好意
夢を見た…
幼い頃の夢…
「お父様!お母様!」
小さな足で必死に追いかけ、小さな手で父と母を掴もうとしている。
「寄るな!悪魔!」
「本当気味の悪い!あんたなんて私の子じゃないわ!」
「お、父様…お母様…」
小さな手を振り払い、向けられた視線は酷く冷たく憎悪に塗れていた。
「お母様なんて呼ぶんじゃないわよ!この化け物!」
「ご、ごめんなさい!いたっ!痛い!止めて!」
泣いて許しを乞う幼子の小さな身体を蹴りつけ、殴りつけ、動かなくなるまで容赦なく続けられる。
どちらかと言えば、父親より母親の方が酷かった。腹を痛めて産んだ子供が、こんな姿だったのが悔しくて憎くて…受け入れられるものじゃなかったのだろう。
「もう止めて!」
叫びながら目が覚めた。目からはとめどなく涙が溢れて止まらない。
「アリアネ!」
叫び声に驚いたガゼルが勢いよく部屋に飛び込んできた。
ベッドの上で涙を流しながら呆然としているアリアネを見ると、優しく包み込むように抱きしめた。
「どうした?怖い夢でも見たか?」
「…いえ、すみません…」
自分の腕の中で身を小さく縮ませて顔を擦り寄せてくるアリアネが可愛くて愛おしくて、ギュッと抱きしめる腕に力が込められた。
(あれの影響か)
ガゼルが睨みつけたのは、天井の隅に留まっている真黒に渦巻く澱み。
十中八九ディオの仕業。アリアネの意思は固く自分の思い通りに行かないし、ガゼルの引き抜きも失敗した。もうなりふり構っていられなくなったのだろう。
(堕ちるとこまで堕ちたな…)
亡者が生きている人間に一度でも手を出せば、輪廻転生から外れ悪霊となる。ディオはこの世に残りたいという思いと、アリアネの力が欲しいという私利私欲の念が強すぎた。
ガゼルは小さく息を吐くと、目を光らせて澱みを睨みつけた。
(──失せろ)
すると、パンッと弾けるようにして消え去った。
「もう大丈夫だ」
アリアネの肩を優しく叩きながら声をかけると、大きな瞳を潤ませたアリアネが顔を上げた。不謹慎だが、その表情にゴクッと喉が鳴った。
「も、申し訳ありません。少し…昔の夢を見てしまって」
「そうか。誰にでも辛い記憶はあるよな」
「貴方にも?」
「当然。何百年生きてると思ってる?僕は人生の大先輩だよ?」
胸を張って言うガゼルが可笑しくて「クスッ」と笑みがこぼれた。ようやく見れたアリアネの笑顔にほっとしながら、ガゼルも眉を下げて微笑んだ。
「さて、僕としてはこのまま朝を迎えてもいいんだけど…?」
「え?」と不思議そうに首を傾げた所で、自分が今、どんな状況なのか気が付いた。
夜更けのベッドの上で男女が抱き合っている…
サアーと全身の血が引いたかと思えば、ボンッと爆発したように全身が真っ赤に染まる。
「あははッ!コロコロ色が変わって面白いなぁ!」
「す、すすすすみません!!とんだ痴態を!」
慌てて壁際まで飛び退いた。
鼓動が恐ろしい程速く、今まで感じたことの無い感情が襲いかかってくる。
「謝らないでよ。僕からしたらご褒美だったけど?」
「このまま一緒に寝る?」トンッと壁に手を置き、覆い被さるようにして言う。
(ど、どうしましょう…)
ドキドキが止まらない。目を離したいのに離せない。まるでガゼルの瞳に囚われたようで…
「──なぁんてね」
「え?」
「流石の僕でも、そこまで節操が無いわけじゃないからね」
両手を上げてこれ以上ては出さないと表しながら、ゆっくりとアリアネから離れた。
「ん?」
ベッドから降りようとしたガゼルは、何かに引っ張られて足を止めた。見ると、アリアネが服の裾を掴んでいた。
「いや、あの、これは、違うんですの…!」
自分でも何故手が出たのか分からないアリアネは、慌てふためいて必死に言い訳を考えるが、パニックになった頭ではいい答えが出るはずない。
「うぅぅ…」
羞恥心でどうにかなってしまいそうなアリアネは、助けを求めるようにガゼルに視線を向けた。
怯えた子ウサギのように震え、瞳からは涙が大きな滴となって溢れている。
(あぁ…堪らない)
ゾクッと、背筋に電流が走ったような感覚に自然と口角が上がる。このまま喰らってしまおうか…そんな思いが脳内を駆け巡る。
「ガ、ガゼル…さん?」
「!?」
急に名を呼ばれてハッとした。
「どうしたんですの?」
心配そうに顔を覗き込まれ、ガゼルは顔を手で覆いながら苦笑いを浮かべた。
いつもは『貴方』や『彼』と呼ばれて、ようやく名を呼ばれたかと思えばこのタイミング。
(狡いなぁ…)
これが計算だったら何とも思わないが、そうじゃないからタチが悪い。
ガゼルは深呼吸を何度かして、心を落ち着かせてからアリアネに向き合った。
「よし、じゃあ、朝まで語り明かすか!」
ベッドに腰掛け直しアリアネに提案すれば、嬉しそうに微笑みながら頷いた。




