性格の悪いダンジョンマスターが執拗なデストラップで俺たちを殺しに掛かる
「本当に、こんな場所に“アルマの泪”が眠ってるんだよな」
「疑ってるなら帰ればいいわ。だけど、あんたも知ってるでしょ。これがなきゃ、ノース村の病は治せないのよ」
「わかってる。村のみんなの命がかかってるんだから、今さら後戻りはできない」
「そうそう。金目当てならまだしも、村を救うための聖宝を諦めるわけにはいかないもの」
「キリト、お前もわかってるよな。あの病が広がったら、オレたちの家族だって……」
「……ああ、もちろん。だから怖えって言ってる暇もないんだろ。やるしかない」
オレとレイナ、そしてキリトは、ノース村を襲う奇病を治す切り札“アルマの泪”を求めて、この呪われたダンジョンに踏み入った。
小さい頃から知っている幼なじみ同士とはいえ、ここに来るまでにもさんざん揉めた。危険すぎるって、皆が口をそろえて反対したからだ。
けれど、病で苦しむ村人を放っておくわけにはいかない。
噂では、どんな病も清める力を持つ聖宝がこの最奥に眠るらしい。
だが、同時に“性格の悪いダンジョンマスターが棲みついている”という噂もある。何十人もの冒険者が行方不明になったという地獄の巣窟。
その入り口に立っただけで、嫌な予感が肌を刺していた。
「うわ……見てよ、壁画がかび臭いどころか、血痕みたいなシミがこびりついてる」
「ほんとね。虫が蠢いてるし、気色悪い……しかも嫌なにおいが混ざってるわ」
「気を抜くなよ。最初の一歩で仕掛けられるかもしれないからな」
苔むした扉を開けると、空気がさらに淀んでいて、むせ返るような腐臭が流れ込む。
床の石畳はところどころ緩んでおり、赤黒い粘液が滲み出している。
血と膿が混ざったような嫌な感触が、足裏にべったりと貼りつく。
深呼吸する気にもなれないほどの臭い。それでも進むしかなかった。
「村のみんなが苦しんでるのに、こんなところで尻込みしてられないわ。行くわよ」
「レイナ、あんたが一番怖がりなのに……まあ、オレが先導するよ。魔法が得意なお前は後衛だろ」
「そうしてもらえると助かるわ。……キリト、ちゃんとオレたちの背中もカバーして」
「わかってるって。何か出てきたら、オレの剣でぶった斬ってやる」
数メートル進むと、石畳がわずかに浮き上がっているのを見つける。
しゃがんで確かめようとした瞬間、床板がカコンと沈み、壁の中で歯車が噛み合うような駆動音が鳴った。
「まずい、伏せろ!」
「きゃっ!」
頭上を鋭い針が何十本も通過し、あわや蜂の巣になるところだった。
見上げると、天井に格子状の穴が開いていて、先端が黒く塗られた針がぎっしり詰まっている。
「いきなりこれか……針の先っちょに変な液がついてるぞ」
「毒よ、多分。しかもただの毒じゃないかもしれない。肌に染みるだけで死に至るようなのもあるし」
「……まったく。本当に性格が悪いな、ここの主は」
ほっとする暇もなく次の通路へ足を踏み出す。
そこは淡い灯りが揺れていて、一見すると何も仕掛けがなさそうに見える。だけど空間全体が少し歪んで感じられるのが引っかかる。
通路の壁に目を凝らすと、人の形をした影のようなものがこびりついていた。
「なんだ、あれ……? 人が壁にめり込んでる?」
「やめてよ、気味が悪い。……まさか生きたまま融合させられたとかじゃないわよね」
「……でも、この表情。凍りついたみたいに口が歪んでる」
壁に張り付いたまま微動だにしない死体。
皮膚には鎖の跡とも刻印ともつかない異様な模様が彫られ、神経が引きずり出されたような裂け目が何重にも走っている。
耳を澄ますと、かすかな機械音とともに、壁がわずかに振動しているのがわかった。
「やばい、なんか嫌な予感がする……!」
「逃げて!」
隣の壁から歯車がせり出し、そこからベトベトの液体が滴り落ちてくる。
さっきの針とは違う、ややゆっくりした動き。けれど床に落ちた液体が見る見るうちに石を溶かしていく。背筋が凍る。
「ひどい……強酸か何か? 壁に取り込まれた冒険者も、これで溶かされたのかもしれない」
「こんなトラップ、どうやって突破するのよ」
「歯車が回転するタイミングを見計らって、横をすり抜けるしかない。急げ!」
三人で呼吸を合わせ、一気に駆け抜ける。
液が飛び散り、壁の一部がボコボコと焼け爛れる。顔にまで飛沫がかかりそうになり、慌てて盾で防ぐ。
背後では歯車がガリガリと何かを削る音が響き、そこに埋まった死体がさらなる悲鳴を上げたような気がした。
「なんて場所だ……。足が震えてきそうだよ」
「でも、ここで立ち止まると今度は私たちが壁の一部になりかねないわ」
「わかってる。……そういや、レイナって昔はこんな冒険嫌いじゃなかったっけ?」
「誰だって嫌いよ、こんなの。でも大切な人たちを助けたいから来た。それだけよ」
少しだけ余裕のある通路に出たので、オレたちは短い休憩をとる。
息を整えながら、ふと壁際を見ると、そこには古びた石筒が横たわっていた。蓋が割れていて、中には金属製の小さなプレートが散乱している。
片面には妙な記号が彫られており、裏面は反射光を帯びるほどピカピカだ。
「これ……なんだろう。もしかして鏡の一種かな。変な文字が書いてある」
「“偽りの死に救済が宿る”って……ずいぶん回りくどい言い回しね」
「何かの呪術に関する道具かもしれない。使い道があるかもしれないから、持っておこう」
「そんなガラクタ……って思ったけど、このダンジョンじゃ何が役立つか分からないわね」
オレはそのプレートの一枚を懐にしまい、再び奥へ進む。
まだ先は長いはずだ。
次の広いフロアでは、天井から無数の鎖がぶら下がり、中央には鉄輪がいくつも組み合わされていた。
鎖の先端には鉤爪がつき、まるで肉を削ぐために用意されたように血と錆びがこびりついている。
「嫌な雰囲気だな……あそこに人が吊るされてる」
「見てられない。あの人、まだ息があるかも……」
「近づけばこちらも狙われる。魔力の制御源は……上の鉄輪か?」
鎖が不気味にうねり、鉤爪が床を裂くように降ってきた。
思わず後ろに飛び退くが、油断すれば身体が真っ二つだろう。
レイナが氷の魔法を放ち、鎖の動きを鈍らせる。キリトが剣で弾こうとするが、硬度が高すぎて歯が立たない。
「レイナ、ちょっとだけでいいから鎖を止めてくれ!」
「頑張る……でも無茶言わないで!」
「キリト、あの鉄輪を狙え。仕掛けのコアを壊せば動きも少しは緩むはずだ!」
雷撃が鎖を痺れさせ、キリトが投げナイフで鉄輪の継ぎ目を砕く。
一瞬だけ鎖が絡み合って動きが乱れ、その隙にオレたちは扉へ駆け込む。
「……くそ、助けられなかった」
「仕方ないわ。今はこのダンジョンマスターを止めることが先」
「そうだな。先へ行こう……」
廊下を抜けると、まるで大聖堂のように荘厳な装飾が施された大広間に出た。
中央には大理石の祭壇が据えられ、その上で黒い外套の男がほほ笑んでいる。
「よくぞ来たね。ここまで到達するなど、珍しいよ」
「あんたがダンジョンマスターだな。村のために“アルマの泪”をもらうぞ」
「アルマの泪……そうか、お前たちもそれがお目当てか。あれは美しい聖宝だが、同時に良質な“魔力の養分”にもなる。お前らには渡さん。」
男がゆっくりと杖を上げると、天井が開いて赤黒い液が祭壇へ流れ落ちる。
嫌な腐臭と金属臭が立ち込め、血の海のような光景が広がる。
「世界は裏切りに満ちている。ならば私は、その苦痛を利用して理をねじ曲げようと思ったのさ」
「本当に、性格が歪んでるわね……行くわよ、二人とも!」
レイナが炎の魔法を放ち、キリトが横合いから男を牽制する。
オレは正面から剣を突き出すが、闇の障壁に阻まれる。
それでも隙を狙い、三方向から同時に切り込みを入れる。
「思ったよりやるじゃないか。だが、この程度で私の恨みが止むと思うか?」
「お前の恨みなんか知るか。村を救うほうが優先だ!」
男の足元をレイナが氷で固め、キリトが壁際へ追い込む。
その瞬間、オレが胸元めがけて深く剣を突き込んだ。黒い血が噴き上がり、男の目が歓喜と絶望の色を宿す。
「……まだ、終わらない。私の呪いは……」
「終わりだ。お前の地獄に付き合うつもりはない!」
最後の力で男の杖を切り落とす。闇の魔力が霧散し、血の雨が止んだ。
男は祭壇に倒れ込み、息絶えたように動かない。広間の気配がすっと静まる。
「やったのか……」
「“アルマの泪”はきっとあの奥よ。見て、黒い宝箱がある」
「さっさと取って帰ろう。もうこんなところいたくない」
宝箱を開けると、小さな水晶が入っていた。
手に取ると青い輝きが揺らめき、神聖な波動が胸に染み込むように広がる。
「これが“アルマの泪”……感じるよ、浄化の力みたいなものを」
「やっと見つけたのね。これで村のみんなを救える!」
「キリト、大丈夫か? 出血がひどいぞ……」
「へへ、痛いけど立てるさ。早く外へ出よう」
三人はふらふらと出口へ向かう。
石造りの扉を開き、曇った外の空気を吸い込む。やっとここから出られる。
「生きて帰れた……」
「本当に、何とか勝ったのね。ダンジョンマスターは消えたし、“アルマの泪”も手に入った」
「村のみんなを助けられる。もう、最悪の罠とはおさらばだ」
そう思った矢先、背後から急激な風が渦巻き、扉の下から何かが飛び出す音がした。
オレが反射的に振り返った瞬間、鋭い鉄の刃が床を突き破り、まっすぐオレの胸に突き刺さる。
「……え?」
「ちょっと、嘘でしょ……! 最終トラップ!?」
「おい、やめろ……!」
ズブリと鈍い感触が身体を貫き、視界がぐらりと歪んだ。
レイナとキリトが悲鳴を上げるのを聞きながら、オレはその場に崩れ落ちる。
鉄の刃には魔力がこもっているのか、体内で焼け付くような激痛が走る。
「……まさか、最後にこんな仕掛けが……」
「レイナ、急いで治癒魔法を……!」
「くっ、血が止まらない! ヤダ……ヤダよ、こんなの……!」
オレの意識はみるみる遠のいていく。
かすかにレイナとキリトの叫びが聞こえるが、それもだんだん薄れていった。
暗闇に呑み込まれるような感覚の中、「ごめん……」という言葉だけ口にして、オレは完全に沈んでいく。
――だけど。
いつの間にか、オレは薄い光に包まれていた。
身体は痛むはずなのに、不思議と温かい。
これは死後の世界か、そう思った瞬間、懐にしまっていた金属プレートがかすかに震えるのを感じる。
そうだ……あれは通路で拾った謎のプレート。裏面が鏡のように光を反射していた。
「“偽りの死に救済が宿る”……って、そんな文字が書いてあったっけ」
ぼんやりと記憶を掘り起こすと、プレートからゆらゆらと光の膜が広がり、オレの身体を覆っている。
どうやらこのプレート自体が、致命傷を負った際に“偽の死”を演出する呪具だったようだ。
刃は確かに貫いたが、一部を空間の歪みでずらして、人体を避けるかのように偽装したらしい。
痛みは幻だったのか、あるいは実際に刺されたが内臓は外れていたのか……意識が曖昧だ。
「……生きてる、オレ」
ふっと顔を上げると、外気に包まれた廃墟の前でレイナとキリトが呆然とオレを見下ろしている。
オレの胸には、プレートの光がきらりと揺れ、周囲に刻まれた妙な文字がゆっくり消えていく。
「オレ、死んだと思ったんだけど……」
「な、なんで……だって、刃が身体を貫いたのに!」
「たぶんこのプレートのおかげだ。ほら、拾っただろ。あのとき変な文字が書いてた」
「それが、本当に生死を偽る術式だったってこと……?」
レイナが泣き笑いのような声を上げ、キリトは腰が抜けたようにへたり込む。
二人とも、オレの死を覚悟していたのか、顔が青ざめていた。
「こんな仕掛けまで仕込むなんて、本当に性格が悪いぜ……」
「まったく……最後まで気が抜けないダンジョンだったわ」
「でも、よかった……本当に、よかったよ……」
レイナは安堵と涙に声を震わせ、キリトもあきれたように苦笑する。
オレは胸のプレートをそっと外してみる。そこにはひび割れが走り、役目を終えたのか砕け散った。
「あのデストラップも、一度きりの奇跡で防いだってわけか」
「生きてさえいれば……あとは村に帰るだけだ。アルマの泪も手に入ったんだし!」
「そうだな。こんなギリギリで助かるなんて、二度はごめんだけどな」
三人は立ち上がり、再び歩き出す。
もうダンジョンマスターは倒れ、“アルマの泪”も手に入れた。
あの最後の罠こそが、残された悪意の証だったのかもしれない。
「生きて帰るために、ここまで苦労したんだ。もう少しだけ頑張ろう」
「ええ。ノース村のみんなが待ってる。オレたちの傷も、絶対に無駄になんかしないわ」
「やっぱり、あんたたちは頼りになる。仲間ってのはいいもんだな」
灰色の空はまだどんよりとしていたが、その先に微かな光が差し込んでいる。
傷は深く、疲労もある。それでもオレたちは確かに生きて、聖宝を手にしている。
絶望的な罠だらけのダンジョンを攻略した先の、最後の一撃すら乗り越えて。
「今度こそ完全に終わりね。……ほんと、死んだかと思った」
「オレもだよ。あのときは痛みで頭が真っ白になったけど……奇跡ってあるもんだな」
「奇跡じゃなくて、あんたが拾ってきたわけわからんプレートのおかげでしょ」
レイナの呆れた声と、キリトの苦笑が混ざり、三人は肩を並べて朽ちた廃墟を歩き出す。
その足取りは重いようでいて、どこか軽やかな余韻を帯びていた。
血塗れの罠と狂気の主を乗り越え、最後の死の罠さえも切り抜けたのだから、もう恐れるものは何もない。
「帰ったら村長に文句言われそうだな。“そんな危険な真似を”って」
「でも、“アルマの泪”があれば病は治るはずだもん。今度こそ笑顔になってくれるわ」
「そうだ。ここをくぐり抜けたんだ。あんなダンジョン、二度と行きたくないけど……また人が困ってるなら助けに行くさ。仲間だからな」
三人でうなずき合い、出血を堪えながらも歩みを進める。
どんなに性格の悪いダンジョンマスターでも、もうオレたちを止められない。
最後のデストラップを超えてなお、オレたちはここに生きているのだから。