞き耳を立ててわかった範囲で家族構成を少し説明しよう。

 まずはお父さま。このひとは、わたし(シンデレラ)と血の繋がる実父である。なかなかなお金持ちのようで、この家はかなり豪邸っぽい。ただ忙しいのか何なのか、この家は留守にしてるみたいだった。

 そしてお義母さま。いわゆる継母さんである。実母はもちろん存在こそするんだけど亡くなってしまったみたいなので、お父さまの再婚相手が彼女なのだ。血は当然、繋がってない。でもミルク粥とか持ってきてくれたし、悪いひとじゃないんじゃないかな。

 そしてそのお義母さまの娘さん、お義姉さまたち。双子らしく、黒髪の方がドリゼラお義姉さま、茶髪の方がアナスタシアお義姉さまである。昨日は心配してくれたみたいだし、お義母さまと同様悪いひとじゃないだろう。

 最後にこの家の飼い猫ルシファーくん。悪魔の名前がつけられてて可哀想だけど、それはそれは悪魔的にかわいい黒猫くんである。ベッドで寝てた時にそろーっと部屋に入ってきて、足の上で昼寝を始めたときは、ほんとにかわいすぎて悶死するかと思った。猫 is 神。異論は認めない。



 というのが、わたしの独断と偏見に塗れた家族紹介である。


 わたし、この家でやってけそうな気がする。





 さて、そんな時間は過ぎて朝ごはんの時間も近くなった。

 まず朝起きて一番最初に始まるお仕事は、みんなの朝ごはんを作ることらしい。早く起きられたし状況整理タイムもすぐ終わったから、ちょっと早めにキッチンまで向かって料理を始めた。

 実家で暮らしてた時は料理はからっきしだったわたしだけど、大学に入学して一人暮らしを始めてからはそれなりにできるようになった。

 今日の朝ごはんは昨日の感謝も込めて、フレンチトーストにしようかな。卵も食パンも蜂蜜もあるし。


 卵を耳を切り落とした食パンに浸して焼いていると、続々と家族が起きてきた。

 一番はお義母さまだ。寝ぼけてる。かわいい。


「んあ……むにゃ……」


 半分寝てるみたいだけど大丈夫ですか?


「おはようございます、お義母さま」

「んむ……」


 ほんとに大丈夫?


 寝ぼけ眼のままお義母さまが席に座り、トーストが焼けたところでお義姉さまがたも起きてきた。双子だから起きる時間まで一緒らしい。すごい。

「おはようございます、ドリゼラお義姉さま、アナスタシアお義姉さま」


「ふぁ……おは……」


 ドリゼラお義姉さまは、何なのその挨拶?ギャルなの?


「んう……ねむ……ってはっ!?いい匂い!?」


 アナスタシアお義姉さまは食い意地が張り過ぎて匂いで目を覚ましたっぽい。食いしん坊キャラもかわいくていいと思う。



 みんな目が覚めたところで、出来立てほかほかの黄色い食パンをお皿に乗せてテーブルに並べる。

「今日はフレンチトーストにしてみました。お好みで蜂蜜とかかけてください」

 食べるのに必須のナイフとフォーク、それからお勧めの蜂蜜の瓶を出す。メープルシロップとかかけるひともいるけど、わたしは蜂蜜派なんだよなあ。でもまあ一応、メープルシロップも出しとくか。

 ついでに甘いから喉乾くよね、と紅茶を注いで配っていると、ふとまっすぐな視線に気づく。

 配り終わって視線の先を見れば、三人がきょとんとした目でこっちをガン見していた。


 初めてオカピとか見て「すごーい。変な模様」って驚くひとみたいなその目、やめてもらえます?


「どうしました?フレンチトースト、冷めちゃいますよ」

 そう促せば、慌てて姉妹は蜂蜜の瓶に手を伸ばしだす。しかしお義母さまは変わらずこちらをじっと見ていた。

「……お義母さま??」


「珍しいわね。あなたが、自主的に働くなんて」


 その言葉に、地味にショックを受ける。

 決められた仕事くらいはやろうよ、シンデレラ。よくそれで「虐められてる可哀想なプリンセス」の顔できたなあ。尊敬しちゃう。

 するとトーストをもぐもぐ頬張るアナスタシアお義姉さまが声を上げた。


「そうです、聞いてくださいお母さま!昨日シンデレラが、ちょっと心配しただけなのに『ありがとう』って言ってきたんですよ!」


「天変地異の前触れですよ!」


 嘘!?お礼なんて普通だよ!

 天変地異の前触れって、そんなに!?

 そんなに珍しいの!?


 ぎょっと目を剥くわたしだけど、見ればお義母さまも同じ顔をしてる。


「嘘!?あのシンデレラが!?」


 わたしとは正反対の理由だけど。


 何事か、どういう風の吹き回しかと目を丸くして見つめてくるお義母さまに、苦笑いを返した。

 まさか入れ替わったなんて言えないからね、適当にごまかさなくちゃ。

「えーっと、まあその、いろいろありまして……わたしも今までの行いを反省したんです。だから、これからは真面目に頑張ります!」

「シンデレラから反省とか真面目とかいう言葉が出てくるとは……」

 そんなにヤバいやつだったのかシンデレラ。ちょっと引くよ。

 でもほんとのことは言えないの!ごり押しだっ!


「わたしは変わったんです!」


 力強く言えば、

「ふうん………」

お義母さまたちもこれ以上掘り下げるのはやめてくれたみたいだ。そうなの、と息をついた。

「……それじゃ、言った以上は頑張りなさいよ」

「お任せください!」

 きりっと敬礼をしたところで、わたしも朝ごはんとして切り落とした食パンの耳にジャムをつけて食べる。うん。おいしい。

 と、にゃーん、と甘い声とともにぽてぽてと何かやってきた。

 黒猫ルシファーくんである。今日もスーパーキュート。ふわふわしっぽと短い足がたまりません。

「ルシファーくん、おはよー♡ごはん食べようねー♡」

 食パンの耳をさっさと飲み込んで、ルシファーくんを抱っこする。

 ルシファーくんは中身が変わったはずのわたしにも訝しげな顔をすることはなくて、ごろごろ喉を鳴らして擦り寄ってくれた。もっふもふの毛皮をこっそり吸う。

 さいっこー。

 もー。かわいいにも程がないかい、君。

 やっぱ悪魔だよ。かわいいの悪魔だ君は。





 朝ごはんを食べたあとは、お義姉さまとお義母さまがたは出かけるみたいで玄関に集合していた。どうやらお買い物に行くらしい。食材とか、服とか、お菓子とか、いろいろ買うみたいだ。

 シンデレラはこの家の召使い。お出迎えせぬ選択肢はあるまい、と玄関でお辞儀をする。

「帰ってくるまでにお掃除と洗濯は終わらせておきますので」

「ええ。頼んだわ」

「はい。おうちのことはお任せください」

 そう挨拶をしたところで、あ、と思い出す。今日の天気をラジオで聞いた時、キャスターが言ってたっけ。

「……あ、今日は午後から雨みたいですよ。長くなるなら、傘を持たれた方がいいかも」

 そう言うと、お義母さまは少し目を瞠って、「……ありがとう」と呟く。


「とんでもございません。あなた様のお役に立つことこそわたしの存在意義ですので」


「いや、それだけじゃないと思うけど……」


 あれ?違うの。

 いや、まあいっか。


「まあとにかく、お気をつけていってらっしゃいませ。お帰りを心よりお待ちしております」

「ええ。行ってくるわ」

 お辞儀をすれば、お義母さまも頷く。

 そしてドアを開け、お義姉さまたちを引き連れて外へ出ていった。



 ぱたん……とドアが閉まる。さあ、家事の始まりだ。

(午後から雨だから今のうちに洗濯物を洗って乾かして……乾かしてる間にお掃除しよ)

 そして時間が空いたらルシファーくんと戯れることとしよう。

 よし。

 虐められないように、頑張らなくちゃ!




 盥で服を洗い、外の庭に干す。そして乾くのを待つ間にお掃除をする。

 もともと家事なんて好きじゃなかったし、学校の掃除の時間とかも憂鬱でしかなかったけれど。お屋敷の探検だと思えば楽しいものだ。上品な調度品が置かれた部屋たちはどれも美しくて、ハタキをにぎる手にも力が入るというものである。

 それなりの広さがあったけれど予想より早く終わってしまい、午前中が終わる頃には全ての家事が完了していた。

 なんだ。シンデレラって、思ってたより大変じゃないかも。

 そんなことを思いながら、予定通りルシファーくんと遊ぼうと周りを見渡す。リビングにいなかったので名前を呼んでみた。

「ルシファーくん?一緒に遊ぼー!」

「にゃーん」

 すると、近くのキッチンから鳴き声が返ってくる。コンロの後ろから、まるまるしたかわいらしい猫がぽてぽて歩いてきた。


 口に、ネズミを咥えて。


「ぎゃーーーーっ!ネズミーーーーー!!」


 どっかの猫型ロボットみたいな悲鳴をあげちゃったのは許してほしい。

 いやだって、ネズミだよ!?動物園とか以外で初めて見たんだもん!怖いよ!

 と、とりあえず離させなくちゃ、とルシファーくんに声をかける。

「る、ルシファーくん!ばっちいからぺっしなさい!」

「にゃー」

 ルシファーくんは心得たとばかり、ぺっとネズミを床に吐き出す。

 よかった、いい子。さすがはルシファーくんだ。

 すると、


「失礼だなあ、ばっちくなんかないぜ!」


「ぎゃーーーー!!喋ったああああ!!」


 ネズミが喋った!!

 しかも、


「そーだそーだ!お風呂は入ってるぞ!」


 なんか向こうにもう一匹いる!!二匹いるんだけど!!


 あ、終わったわ、これ。


 頭の中で終了の鐘が鳴り響く。

 ネズミ二匹。しかも喋る。

 これをわたしにどうしろと……?

 殺せないよ……ネズミどころかハエトリグモ一匹怖過ぎて殺せないんだよ……。

 どうしたらいいの誰か教えてよぉ……。

「ととととととりあえずネズミはもらうね?外に逃がすから。病気とか持ってるかもしれないし」

「にゃーん」

 そうは鳴いたものの、彼はむすっとして体を丸めてしまう。

 ああ、ルシファーくんご機嫌ななめだ。

「ごめんね……あとでなんか、サバ缶とかちょっとあげるから」

「にゃー!」

 あ、ご機嫌戻った。よかった。



 ルシファーくんの方は解決したので、次はネズミの始末である。怖いけど、いつまでも放って置くわけには当然いかないのだ。

 覚悟を決め、ガクブル震えながらネズミ二匹を手に乗せて、窓のそばへ向かおうとしたとき。

 やいやいとネズミたちが抗議した。


「おいおい、俺たちを捨てるのかあ!?」

「それはないぜ、お嬢ちゃん!」


 いやいやいや!!

 捨てるも何も養ってなんかいませんが!?!?


 心の中でツッコミを鋭く入れながらも、渋々返事を返す。

「で、でもうちには猫がいるし、ここにいても危険なだけじゃないかな……?」

 するとネズミたちは「いやいや」と首を振った。


「でもここには食べ物がごまんとあるだろ」

「その猫はお前を信用してるみたいだし、言い聞かせてもらえれば大丈夫だって!」


 最悪だ……うちの食べ物を食い荒らす気満々だよこいつら……。

 しかしネズミたちはここを切り捨てて外に出るという選択肢は全く以って存在しないみたいだった。小さな両手を合わせてお願いしてくる。


「な、頼むよお嬢ちゃん!親御さんたちには内緒でいいからさ!」

「俺たち、カラスに襲われて死ぬのだけは嫌なんだ!」


 知るか!

 何が悲しくて野良のネズミを飼わないといけないのよ!?



 しかし結局、ネズミたちを外に捨てることはできず。頼みを蹴ることもできず。

 部屋を汚さないこと、キッチンには行かないことを条件に、わたしの部屋で飼うことになったのだった。

 アーメン。




 とまあこんな感じで、わたしのシンデレラ生活は幕を開けたのである。



 ◇◇◇



 わたしがここにやってきて、一ヶ月が経過した。


 結果から言えば。


 わたしは体に一切傷をつけず元気いっぱいのまま、この生活を送っている。




 正直に言えば意外だった。

 もちろんあの初めてここにやってきた日からここの家族たちは優しいひとだって思ってたけど、盲信してたわけではない。やっぱり優しいのは最初だけでいつか虐められる日が来るんじゃないかって心のどこかでは考えてた。

 絵本のシンデレラみたいに、雑巾を握りしめて泣く日が来るのかなってちょっと怯えてた。


 でも。

 その予想は裏切られた。


 彼女たちは、本当に「虐め」とは程遠い行動しかしなかった。

 まあいっちばん最初の時に窓の埃を指で掬って(姑がよくやってるやつだ、と思って面白かった)掃除できてるか確認してたけど、それっきりわたしの家事には何の文句もつけてこない。

 お義姉さまたちも右に同じだった。足蹴にするなんてもってのほか。そんな暴力的なところは、わたし以外にも見せたことはなかった。

 当然義理の家族だから、甘やかすことはしない。

 でも義理の家族なのに、虐めはしないし心配もしてくれる。

 ご飯を作ったときは「美味しい」と言ってくれるし、家事をしたときは「ありがとう」と言ってくれる。


 自分の立場に立てばそれは当たり前なことに他ならないけれど、言われる側になってみるとやっぱり嬉しくて。

 わたしはそんな家族に心を開いていったし、家族もまた笑いかけてくれることが増えた。


 ちょっとずつ、仲良くなれてる。


 それが、何だかとっても嬉しい。


 ◇◇◇


 そんなある日のことだった。


 庭に干していた洗濯物を取り込み、お日さまの匂いの服が積み重なる籠を抱えてお屋敷の中に戻ったとき。

 お義姉さまたちが、何やらきゃっきゃっと騒いでいた。甲高い笑い声が聞こえる。

(なんだろう……?)

 お義姉さまはそこまで騒がしいタイプではない。殴り合いの喧嘩をするわけでもあるまいし、基本的には静かでおとなしい、まさしくお嬢さまであった。

 そんな二人が、声を上げて騒いでいる。

 何があったのか気になったわたしは洗濯物を手早く片付けて、とことこと彼女たちの元へ向かった。



 果たしてお義姉さまたちは、最近買ったらしいドレスを纏ってはしゃいでいた。

 ドリゼラお義姉さまはペリドットのような緑色、アナスタシアお義姉さまはトパーズのような黄色のドレス。頭にも飾りをつけて煌びやかである。

「お綺麗ですね、お義姉さま!」

 わたしは思わずそう目を輝かせて言った。一ヶ月も一緒に暮らして慣れてきたらしいお義姉さまたちは、人懐っこく微笑んでくれる。

「そうでしょう?特注で作ったのよ」

「いつもよりさらに美しいとは思わない?」

「ええ!とっても素敵です!」

 ドレスの裾を持ち上げてポーズを決めてみせる二人に、わたしはぱちぱち拍手を送る。お義姉さまたちは満足そうに微笑んだ。

 きらきら華やかなドレスはとても美しい。精巧に丁寧に作られたということが、素人目にもわかる逸品だ。

 でも。


 今日って、何かあったっけ??


 うーん、と考えてみたけれど、生憎何も思い浮かばない。

 自分の頭だけでは到底答えは出ない気がして、アナスタシアお義姉さまに聞いてみた。

「あの……どこへお出かけですか?」


「え?王子様のお城に決まってるじゃない」


 アナスタシアお義姉さまは何を言ってるんだとばかり首を傾げるけれど、わたしは驚きを隠せなかった。


 お、王子様のお城!?

 何ゆえ……!?


 ここまで考えて、はっとひらめく。

 『シンデレラ』の王子様といえば、シンデレラに恋した人物だったはず。


 今日は、お城での舞踏会なのだ!


 なるほどなるほど、わたしは非常に納得した。

 綺麗なドレスをわざわざ仕立てたのも、王子様の舞踏会に行くためだったのである。そういえばあったね、『シンデレラ』にもそんなの。


 物語の流れでこの先を考えてみる。

 確かここでシンデレラは「わたしも行きたい!」と強く思うけれど、結局は意地悪な家族たちに仕事を押し付けられて行くことができなかった……はず。ここで魔法使いの登場なのだ。


 もちろん、行きたいか行きたくないかと聞かれれば行きたい。イケメンに会いたい。あと舞踏会とか行ったことないし。純日本人なのでね。

 でもまあ正直王子様にあんまり興味はないのもまた事実。

 別にお留守番でもいいかな……。ルシファーくんもいるし……。

 そう考えていると、ドリゼラお義姉さまが何か抱えて走ってきた。

「シンデレラ、あなたも着替えなさい!」

 ぽーい、と抱えていたものを放り投げる。

「のわっ」

 ギリギリでキャッチしたそれは、何とドレス。ずっしりと重く、ピンクトパーズのような桃色のかわいらしいドレスだ。

 思わず顔を上げた。

「え?わたし、留守番じゃないんですか?」

「どうして置いていかないといけないのよ?あなただけ置いて自分だけ楽しむわけないじゃない」

 思わず問えば、かえって疑問形で返されてしまう。

 これがまさかシンデレラの義姉だなんて。信じられないよね。


 いいひとすぎるよ、ほんとに……。


 じーんときていると、ドリゼラお義姉さまははっとした顔になって「え、あ、いや、あなたを喜ばせようとか思って言ったわけじゃないのよ!?」とツンデレを発揮しだす。

「ほ、ほら!なよなよしたあんたなんかより、ルシファーのほうがよっぽど強いし!ルシファー一人でこの家は守れるわ!家にいたって意味ないから、連れて行くっていったのよ!!」

 さすがに無理だと思うけど、という野暮なツッコミを飲み込んで、わたしは微笑んだ。

「それでもいいんです。ありがとうございます、お義姉さま」

 丁寧にお礼をすれば、「……ふ、ふん」とお義姉さまはそっぽを向いた。


 はい、かわいいー。

 わかっててやってるんだったら、ほんとあざといよねお義姉さまー。

 義理とはいえ妹にかわいいって言われるとかなかなかないんだからね。わたしは姉だったからよくわかんないけどさ。



 

 

 無駄話はさておき、わたしもドレスを纏ってわくわく舞踏会を待った。

 さすがは特注ドレス、サイズはぴったり。露出こそ多くないものの、肩を大きく出すデザインはとても華やかだ。

 本来の黒髪地味っ子のわたしには勿体無いくらいだけど、シンデレラとは金髪碧眼の超絶美女である。あり得ないくらい似合ってて、外国人の顔面偏差値の高さを改めて噛み締めた。


 でも。


 日が暮れて舞踏会も始まろうという時、事件は起こった。


「キャーーーーーッ!」


 空が群青に染まった頃に響き笑った悲鳴。これはアナスタシアお義姉さまのものだ。

「いかがなされましたか!」

 ドレスの裾をたくし上げ彼女に駆け寄ると、アナスタシアお義姉さまはキッチンで大理石の床にへたり込んでいた。その顔は今にも泣きそうに歪んでいる。

 大慌てでお義姉さまに手を差し出した。

「だ、大丈夫ですか!?お怪我は……!?」

「怪我は……怪我はしてないわ……でも、どうしましょう!」

 お義姉さまは片手で顔を覆い、片手でわたしの手を握って立ち上がった。露になったそのトパーズのドレスに、思わず目を瞠る。


 その美しい布地には、べっとりといちごジャムが付いていたのだ。


「お、お義姉さま、それ……」

 戸惑いながら指をそっとさすと、とうとうお義姉さまはわんわんと泣き出した。

「ち、違う!わざとなんかじゃないわ!お、お腹が空いたからスコーンを食べようとしただけなの!」

「スコーン……?」

 首を傾げて、改めてキッチンを観察する。確かにそのお皿の上にはスコーンがあって、地面には瓶からこぼれたジャムが飛び散っていた。いかにも、手が滑って落としてしまったんです、と言いたげだ。

 お義姉さまは啜り泣きながら続ける。


「スコーンを食べようとしてジャムを出したら……ネズミがいたの!ネズミにびっくりして私、瓶を落としちゃったの……!」


(ネズミ……!?)


 わたしははっとしてキッチンをさらにくまなく観察する。

 ジャムだのチョコクリームだのが入った瓶の奥で、二匹の見覚えのあるネズミが顔を出していた。


 ジャックとガスだ。


(こんのバカネズミども……!!)


 頭の上まで怒りが駆け上がる。猛獣のような目で睨めば、二匹は震え上がった。


「ひ、ひい!そんなに怒んなってお嬢ちゃん!」

「ちょっと食べ物を失敬しようとしただけじゃないか……そこにたまたま、こいつがいただけだよ!」


 食べ物はあげるから盗るなと言ったでしょうが……頭沸いてんのかこの野郎。


 尚も言い訳を連ねるネズミたちにほとほと呆れ、そして怒りながら、しかしわたしはお義姉さまを優先することに決めた。あいつらよりお義姉さまの方がよっぽど大事だもの。

 まあもちろん許したわけではない。あの二匹は後でカラスの前に突き出す。おやつにでもしてもらおう。

 抱き合ってがたがた震える二匹に内心永遠にさよならと告げながら、わたしは改めてその汚れたドレスを眺めた。

 とてもじゃないけど、これを洗って綺麗にしようものならまず間違いなく舞踏会には遅刻してしまう。ネズミどもの躾ができてないわたしにも責任はあるわけだし、ここは一肌脱がなければ。

 わたしは「そのドレスはそこら辺に置いておいてください」と声をかけ、身に纏ったピンク色のドレスを一切の躊躇なく脱ぎ捨てた。

「しっ、シンデレラ!?何をしているの!?」

 慌てふためくお義姉さまに、わたしはドレスを渡した。


「わたしのドレスで申し訳ないんですが、お義姉さまはこれを来て舞踏会に行ってください」


 無理やり押し付けると、お義姉さまはドレスとわたしの顔を交互に見下ろした。きょとんと丸い瞳で呟く。

「え……?でも、あなたのドレスがないじゃない」

「なくて構いませんよ。行きませんから」

 わたしは汚れたドレスを抱えた。

「実を言うと、もとよりわたしは王子様にそこまで興味はありませんし。それに王子様と踊るのは、美しくて心優しいお義姉さまの方が、よっぽどお似合いなんですよ」

 頭につけていたティアラを外し、背伸びをして固まったままのお義姉さまの頭にそっと飾る。クリスタルのティアラは、燃えるような赤毛の中で白く輝いた。


「お家を守るのは、わたしめにお任せください。ではお義姉さま、お城に行ってらっしゃいませ」


 肌着一枚の姿で、汚れたドレスを抱えて。

 わたしは深々、頭を下げた。






「嫌!そんなことできないわ!」

 優しいアナスタシアお義姉さまは、舞踏会に行く時間になってもそう叫んではわたしを呼んでいた。ギリギリまでピンクのドレスを着ようともしなかった。

 でもわたしは行く気もなかったし、せっかくの綺麗なドレスなのに汚れがついたままでは着られなくなってしまう。だから申し訳ないけど聞こえないふりを決め込んだのだ。

 ずっと粘っていたけれど、やがてお義母さまとお義姉さまたちは馬車に乗って舞踏会へと出かけて行った。


 その馬車を見送るなり、わたしは服を着替えてすぐに行動を始めた。

 まずはお風呂場に行きドレスの汚れを落とす。幸い、盥にドレスを入れて石鹸で洗うとすぐにジャムは取れた。跡も残らなそうだ。

 綺麗になったドレスを掲げて、これからを考える。

 もう夜だし乾くかどうかは微妙だけど、一応干そう。このままほっといて生乾きの臭いがついても困るしね。

 そう決めて、固く絞ったドレスを庭まで持って外に出た、その時。


「あらあら、かわいらしいお嬢さん。舞踏会には行かないの?」


 歌うような声がすぐ近くでして、

「っ!?」

わたしは思わず振り返った。

 すぐ後ろの庭のベンチで、一人の女性がゆったりと座っていた。

 どこもかしこもまん丸な、ぽっちゃりした女性だ。そのタヌキのような丸い目は何とも優しそうで、ふっくらした手がいつの間にか庭に出ていたらしいルシファーくんの頭を撫でている。大切な愛猫が見知らぬひとに撫でられているのはどうしても警戒してしまうものだが、彼は寛ぐように喉を鳴らしている。慣れているのだろうか。

 いや、まあそこまでは別にいいのだ。別に。

 その服がいかんせん目を引いた。


 だってその女性は青いローブを纏って、先がきらきら光る棒切れを持って、とんがり帽子をかぶっていたから。


 その姿はまさしく────


「魔女……?」


「あら、やあねえ。魔女なんて呼ばないでちょうだいよ。あたしが悪いやつみたいじゃないの」


 小さく呟いた言葉を耳聡く拾って、魔女(?)は大袈裟にため息をつく。

「はあ……すみません」

 ぽかんと呆けるわたしに、魔女(?)は名乗った。


「私はフェアリーゴッドマザー。魔法の力であなたを助けに来たわ!」


 ………???


 何だそのネズミキツネザルみたいな名前は。

 あなたは妖精(フェアリー)なの?(ゴッド)なの?それとも聖母(マザー)なの?


 見た目はまんま魔女なのに………?


 困惑を深めスペースキャットになっているわたしを置いてけぼりに、フェアリーゴッドマザーなる女性は杖をふりふり歌うように語る。

「今日は国中の女性が沸き立つ舞踏会!それなのにあなたは、意地悪な義理家族のせいでお留守番なのね?しかも働かされて、着てる服だって粗末だわ!まるで野良犬、とっても可哀想!」

 ああ、なんて不憫なの、とフェアリーゴッドマザーは嘆く。まるでミュージカルの主人公のようだ。


 思い込みが激しすぎるよ……。

 しかも野良犬て。失礼だなこのひと。


 服が粗末なのはお下がりを貰ってるからってだけだよ。あと家事とかしてたら服ってどうしても汚れるの。


 すんと冷めた目で見つめていると、フェアリーゴッドマザーはすすすっと駆け寄って徐にわたしの手を握った。

「わ」

「悲しいでしょう?悔しいでしょう?そんな哀れなあなたに、素敵な魔法をかけて舞踏会に連れて行ってあげる!」

「え、いや別にわたしは……」

 めんどくさそうなので断るも、その手が離れることはない。ぽっと頬を染めた。

「もう!強がらないの!素直じゃなくていじらしいんだからー」

 くっそポジティブ解釈しとる。一周回って憧れるな。

 ていうかわたしこの後あのゴミネズミどもを〆なきゃいけないから、本当に行かないでいいんだけど……。

 しかしまあ、彼女がわたしの言い分を聞こうとするはずもなく。


「わたしにお任せ!ビビディ・バビディ・ブー!」


 口を開くことすら許されずに、フェアリーゴッドマザーはお馴染みの呪文を唱えて杖を大きく振った。


 途端光がその杖から飛び出して、辺り一体に魔法をかける。


 畑に実る大きなオレンジカボチャは、金の飾りが美しい立派な馬車に。

 こそこそ逃げようと企んでいたあのネズミどもは、鬣の雄々しい二頭の白馬に。

 いつの間にかついてきていたルシファーくんは、丸っこくてかわいい御者に。

 そしてわたしの汚れたワンピースは、眩いシルクで作られた水色のドレスに変わった。


「す、すごい……!」

 初めての魔法に驚いて、さすがに目を丸くする。フェアリーゴッドマザーはドヤ顔をした。

「そうでしょう?ああそうだ、これも履いていきなさい」

 ふと思い出したように言って、杖を軽く振る。空中で一瞬光が瞬いたのちに現れたそれを、キャッチしたフェアリーゴッドマザーはわたしに手渡した。

 それは透き通ったハイヒール。


 お馴染み、ガラスの靴である。


 これ割れたら破片が足に刺さるのでは……と地獄絵図を想像したところで、フェアリーゴッドマザーはにっこり笑った。

「危ないと思うでしょ?割れない魔法をかけてるから大丈夫よ!」

 騙された気持ちで履いてみると、なるほど感触はプラスチックである。これは割れなそう。硬いからちょっと痛いけど。

 さあいよいよ馬車に乗ろうとドレスの裾を持ち上げたとき、フェアリーゴッドマザーは微笑んだ。


「じゃあ、舞踏会に行ってらっしゃいな。あ、12時の鐘が鳴ったら魔法が解けるから、それまでに帰ってこないと醜態を晒すことになるわよ」


 言い方ね?


 心の中でツッコミながらも「ありがとうございます」と頭を下げて、わたしは馬車に乗り込む。中に入る一瞬前、馬に変えられたネズミ二匹にそっと囁いた。

「今回は馬車引いてくれるから許してあげる」

「うおっしゃ!マジで!?」

「さっすが嬢ちゃん!」

 尻尾ぶんぶん、鼻をぶるるると鳴らして喜ぶ二人に、わたしはにっこりと微笑んだ。


「次はないから」


「「ひえっ」」

 白馬二匹が飛び上がる。馬車がガタンと揺れた。

 ガクブル震える二人にはもう目もくれずに、わたしは御者になったルシファーくんにすすっと近寄った。

 うーん、人間になってもスーパーキュート。……もうわたしの方も重症な気もせんでもない。

「じゃあルシファーくん、お願いします。……そこの馬ども二匹は、しばいちゃっていいからね」

 そう囁けば、ルシファーくんもイタズラに笑って「仰せのままに、姫」と返す。

 気取った仕草がなんだかかわいくてほわほわしたあと、わたしは舞踏会に想いを馳せて今度こそ座席に座った。





 人生初の馬車に乗って辿り着いたのは、スカイブルーの屋根と尖塔になびく旗、真っ白な壁が印象的な『ザ・お城』だった。


 これぞシンデレラ城。である。


 窓からはオレンジ色の明るい光が漏れ、オーケストラの奏でる優雅なワルツが馬車の中からでも聞こえた。

 俄然わくわくしてきて、わたしはドレスの裾を持ち上げて馬車から飛び降りる。華奢なヒールの踵が危なげなく体を支えた。

「ありがとう、ルシファーくん。お家に帰ったらご褒美あげようね」

 わたしはルシファーくんにお礼を言って、かわいく返された会釈を合図に走り出した。

 社会人にはなったものの未だに慣れないハイヒールに足をもつれさせながらも、光の漏れる入り口のドアへとまっすぐに。


 中に入れば案の定、舞踏会は始まっていた。あちこちで男女が対になってはくるくる踊っている。ひらひらとはためくスカートが花のようで軽やかだ。

 走ったせいか乱れた髪を撫で付けて、きょろきょろと辺りを見回した時。

(………あ、)

 見覚えのある背中を三つ見つけた。

 白髪の混じった銀色の髪を結いあげシックなドレスを纏う女性と、ひよこのようにその女性につき従う緑とピンクのドレスの女性。片方は赤髪、片方は黒髪だ。

 間違いない!


「お義母さま!お義姉さまーっ!」


 声をあげて、精一杯速く足を動かして、でもなるべく淑やか(←これは自信ない)に、わたしは義理家族の三人に駆け寄った。わたしの声に振り向いた三人は、揃って大きく目を見開く。

「し、シンデレラ!?」

「どうしてここに!」

 勢い余って転けそうになったわたしを受け止めて、お義姉さまたちが二人で入れ違いに目を瞠る。わたしはにひ、と笑ってみせた。

「魔法使いの女のひとが服をドレスに変えてくれたんです!あ、ドレスの洗濯は終わっていますので!」

 えっへんと胸を張れば、二人は目を白黒させた。

「魔法使い……!?実在したの!?」

「したっぽいですね。わたしもびっくりしたんですけど」

 首をこてんと傾げれば、後ろでずっと聞いていたお義母さまは呆れたように、それでいて悪い感情は入らないため息をついた。

「全くあなたってば……洗濯なんて今度でもよかったのに。ドレスだってわたしの部屋にはたくさんあったのよ。言ってくれればよかったじゃない」

「「「えー!?そうなのー!?」」」

 姉妹仲良く、三人で声を揃える。誰も知らなかったんだね……お義母さまも出る前に言ってよ。

 目をまん丸くしている三人に、お義母さまは「まあ、助けてもらえたならいいじゃない」と顔を上げた。にっとヴィランっぽく、でもわたしにとってはいたずらにかわいく笑う。


「それじゃあ、家族揃ったことだし……みんなで楽しみましょう!」


「「「おー!」」」


 ……これから体育祭とかだったっけ?







 さて、しばらくご飯を食べたり遊んだりしていると。

 ざわわ、と何かを察したように人混みがざわめいた。

 賑やかな喋り声は鳴りを潜め、ワルツの音が控えめになる。

 空気が変わる。

 何かが起こる。

(何だ……?)

 それを察したわたしも食べる手を止めて、顔を上げた。

 どこか緊張の漂う時間が数秒。その後、誰かがお城の奥の方から現れた。


 男のひとだ。


 遠くて顔は見えない。

 純白に染められた上等そうな服を着て、あちこちを金で飾って、頭には輝く王冠をかぶっている。彼は熊のようにゆったりと足取りで家来を通り過ぎ、赤い革張りの王座にどっかりと腰掛けた。


 わたしたちは思わず息を呑む。

 あの豪華な身なり、威厳ある仕草。きっと間違いない。


 あれが、この舞踏会の主催者!


 王子様だ!


 途端、女性の波が動き出す。

 思うままに行動するのをやめて、王座の前に長蛇の列を作った。

 おそらく王子様と一緒に踊ろうとするひとが並んでいるのだろう。一人ずつ進んでは、恭しげにスカートの裾を摘んで頭を下げている。

 一気に色めき立つ会場。

 途端にテンションを爆上げするのは当然、お義姉さまやお義母さまも右に同じであった。

「キャー!王子様よ!」

「本当!私たちも並びにいかなくちゃ!一緒に踊れるかもしれないのよ!」

 恋する乙女のように騒ぐ三人。特にお義姉さまたちは大興奮だ。

 あれお義姉さま、そういえばこの前好きなひとができたばかりって言ってたはずじゃ。甘い物は別腹、的なアレ?

 すると、お義母さまがわたしの手をぎゅっと握った。

「ほらシンデレラ、ぼさっとしてないであんたも並ぶわよ!王子様と踊れるなんて滅多にない機会なんだから!」

(わたしは別にいいのに────)

 そんな言葉も、発する隙すら与えてもらえない。

「あーーーー」

 悲鳴も虚しく、わたしはずるずる引きずられていった。



 長蛇の列は少しずつ、しかし着実に進んでいく。

 遠くの女性たちは例に漏れずお淑やかにお辞儀をしてはダンスにと誘っているが、肝心の王子様はその誰の誘いにも頷いていないようだ。だから列が進むのだろう。

 もう少し列が進めば、あえなく撃沈して広間の隅っこでしくしく泣くひとまで現れた。

 かわいそうだよ……。

 思わず同情していると、「ほらシンデレラ、よそ見しない。もうすぐよ」とお義母さまに声をかけられて我に返る。

 思った以上にわたしは引きずられて、列の随分前まで来ていた。びっくり。

 そうこうするうちに順番はすぐそこまでやってきて、一つ前のお義母さまがお辞儀をしたのちに「うん。ごめんね」と無慈悲な言葉がかけられる。

 彼女はもう一度礼をして、ふわりと前をどいた。

 目の前がぱっと開け、視界いっぱいに王子様が飛び込んでくる。わたしは上目遣いに一瞬王子様を見上げた。


 そこに立っていたのは金髪碧眼の神話に出てきそうなイケメン────


────では、なかった。


(えっ………めっちゃおっさんじゃん……)


 わたしは内心、非常にがっかりした。


 そこにいたのはイケメンではない。若いひとですらない。


 髪も薄くなり、顔も弛んだ目の細い男性だったのだ。


 丸っこい……と言うと聞こえはいいけれど、同じ『丸』でもルシファーくんとかのかわいさとは比べものにもならない。ぽっちゃりしていてお腹が出てるだけだ。にっと笑うと、どストレートには言わないけど「oh………」ってなる。お願い言えないから察して。



 そうだなあ……。

 若く見積もって、30後半くらいだろうか……?


 

 いや、これはものすっごいひどいことを言ってるんだと分かってる。

 はいすみません、おっさんとか言っちゃって。がっかりとか言っちゃって。そうだよね、王子様って王様の息子ってだけだもんね、イケメンなんて保証ないし、何歳だろうが息子は息子なんだよね。人間が年取るのは自然の摂理だし。知ってたよ、とっくの昔に。もう大学生なんだもん。


 でも言い訳させてよ!


 わたしだって一人の女子なんだよ!

 ちっちゃい時にはイケメンの王子様にときめいてきた女子の一人なの!


 それなのにいざ会った王子様はこんなおじさんだなんて……ちょっとひどくない!?!?

 ね、わかるよね!?誰か頷いて!?



 なんて心の叫びは押し殺して。

 わたしは恭しく頭を下げて、腰を低く低くして、深々お辞儀をした。

 王子様からの返答はなし。こちらの様子を伺っているようだ。

 うおおお!悩むな!

 このがっかり顔が見られたくなくてしかたないんだ今!さっさと飛ばしてくれ!

 あと普通にこの体勢きっつい……!!


 しかしこう言う時に限って、不幸というのは降りかかるものだ。


 地獄のような数秒後、声が降ってくる。



「本当に美しい。お嬢さん、ぜひボクと一緒に一曲お願いします」



 その言葉と共に差し出された、皺が刻まれ脂ぎった手。

 顔をそっと上げれば、に、と王子様がこちらを見ていた。


 おいおい、嘘だろ………?


 みんなの妬ましげな視線が痛い。いいよ誰でも来たまえよ。喜んで変わったげるよ。

 でも断るなんて当然選択肢ない。そんなことすりゃ打首だ。

 わたしは全てを諦めた。


 その手にそっと、自分の手を重ねる。


「まあ。光栄ですわ」


 わたしはそう、全力で微笑んだ。



 がんばれ日本人。愛想笑い得意だろお前。


 やり通してみせろ、時計の鐘がなるその時まで。



 あれ、王子様と踊れることになったのに……。

 なんか、『シンデレラ』らしいときめきを感じないんですが……。


 ◇◇◇


 1、2、3、1、2、3………

 ちらちら時計を盗み見て魔法の切れるタイムリミットを待ちながら、しかし頭の中では四分の三拍子を数えて、同時に足の動かし方も思い出して、わたしはワルツのステップを踏む。この作業だけで大変すぎて脳が焼き切れそうだ。

 そして自分の手を握り心底嬉しそうにほくそ笑むのはおっs……ごほん、王子様だ。

 なんとまあ嬉しそうな笑顔ですこと。一体何を妄想していらっしゃるのやら。何でもいいしどうでもいいけど、巻き込むのだけはごめんあそばせって感じだね。

 そして自分たちがいるのは大広間のど真ん中。一番注目されるところだ。今も、色んなひとの視線と話題にさらされている。


 ああ、ワルツなんて吹き飛んでしまう!悪口と嘲笑が聞こえてくるようだ!

 人見知りにはきつい……!


 対して上手くもない王子様のエスコートに暴れ牛にしがみつくロデオの選手の如く食らいつきながら踊っていると、ふと視界の隅に見慣れた三人が映る。

 義理家族三人組だ。

 目が合うなり、三人は腹いっぱいの声を投げかけてきた。

「やったじゃないシンデレラー!」

「素敵ー!さっすがうちの妹ー!」

「とってもお似合いよぉー!」

 心優しい言葉にじーんとくる。


 ありがとうございます皆さま……あと最後のやつはあんまり嬉しくないかな……。


「優しい家族をお持ちなんだね」

 王子様の声に我に返る。その顔を見上げれば、に、とさっきと変わらない笑みを浮かべた丸顔があった。

 家族は自慢なので、愛想笑いではなく本物の笑顔を浮かべた。

「ええ!皆さま素敵な方ばかりで、わたしほんとに幸せなんです!」

 すると、その瞳がふっと深まった。繋いでいた片手を離し、わたしの顎に手をやる。

 に……いや、にやり、と笑った。


「その花咲くような笑顔、本当に素敵だよ」


「えっ、あ……ありがとうございます」


 手以外はお触り厳禁でお願いしますッ!!





 そんな地獄のような時間を、いったいどれだけ過ごしただろうか。

 時計の針はゆっくりゆっくり、牛どころかカタツムリの歩みで進み。

 ようやく、十一時五十分────魔法が解ける十分前を指した。


 あと十分で魔法は消える。

 魔法が解ければわたしはドレスじゃいられない。

 だから帰れる!


 っしゃあ!終わりだ!よく頑張ったよわたし!

 あとでルシファーくんに甘やかしてもらうんだから!!ご褒美のケーキとかも買っちゃうんだから!!


 脳内でオオカミが吠えるような喜びの咆哮が聞こえるけれどそれもなんとか押し殺して、わたしは極めて名残惜しげにそっとその手を解いた。

「ごめんなさい、王子様。わたし、十二時までにはここを出なくちゃいけないんです。外せない用事があって」

「え、そうなのかい」

 王子様は残念そうな顔をした。そしてなおもわたしの手を再び掴む。

「ね、あと少しだけ。少しくらい、遅刻したっていいじゃないか」

 おいマジかこいつ……。

「……本当に遅刻できない用事で……申し訳ありません。名残惜しくて仕方ないですわ」

 最後の情けとばかり甘えるように王子様を見上げて、しかし手を優しく外した。お前が何と言おうが、わたしはここを出るんだ!十二時になる前にっ!

 しゅん、と俯いて上目遣いに見上げたわたしに、さしもの王子様も諦めたようだ。渋々頷く。

「……そうか。またすぐ、舞踏会を開こう。その時はまた、お相手よろしくね」

 もう行かないから安心してよ。

「ええ。わたしも楽しみにしています。それでは」

 本音とは正反対の建前を囁いて、わたしはスカートの裾をつまみ深々礼をする。

 そして踵を返すなり、足早に出口へと急いだ。


 さあ、ミッション達成!

 ガラスの靴?んなもんどうでもいいわ!とりあえず今は帰るのが最・優・先っ!


 それだけを胸に、わたしは駆けた。




 ◆◆◆


 王子は一人、取り残された。


「………」

 さっきまでこの手を握り踊っていた相手は────外せない用事があると言って自分の手をそっと離したその美しい少女は、ふわりとスカートを靡かせて出口へと消えていった。

 軽やかなその足取りや背中は、森のウサギのようでかわいらしい。

 いや、かわいらしいのは背中だけではない。まばゆい金髪も、ぱっちりした青い瞳も、白く清らかな肌も、あどけなく丸いほおも、華やかな笑顔も。全てがかわいくて、美しくて、魅力的だった。

 思い出すだけでも、幸せな気分になる。手のひらに残る温かな体温と、鼻腔の奥の甘い香りが麻薬のように理性を溶かす。

 あの時間は十分すぎるほどに満ち足りていた。

 だから、帰ってしまっても見苦しく執着したりはしない。常人ならそう考えるに違いない。

 でも、それでも、王子は違った。

 諦められなかった。

 もっとあの子と踊りたい。いやいや、踊るなんてだけじゃ物足りない。

 あの子を自分の隣に置きたい。毎日触れて、抱きしめて、キスをして。あの子以外を伴侶にするなんて到底考えられない。


 あの子を手に入れたい。


 そう心の中で呟いた時、王子はふと思った。



 手に入れる力なら、持っているじゃないか。



 そうだそうだ、王子は笑う。に……いや、にやり、と唇の端を持ち上げて。


 それくらい簡単だ。どこの国の財宝だって手に入れられるこの自分が、小娘一人手中に入れられぬわけがあろうか。


 いいや、ない。


 だって自分は、金も力も人も持つ、『王子様』なのだから。




 ◆◆◆




 わたしは階段を駆け降りていた。

 ガラスの靴は少し危なっかしいものの、脱げそうな気配はない。もちろんヒールが折れて「ギャー」なんてそんなこともない(考えるだけで恐ろしい)。

 長いスカートだって踏んでずっこけることもなさそうだ。恥ずかしさを飲み込んで裾持ってプリンセスみたいな降り方してる甲斐がありましたな。

 ほら、目の前にかぼちゃの馬車が見えてきた。あれに乗り込めばセーフ。

 ルシファーくんはこちらを見るなり心得たとばかりに頷いて、しゃっとそれこそ猫のように素早く椅子に乗って手綱を構えた。あなたが乗り込んだらすぐ出発しますよ、の合図。急いでいるのを察してくれたのだ。

 さっすがルシファーくん!一生ついていきます兄貴ぃ!

 さあ、無駄に長いこの階段だってあと少し。わたしは最後のひと踏ん張りだとスピードを上げ────


────た、その時。



 ガッ!



 何かに後ろから羽交い締めにされ、ふわりと体が浮く。


「────っ!?」


 恐怖が背中を駆け上がった。

 誰、と声を上げて後ろを向こうとするも────何もかも、間に合わない。


 ドッ!


 首筋に走る痛みと驚いた顔のルシファーくんを最後に、視界は暗転した。



 足から片方脱げたガラスの靴が、甲高い音を立てて転がった。



 ◇◇◇



「────っは!!」


 がばり、とわたしは体を起こした。


 途端目の前に飛び込んでくる、見覚えのない部屋。


 無駄に広くて豪奢な部屋だった。

 部屋も棚の上もダリアやバラの花が飾り付けられていて、あちこちに眩しいほどの金や宝石の装飾が施されている。頭の上には落ちてきたら間違いなく死ぬであろうシャンデリア。部屋に置かれているのはきっと高級品の家具ばかりなんだろうけど、行かんせん色のセンスが悪くて悪趣味だ。


 って、部屋の持ち主のセンスを貶してる場合じゃない。

 ここは一体どこなんだ。


 絵本の中の(うち)でも、外の(うち)でもないことは確か。

 確かにお義母さまたちの家は大きいし豪邸だけど、こんな部屋はない。毎日掃除してるからわかる。

 絵本の外の本当のわたしの家は、普通のマンションだし。こんなバカでかい部屋あるわけないし。


 じゃあどこ?

 …………。

 いくら考えたって、思い当たる節が全く見当たらなかった。


 少し論点をずらして、ここにどうしているのか考えてみる。

 十二時の鐘が鳴って、ダンスを終えて、お城を出て。階段を降りて、ルシファーくんの馬車を見つけて。

 やったって思って、駆け寄って────


────そこで、記憶がぶつりと途切れている。


 そして現在に至るというわけだ。


 いや、どういうことなの。

 誰か説明して。


 途方に暮れてふと下を見下ろす。本当に、何気なく。


(…………あ、)

 そこで、思わず目を瞠った。


 わたしにかけられた魔法は解けていて、ドレスはワンピースに戻っていた。靴も片方ない。

 いや、それはいい。別に。

 それからわたしはベッドの上にいた。なんでやねん。なんでベッドやねん。

 いやでも、それもいい。別に。


 わたしの手首と足首には枷がはめられ、鎖が巻き付いていたのだ。


 これは、よくない。全然。


(────なにこれ……!?)


 気味悪いにも程がある。

 衝動のまま引っ張ってみたが、細いながらも鎖はじゃらりと音を立てるだけで千切れる気配も見えなかった。鎖を諦め枷を外そうと爪を立てるが、当然びくともしない。

 その鎖はベッドの足に繋がっている。

 要するに今わたしは、鎖と枷によってベッドの上に縫い留められているというわけだ。

 どこかもわからぬ部屋で。一人で。


 嫌な予感しかしない。


 怖い。

 誰か、助けて………。


 その時。

 ガチャリ、と部屋の飾り立てられたドアが開いた。

 わたしはぱっと顔を上げて、警戒体制をとる。


 入ってきたのは、王子様だった。

 に、と笑ったまま、鎖に繋がれたわたしを見ても表情ひとつ変えやしない。


 まさか………。


 自分の想像に体を震わせた時、王子様が口を開いた。

「外せない用事って、何だ、ドレスにかけた魔法のリミットのことだったのかい?別に服なんて何だっていいのに、恥ずかしがり屋さんなんだねえ」

 一体何をほざいているのだろう、この男は。

 彼の台詞には耳を貸さず、こちらも厳戒態勢を一切緩めないまま口を開く。

「……あなたはどうしてここに?舞踏会があるのでは?」

「まあまあ、そんなに厳しい目をしないでおくれよ。さっきの優しい目はどこに行った?今の君はまるで毛を逆立てる猫じゃないか」

 猫で結構。生憎とわたしは、自分が危険が晒された時でも穏やかににこにこできるほど淑やかな性格はしていない。

 王子様は少しずつこちらへ近づいてきた。

「舞踏会はどうしたのか?そんなの愚問さ。もう行かないよ」

 一歩進むたび、わたしは一歩後ずさる。鎖が揺れた。

「……」

「ボクはもう、君にしか興味がないんだ。他の女と踊ったって、何が楽しいものか」

「………」

「何か言ったらどうだい?ボクはもう踊らない。君と二人きりで、ここでこの夜を明かすって決めたんだ。魔法のかかっていない、ありのままの君と」

 王子様はにやりと笑った。


「そのために君を攫わせて、ここに連れてきたんじゃないか」


「────!」


 わたしは息を呑んだ。

 さっき階段で記憶が途切れたのは、王子様の手下に気絶させられたからだったのだ。踊り足りなかったのか何なのかわからないけれど、わたしを帰らせるまいと思った王子様は、力ずくでここまで連れてきたのだ。

 恐怖で息が荒くなる。

 さらにきつく、王子様を睨めつけた。

 王子様は笑う。聞き分けのない子供を優しく叱るように。


「………さあ、威嚇もやめなさい。ここには誰も来ないし、ボクは君を逃がさない。夜が明けても、ずっと」


 この先に何が待つのか。

 わからない。


 それでも、ぞ、と体に鳥肌が立った。

 年がどうとか、見た目がどうとか、そんなの関係ない。


 その言葉が、仕草が、声が、笑顔が、今の彼を形作るもの全てが。

 ただ怖かった。


「………っ」


 わたしは激しく後退りをして声を上げた。


「来ないで!」


 広い部屋に甲高い声が響く。ひく、と王子様の体が少し跳ねた。


 精一杯の威嚇、牽制、そして救助要請。

 この声が少しでも外に漏れれば。


 そう思って上げた、甲高い声。

 しかしその抵抗すら無駄なのか。王子様は狼狽えるそぶりも見せなかった。

「言っただろ、ここには誰もこない、と。今頃町中の人間たちは広間で踊り狂ってる。広間から離れたここで叫んだって、ウサギにだって聞こえやしない」


 その三日月に細められた目の中に蠢くのは、どす黒いほどの欲。


 まるで肉食の獣だ。


「………」

 口を閉ざすわたしに、王子様は笑った。


「さあ、もう諦めなさい。ボクの妻になればいいだけの話さ」


「そんな……っ、」

 また一歩、後ずさる。枷が食い込んで痛い。

 嫌だ。このひとと一緒になるなんて。

 結婚相手は慎重に決めなさいって、親から教わったんだ。


 でも。

 そう言ったところで向こうは諦めなどしないだろう。ここまでするんだから。


 そんな強欲な王族の息子の手から、一平民なわたしはどうすれば逃げられる?


 答えは簡単。

 逃げられない。それだけ。


 もちろんその答えを認めたくなどない。でもそれ以外の答えなど導かれない。

 1+1の答えは2以外にあり得ないように、どんな計算をしても答えは変わらない。


(そんな……嫌だよ……)

 この部屋から笑顔で出られる姿すら想像できずに、でもそんな結末迎えたくないままで。



(助けて………お義姉さま、お義母さま………!)



 溢れそうになる涙を堪えて、心の中で名前を呼んだ────

────その時。


「にゃーん」


 この場にはあまりにも似つかわしくない、間延びした高い声が部屋に響いた。

 わたしも王子様も動きを止めて、声の出どころに目を向ける。


 そこにいたのは、一匹の猫。

 丸っこくて、黒い毛皮で、大きな瞳で、足の短いかわいらしい猫。


「る、ルシファーくん………?」


 どうしてここに。

 その疑問を込めて名前を呼ぶと黄色い瞳がくるりとこちらを向いて、ふわふわの尻尾が揺れた。


「にゃーん」


 その声が、合図だった。



「おらクソ王子!!うちのかわいい妹にぃい!!!」

「何やってくれとんじゃゴルァアアアアアア!!!」



 ドガーン!!


 地も震えるほどの轟音と共に、仰々しいドアを力ずくで蹴破って。

 緑とピンクのドレスを纏った二人組がガラ悪く現れた。


「ぎぇああああああ!?!?」

 悲鳴を上げる王子様を二人組────お義姉さまたちは難なく組み伏せる。「痛い痛い痛い!!」と喚くも「うるせえ気道潰すぞ!!」と気にしない。

 さっきまで王子様に「キャー♡」とか言って騒いでた二人はいずこ。

「妹に結婚相手なんか百億年早いんじゃ!!!!いてこますぞゴラ!!!!」

「ちょっと金持ってるからって調子乗んじゃねえぞゴミ虫がよぉおおお!!!」

 いてこましちゃダメだと思うし、仮にも王族だけど!?そんなこと言っていいの!?

 あばばばと震えていると、壊れて扉のなくなった部屋の出入り口からさらに誰かやってきた。

「シンデレラ」

 威厳ある声でわたしの名前を呼んだのは、一人の女性。

 ヴィランみたいな顔をして誰よりも優しいあなたは────


「お義母さま!」


 名前を呼べば、お義母さまは力ずくで鎖を引きちぎった。バリィとものすごい音がする。

 うわマジか。意外に力あんだな。

 しかしツッコむより速く、ぎゅっと抱きしめられる。王子様をいてこました姉妹二人も「「何もしてないやつにいいとこ取られてたまるかー!」」とすっ飛んできた。

 途端にわたしは三人の腕の中に収まる。ルシファーくんも気がつけばそばにいて、顔を擦り寄せてくれていた。


 そこはぽかぽかして、あったかくて、張り詰めていた心が和らいでいくようだった。


 目の前がじわりと滲む。

「…………っ」

「怖かったでしょ?もう大丈夫よ。助けに来るのが遅れてごめんね」

 お義母さまがわたしの頭を撫でる。


 その手つきが優しくて、柔らかくて。


 安心したら、もう溢れそうになる涙を抑えられなくて。


「……ぅうう、うわあああああ!!怖かったですぅううううう!!」

 わたしは恥も外聞もかなぐり捨てて、赤ちゃんみたいに号泣してしまったのだった。

 恥ずかし。



 ◇◇◇



 それから、王子様は王様にこっぴどく叱られたらしかった。新聞によれば「同意もなく女性を攫って、しかも勝手に結婚しようとするなんて何ということか!同じ王族の風上にも置けないな!」と激怒されたとのこと。

 そう、新聞。この出来事は身内だけに収まらず、メディアに取り上げられ国中に知られてしまったということだ。どうやらシンデレラというのはわたしが知らないだけで、良くも悪くも有名らしい。

 国の中で一番有名な新聞に取り上げられてしまったこの出来事のせいで国民たちは王子様を白い目で見るようになり、彼は肩身の狭い思いをしているのだとか。

 きっともう若くないから結婚しなきゃって急いでたんだと思うけど、ますます難しくなっちゃったっぽい。どんまい。自業自得だけど。



 そしてわたしたちは後日王様たちから多大なるお詫びの品をいただき、平和が訪れて今に至る。




「平和だねえ……」

「にゃーん……」

 わたしはルシファーくんと一緒に、お庭に置いてあるベンチでリラックスしていた。

 ここは大豪邸だけど、建っている場所自体は田舎らしく屋敷の外は緑が広がっている。洗濯終わりの日向ぼっこにはうってつけだった。

 最近お義母さまやお義姉さまたちもその良さに気づいたらしく、三人もきゃっきゃと戯れている。今はシャボン玉を作ろうとしているらしい。かわいいですこと。

 ああ、なんて平和なんだろうか。

 空は青くて、葉っぱは緑で、雲は穏やかで。膝には愛猫が乗って、大好きな家族がいて。悪いやつは遠ざけて。

 これぞ、安寧秩序。わたしが好きな言葉だ。


「幸せだあ………」


 その、時だった。



 にゅ、と青い空を裂くように、一本の手が現れた。



「きゃあああああ!?」

「しゃーーー!!」

 びっくりして飛び退くわたしたち。

 するとその手はもがくように動いて、同時にその手の持ち主と思われる大声が雷のように振ってきた。


『ずるいずるい!どうしてあんたばっかり幸せに!!』


 その声にはっとする。

 久しく聞いていなかったけれど、衝撃的すぎて記憶に刻まれた声。主に出会い方で。

 この声は……


「もしかして、シンデレラ!?」


 本物の!

 わたしと入れ替わった、本来この絵本の世界にいるはずのシンデレラだ!


 声をあげれば、『そうよ!悪い!?』と声が返ってくる。

 キレてんなあ……。

 手だけのシンデレラは喚く。

『どうしてどうして!窮屈なこの世界を出て、自由な世界を生きる大学生になれたらきっと幸せだと思ったのに!それなのに何なの、勉強は意味分かんないし、友達はわたしの言うこと聞いてくれないし!こんなにわたしが困ってるのに!』

 いや勉強は仕方ないだろ大学なんだから……と呆れたが、後半にはひっかかる。わたしは言い返した。

「わたしの友達は、困ってたら助けてくれるよ?」

『もちろん最初は助けてくれたわ!でも本当に最初だけだった!数万円くらい貸してくれたらいいのに、あいつったら『この前だって返してくれなかったじゃん。もう何ヶ月も経ってるよ』って!がめついったらありゃしないわ!』

 がめついのはお前だよ!!最悪だよ!!

 お前万札の価値わかってないだろ!?

 呆れすぎてどこからツッコんでいいのかわからないわたしに、シンデレラはぎゃんぎゃんと吠えた。


『もう最悪!日本の大学生なんて飽き飽き!男だって離れてっちゃうし!もういいわ、また押し付けてやるんだから!わたしはかわいくて可哀想なお姫様として、愛される日々を送るの!』


 また、押し付ける……!?


「ま、待って………ゔっ」

 今度こそ抗おうにも、いつかのときと同じように目の前の景色がまばゆい光を放ち出す。

 視界全部が白く眩しく光って、目も開けられない。


 もちろん元の世界に帰りたくないわけじゃない。


 でも、さよならも言えないお別れなんて嫌だよ………


 そうは思っても、口すら開けられなくて、目を刺す光から逃れようとすることしかできなくて。

 ただ目をぎゅっと瞑ったとき────



「こんのバカ娘!!」



 お義母さまの怒鳴り声が響いた。


 それと共に、どしゃーん!と何か落ちるような音がして。

 同時に光も瞬く間に消え失せる。


「やっぱりあんた『そう』だったのね!いつもいつもわがままばかり言って、不幸をひとに押し付けて!魔法が使えるからってそんなことしちゃダメに決まってるでしょ!」


 初めて聞く、お義母さまが怒った声。

 シンデレラは、魔法が使えたの?


「ひいい!!お義母さま!!」


 怯えるシンデレラの声も初めてだ。


 何が何だかわからなくて、わたしは恐る恐る目を開ける。


 黒髪に小さな背丈────わたしの姿をしたシンデレラの腕をぎゅっと掴んで、般若の形相で叱りつけるお義母さまの姿があった。


「え………」

 戸惑っていると、わたしのシンデレラの体が輝いてみるみる姿が変わっていく。叱られてべそべそと泣く目の前の少女は金髪碧眼の美女に、そしてわたしは黒い髪に白い肌のいつもの姿になっていた。


 これが、シンデレラのつかう魔法?


 頭に疑問符を浮かべるわたしに、お義姉さまがとことこ寄ってきた。

「やっぱり……入れ替わってたのね。道理で性格が違うと思った」

「薄々勘付いてたけどね」

「え……あの、どういうことですか……?」

 うんうんと頷く二人に、わたしは恐る恐る問いかける。

 お義姉さまは教えてくれた。



 シンデレラは傲慢で強欲な少女。自分が一番じゃないと気が済まない。

 しかしシンデレラの母親が病気で死んでやってきた継母は自分の子供を連れていて、シンデレラが一番にはなり得なかった。

 もちろん継母────お義母さまはシンデレラも我が子と同じように愛そうとしたけれど、シンデレラは『みんなと一緒』じゃ嫌だったのだ。シンデレラはお義母さまを拒み、お義姉さまたちも拒み、やがてわがままも言うようになって、家族間は冷え切っていった。

 そんなシンデレラは一つだけ、魔法が使えた。

 『他のひとと入れ替わる魔法』だ。

 この家で幸せ(いちばん)になるのは無理だと感じたシンデレラは町の子供や動物たちと入れ替わって、一番の愛と服従を求めた。別の家の子になれば、一番になれると思ったのだ。

 しかしそれは成功せず、入れ替わってしまった子や動物たちは取り乱し、結局はお義母さまに戻される羽目になる。

 そこでシンデレラはもうこの絵本の世界をも抜け出そうと決めた。そして、たまたまこちらを外の世界から見ていた幸せそうな大学生ことわたしに目をつけ、入れ替わったというわけである。



「ふうん………」

 わたしはその話を聞いて相槌を打った。

 これからシンデレラはどうなるんだろう。どうやったって一番にはなれそうじゃないのに。

「まあこの後シンデレラは……警察に引き渡されて、魔法を使えないように杖を折られるんじゃないの。ここの外の世界に魔法でわざと干渉するのは大罪だから」

「ちょっと可哀想だけど、欲張らなければこうはならなかったのよ。……ああ、あなたは大丈夫よ。あなたはわざとじゃないし」

 言う間にも、シンデレラは警察に引き摺られていく。「わたしが一番になりたかったのに!」という声がやけに耳についた。

 お義姉さまたちは歌うように言った。

「ま、杖を折られて無害になったら、うちで引き取ってあげましょうかね」

「そーそー。黒髪シンデレラと一緒にね」

「えっ」

 わたしは目を瞠った。思わず二人の顔を見上げる。

 黒髪シンデレラって、わたしのこと?

「別の世界からきた他人なのに、いいんですか?」

 目を真ん丸く瞠ってみせれば、お義姉さまはくすくす笑った。

「何言ってんのー?もう他人じゃないじゃん」

「私もうあんたは家族だと思ってるから。逃がさないわ」

 がおー、とライオンのようないたずらなポーズにぽかんとする。


 どうしてこのひとたちは、こんなに優しくあれるのだろう。


 もうわたしは、きっと彼女たちが慣れ親しんでいるであろう金髪の少女の姿ではない。

 見覚えのない、黒髪の異国の人間の姿なのに。


「あら、逃がさないなんて。意見も聞かずに言うのはどうなの?」

 すると、警察との話が終わったらしいお義母さまもやってきた。

「本人の意見も聞かなくちゃ」

 そう娘たちを諌めると、背が高いので少し屈んで目線を合わせてくれる。

「あなた自身はどうなのかしら?ここから出たいなら止めはしないけど、うちのシンデレラがやらかしたごたごたはフェアリーゴッドマザーに頼んでどうにかしてもらうわ」

 知り合いだったんだ……。

 驚くわたしに、お義母さまは黒いしゃっきりした目でこっちを見つめた。


「でもわたしは、あなたが娘でいてほしい。どう?本当に、ここから出たい?」


「………」

 わたしは黙った。


 もちろん、向こうの世界に残してきた親友や友達はたくさんいる。家族もいるし、向こうでやりたいことはたくさんある。



 でも、それすら一瞬霞んで見えるくらい、ここの生活は幸せで、楽しくて。

 ここのひとたちが、わたしは大好きになっていた。


 ここから出れば、本物の家族や友達に会える。また大学に通える。

 


 でも、この愛しい家族とは二度と会えない。


 人間は絵本の中には入れないから。






「…………」

 わたしは口を閉じて考える。

 どれを選ぶのが最適か。

 それを考え抜いて、選び抜いて。






 たっぷり十数秒は悩んだあと、わたしはぽつりと言った。





「わたしは……………ここにいます」






 ぱっ!と一同の顔が晴れた。


「ほんとーーーーー!?」

「やったーーーーー!!」



 お義姉さま二人が駆け寄ってきて、ぎゅっとわたしを抱きしめる。

「シンデレラが二人いると呼びにくいから、後で名前も教えてね!」

「そーそー!めっちゃ定着してたけど灰かぶり(シンデレラ)って悪口だかんね!」

 きゃいきゃいと子供みたいに騒ぐ二人がいじらしい。ふと足元を見れば、ルシファーくんとネズミどももわいわいと歓声をあげていた。

 お義母さまがにこにこ言った。


「ま、やろうと思えばここ出られるし、帰ってもこられるけどね。フェアリーゴッドマザーは神だから」




「……………え?」


 それを先に言わんかい!!



 ◇◇◇



 それからわたしは、この絵本の中で暮らしている。居心地がいいから、出るのはたまにだ。

 一回向こうに戻ってみたら本当にやらかしただろうごたごたは全部ぱーになっていて驚いた。すごいね魔法使いって。

 あと絵本の中にいて大学に行けなくても出席日数とか単位とか気にしなくていいらしい。なんで、と思ったがもう気にしないことにした。「ご都合魔法よ♡」って言われちゃったら、もう何も言えないよね。






 わたしはこの絵本の大きなお家で、大好きな家族と暮らしている。

 しっかり者のお義母さまと、ツンデレがかわいいドリゼラお義姉さまと、食いしん坊なアナスタシアお義姉さまと、それからちょっと欲張りな金髪シンデレラと、生意気なネズミ二匹と、かわいい黒猫のルシファーくんと。



 王子様はいないけれど、それよりもっと大切なものを見つけたから。



 わたしはいつまでも幸せに、ここで暮らすの。






 めでたし、めでたし。




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