破滅
アリアネの声を聞いて、まだ自我がある事にホッとはしたが、現状は変わらない。足には死人が纏わりつき、休む暇なく魔獣が襲いかかってくる。
『ガゼルさん!右右!あぁ!違いますわ!あっちです!』
脳内に直接語りかけてくるアリアネは、自分の身に起こっていることを分かっているのか、心配になるほど呑気であっけらかんとしている。
「~~ッだぁ!!煩い!!」
緊張感の欠片もないアリアネに、堪らずガゼルがキレた。
「君さあ、いい加減にしてくれる?話しかけるなとは言わないけど、時と場合を考えて。今、僕は何をしている?結構ヤバい状況なんだけど」
『す、すみません。少しは力になってやろうと…』
「何その上から目線…勘弁してよ…」
頭を抱えながら呟くが、このやり取りが堪らなく嬉しい。
『あの、お取り込み中申し訳ないのですが、こちらも時間がありませんの』
アリアネはディオに肉体を乗っ取られたが、魔力のお陰か意識だけは飛ばせる事が出来た。不幸中の幸いとはこういう事だろう。
「どのぐらい持ちそう?」
『そうですわね…持って2、3分といったところでしょうか』
今のところディオには気付かれいないが、それも時間の問題と言うこと。
「だいぶ切羽詰まってる感じだなぁ」
『当たり前ですわ。生まれて初めて自分の力を使ってますのよ?もう少し褒めても宜しいんじゃなくて?』
「ははっ、そうだね。ここを無事に切り抜けたら鬱陶しいほど褒めてあげるよ!」
ガゼルは死人がどうとか、まどろこしい事は考えるのを辞めにした。アリアネと……大切な女とこの悪夢から抜け出す事だけを考えて…
『ねぇ、ガゼルさん。一つ提案…と言うよりお願いがあるんですが』
「なに?」
死者と魔獣、同時に相手にしているだけあって、その顔に余裕は無い。
『私の首に噛み付いくれませんか?』
「は?」
流石にガゼルの動きも止まり、目を見開いた。
『あ、別に変な意味じゃないです。一瞬だけ、あの方の気を引き付けて欲しいんです』
「…何か策があると?」
『まあ、ほぼ賭けのようなものですが…みすみす奪われるよりかはいいかなと』
ガゼルはしばらく考えると「分かった」と返事を返した。
「ねぇ、さっきから何ブツブツ言ってんの?」
「あぁ、ようやく覚悟が決まったんでね」
「へぇ?それはどんな?」
挑発するような言い草だが、ここで靡いたら相手の思うツボ。
ガゼルはスゥ…と赤く光る目を細め、ディオを見据えた。明らかに雰囲気の変わったガゼルに、グッと息を飲みかけた。
「は、ははっ、何だよ。今更それらしい事しても、怖かねぇよ!」
顔を引き攣らせていきがっても、ただの負け犬の遠吠え。
「アリアネに手を出したこと、後悔させてやるよ」
その一言を皮切りに、ガゼルの動きがまるで違うものに変わった。速さもそうだが、一手一手に先程まであった躊躇いがなくなっている。
ディオの視界が真っ赤な血飛沫に染まると、ようやく危機感を持ち始めた。
「お前!この体がどうなってもいいのか!?」
苦し紛れの命乞い。だが、そんなのも今のガゼルには通用しない。
「ッ!!クソッ!」
ディオは一旦この場を離れようと考え、悪態を付きながら踵を返したが、寸前の所でガゼルが追い付いた。
「おっと。逃がさないよ」
腕を掴み、ニヤッと微笑んだ。
「離せ!!」
「そうはいかない。約束したからね」
暴れる腕を拘束し「ごめんね。ちょっと痛いけど」アリアネに伝えるように呟き、透けるような白い肌に牙を突き立てた。
「──グッ!」
痛みで顔を歪めたが、次第にその表情が穏やかなものに変わっていく。
「ふぅ……助かりましたわ」
その一言を聞いて、ガゼルは安心するように膝から崩れ落ちた。
「あらあら、だらしのない事」
「君さぁ…まあ、今は辞めておく」
どうやら文句を言いたかったらしいのだが安心しきってしまい、その感情すらどうでもよくなったらしい。
「おい!!どうなってんだよ!!」
「あら、忘れておりました」
怒鳴り声に上を見上げると、怒り狂ったディオがいた。
「おかしいだろ!!何で俺が弾かれたんだよ!!」
「おかしなことを言っているのは貴方の方ですわ」
「は?」
「貴方、ご自分で仰ったじゃありませんか。持ち主である私なら自分の身体の制御ができるって」
そうは言っても、ガゼルがいなければ奪い返すことは出来なかった。ディオは完全にアリアネの身体を自分のものにしようと内側から抑えつけていた。
この方の誤算は、ガゼルさんを見誤った事──
「これが正体か…お前、随分と舐めた真似してくれたな」
「は、俺は手を貸してやっただけだ。感謝はされど恨まれる筋合いはないね」
この期に及んでの強気発言。流石というのか阿呆なのか……
「ガゼルさん。この方の始末は私に任せてくれませんか?」
「そうは言っても、こいつは既に悪霊に成り代わっている。どうせ魂の消滅は免れない。生半可な気持ちじゃ無理だ」
このままこの世に留まればどんな弊害がでるか分からない。
「大丈夫です。この方には力の使い方を身を持って教えてくださったんです。その感謝を伝えぬまま逝くのはあんまりですから」
含みのある笑みを浮かべながら伝えるアリアネにガゼルはゾッとうなじが粟立った。
(こんな表情までするようになったのか)
それもこれも、今回の一件で培ったもの。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちが渦巻いたが「それなら」と承諾した。
「ありがとうございます」そう伝え、ディオへ視線を向けた。
「ふんっ!簡単にやられてたまるか!」
すぐに逃げようとするが、見えない鎖のようなものに捕まり動けない。
「ふふっ、逃げれませんよ」
赤い瞳を光らせ、妖艶に微笑むアリアネ。ディオは額に汗を滲ませながら必死に許しを乞うが、まったく聞き入れてくれない。
「今更ですわ。私を欺いた罪は重いですわよ」
「──ッ!!く、くそーーーーーー!!!!!」




