読書感想文『キャラクター 登場人物の本質と創作の技法』ロバート・マッキー (著)、越前敏弥 (翻訳) フィルムアート社2022年 を読んで
読書感想文『キャラクター 登場人物の本質と創作の技法』ロバート・マッキー (著)、越前敏弥 (翻訳) フィルムアート社2022年 を読んで
小学館ライトノベル大賞では、五つの審査基準があるとのことです。(【特集】小学館ライトノベル大賞【月刊ガガガチャンネル】より)
「キャラクター性」、「構成力」、「文章力」、「ストーリー性」、「オリジナリティ」、ですって。
最初に来るのはやはり「キャラクター性」なんですね。
「審査員の好みで落選してしまう作品がないよう、ジャンルに囚われず客観的な5つのパラグラフでの審査を心掛けているよ!」とも書いてありました。
では、どうしたら「キャラクター性」の項目で審査員様から高評価を得られるか。評価する側が「このキャラ魅力的~! フーー!」と思うのはどのような場合か。ロバート・マッキー師匠(私淑)に教えを請おうと思います。
前の二冊と同様に、重要そうな部分を抜き出して、自分なりに並べ替えてみました。
ロバート・マッキー師著書の三冊目にして一番時間がかかった。今回のは特に、どこが重要なのか分かりにくかった。言い換えれば、全部が重要そうなので際限なく書写し続けるような感覚でした。
ところどころ「これはとっても重要だ! 覚えておいて実践しなきゃ!」と思う箇所があっても、続きを読んでるうちにまた別の重要そうなところが出てきて、前の重要そうな部分を忘れちゃうんですよね。
これから読まれる方は、せめてメモを取りながら読み進めることをお勧めします。
・うまくいくなら、こうなってほしい願望
1,キャラクターの第一印象で読者の興味を引き付ける。→読者「今まで見たことないキャラだな。どんな奴だろう?」
2,読者をキャラに共感させ、ストーリーに引き込む。→読者「このキャラ推しです! どんな結末になるのが非常に気になります!」
3,キャラに矛盾した言動をとらせ、読者の好奇心を刺激する。→読者「こいつの言動は予想がつかない。真の姿はどんな奴なんだ?」
4,キャラの「真の姿」を読者に見せる。→読者「本性はこんな奴だったのか! 現実世界でもいそう! 洞察を得た!」
5,キャラクターを完成させる。→読者「このキャラは輝いてる! 僕の人生もこうありたい! こういう輝き方があるのか! 世界が広がった!」
・うまくいかないとどうなるか
1,キャラの第一印象が弱い。→読者「テンプレのキャラしか出ないのかな。つまらなそうだな」
2,キャラへの共感がない。→読者「無味無臭で無味乾燥で無関心になっちゃうな。読む意味あるのかな。SNSに投稿する気力が湧かないな」
3,キャラが複雑じゃない。→読者「キャラが薄っぺらい。予想通りのテンプレ言動ばっかりだ。面白くない。隠れてる真の姿なんて無さそうだ。見たままのキャラだろう」
4,キャラの「真の姿」が見られない。→読者「キャラ造形はまあまあだが上っ面だけ。ストーリーで何も起きてない。ピンチになって解決しただけだな」
5,キャラの「変化」や「完成」がない。→読者「キャラも悪くなく、ストーリーの盛り上がりもあったけど、結局なんだったんだろう。読後の満足度はイマイチ」
こうして並べてみると、2の「共感」を得られるかどうかが、作品自体への影響が大きいと思います。売り上げへの影響も。
「そうだね、じゃあ共感を得られるように書こうか」って書ける人は、この先は読まずにさっさと書けばいい。時間がもったいない。
「簡単に言うけど共感ってどうやったら得られるの?」って人は、『キャラクター』を買って読めばいいと思います。
あくまで私個人が理解するためのアウトプットですので、よろしくご了承ください。
引用部分は『』でくくっています。
1.第一印象について
『第一印象が持つ力
この章の締めくくりとして、ストーリーの冒頭について考えてみよう。
場所を設定する映像、小説を開始する章、シーンの引き金となるアクションといった起点を創作するときには、第一印象の力に注意しなくてはならない。
読者や観客は新しいことに出会うと、最悪の事態や最良の事態、あるいはその両方を予想して、これはどこへ向かうのかという好奇心に駆られ、思考が疾走する。
これはキャラクターが物語にはじめて登場する場面に顕著で、主人公のときは百パーセントあてはまる。
一ページ目に主人公を登場させたい衝動には抗うべきだ。最も効果的なシーンまで待ち、読者や観客の興味を引きつけてから登場させよう。』
ラノベで一人称視点だと最初から主人公は出すべきなんでしょうが(でないと地の文が書けないじゃん)、サブキャラの会話で名前だけ先に出して噂して、読者に「どんな奴?」って思わせるのもありか。
『『カサブランカ』の冒頭では、人々の口ぶりから、カリスマ性があるのに不愛想で、有名人なのに謎めいている主人公についての興味が掻き立てられる。
そして、カメラがようやくリック・ブレインをとらえると、リックは白いタキシードに身を包み、ひとりでチェスに興じている。こんな設定なら、「この男は何者だ?」と観客が思うのは当然だろう。
主要なキャラクターをどこで登場させるにしても、最初に紹介するときには強く印象づけなくてはならない。』
「キャラクター性」で高評価が欲しかったら、これくらいやらないとね。審査員の方が気に入るかどうか分からないけど、「こいつはキャラクター性で点を取りにきているな」って伝わるように。
『デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』(62)では、アリ首長が遠く地平線上の一点として登場し、焼けつく砂漠の空を背景に、徐々に大きく、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
ラルフ・エリスンの小説『見えない人間』では、天井から吊られた百個の裸電球が煌々と照らす地下室に、ひとりの男がすわっている。男は淡々と、自分は街から電気を盗んでいると読者に語りかける。
複雑なキャラクターが登場することで、読者や観客がその人物の未来に興味を持ち、中核の自己が徐々に見えてくる形になるのが望ましい。』
冒頭から読者が、さあ来るぞ来るぞ、この作品の主人公はどんな奴なんだ?ってワクワクさせるような登場シーンにしたいものです。ハッタリも必要でしょう。
2.共感について
『主人公
あるキャラクターを読者や観客の前に立たせて、それがいかにおもしろく、魅力豊かで、貴重な時間を費やすに値する人物かを示すには、勇気が必要だ。』
あらためて言われると、とんでもなく無謀なことを僕らはやろうとしているんじゃないかって怖くなります。これを創造の原点に据えないといけませんね。
『そこで、まずは主人公に不可欠な資質について考えよう。
(1)意志の力
人間の心は、死に絶えることを何より恐れ、安全を求めるため、ストーリーの契機事件によって人生の歯車が乱れると、主人公の本能は生命が危機に瀕しているかのように反応する。』
何度も教えてもらっている、契機事件のことですが、「生命が危機に瀕しているかのように反応する」は新しいかも。それくらい真剣に反応してもらわないと、読者も退屈ですものね。
命がけ、とか、死に物狂い、みたいな。
『そして、欲求の対象を思い描く。それは、人生の均衡を取り戻すことができると感じる物理的、個人的、社会的な目標だ。』
「主人公は何がしたいんだ」問題。いまだに悩んでいます。
主人公が死に物狂いで何かを欲している場面をイメージして、それはどんなものか、と逆算してみるのもいいかも。
『この目標を追求していくと、敵対する力が行く手を阻む。最後の危機で直面するのは、ストーリーのなかで最も強力で困難な敵だ。
真の主人公は、自分の目的を達成して人生の均衡を取りもどすための最後の試みとして、この究極の難題に挑み、究極の決断をくだし、究極の行動をとる意志の強さを持っている。
最後の行動は失敗に終わるかもしれないが、意志の力を使い果たすまでは失敗とは言えない。』
最初の方は無難な行動から始めて、上手くいかず、追い詰められて、最後には究極の決断をする、というのも『ストーリー』で習いました。
この主人公なら、最後はどんな究極の行動をとるのかな? という逆算でプロットを作ってみようか。
いずれにしても、主人公の決断・行動の原動力となる「意志の強さ」がないと、お話にならないというのは分かりますね。
いくらスーパーなパワーや知性や天才性がある設定にしてもそれだけだと上手くいかないし、逆に、能力的にそこそこな主人公でも、意志の力が読者に響けば面白くなるんじゃないでしょうか。
現実社会でも、魅力的な人物って意欲的だったり行動的だったりするので(坂本龍馬とかジョブスとか)、それがあれば「キャラクター性」で高評価が得られる、かもしれません。
『(2)複数の資質
主人公は、精神的、感情的、肉体的な資質を一体にして、自分の限界まで、あるいは限界を超えて人生の目標を追い求めていく。
こうした資質はストーリーのよって異なる。若いのか、ある程度の年齢に達しているのか、裕福なのか、貧しいのか、教養があるのか、無教養なのか、といったさまざまな資質のなかから選び出し、
主人公の選択や行動が本人にしかできないもので、その本質に忠実であり、信頼できるものだと読者や観客が感じるものにすべきだ。
主人公の行動は、ストーリーを読者や観客の想像も及ばぬ結末へ導くような、じゅうぶんに広い、そしてじゅうぶんに深い影響をもたらすものでなくてはならない。
主人公が望むものを得られない場合でも、その行動によって最後は人間性がすべて明らかになる。』
(2)にしてもう分からない。おそらく、単一の資質(若い、とか教養あるとか)だけだとリアリティが出ない、ってことでしょうか。
『『ブレイキング・バッド』とその前日譚『ベター・コール・ソウル』のジミー・マッギルの例を考えてみよう。
物語の序盤では、ジミーは詐欺まがいのことで稼ぎながら弁護士をめざす、社交的でチャーミングな人物だった。
しかし、ソウル・グッドマンという別人格をまとうことで、ほんとうの自分を奥深くに隠す。その一方で、彼の小さな法律事務所の仕事はどんどんひろがり、十億ドル規模の麻薬ビジネスに巻きこまれていく。』
例を出していただいてもよく分かりませんね、見たことないし、たぶん見ないし。
「社交的でチャーミング」って資質と、「別人格で十億ドルの麻薬ビジネス」っていう資質を合わせると「読者の想像も及ばぬ結末へ導く」が果たされるってことかも。
それくらい思い切って設定しましょう、と。マジでこれを読む直前まで、「次回作の主人公は、どこにでもいる普通の男子高校生にしよう」って思っていたからね。危ないところでした。
『(3)劣勢の立場
主人公を片方の手のひらに載せて、精神的、感情的、肉体的な資質を量ってみよう。
つづいて、反対の手に、ストーリーの流れのなかで主人公が直面するすべての敵対する力を載せてみる。
これに含まれるのは、主人公の内面にある消極的な思考や感情、友人や家族や恋人との個人的な対立、立ちはだかるすべての組織とそこに所属する人々、そして、悪天候や致命的な病気や時間的制約などの物理的な問題などだ。
主人公の力を、敵対するすべての力を合計したものと比較すると、敵対する力が大きく上まわり、明らかに劣勢だとわかるはずだ。
主人公には欲求の対象を手にする可能性もあるが、あくまで可能性にすぎない。』
今なんの話でしたっけ?と振り返れば「主人公に不可欠な資質」でした。主人公が劣勢じゃないといけないんですね。
劣勢じゃないと人生の均衡が崩されないし、契機事件として成り立たないですもんね。
「この主人公、圧倒的に劣勢で、かわいそう!」という共感でしょうか。仮面ライダーもガンダムもケンシロウも、単体では強いけど、全体的に見たらすごい劣勢、というような。
『(4)感情移入できる
読者や観客は、架空の世界に足を踏み入れた瞬間に、そのストーリーの価値要素をすばやく吟味して、プラスとマイナス、公正と不正、善と悪、興味があるものとないものを選び分け、
感情移入できる安全な場所である「善の中心」を探す。
「善の中心」とは、ストーリーの奥深くで光を発するプラスの価値要素(正義、善、愛など)であり、それを取り巻く暗いマイナスの価値要素(専制、悪、憎しみなど)と対局をなすものだ。
このプラスの光が共感を呼ぶのは、人間は心の奥底で自分はおおむね善良で正しいと思っていて、プラスと認識したものに自然と共感するからだ。
例外もあるが、ほとんどのストーリーは善の中心を主人公に置いている。』
これは確かに思います。主人公はいいもんじゃないとイヤですよね。オリジナリティ狙いのアンチヒーローも大概にしないと。
「善の中心」論は後でも出てきます。これが本書で一番ためになったかも。後から気がつきましたが。
いっぱい列挙してくれてる中の4番目が一番重要だな、って、読んでる最中にはなかなか気づかないよねえ。
『(5)好奇心を掻き立てる
主人公は、そのストーリーのなかで最も複雑で、それゆえ最も魅力的なキャラクターだ。
ひとりのキャラクターのなかにふたつの相反する性質があると、読者や観客は当然「いったいどんな人間なんだろう?」という疑問を持つ。
その答えを追求することで、物語に引きこまれていく。』
魅力的なキャラクターは複雑なことが多いかもしれないが、複雑なキャラクターがすべて魅力的とは限らないでしょう。
いわゆる「どこにでもいる普通の男子高校生」に読者が好奇心を持つはずはないので、どうしたら好奇心を刺激できるか、も重要そうです。
単に分かりにくいだけ、とか、支離滅裂な言動、では好意的な好奇心は持たれないと思うので、バランスが難しそうです。
「複雑なキャラクター」論も後から出てきます。まとめて書いておいてほしいよね。
『(6)登場時間の長さと内面の深み
主人公は物語の前面に立ち、大部分の時間で読者や観客の心を支配する。
その主人公がきびしい選択を重ねたすえ、潜在的な動機や隠された欲求が最終的に明らかになる。
クライマックスで、主人公は最も内面の深いところまで知られるキャラクターとなる。』
主人公なんだから登場時間が長いのは当たり前として、深さも尺度として考えないといけませんね。
戦隊ヒーローで、ピンクやブラックばっかり出てきて、レッド(リーダー)が蚊帳の外、というのも、まあ面白ければいいんですけど。
『(7)変化への対応力
ほとんどの人間は生涯にわたって本質的な自己を保ちつづけるので、変化しないキャラクターこそ真実味があり、現実的に感じられる。
変化するキャラクターは、変われば変わるほど現実から遠ざかり、象徴的な存在へと向かう。
前向きな態度で進むキャラクターは理想に向かって進化し、悲観的な方向へ沈むキャラクターは暗黒の元型に向かって進化する。
そして、すべての登場人物のなかで、最も変化する可能性が高いのが主人公だ。』
ストーリーとはキャラクターがどう変化するのかを表したものなんだそうです。
人間って、そんなに簡単には変われないですよね(したり顔)。ましてや良い方向に変わることはほとんどないように思います。
ありえるのは、不条理な困難がふりかかって、やむを得ず乗り越えることで、結果、精神的にタフになりました、とか?
『(8)真実を見通す力
葛藤によって人生のバランスが崩れると、キャラクターの心は、物事がいかにして、なぜ起こるのか、そして、人はいかにして、なぜそのような行動をとるのかといったことを考える。
最も強い葛藤に苛まれるのは主人公なので、決定的啓示を受ける可能性が最も高くなる。決定的啓示とは、古くは、神が崇拝者の前に突然姿を現すことを意味した。
現代では、現実を見抜く突然のひらめき――物事の表面下に隠された本質的な原因や力を直感的に認識すること――を意味する。
決定的啓示を得た主人公は、何も知らず、意識すらしていなかった状態から、心を搔き乱すような真実へと導かれる。
これによって人生は大きく変わりその結果、成長する場合もあれば破滅する場合もある。
決定的啓示は絶対的な出来事であり、だからこそ危険だ。ストーリーのなかで壮大で心に残る瞬間を生むことができるかもしれないが、大げさで気恥ずかしくなる瞬間になる可能性もある。』
マクベスの例で、最後の独白で、人生には「愚か者が語る物語」ほどの意味しかないと嘆く、というのがあり、ラストで主人公がそれらしいことを言って終わる感じでしょうか。
アムロが「僕には帰れる所があるんだ、こんなに嬉しいことはない」みたいなことを言っていたような。いかにも主人公なセリフですよね。
「善の中心」について
『共感の重要性
知的で感受性の高いふたりの人間が同じストーリーを体験して、正反対の反応を示すのは、ストーリーの内容そのものよりも、共感できるかどうかにかかっているからだ。
ひとりは主人公に共感してストーリーを気に入り、自分の喜びを台なしにしないように、無意識のうちにあらゆる欠点に目をつぶる。
もうひとりは主人公に反感を持ち、そのせいでストーリーが気に食わず、数々の欠点にうんざりする。
つまり、一方は善の中心と同化し、もう一方は善の中心を見つけられないか、見つけたとしても拒絶する。』
この部分を読んで、あ、ヤバい、と思わないといけませんね。別に思わなくていいけど。
売れるか売れないかの違いは、共感があるかどうか、かもしれません。
『善の中心は、やさしさや愛らしさの輝きを示すものではない。共感を呼ぶ登場人物は、心のなかで道徳と不道徳の衝動を闘わせていることが多い。
むしろ、善の中心という言いまわしは、キャラクターの中心にあるプラスの輝きを示すもので、それはまわりを囲むマイナスの陰影と対照をなす。
共感を最も必要なところへ向かわせるために、ストーリーテラーはこのプラスの価値要素をメインプロットの主人公に配する必要がある。』
ストーリーの価値要素を主人公と同期させる、のは、それがストーリーのテーマになるからでしょうけど、結局は主人公が最後に輝く(キャラクターの完成)を描くのがストーリーとも言えるでしょうか。
周りに流されず自分を貫く、みたいな価値要素を取り扱うなら、メインプロットもそういうお話にしないとボヤけますよね。ずっとテロリストと戦っていても仕方がない。
『登場人物のなかに善の中心を据えることは、多くある細かい技巧のひとつにすぎず、作者はそれらを使いこなして読者や観客の感情を形成していかなくてはならない。』
はい、「善の中心」とはテクニックなんですね。意識して採り入れて、自分が書く際に実践していくことができる。逆に言うと、意識してないとムリそう。無意識でできてる人は天才かよ。
『善のバランス
マリオ・プーゾ脚本の『ゴッドファーザー』三部作を考えてみよう。ギャング、悪徳警察官、汚職政治家といった犯罪の世界を描いた作品だ。
しかし、コルレオーネ一家にはひとつのプラスの資質、すなわち忠誠心がある。一家は結束し、互いを守る。裏切りの連鎖のなか、ほかのマフィアファミリーは卑劣なやり口で互いを陥れるので「悪い悪人」となる。
一方、ゴッドファーザーの一家は忠誠心があるので、「よい悪人」だ。
そのプラスの資質を感じると、観客は共感を覚え、コルレオーネ一家に同化する。』
ギャングのお話なんですってね。見たことないけど。善良なわれわれ市民がギャングに共感するなんてことあるでしょうか。
ルパンなんかも実際は犯罪者だけど、善の中心がキャラにあるから視聴者からの共感を得られている、のでしょう。情に厚いとか、たぶん。
『善の中心をさらに深く考察するために、トマス・ハリスの小説『羊たちの沈黙』の人物設計を見よう。
作者のハリスはまずレクター博士を穢れた世界で取り囲む――
FBIはクラリスを操りながらレクターにも嘘をつき、施設の精神科医と看守はサディストで世間の注目を浴びるのを好み、レクターが殺す警察官たちは愚か者ばかりだ。
ハリスはつぎに、レクターの内側から放たれる強烈な光を描写する――レクターはきわめて知的で、クラリスに同情を寄せ、辛口のユーモアは痛快で、みごとな計略を立て、それを冷静沈着にやってのける。
地獄のような施設に収容されているのに、驚くほど落ち着いて紳士的である。
レクターのなかに善の中心が形成されると、読者はレクターと自分を重ね合わせ、こんなふうに考えて肩をすくめる。
「だからレクターは人を食べるんだ。世の中にはもっとひどいことがある。すぐには思いつかないが、きっとあるにちがいない。もしも自分が異常者で、人肉を食う連続殺人鬼なら、レクターのようになりたい。
すばらしい男だ」』
ここ大事! 「「善の中心」ってなんだっけ?」と聞かれたら「レクター博士を思い出せ!」と返しましょう。「すぐには思いつかないが!」もいいでしょう。
落ち着いて紳士的なのに人肉を食べる、のは複雑なキャラクターといえるでしょう。読者はまず好奇心を刺激され、真の姿を見たいと思うに違いありません。(後述)
それだけでなく、善の中心をレクターに置くことで共感を持ってもらう。周りのキャラを愚か者で固めると、主人公の善が際立つ、っていうテクニックなんでしょう。
見たことないけどきっとそうにちがいない。
ルパンも窃盗をするけど、戦う相手はもっとひどい犯罪者たち、というので対比で善を見せて共感してもらう、みたいな。
『力のバランス
ストーリーを創作している早い段階で、こんなことを試すといい。
一方の手に主人公を載せて、アクション、知性、想像力、意志、成熟度といった長所を量り、もう一方の手には全編を通じて主人公と敵対する力を載せて、天秤にかけよう。
まずは、主人公の内面で衝動や矛盾した欲求がせめぎ合う状態を考える。最大の敵は自分かもしれない。
そうした内面の葛藤の上に、個人の関係で直面する問題を載せる。その上には、主人公を取り囲む組織――会社、政府、教会など――からの敵対する力を、さらにその上に、交通機関の混乱、異常気象、致命的な病気、
時間不足で作業が終わらない、距離が遠すぎて者が手にはいらない、そもそも人生そのものが短い、といった物理的な世界の力を載せる。
主人公の個人としての能力と、人生のあらゆる段階で直面する敵対する力の合計を比較すると、主人公が願望を達成できる見こみはほとんどないとわかるはずだ。主人公は負け犬だ。
この地球上のだれもが、内心で自分は不利だと思っている。貧しい人や弱い立場にいる人はもちろんだが、金持ちや権力者でさえ、政府の規制や税金に泣き言を並べ、自己憐憫にふけったりする。
遅かれ早かれ自分に与えられた時間は尽きるという事実をはじめ、人生は執拗につづくマイナスの力との苦しい戦いだと、ほとんどだれもが感じている。
だから、『ソーシャル・ノットワーク』のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)のような圧倒的有利な立場にいる者に、観客は共感しない。
ストーリーの核心に共感を呼ぶには、善の中心を主人公に置き、敵対する強烈な力を並べて、主人公を圧倒的に不利な立場へ追いこむべきだ。』
さっきも同じことを仰っていたとお気付きでしょうか。こういうのが本書はけっこう多いです。
ヒーローもので主人公が強すぎたりすると面白くないですよね。自分とは違うと思って共感できないのかな。
単に主人公をピンチにすればいいのではなく、善の中心は前々から主人公にあって、それを貫いてクライマックスで大逆転する、と価値要素の変化が極限になって感動を呼ぶ、といいんですが。
ここが個人的に一番重要だと思いました。ワナビそれぞれが本書『キャラクター』を買って、ロバマキ師匠はキャラに共感させるにはどうしたらいいと仰っているか、と意識してページをくって欲しいものです。
「善の中心」が主人公にあれば共感が得られると仰られてますが、その仕組みはどのようなものでしょう?
価値要素のプラスを主人公に設定、と言われてもピンとこないよね。
周りのキャラとかを価値要素のマイナスにして、主人公だけプラスにして、ポツンと真ん中にいる、みたいなイメージでしょう。
価値要素が「正義/悪」のストーリーなら、周りは悪のキャラばかりにして、主人公だけ正義にする、とか。チームや戦隊でもいいでしょうけど。
ここでロバマキちゃんが言いたいのは、善の中心がレクター博士にあれば、たとえ人肉パクパクさつじんきでも共感が得られる、クールだと思われ応援してもらえる、ということでしょう。
レクター博士は犯罪者なわけで、逆に周りの警官なんかは犯罪者じゃないのに、ストーリーで扱う価値要素が「クール/ダサい」だと読者に伝われば、レクター博士が「善」となって共感が得られる、という仕組みです。
主人公を正義にしないと人気が出ないだろうことは分かる。
テクニックとして周りを悪で取り囲んで、主人公の正義っぷりを強調しよう、というのを教えてもらいました。
『北斗の拳』とか、周りが悪い奴ばかりで、「ケンシロウがんばれ! じゅうぶん強いけど!」となりますね。たまに味方になるキャラを出して変化をつけるのもありでしょう。
初代の仮面ライダーも、孤独に戦ってるのがよかったんでしょう。後に2号とか出てきたみたいだけど。
恋愛もので価値要素が「愛/憎しみ」な『ロミオとジュリエット』なら、主人公カップルが愛で、周りは家同士の対立で憎しみで囲って、見てる側はラブが成就してほしいと応援する、バッドエンドでも感動する、となります。
周りの敵は強大すぎて、主人公は圧倒的に不利、かわいそう、だけど価値要素のプラスは常に心に秘めている、欲求がある、諦めずに何度でも立ち上がる、というのが共感を得る技巧ということでしょう。
読者から見て「主人公がんばれがんばれ! 最後はどうなるんだ! 徹夜してでも結末を知りたい!」となってほしいわけです。
周りの敵、つまり「敵対する力」をうまく使って主人公の見せ方を工夫しよう、ってことですね。単に主人公が物理的にピンチになればいいってもんじゃなく。
「読者が無関心かなあ。主人公への共感がイマイチ得られてないなあ」という悩みに対して、ロバマキちゃんは
「「善の中心」がぼやけている。「敵対する力」を強化して、価値要素のマイナス側を強調し、主人公の価値要素プラスの面をもっと際立たせてみては? そして圧倒的に不利にすること」とかアドバイスしてくれるかも。
3.「複雑なキャラクター」について
『深層におけるキャラクターの葛藤
人間には、持って生まれたソナー装置のようなものがあり、だれかと会った瞬間に発信機が鳴る。この直感は瞬間的で、考える必要がなく、ただ見るだけでわかる。
潜在意識にあるソナーは、顔の表情をすばやく追い、声の震えを聞きとって、身ぶりから緊張感を察知し、瞳の奥をのぞいて、その人物の器の内なるエネルギーを測定する。
こうして測った深さが、第一印象だ。』
読者がキャラを見るときも、実際の人間と同じようなメカニズムで分析するんでしょう。
書き手にとってはよく知ってるキャラでも、読者にとっては初対面だというのを忘れないでいたいですね。
『第一印象による直感は徐々に発達し、「この人間は信頼できるのか」という問いに答える。その答えは人間が生き延びるための鍵だ。
読者や観客が本能的に信頼し、長いあいだ賛美するキャラクターには中核の対立要素があり、個人的自己と隠れた自己に踏み込んでいる。
この深みを感じとることによって、共感と信頼を覚える。』
読者が第一印象を分析する能力は、自分が生存するための防衛本能だという。いかにもスパイとか、裏切りそうってキャラの挙動には敏感に反応するでしょう。
「性格描写と無意識の欲求のあいだにある矛盾」があると、深みが読者にも伝わるという。それが見えるように描写して、読者の第一印象に持っていきたい。
『以下のページでは、キャラクターの深みにかかわる十の特徴を、演劇、映画、小説における例とともに紹介している。
作家としての野心が、複雑で深みのあるキャラクターを求めているなら、このリストはあなたの想像力を刺激するだろう。』
目的は魅力的なキャラを作ることで、そのためには複雑で深みのあるキャラ作りを学ばないといけない。想像力を刺激していただくだけでも有難い。
『1 皮肉な自己認識
そのキャラクターはつねに自己欺瞞に対して警戒し、心のなかの動きにだまされることはほとんどない。』
自分で自分を信用してないような言動のキャラを見たら「なんか深そう。過去に何かあったのかな(好奇心)」と思うかも。
『2 他人を見抜く力
見せかけの世界をつねに認識し、社会の内側で起こっていることにけっしてだまされない。』
他人の言うことをいちいち疑ったりするキャラを見たら「なんか深そう。過去に騙されたりしたのかな」と思うかも。
『3 知性
思考能力が高く、あらゆる分野から情報を集めて、それをもとに推理をおこなう。』
書き手の知性が問われますが、成功すれば、「なんか妙に賢い。ただものではなさそう。この知性はどこから来たのか」って思うかも。
『4 つらい過去
キャラクターは幸福を願うが、苦しみを通して深みを身につける。幸福な心は人生がもたらす利益について考えるが、苦しむ心は深く内省する。
苦しみはキャラクターの日常の繰り返しの裏にあるものを見せ、自分が考えていたような人間ではないことを理解させる。
愛する人を失った悲しみは中核の自己の底を突き破り、さらに深いレベルが姿を現す。深い悲しみはその床をも突き破り、さらに深いレベルが現れる。
どれだけあがこうとも、痛みを感じずにいることはできない。苦しみは人間に自分の限界を正しく認識させ、自分が何をコントロールできて、何をできないかを教える。
苦しみは未熟な心を成熟へ導く。賢明な反応は、苦悩に満ちた経験を道徳に照らし合わせて、悪い経験を貴重な経験として建てなおす。
深みを知る魂は、痛みを目撃し、痛みを引き起こし、罪悪感とともに生きてきた。』
4だけ急にボリューム過多。
何かにつけて目の奥に深い悲しみをちらつかせるキャラは、「なんか深そう。なにか辛い過去があったのかな」と思わせるかも。やりすぎるとコメディですが。
『5 長い年月にわたる豊かな経験
若いキャラクターは年齢にかかわらず聡明に見えるかもしれないが、現実には、深みを得るには豊かな経験と、何よりも長い年月が必要となる。』
長老みたいなキャラが出てきたら「なんか深そう。いろいろこの世界の知識や経験があるんだろう」と思うでしょう。逆に、設定した年齢なりの深みを出せないなら問題です。
『6 集中力
人と向き合うときは、熱心に耳を傾け、目を合わせて、サブテキストを読み取る。』
このキャラ、なんかすごい熱心に人の話を聞くなあ、となれば「なんか深そう。人の話を聞くのが好きなのか、あるいは疑っているのか」なんて思うかも。
『7 美への愛
心の深みが感性を研ぎ澄まし、やがて美が苦痛に感じられる。』
だんだん分からなくなってきたけど、やたらと美だの言いがちなキャラには「なんか深いのか、それとも単に変人なのか」と好奇心は湧くかも。
深みとは実像と潜在意識との矛盾ということで、それが表出したのが「美へのこだわり」ということなら、なぜそうなるに至ったのか、って考えることもできるかも。
『8 落ち着き
脅威やストレスにさらされても、自分の情熱をコントロールすることができる。』
事件が起こってもやたらと落ち着いてるキャラを見たら「なんか深そう。この落ち着きが今後どのようにストーリーに絡んでくるのかな」と思うかも。
逆に、伏線のつもりが回収できなかったなら、推敲で消しておかないとね。
『9 皮肉屋で疑い深い
希望とは現実を否定することだと考えている。自分自身でたしかめるまでは、だれの言うことも信じない。』
やたら皮肉を言うキャラとか出しがちだけど、「なぜそんな皮肉とか現実を否定するような言動をするのか」と興味を持たせられるなら、その原因や過去なんかは用意しておかくべきでしょう。
『10 人生の意味を探る
神のいたずらを理解し、人生に固有の意味などないことを知っている。それゆえ、自分のために生きることと他者のために生きることのあいだに、人生の意味を見いだそうとする。』
やたら親切なキャラとか出しがちだけど、「なんか深そう、なんでこんなに主人公に親切なのかな」と思うか、「なんだこのご都合主義ラノベは」となるか、準備段階での掘り下げが重要でしょう。
ここまで見て来て、好奇心の向かう先は「過去に何があったのか、なぜこのような人格形成になったのか」が多いかも。
『これらの特徴をひとつの役柄にまとめると、アンチヒーローができあがる。
つぎのような例が考えられる。つらい過去によって心を閉ざしているが、他人の苦しみには弱い一匹狼。自分の苦しみに当惑しているストイックな人間。人前では機転がきくが、ひとりになると自嘲的な人間。
社会のルールを小ばかにするが、個人的な規範にはこだわる人間。恋愛に慎重なロマンティスト、など。
ここにあげた十の特徴は、『マルタの鷹』のサム・スペード、『カサブランカ』のリック・ブレイン、『三つ数えろ』のフィリップ・マーロウにすべて盛りこまれている。
ハンフリー・ボガートがその三つの役すべてを完璧に演じあげた。ボガート以降、そこまでの深みがある演技を認められた俳優はほとんどいない。デンゼル・ワシントンはその数少ないひとりだ。』
……って、この十個、単一キャラでぜんぶ兼ね備えろ、だって?(ひっくり返る)
見たことないけどフィリップマーロウは聞いたことあります。きっと良キャラなんでしょう。ただ、そのまま真似しても評価は得られないでしょう。
この十の特徴を全部揃えるくらい、主人公には力を注ぐべきなんじゃないか、僕は甘すぎたんじゃないか、と教えられました。
『ケーススタディ――アントニーとクレオパトラ
複雑なキャラクターのなかで、対立要素が複数のレベルで交差する例として、シェイクスピアが描いた高貴な恋人たち、アントニーとクレオパトラのふたりについて考えてみよう。』
シェイクスピア作品で何が一番好き? って質問で「アントニーとクレオパトラ!」って答える人はどれくらいいるんだろうね。軽く読んでみたけどチンプンカンプンでした。
『アントニーの最も重要な矛盾は、社会的自己と隠れた自己の対立――ローマ帝国の執政官としての立場と、エジプト女王への情欲である。
言い換えれば、意識的な理性と潜在的な衝動の対立だ。アントニーの政治的自己はその名声を最大限に高め、内なる自己は情交を激しく求める。』
これが魅力的なキャラかというと難しいんですが。表向きは有能な政治家だが、裏の顔はめっちゃクレオパトラ激推し、というような。
『聡明かつ雄弁で、実利的かつ誇り高き将軍アントニーは、ローマ帝国の政治については迷いがなく、何をなすべきか知っている。
その一方で、快楽を愛し、美に執着し、恋に身をやつす愚か者でもある。クレオパトラへの情熱ゆえに、アントニーは欲望のままに行動する。
先に述べたとおり、「すべきこと」と「したいこと」では、天と地ほどの差がある。』
とても優秀なキャラだけど、恋するクレオパトラのこととなると急にポンコツになる、みたいな、今ではありがちかも。
『アントニーの性格をさらに豊かに描くために、その行動の幅広い範囲にシェイクスピアは多くの矛盾を書き加えた。』
目指せ、令和のシェイクスピア。私は脚本家志望じゃないけど。
『世界の舞台に立つときは、指揮官として豪胆な声で高らかな雄叫びをあげる。クレオパトラとベッドにいるときは、キスの雨を降らせながら詩人のようにやさしい声で語る。
軍団を指揮しながらも、個人としてはひとりの女性の奴隷だ。軍を率いるときは成熟した大人であり、愛する女性の足もとにひざまずくときは未熟な青年になる。
戦場では意志が固く、クレオパトラのベッドでは意志を失う。
アントニーの心をのぞくと、彼にとって戦争と恋は情熱と快楽のふたつの形にすぎない、とわかるのではないだろうか。戦争を愛する者に言わせれば、殺すことは情熱であり、勝利は深い快楽である。』
矛盾していればいいということではなく、出所は同じだけど見え方が違う二種類のものが、他者からは矛盾しているように見えるが、本人にしてみれば矛盾だとは思ってない、ってことでしょう。
戦争で勝つのも、クレオパトラとベッドでイチャイチャするもの、本人にとっては同じ性質の快感を味わってる、みたいな。
単に、優秀な政治家がストレス解消のためにプライベートでSMプレイしている、ではきっとダメなんでしょう。嫌いじゃないけどね。
『クレオパトラは、シェイクスピア作品のなかでも屈指の複雑なキャラクターだ。
絢爛たる王族の血を引きながら、無邪気で魅力的な女性である。
敵と向き合ったときは勇敢だが、戦いでは取り乱す。感情がこもった迫真の演技にだれもが惑わされる、生まれながらの女優だ。
それどころか、クレオパトラは男にとってあまりにも魅力的なので、ほかの女性では短所や悪行になるものが、非の打ちどころがない美徳となる。
激しい怒りは高貴な命令に、泣きわめく声は悲しみの涙に、子供じみた悪ふざけは魅力的なユーモアに、飲酒は女王らしい祝い事に、口やかましさはアントニーへの気づかいに、哀願や駆け引きは謙遜や合理性に、
悪趣味なジョークはウィットに、性的な奔放さはカリスマ的魅力に、際限のない自尊心と虚栄心は愛国心と祖国への愛に解釈される。』
一度にいっぱい列挙するの悪い癖ですよ師匠。
『クレオパトラの非凡さは、潜在意識から生じた強欲や情欲を、周囲の人々に届けるよりも前にみずからの敏感な心がとらえ、魅惑的で説得力のある行動に変えているところだ。
恋人や敵や家臣たちの目がとらえるのは、彼女の心の闇ではなく壮麗な姿である。
中核の対立要素は、アントニーとよく似ていて、賢明で意志が強く、計算高い野心と、それと相反する、愚かで意志が弱く、情熱に屈する姿だ。
悲劇とは、ほしいものが手にはいらないことだという考え方がある、一方、真の悲劇とは、ほしいものを手に入れるためには大きな代償を払うことだという見方もある。』
心に闇を抱えているけど外には見せないようにしていて、鋭い読者は見抜く、みたいなことでしょうか。
わがままで奔放なキャラはよくあるけど、それだけでは魅力的じゃないと思うので、裏に何かありそうだとほのめかしを入れつつ、「矛盾が一貫していなくてはならない」で事前に掘り下げておかないと。
我々も、クレオパトラ級(戦艦みたいでかっこいいね)のキャラを作るぞ、って高い志をまずは持って、やり方はめいめいが考えましょう。ヒントは師匠から頂きました。
『9 多元的なキャラクター
相反するものをひとつにする
ここで復習しよう。性格描写とその陰に隠れた実像は、ともにキャラクターの潜在意識に浮かんでいる。そこは、衝動や欲求、無意識の習慣や気質が渦巻く海だ。
三つの側面――表向きの自己、内なる自己、隠れた自己――がひとつになってキャラクターが完成するのだが、この三つがばらばらに飛んでいかないようにしているのはなんだろうか。
表層や人格、内なる自己、潜在意識の衝動をまとめて、ひとつの統一されたキャラクターにするものは何か。
答えは、対立や矛盾による力だ。
巧みに設計された役柄の調和した姿のなかには、生き生きとした矛盾が交錯している。つまり、相反するものがひとつになって、キャラクターの複雑さを作りあげるという原則だ。
複雑なキャラクターが登場するストーリーでは、醜さと美しさ、抑圧と自由、善と悪、真実と嘘といったものを結びつける本質的な矛盾が、美しく洗練された形で保たれている。』
キャラのなかに矛盾が含まれていると、複雑なキャラクターとして評価が上がる、という感じでしょうか。
複雑ならなんでもいいというのではく、美しく洗練されていないといけないんでしょう。
『キャラクターの対立要素
正直、寛容、勇気といった美徳は、同じ社会、同じ人間のなかで絶えず向きを変えて、裏切り、利己主義、臆病になる。
その結果、人類はパラドックスに支配されている――家族を愛しながら憎み、時間を節約しながら無駄にし、真実を求めながら明白なことを否定し、自然を重んじながら穢し、平和を願いながら戦争に突入する。』
これを言われると、矛盾を持っていない人間なんて存在しないんだろうって思わされます。地球にやさしくと言いながら便利な生活は手放せない、とか。
『複雑なキャラクターは、まず、ある姿の自己を見せ、つぎにその正反対の姿に変わり、またもとの姿にもどる。
このような変遷にはパターンがある。
キャラクターがほかのキャラクターや自分自身とどのような関係を築いているかによって、あるときはプラス、あるときはマイナスへと、両極のあいだを揺れ動く。
あるキャラクターの内と外の性質が結びついて、ひとつの機能を形作ると、その役柄は類型的なものになる。看護師、警察官、教師、スーパーヒーロー、悪役、相棒などだ。
一方、矛盾によってひとつにまとまった役柄は、完全で複雑さを具えた魅力的なキャラクターとなる。相反するものが対立要素を形成するのだ。』
矛盾がないと、類型的で薄っぺらいキャラになってしまう、ということでしょう。
この「魅力的なキャラクター」をどうやったら作れるか、がキモですので、
『多元的なキャラクターがわれわれの好奇心を刺激するのは、ひとりの人間のなかに矛盾したふたつの側面が存在するからだ。それによって、予測不可能で魅力的なキャラクターになる。
それは一瞬ごとに、どんな面が現れるのだろうかと思わせる。』
予測不可能なら魅力的とは限らないんでしょう。ふたつの面があって(内向的/社交的など)、このシーンではどっちの面が出るのかな、という好奇心を刺激するような。
読者が「どっちの面が出るのかな」と思うためには、事前にどちらの面も見せておかないといけないでしょうね。
『六つの矛盾における複雑さ
あるキャラクターの持つ対立要素は、さまざまな表向きの性格描写、内なる自己、隠れた自己のあいだに存在している。さらに、この三つは、たがいに矛盾することも多い。
そのため、複雑なキャラクターには、六種類の異なる対立要素が存在することもある。』
三つ(性格描写、内なる自己、隠れた自己(潜在意識))の二つの面と、それぞれの間で矛盾が組み合わせであるんでしょう。
性格描写vs性格描写、内なる自己vs内なる自己、隠れた自己vs隠れた自己、性格描写vs内なる自己、性格描写vs隠れた自己、内なる自己vs隠れた自己、で六つでしょうか。
あくまで「複雑なキャラクター」を作るためのヒントなので、ぜんぶやらなくてもいいんじゃないかと思います。
『1 性格描写のふたつの側面のあいだにある矛盾
たとえば、毎朝化粧に一時間かけながらも歯を磨かない女性を想像しよう。
この女性は、夫に暴言を吐きながら子供を甘やかし、上司にへつらいながら部下に高圧的に接している。
この三組の対立要素は、性格描写の本質――彼女の物理的、個人的、社会的な自己――を融合させて興味深い行動を引き起こし、読者や観客は彼女にとって何が重要で何が重要でないのかをよく考えることになる。』
歯磨きに気を取られがちですが、きっと重要なことを仰っている。読者はキャラの矛盾を見つけると、興味を持ち、キャラにとって何が重要なんだろうかと勘ぐり始める。
逆に、矛盾なく、いつも決まった反応しか返さないキャラには、類型的で薄っぺらいと判断して、興味をもたないんだなあ。
夫には暴言、子供は甘やかす。では、年下の同僚にはどっちの面が出るのかな? みたいに読者の好奇心を刺激したいものです。いつも暴言だけだと予想がついてつまらないね。
『性格描写のレベルでは、キャラクターは自分の特徴を自覚していることが多いが、それを矛盾だと認識することはほとんどない。むしろ、それを必要なものとしてみずから正当化する。
こうした行動をほかの登場人物も理解し、それに対してどう考えるかをみずから選択する。』
性格描写とは、外向きの姿で、三重の円(『ダイアローグ』より)で言うところの「言うこと」でしょうから、キャラ本人も周りのキャラも見える現象ですね。
重要なのは、キャラ本人は矛盾だと思ってない、ってことでしょう。本人なりに理由があって夫に暴言を吐くけど、子供は甘やかす理由もあるんでしょう。
読者からしたら「矛盾しているな、真の姿はどんなのだろう?」と興味を持ち、クライマックスで極限まで重圧がかかった際の決断で、真の姿が現れるのを期待しながら読み進める、って感じ?
『3 性格描写と無意識の欲求のあいだにある矛盾
きわめて活動的で、つねに何かに挑戦しつづけているが、隠れた自己はいつも冷静な女性を想像しよう。
この穏やかな自己は、彼女が危機に直面したときにだけ出現する。脅威にさらされたとき、彼女は落ち着きを見せ、集中して力強く行動する。』
2は飛ばして、性格描写vs隠れた自己(潜在意識)。いつも活動的なのに、節々で妙に落ち着いてるなあ、みたいな好奇心が湧くかもしれない。単に活動的なだけじゃダメなんでしょう。
もちろん、読者の好奇心を掻き立てただけで終わったら期待外れで面白くないという評価になるので、クライマックスで真の姿が表れて、好奇心を納得させないといけない。
ケレン味とかミステリアスなだけで煽るだけ煽って、風呂敷を広げるだけで、深掘りはできていないまま唐突に終わり、ではガッカリされてしまうでしょう。
『キャラクターの潜在意識を理解する鍵も、やはり矛盾である。』
矛盾のない人間はいない、からの、矛盾を逆に利用して魅力的なキャラを作ろう、どんな矛盾があったら面白いだろうか、という方向ですね。
キャラに矛盾がある、と言われると、言動が首尾一貫していない、とか、作者やストーリーの都合で動かされている、みたいなネガティブな認識もされそうで、塩梅が難しいですね。
『あるキャラクターの発言と行動が一致しないとき、どんな可能性が考えられるだろうか。
ひとつは、嘘をついている場合だ。自分がほんとうに望むものを知りながら、表向きは正反対のことを望むふりをしている。
もうひとつは、正直者である場合だ。自分が口にすることを心から信じていて、自分がほしいものをほんとうに求めているのだが、それを手に入れようとすると、何かに努力を阻まれる。
自分ではなぜだかわからないが、ときおり、そのキャラクターはやや暗い顔を世界に向ける。
潜在意識にあるのは矛盾した力だ。』
一つ目の「自分がほんとうに望むものを知っている」のは、内なる自己との矛盾であり、隠れた自己(潜在意識)ではないですよね。潜在意識は自分では分からないってことでしょう。
もう一つの、「何かに努力を阻まれる」っていうのが、自分では認識していない潜在意識なんでしょう。活動的なはずなのに、ときおり暗い顔になる、理由は本人にもわからない、って。
『4 自覚したふたつの欲求のあいだにある矛盾
不義を働く者のジレンマ――夫への献身と愛人への情熱のあいだで板ばさみになっている女性。
実像のレベルでは、自己を認識し、自覚した心が、おのれの内なる矛盾を分析し、悩み、どう選択すべきかともがき苦しむ。
自分のジレンマを他人に話せば、それは性格描写の一面となる。
サブテクストとしての対立や葛藤を自分の心にとどめれば、読者や観客はそれをほのめかしとして感じとることしかできない。
だが、ひとたび彼女が行動を選択すると、読者や観客は彼女の心をはっきりと理解し、内なる対立要素を感じとることができる。』
実像とは内なる自己ですかね。用語を統一してほしい。
内なる自己で二つの欲求が矛盾しているから本人は葛藤する、そのためには本人が両方の欲求を認識しているのが前提になりますね。
やはりジレンマの果てにどんな行動・選択するかで、真の姿が現れる、ということになります。
5と6も割愛します。それほど重要そうでないので。気になる方は『キャラクター』を買って読んでね。
『相反するものがひとつになった現実世界での例として、小説家、劇作家、脚本家として多元的な活躍を見せたグレアム・グリーンについて考えよう。
グリーンには、自己嫌悪と自画自賛、きびしすぎる自制心と自己破壊が同居し、異様なほどロマンティックでありながら冷淡な皮肉屋であり、敬虔なカトリック教徒でありながら生涯にわたって姦通にふけり、
ノーベル賞候補になった文豪でありながら大衆小説も書き、厳格な神学者でありながら道徳的相対主義者であり、共産主義者を気どりながらひそかに君主制を支持し、反帝国主義の活動家でありながら旧植民地に寄生し、
きわめて高い教養を持ちながら薬物に溺れた。グリーンは並はずれた芸術家であり、その人間性もまた常人とは異なっていた。』
大体が「1 性格描写のふたつの側面のあいだにある矛盾」でしょうか。そんなに魅力的でもなさそうですけど。自己嫌悪と自画自賛が同居する感じは分かる気がします。
本書の最後の方のケーススタディで『ブレイキング・バッド』を取り上げられてますが、こんなもんじゃないからね。何年も続くテレビシリーズには大量の矛盾が必要ってことらしいです。
『時間の経過のなかでキャラクターを統一するためには、矛盾が一貫していなくてはならない。
ある男性が木からおりられなくなった子猫を助けたとしても、それは矛盾ではなく不要の親切であり、読者や観客の安っぽい共感を得るだけだ。
ある女性がストーリーの全編にわたって猫を救ったあと、突然犬を足蹴にしたとしても、それは矛盾ではなくただの苛立ちだ。
矛盾は変動しうるものではなければならない。猫は好きだが犬は苦手なので、子猫は救うが子犬は見捨てるというキャラクターは、心のなかに葛藤がある。
読者や聴衆は、この神経質な矛盾をおもしろがり、その根源となるものに興味を持つはずだが、そのパターンが繰り返されるようではまずい。
対立要素は予測不能で絶えず変化する必要があり、猫と犬が何度も同じように裏庭で助け出されたり、捨てられたりするのはよくない。
さらに、緊張感を保つために、矛盾は解決不能に感じられるものでなくてはならない。』
ヤンキーさんが子猫を助ける、みたいな安っぽいのはダメだし、イヌネコで興味を引けたとしても、ずっと同じことを繰り返すのは面白くない、というのは分かります。
いろいろな角度から違った矛盾の表出があるけど、根っこは同じところから、としないと、単に支離滅裂なだけのキャラだと思われてしまいますね。
『実像と反応
たとえば、あるキャラクターが教育を受けようと奮闘しているとき、勉学にまつわる試練に対して起こすリアクションは、世界じゅうのあらゆる学生と同じように多種多様だ。
恋愛、仕事、健康など、人生のあらゆる重要な側面でも同じことが言える。
否定的な力に行く手を阻まれたときにおこなう選択は、中核の自己の表れであり、どのように反応するかはそのキャラクター独自のものだ。
『カサブランカ』では、リック・ブレイン(ハンフリー・ボガート)が、ヴィクトル・ラズロ(ポール・ヘンリード)に、なぜ生命の危険を冒してまで反ファシスト運動をつづけるのかを尋ねる。
ラズロ「なぜ呼吸をするのかという質問と同じだ。呼吸をやめれば人は死ぬ。闘わなかったら、世界も死ぬんだ」
リック「それがどうした? 惨めさから抜け出せるじゃないか」
ラズロの簡明な宣言は、理想主義者ならだれでも言うであろうことだが、それに対するリックの反応、すなわち、文明の死は慈悲の行為であるという信念は、キャラクター固有のものだ。
リックの選択は、彼にしかできないものであり、あとにも先にもアメリカのあらゆるアンチヒーローのなかで際立った存在となっている。
この原則は、キャラクターを作る際の指針となる。
緊迫した状況下での行動の選択は実像を表すものであり、丹念に表現された斬新なリアクションは、性格描写を際立たせて、好奇心を掻き立てる。』
どうすればキャラに好奇心を持ってもらえるかのヒントでしょう。普通とは違うリアクションをさせる。
もちろん、単に変わっているだけではダメで、裏づけとなる信念とか過去とかが必要で、それが現れるのは重圧からの選択の場面ですよね。
そんなに重圧のない場面とかでも、折につけ、読者の予想を外すようなリアクションをさせて好奇心を引き出す、というのもテクニックの一つではないでしょうか。
『第4部 キャラクターの関係
人はだれに対しても自分のすべてをさらけ出したりはしない。見せるのはほんの一部だけで、あとは表に出さず、大きな秘密を内にしまいこんでいる。
それは自分自身に対しても同じことだ。人は自分自身にも、自分のすべてを見せてはいない。ほんとうの自分は本人にはわからず、ほかの人間だけが真実の一部に気づく。
現実がそうならフィクションも同じだ。
あるキャラクターがほかの登場人物とかかわるのは、学問上の興味や信仰が同じだからかもしれないし、恋愛感情からかもしれないが、ひとりの相手に対して一度に自分のすべての面を均等に見せることはない。
だが、そのキャラクターのまわりにさまざまな登場人物を配し、それぞれがそのキャラクターの異なる面を引き出す役柄にぴたりとはまれば、
その登場人物たちとのかかわりのなかで、キャラクターの特徴や奥行きが明らかになる。
だから作家にとっては、読者や観客がクライマックスまでにキャラクターのことを本人よりもよく知るために、登場人物たちをどのように設計すればよいかが問題となる。
キャラクターの関係の原則――すべての登場人物が互いに相手の特徴と真の姿を引き出しあう。』
矛盾をいくつか設定した後は、それぞれの項目ごとに引き出す役の別々のサブキャラをぶつけていきましょう、ということらしいです。
『巧みに造形された登場人物の集団においては、特徴や矛盾が対立要素を生んで、それぞれのキャラクターがほかのどの人物とも異なったものになる。
シーン内でやりとりしたり、別のシーンで互いにほかのキャラクターのことを話したり考えたりするうちに、対照や矛盾によって互いの役柄が一段と明瞭化される。
さらには、キャラクター同士が面と向かってやりとりするなかで、アクションとリアクションが引き起こされ、それぞれが持つプラスとマイナスの価値要素が明らかになる。』
男キャラと女キャラとで主人公の接し方がぜんぜん違ったりすれば、読者は「こいつは本当はどんなヤツなんだ?」と興味を持つし、抱えている矛盾や、プラスにしたい価値要素が浮き彫りになる、かも。
『この方法で焦点をキャラクターからキャラクターへ移すにつれて、互いがどのように助け合ったり邪魔し合ったりするのか、そのキャラクターが何を求めて何を拒むのか、何をして何をしないのか、どんな人間なのか、
各キャラクターがどのようにほかの人物の特徴や動きをあらわにするのか、などが形をなしていく。
相容れない欲求同士がこじれて対立や葛藤へ発展すると、キャラクター間のつながりに亀裂が生じて関係が変化する。』
敵対する力、いわゆるラスボスとの関係も、主人公とキャラクターたちとの関係の一つ、ということで、一番ハレーションが強い関係、みたいなことになるでしょう。
『だから、作家はストーリーを作りながら、つねにキャラクターたちを比較対照し、類似点と相違点を整理して、自分だけにわかる図式を描く。
ハムレットは人生の意味を切実に探し求めていたが、この王子が最後にどこでそれを見いだすのか、シェイクスピアには最初からわかっていた。
あるキャラクターを思いついたからといって、そのキャラクターが登場人物のなかで的確に位置づけられるとはかぎらない。それぞれの役柄が、創造的戦略の一部としてストーリーテリングを促すようにしなくてはならない。
読者や観客が夢中になれるのは、主人公以外にも登場人物がいて、それぞれの類似や相違によって緊張が生まれるからだ。
もし全員がただひとつの軸――善か悪かや、勇敢か臆病か――をめぐって対立していたら、キャラクター同士が小さくまとまって、おもしろみが消える。
だが、複雑に対立していれば、ストーリーを追う者の好奇心や共感が呼び起こされて、活力と集中力が引き出される。
そのためには、よく練られた登場人物の設計が必要だ。』
なんか面白くないと思ったら、まず主人公を複雑に、内部で矛盾する要素を何個が入れて、それぞれの要素で、それぞれ違うキャラを当てがって対立させる、といいかも。
「臆病/勇敢」では軍曹と、「恋愛/憎悪」では恋人と、「金持ち/貧乏」では高利貸しと、「危険/安全」ではホオジロザメと、みたいなね。
4.ジレンマについて
『選択によって明らかになる実像
作家はキャラクターの内面をどのように表現するのか。
性格描写によってではない。キャラクターの表向きの行動が魅力的であればあるほど、読者や観客は対照的な内なる要素を知りたくなるものだ。タフに見える人物がいれば、弱みはないのかを知りたくなる。』
読者側の視点からは、外面の良いキャラって実は内面が対照的なんじゃないかと覗いてみたい好奇心が湧くでしょう。
『他者の発言によってでもない。あるキャラクターが他者について思っていることが真実かどうかはわからないが、そう言ったということ、それをだれが言ったかということは、その先で明らかにされる事実の布石となるかもしれない。』
格上ライバルキャラに心酔している取り巻きキャラとか、あえてわざとらしい言動にしたりして、それが奥行きやギャップになるといいですね。
『キャラクターがみずからについて語る内容によってでもない。読者や観客は、キャラクターの告白や自慢話を大きな疑いを持ちながら聞く。
人間というものは、自分を理解するのと同じくらい、自分を欺きもすると知っているからだ。』
極限まで重圧をかけられたとき、自分でも驚くような行動をとることはありますよね。あ、逃げるんだ俺、みたいな。
『読者や観客は、キャラクターの真の姿を明らかにする出来事が起こるのを待っている。
信頼できるただひとつの方法は、追いつめられた状況でキャラクターがどんな選択をするかを見ることだ。人間は生涯におこなった無数の選択によって成り立っている。』
自分だ読者側になったとき、何も事件が起きなくてつまらないな、と思うことがよくありますが、真の姿を明らかにするデカい出来事が起こらないかな、と無意識で待っていたのですね。
自分が作者側になったら、ここぞというタイミングで、そのキャラの真の姿が見えるような出来事を起こす、そうなるよう段取りを整えておく、と面白いと思われる、かも。
さらに言えば、真の姿を見たい、と思わせるくらい魅力的な外向きの姿も必要ですね。
『アメーバから類人猿まで、地球上のすべての生き物は、生命を優先させるという自然の第一法則に従っている。
自然はすべての生き物に対して、遺伝子を守るために、プラスと信じたほうへ向かって行動することを命じている。カモシカにとっての無残な死は、ライオンにとっての昼食である。
生を死に優先させるという自然の性向が、人間のすべての選択をプラス(生を豊かにするもの)へ向けさせ、マイナス(死を感じさせるもの)から遠ざける。
ソクラテスの教えのとおり、悪いと思うことを故意におこなう人間などいない。ただ、プラスと信じることに向かって行動する。主観の問題だ。生き抜くために必要であれば、心は不道徳を美徳と書き換える。』
そのキャラが、その時問題になっている価値要素について、どんな行動をしたらプラスになると考えているかが、そのキャラの真の姿ということになりましょう。
『読者や観客がキャラクターの視点を理解し、単純なプラス/マイナスの選択(幸福と不幸、正と誤)に直面するところを見れば、どんな選択をするかは見なくても(おそらくキャラクター自身が知る前に)わかる。
マイナスを拒否し、自分がプラスと思うものを選ぶはずだ。中核の自己はつねにそう選択する。それが第一法則だ。
そのため、マイナスとプラスを明確に選択する(貧困と富、無知と知恵、醜さと美しさ)のはありふれたことだ。』
プラスかマイナスかがハッキリわかる場面では、プラスの方を選ぶのが当たり前ですね。逆に、ストーリーの都合とかで悪役に単に悪事をさせるのは不自然に思われるでしょう。
『ジレンマによって明らかになる実像
最も説得力があり、キャラクターの実像が明らかになる決断は、ほぼ同じ重みのあるふたつのものから一方を選ぶことだ。
こうしたジレンマには、前向きなものと後ろ向きなものの二種類がある。
前向きなジレンマとは、同じくらい魅力的だが両立しないふたつの選択肢をキャラクターに突きつけるものだ。両方を望んでいるが、事情によってどちらかを選ばざるをえない。
たとえば、ロマンティック・コメディでは、やさしく献身的で寛大だが退屈な男と、情熱的で才気にあふれて魅力的だが確実に不幸にさせられる男と、両者のあいだで女性が板ばさみになる。』
片方は「確実に不幸になる」のに、これは前向きなジレンマの例なんですね。奥が深い。
『後ろ向きなジレンマとは、同じくらい魅力のない選択肢をキャラクターに突きつけるものだ。どちらも望まないが、事情によってどちらかを選ばざるをえない。
たとえば、古典的な結婚劇では、家族が勧める男と結婚しなければ、女性は家族から縁を切られるが、家族が選んだ男と結婚すれば、一生退屈な生活を送ることになる。』
確かに後ろ向きですね、大変ですね。
『わかりきった選択は簡単にできて、危険にさらされることもないが、ジレンマはキャラクターに重圧を与え、危機にさらす。
わかりきった選択から読者や観客の知らない物事が明らかになることはほとんどない。ジレンマのなかで決断するからこそ、ほかの選択肢がキャラクターの心のなかを駆けめぐる。
キャラクターが選択に苦悩するなか、見え隠れする可能性が、読者や観客の好奇心をストーリーのクライマックスへ駆り立てる――この人物は、結局どうするのだろうか、と。
どちらを選ぶにせよ、重圧のかかるなかでの行動がキャラクターの実像を明らかにする。』
このキャラに重圧をかけて真の姿を引き出そう、とするときは、そのキャラが困るようなジレンマを突きつけるといいんでしょう。
そんなに強くないヒーローが、負けるかもしれないと分かっていても向かっていくの見て、「このキャラは勇気がある」と応援したくなる、というふうに持っていきたい。
『アンドリュー・ショーン・グリアの小説『レス』では、主人公アーサー・レスがジレンマに立ち向かう。
作家としての大きな成功を得るために苦闘し、そのために痛みをともなう犠牲を払うのか、それとも、小さい(レス)ことを受け入れて気楽な生活で楽しみを得るのか。レスは後者を選ぶ。』
ずっと「この人物は結局どうするのだろうか」と思いながら進んで、最後は後者を選ぶ、って可能性もあるんですね。
っていうか、こんな例を作家の入門書にぶっこんでくるあたり師匠も人が悪い。
『対立によって明らかになる実像
キャラクターがリスクの高いジレンマのなかで行動を起こすと、自分の世界のなかに敵対する力が発生することは避けられない。こうした障害を乗り越えるため、キャラクターはつねに即興で対応していく。
選択は、ときに直感的に、ときに注意深くおこなわれるが、つねに重圧にさらされている。何かを得るためには失うものもあるという状況だ。
危機をともなう重圧が大きければ大きいほど、キャラクターがおこなう選択は、その真実の姿を強く表すものになる。』
ただジレンマだというだけでなく、リスクや危機が大きくないといけない。
『選択と自己のあいだの相互作用は、作品を導く三つの大原則を作家にもたらす。
1 リスクにさらされ、緊迫した状況にあるキャラクターが欲求を追い求めるとき、その行動の選択は実像を表す。
2 リスクやプレッシャーが大きいほど、選択は深みを増し、真実の姿を明らかにする。
3 選択が自由であるほど、その選択はキャラクターの真の姿をさらに深く表すものになる。
したがって、選択とキャラクターの成長との関係は、つぎのようになる。
ひとつの価値観を中心としてリスクのない選択をいくつかするだけでは、そのキャラクターは立体感のない存在のままだ。
しかし、さまざまな価値観を目の前にして、多くのリスクを冒して選択をするうちに、複雑なキャラクターとなり、その内面に読者や観客は深く引きつけられる。』
選択によってキャラの内面が現れる、ということもあるが、選択の繰り返しによってキャラが掘り下げられ深みが出てくる、ということもあるのかな。
ヒーローもので、価値要素は「正義/悪」のストーリーなのに、ジレンマは「A子/B美」のどちらを選ぶか、とかだと、読者は「こんな時になにやってんだ」となるだろう。
善の中心(善と正義がかぶってややこしい)が正義として主人公の中に設定するなら、正義側の行動を取るはずで、読者はそこに共感する、かもしれない。
もちろん、強大な敵が現われてピンチ、ではジレンマとはいえない。命の危機になれば誰でも必死になる。
子供がピンチで助けるかどうかで迷う、も良くない。ヒーローなら助けるに決まっているじゃないですか。
前向きのジレンマ:どちらも良さそうだが、どちらかしか選べない
後ろ向きのジレンマ:どちらも嫌だが、どちらかを選ばなければいけない
悪役が取引を求めてきて、少し目こぼしをすれば被害が小さくなるというが、取引を断る(正義)か、取引に乗る(悪)か。
悪人だが色々気が利いて使えるサブキャラを、悪人だからと容赦なく切るか(正義)、多少の悪事なら目をつぶる(悪)か。
正義を貫くためのパワーを得るため(正義)に、自然環境に悪影響な武器(悪)を使用するか。
正義に前向きな二者択一とは、どちらを選んでも正義側に進むが、どちらかを選ぶことでキャラの真の姿が見られるようなことなんでしょう。
エンドゲームのアイアンマンは、自分を犠牲にサノスを倒すか、生き残って家族や社会のために働くか、それぞれ正義といえるのを、どちらを選ぶか。
残された家族は気の毒だが、世界のために自分が犠牲になる選択をしたトニーさんの、真の姿が見られたとして感動するし、トニーさんというキャラクターが完成したことにもなるでしょう。エンドゲームしか見てないけど感動しました。
書きながら何か物足りないと思ったら、「ジレンマ! 前向き! 後ろ向き!」と唱えて、キャラの困り顔のアップになるような状況をイメージするのも、まあ楽しそうですね。
5.「完成」について
『11 完成されたキャラクター
キャラクター作りの理想とは、つぎのとおりだ。
まず、説得力がある複雑な性質を持つキャラクターを考える。人間として明るい望みがあるが、かぎりある命を生きるあらゆる者と同様に、不完全な存在だ。
つぎに、ストーリーの展開のなかでそのキャラクターに重圧のかかる決断や行動をさせ、まだ発揮していない潜在的な能力を少しずつ理解する。
最後に、ストーリーのクライマックスとなる場面で、感情的にも精神的にも、人としての絶対的な限界へ駆り立てられる経験をさせる。
そこでは、明らかになっていないもの、掘り起こされていないもの、まだ使っていないもの、感じていないもの、表現していないものは残っていない。
潜在的な力を出しつくし、できることをしつくし、すべてをさらけ出し、隠れていたものを表に出し、感情を出しつくす。こうしてキャラクターは完成する。』
このタイミングで「キャラクター作りの理想」を教えていただきました。
やはり、ストーリーが終わってからキャラクターは完成するんですかね。
最初は仮でキャラを複雑っぽく作ってみて、ストーリーも書いて、初稿が終わって初めて「こんなキャラだったのか」と作者側も知れる、みたいな?
伏線を引いたり、構成をいじったりするのは、その後の方が効率的かもしれない。
『この理想を実現するために、キャラクターの設計は大きく四つの段階を踏んでおこなう。準備、発覚、変化、完成だ。』
『キャラクター設計の四つの段階
1 準備
原則――契機事件が起こる段階では、主要なキャラクターは未完成である。』
別に初稿が終わってるかどうかに関わらず、クライマックスで真の姿を見せる前の段階では、キャラ本人も自分の真の姿は知らないんだな。
逆に、初稿で真の姿を見た後でも、まだ見てない体裁で始めないといけない。
『ストーリーがはじまるとき、その主要なキャラクターは、ほとんどの人間と同じように、自分の精神的、感情的、道徳的な可能性に極限まで挑んだことはない。
感情や思考はある程度の深さを具えているが、それまでの人生においては不要だったので、情熱や洞察力を最大限に発揮したことはない。
未完成だが、それに気づいてはいない。
これからはじまるストーリーが、いままで知らなかった経験をもたらし、予想もしなかった形で影響を与えることになる。
何が心に芽生えているのか、どんな経験をすることになるのかは、作者だけが知っている。』
キャラはストーリーを通じて経験を積むので、スタート時点では経験がない状態なのが当たり前ですよね。
『わたしの定義では、キャラクターの欲求とは、その人物に欠けているものを指す。
じゅうぶん活用していない知性、深く感じたことのない感情、使われていない才能、満足していない人生だ。
作りかけのものは完成させる必要があり、行方不明のものは見つけられるのを待っている。欲求とはそういうものだ。』
何か欠けている状態からスタートさせるんでしょう。それが読者にも伝わるべきでしょう。この主人公、まだまだ未熟だな、とか。
『あなたのストーリーに登場するとき、複雑なキャラクターはまだ作りかけの存在だ。
理想の姿に到達するためには、キャラクターを精神的にも感情的にもその人間性の最も深いところ、はるか遠くめざすところへ導くような出会いをさせなくてはならない。』
「未熟/成長」が価値要素だとすれば、そのストーリーで限界まで成長できるような設計にして、それとの最初の出会いが契機事件になるんでしょう。
複雑さは初めから持っているとして、内面の矛盾の原因になったものと、ストーリーで到達する最も深いところとを合わせておくと、いい感じになるんでしょう、きっと。
キャラの持ち味と、ストーリーのクライマックスがかみ合ってないと、「キャラクター性」も「ストーリー性」もちぐはぐになって高評価をもらえない、かも。
「このキャラなら、こんなストーリーだと活きるだろう」みたいなのが感覚的に分かる人なら、ぶっつけでも問題ないのでしょうが。
『一方、キャラクターの潜在能力はどれくらいあるだろうか。主人公をストーリーに登場させる前に、その力を見定めよう。
IQとEQはどれくらいだろうか。意志の強さ、想像力、感情移入の深さはどうだろうか。それほどの勇気を持っているだろうか。
これまでの人生でキャラクターが歩んできた道のりと、これからの人生で到達するであろう深みを考えよう。』
キャラのスペックを決めたら登場時点で全開にしちゃいがちですが、後から発揮されるのはどれくらいかも設計しておきましょう、と。
『つぎに、鍵となる問いかけをしよう。
どんな出来事にすれば、言動の中核に基づいて主人公を動かし、感情に訴え、心を開かせる力を持つクライマックスへつながり、そこで自分の可能性を限界まで試し、よくも悪くも自分自身を完成させられるだろうか。
その答えが見つかれば、それがストーリーの契機事件となる。
主人公の欲求にぴったりと合った契機事件を選択することで、すぐれた作品を書くことが可能になる。』
川邊師の秘伝にも「書き出しはクライマックスから逆算せよ」というのがありました。
もう少し踏み込むと、「どんなクライマックスならキャラの真の姿を引き出せるか」でしょうか。
クライマックスが決まれば、そこに到る契機事件を逆算できる、らしいのですが……。
『2 発覚
原則――ストーリーが進展するなかで、性格描写と対照的な、もしくは矛盾した実像が明らかになる。
大多数のジャンルでは、キャラクターの内なる真実を明らかにするが、キャラクターそのものを変化させることはない。
イギリスの小説家サミュエル・バトラーは「ある人間が過去の自分から変わろうとするとき、立ちはだかるものはあまりに多い」と表現した。
キャラクターを大きく変えることはむずかしく、それはまれにしか起こらない。』
確かに、人ってなかなか変わらないですよね、って前にも書いたかも。
特に自分は変わりたくない。人に言われて、人の都合のいいように変えられてたまるか、って思っちゃいます。
そのくせ他人に影響を与えて変えてやろうとも思っている。勝手ですね。
『アクション・冒険、戦争、ホラー、ファンタジー、犯罪などのジャンルや、物理的・政治的な対立や葛藤、家庭や恋愛における奮闘を描いたシリアスドラマとコメディの多くは、
信憑性があって好奇心をあおる性格描写という表層の下に、中核の自己を覆い隠している。
そして、この内なる本質を明らかにしていくとき、キャラクターの心理や道徳観を暴くが、それらを変えることはない。変わるのは、読者や観客の洞察力だ。
最も強烈な発覚が生じるのは、それ以上ないほど大きなリスクにキャラクターがさらされたときだ。
たとえば、生か死かの選択は単純で、それによって得られるものにあまり深みはない。
だが、長く壮絶な闘病のすえの死と自殺による瞬時の死のように、二種類の死から選択することは、キャラクターの社会的、個人的な自己を剥ぎとって、中核の自己をさらすことになる。
同様に、もしキャラクターが大きな価値のあるものを捨てようとする理由が、同じ価値のある別のものを手にすることだとしたら、その選択はキャラクターの真実の姿をあらわにする。』
極限まで重圧をかけられ、ジレンマに晒されるとそのキャラの真の姿が見える。読者は見たがっている、というのは教わりましたが、真の姿を見せるだけで、変化しないことが多い、と。
ストーリーとは人生がどう変化したかを表したもの、という定義だったから、真の姿が見えたよ、では一歩足りないのかも。
『まとめよう。人生の表向きの状況が変化するなか、主人公の選択や行動によって中核の自己がゆっくりと明かされていく。
ことばや身ぶりによって性格描写が剥がされ、クライマックスでは真の自己がありのままの姿をむき出しにする。
一度明かされた実像はそれ以上進化しないが、読者や観客の認識はそれにとどまらず、理解がさらに深まる。
繰り返しになるが、実像を暴かれてもキャラクターは変わらないという典型的なパターンは、これまでに世に出た大多数のストーリーの大多数の主要キャラクターの根底にあるものだ。』
契機事件が起きれば、キャラの状況などは何かしらの変化は起きるんでしたね。
戦争モノのジャンルなら、価値要素は「戦争/平和」で変化して、主人公は極限まで重圧を受け、ジレンマで葛藤して、真の姿を見せる、しかし主人公のキャラそのものは変化しない、のかな。
ダメなパターンとしては「キャラも状況も価値要素が変化しない」、「状況は変化するが主人公が真の姿を見せない。ジレンマがないから」、単に事件が起きただけ、事件すら起きない、というのでしょう。
『この原則を自分の作品にあてはめるために、キャラクターに関するふたつの簡単な質問をしてみよう。
ストーリーの冒頭でそのキャラクターは何者だと感じられるか。
クライマックスでは何者だとわかるか。
あなたが出す答えは、読者や観客の認識の変化を明らかにするはずだ。』
性格描写(見た目)と実像(真の姿)は違うはずです。同じだと話にならないから。
ポイントとして、性格描写でどういう印象を読者が持つか、それがクライマックスで真の姿が現れたときにどういうギャップがあるか、を意識して、最初から設計する、といいのかも。
冒頭の性格描写で狙ったような印象を読者に持ってもらうには、技量が必要でしょうけどね。
読者がどんな印象を持っているかなんて想像したこともなかったので、勉強になりました。意識しながら少しずつ修行していけたらいいですね。
『3 変化
原則――キャラクターの変化は、対立要素をアクションに変える。
変わりゆく自己
変化は、キャラクターを特徴づける対立要素を軸として生じる。』
これはテストに出そう。何のテスト?
『ジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』では、主人公の核となる矛盾は「善/悪」だ。
誇りを傷つけられた光の天使ルシファー(善)が、同じ考えを持つ多くの天使を率いて神に反逆し、物語はプラスからマイナスへ変化する。
三日間の戦いののち、ルシファーは天国から追放されて地獄に落ち、そこで闇の天使サタン(悪)と名乗るようになる。
変化する自己の価値要素は、プラスかマイナスのどちらかの方向へ向かう。』
ルシフェルがルシファーになるんじゃなかったっけ、というのは細かい話ですね。
変化は主人公の核となる矛盾・対立要素を軸して生じる、ということで、この場合は冒頭からルシファーさんが「善/悪」で矛盾した行動なんかを取っているんでしょうか。
変化させる価値要素と、キャラ内面の矛盾・対立要素は、関連付けておかないといけない。というか、その方がクライマックスでの盛り上がりが増すように思います。
読者からの「このキャラ、矛盾を抱えているなあ、最後はどうなるのかなあ」というラインと、ストーリーがうまいこと絡まれば、きっといい感じになるでしょう。
『プラスへの変化
プラスへの変化とは、その名が示すように、価値要素がプラスで終わるものだ。
キャラクターがプラスまたはマイナスにある状態で幕があき、プラスとマイナスを周期的に繰り返した結果、クライマックスではキャラクターの欲求が満たされる。
したがって、プラスへの変化がはじまるのは、キャラクターが自分のなかのマイナスの状態を感じるときからだ。
最初は変化に抵抗を示すが、さらにきびしい真実が明らかになることで抵抗を乗り越え、最後は道徳的に成長する。』
キャラ本人が、自分が今マイナスだと自覚しないと、成長しようとしないんでしょうね。
「俺は今、マイナスだ! 契機事件のせいだ! 人生の均衡を取りもどしたい!」が欲求となる、みたいな。今ごろ気づくかね俺。
『マイナスへの変化
マイナスへの変化とは、キャラクターがプラスまたはマイナスの状態で幕があき、プラスとマイナスを周期的に繰り返した結果、最後は悲劇で終わるというものだ。
言うまでもなく、シェイクスピアの悲劇のキャラクターたちの生と死は、これに沿って形作られている。
アントニーとクレオパトラ、マクベスとマクベス夫人、ブルータスとキャシアス、コリオレイナス、リチャード三世、ハムレット、オセロ、リア王――いずれも悲劇的なクライマックスで完成に至るキャラクターだ。』
マクベスだけ知ってる。最後は死ぬんですよね。ハムレットもたぶん死んだような気がする。単に死ぬだけじゃなく、こう、価値要素がいい感じにからむんでしょう、たぶん。
『マイナスへの変化は、キャラクターの持つ若者らしい空想や純朴さからはじまることが多い。現実に夢を邪魔されても、自分の信念に固執するが、やがて痛みに満ちた抗えない現実に屈する。
ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズは、ルシファーの堕落を下敷きとした物語だ。
ジェダイの騎士アナキン・スカイウォーカー(善)は、愛する女性を救うために生と死を超える力を求めて、光の世界から悪名高きダークサイドへ落ちていく。
闘いで四肢を失い、身を焼かれたアナキンは銀河帝国に加わり、ダース・ベイダー(悪)と名乗る。』
マイナスで終わるのはバッドエンドってやつですかね。たくさん映画を見てハッピーエンドに飽き飽きって方には、たまには良いでしょうけど。
『プラスの方向かマイナスの方向かを問わず、キャラクターの変化がまっすぐに進むことはまれであり、ジグザグに激しく動く傾向が強い。
価値要素が変化しなければ、ストーリーは肖像写真のように凍りつく。
すべての出来事が延々とプラス方向にばかり進行し、最後にキャラクターたちが喜びにむせぶストーリーなど考えられるだろうか。
あるいは、恐ろしい場面ばかりがどんどん重苦しさを増していき、最後には登場人物がどん底で打ちのめされるストーリーも同様だ。
単調な繰り返しは作家にとって大敵だ。』
これはストーリーの話ですね。ストーリーはキャラクターの変化を表すものなので、ストーリー(プロット)とキャラクターは切っても切れない、と他の章でも教えていただいてます。
『キャラクターの視点から見た変化
キャラクターが自分の人生を振り返るとき、だれを見るのだろうか。自分自身だろうか。それともほかのだれかだろうか。
キャラクターは以前と変わっただろうか。よくなっただろうか。悪くなっただろうか。だれだかわからなくなっているだろうか。
過去の自分、現在の自分、将来の自分を憎むのか、好きになるのか、無視するのか。
自分自身に対する感じ方は、自己陶酔から、自己愛、自尊心、自己への無関心、自己批判、自己嫌悪、そして自殺願望まで、多岐に及ぶ。
この両端には、ふたつの相反する見方がある。運命にまかせた人生と自由意志による人生だ。
変化が急激なものでもゆっくり訪れるものでも、内からのものでも外からのものでも、偶発的でも意図的でも、キャラクターはみな変化を独自に解釈し、受け入れる者もあれば、否定する者や気づかない者もいる。
一般に、変化がもたらす反応として、つぎの四つが考えられる。
1 変化はうわべだけのものであり、すぐにもとの自己にもどると感じる。
2 よりよい自己に変わったと感じる。
3 過去を、かつての自分、いまよりよい人間だった自分の墓場と見なす。
4 子供のころから抑えこんできた自分のほんとうの姿を発見する。ようやく、よくも悪くもほんとうの自分として生きることができる。』
ストーリーとはキャラクターの変化ですので、キャラがしみじみと「俺、変わったなあ」などと言うシーンがあれば印象付けられるかも。
説明しないで描写だけで読者に伝わるのがいいんでしょうけど。
『読者や観客の視点から見た変化
ストーリーの冒頭では、説明が重ねられるにつれて、読者や観客は表向きの面を理解し、キャラクターが何者なのかをつかむ。
キャラクターにまつわる真実と変化という二点への好奇心は、最後の瞬間まで興味を引きつける。このキャラクターは、ほんとうはどんな人間なのか。どう変わっていくのだろうか。
読者や観客の興味を掻き立てながらペース配分をするためには、最初は複雑なキャラクターの姿が見えないようにしておいて、やがて明らかにし、さらに変化させ、最終的に完成させるように、
ストーリーに出来事のタイミングを計算しなくてはならない。』
読者から見た順番について慌ててメモ。
1、表向きの姿(表面的な言動や、イラストなどで)を見て、だいたいこんなタイプのキャラだと思う。(できるだけ魅力的、かつオリジナリティで)
2,複雑なキャラじゃね?って思う。予想に反する言動やリアクションを見て。
3,真の姿はどんなのだろうか、と好奇心を持つ。
4,真の姿を見る。重圧やジレンマがかかった際の決断を見て。
5,真の姿から、どう変化するだろうかと好奇心を持つ。クライマックスへの期待などから。
6,ラストでの変化後の姿を見て、納得とか感動とかSNSで拡散とかする。
期待だけさせられて、風呂敷を畳まないままだとガッカリしますね。
読者を納得させるために、ジレンマを用意して真の姿をシッカリ見せ、さらに冒頭とラストでどうか変化したかを分かるようにしておかないと。
これにプラス、「善の中心」で読者に共感してもらう、を全体的にまぶします。
『4 完成
原則――すぐれたストーリーを持つ作品は、人間が経験できる限界において、主人公の要求と欲求を満たす。
要求と欲求は同義語のように思えるかもしれないが、わたしの考えでは、ふたつの異なる視点から見た、キャラクターのふたつの異なる側面を指すものだ。
欲求とは、登場人物が持ちつづける目的、まだ達成できていない目標のことだ。ストーリーを通して、自分の人生に均衡を取りもどそうと苦悩する主人公は、感情や精神力の及ぶかぎり欲求の対象を追い求める。
要求とは、心のなかになる満たされない空間であり、実現の機会を切望する潜在能力のことだ。
契機事件において、作家は、主人公のなかにある未完成な部分を認識する。主人公はすぐれたキャラクターとなりうる原石だが、たぐいまれな潜在能力を発揮できるような特異な経験をしていない。
だから、人間性を完成させる必要がある。』
欲求は主人公が自覚している目標で、要求は未完成な潜在能力、ということらしい。この違いはそんなに重要じゃなさそう。
『ストーリーのクライマックスにおいて、キャラクターはそれを実現する。
最終的な転換点で、主人公の感情と精神力は大きな重圧を受ける。キャラクターはその決定的な行動によって、限界まで自分を試す。
このとき作者は、キャラクターの中核の自己を感情と精神の最深部まで掘りさげて表現している。
こうしてキャラクターは完成に至る。すべてが明かされ、それ以上変わることはない。
キャラクターが自分の要求に気づくことはない。それは作者にしか見えない。作者だけだキャラクターの性格にひそむものを知っていて、キャラクターの完全な状態を思い描くことができる。』
完成後のキャラをイメージできるでしょうか。初稿が終わってみないと分からないかな。
初稿で完成後を作者は知れるけど、キャラ本人は知らない体裁でいてもらって、第二稿以降でも、序盤は未完成な振る舞いをしてもらわないといけない。
俯瞰で眺めて、キャラの変化や完成の進み方と、プロットで出来事を起こすタイムラインなんかを設計する、というのがストーリーテリングの技法の一つなんでしょうな。
『アクションヒーロー、漫画のヒーロー、滑稽な役柄など、変化しないキャラクターには要求がない。不変でありながら魅力的だ。
一方、キャラクター主導のジャンルのストーリーでは、主要なキャラクター(特に主人公)の内面が未完成の状態ではじまる。
それまでの人生では、彼らの能力(知性、道徳性、才能、意志の力、そして愛や憎しみや勇気や狡猾さなどの感情の力)が最大限まで求められることはなかった。
しかし、ストーリー内での衝突において、キャラクターたちの行動や反応がそれを果たす。
クライマックスでは、自分の人間性を完成させたいという本能からの欲求によって、人間が経験できる限界である終着点へ向かう。』
この後、例がたくさんありましたが、どれもピンときませんでした。
個人的な解釈では、「キャラクターの完成」イコール「自己実現」、でいいんじゃないですか。とりあえず、仮に。
自己実現ってなに?って人は「マズロー心理学 自己実現」でググってください。私もよく分からないので。
『キャラクターを完成させる
まとめよう。
世界で名を成したいという激しい願望や、目的を見つけたいという飽くなき欲望に駆り立てられて、自分自身を完成させるキャラクターがいる。
また、崩壊することへの恐れや、自分の本質に対する強烈な好奇心に導かれるキャラクターもいる。
どちらの場合も、未完成のキャラクターは、外に向かって自分を試すことで、内に向かって自分を構築していく。
重大なリスクを冒して、自分にとって何よりも価値のあるものを追い求めるが、たとえてが届いたとしても。完全に支配することはできない。
だが、大多数のキャラクターは、自分がどれだけ深く人生に取り組んでいるのか、最大限に力を尽くしたらどれほどの経験ができるのか、といった疑問を持つことがほとんどない。
その代わりに、作家がキャラクターに代わって、鍵となる気質を探り、鍵となる問いかけをする。』
ストーリーとは、自分を構築していく過程を見せる時間芸術なんですね。たぶん。他の人の構築過程を見て、自分の参考にしたいのかも。
冒頭では人間として未完成な主人公が、プロットの出来事を通じて、自分とはどんなものかと気付きを得る、一人の立派な大人になる、みたいな。
それには、作家自身が自分とは人生とは、って答えを何かしら持ってないと、一つの例も示せないですよね。ってことはやっぱり人生経験が必要なのかな、って。一つでも答えがあればバリエーションも作れる。
私自身は人様に提示できるような答えは見つかっておりませんが……。若い人でも老成・達観している方もいらっしゃいますので、経験があればいいってものでもないでしょう。
『ひとりのキャラクターを完成させるために、まず認識すべきことがある。
人はみな、あり余る能力を持って生まれてくること、人生で必要となるよりもはるかに多くの思考や感情を持っていること、けっして使われることのない力を持っていることだ。
ストーリーがはじまる直前のキャラクターの姿をよく考え、つぎのように問いかけよう。
人生のその時点でのキャラクターのあり方と、精神的、感情的な気質のほんの一部でいかこれまでに発揮できていないことと、いつかふれることになる人生の深みと広さ――それらすべてを考え合わせると、
その人間性に欠けているものはなんだろうか。』
例えば、主人公本人が自覚しているより本当はずっと優しくて他人のために働ける気質だとして、ストーリー冒頭あたりで欠けているのは、他人の気持ちを考えること、とかですかね。
するとストーリーのテーマ・価値要素は「利他的/利己的」みたいになるでしょうか。ちょっとベタすぎ?
『その答えが出たら、さらに問いかけよう。キャラクターが自分を完成させるために必要なのものはなんだろうか。
具体的にどんな出来事が起これば、みずからの誓いの実現に向けて走り出せるのか。その転換点こそ、あなたのストーリーの契機事件になる。』
優しさを完成させるために必要なのは、他人の身になって考えてみる、とかで。
具体的な出来事……、他人にも感情があって、悲しんだりするんだ、って気づかされるような事件でしょうね。ヤンキーキャラが悲しんで泣いてる場面を見ちゃった、とか? 契機事件かなあ。
ヤンキー女子が、うわべは虚勢を張って攻撃的だが、内面はナイーブで傷つき困っているところを見て、自分にできることで協力しよう、みたいな欲求が芽生えたり、ですかね。
『最後に、つぎの問いかけをしよう。
思考の限界にある、自分の心の奥底へキャラクターを導くのは、どのような出来事だろうか。
その人間性を最大限に引き出すのは、どんな重圧、葛藤、選択、行動、反応だろうか。』
価値要素「利他的/利己的」が、クライマックスでドーンとプラス(利他的)に振れるとしたら、やっぱり自分を犠牲にしてヤンキー女子を助けるような行動でしょうね。
死にたくない、とか、自分がいい思いしたいのに、なんて葛藤があるのかと思います。
ジレンマとしては、ヤンキー女子と、ほかに優等生女子も出して、どちらかしか助けられない、とか?
キャラクターとストーリーは表裏一体とは教わったけど、ここまでのレベルまで考えれば、キャラもストーリーも一気に見通しが立つ、といいんだけど。
『その答えがあなたのストーリーになる。』
最後にカッコよく決めて頂きました。キャラクターについて教えていただいてて、やっぱりストーリーなんですよね。
ストーリーとは?という質問に「キャラを完成させる経緯」という答えが成り立つとすると、キャラの完成への道筋と、ストーリーで起きる出来事とがチグハグでは上手くいかないって分かります。
コンセプトは流行りのアレで、キャラは適当にテンプレで、っていう企画だと、あまり面白くできないんだろうとも想像できますね。
まとめよう。(まねっこ)
「1,準備」=複雑なキャラクターを用意する。冒頭と結末との違いをイメージしておく。
「2,発覚」=真の姿を見せる。重圧をかけてジレンマに嵌めて決断させる。
「3,変化」=クライマックスで価値要素をドーンと反転させる。
「4,完成」=潜在能力をフルに発揮して、なんらかの答えを見つける。人生の意味を知る。
変化したから完成、なのか、完成するために変化した、なのか。どのタイミングで変化するのか、など、難しそうですが、ケースバイケースでしょうね。
んだらば、実際に作ってみようじゃないか。魅力的なキャラクターとやらを。
そこまでやってのアウトプットだもんで。
順番は先ほどとは変わります。
1.主人公を「善の中心」に設定する。(ストーリーで扱う価値要素を決めて、主人公はプラス、周りをマイナスに)
2.主人公を「複雑なキャラクター」にする。(外見・内面に矛盾を三組くらい設定する)
3.主人公の「真の姿」を考えておく。(ジレンマを用意して、乗り越えた後はどうなるか想像)
4.主人公の「完成」した状態を考えておく。(欲求がどうなるか、どう変化したか)
5.主人公の第一印象を工夫する。(オリジナリティを大事に)
新しい仮面ライダーの企画プレゼンを、怖いめのAPさんに持ち込む新人脚本家見習い、という設定です。
――――――
ええ、前回、持ち込ませていただいた企画、「どこにでもいる普通のサラリーマンが仮面ライダーに変身して悪の組織と戦う」ですが、読まれもせずにボツにしていただいて、ええ。
あれからですね、ロバート・マッキー著『キャラクター 登場人物の本質と創作の技法』を読んで勉強しまして、ええ、見違えるように魅力的になった、僕の企画をぜひ見ていただきたくて。
大丈夫です! 以前の僕とは人が変わったように面白くなってますから!
まずキャラクターは、具体的で、唯一無二でないといけません。
サラリーマンの設定にするなら、勤めてる企業とか、職種なんかも具体的に決めなきゃいけないんですが、めんどくさいんで、都内の銀行Aで、普通の営業職ってことにしました。
営業って何をするんでしょうね。興味ないっすね。後でハンザワナオキでも見ておいてください。
名前は「三友ずみほ」で、「仮面ライダー・リザヤ」に変身して戦います。
1.主人公を「善の中心」に設定する。(ストーリーで扱う価値要素を決めて、主人公はプラス、周りをマイナスに)
まず、このストーリーのメインの価値要素ですが、なるべく今までにないものの方がいいかと思いまして、ええ、普通は仮面ライダーなら「正義/悪」とか「孤独/多数」とか「真実/偏見」とかじゃないです。
ここは、一発、「勇気/臆病」で行こうかと思いまして。ええ? 普通?
とにかく、主人公は勇気がある設定です。最初から100%勇気です。ヒーローものなんで。
勇気が「善の中心」なんで、周りは臆病で固めます。保守的というか、リスクを取らない連中ですね。
周りの行員が「あそこはヤバそうだから取引するのはやめとけ」といくら言っても、主人公は勇気をもってドンドン融資とかします。銀行に大損害を与えても、何度でも立ち上がります。ヒーローは決して諦めない!
2.主人公を「複雑なキャラクター」にする。(外見・内面に矛盾を三組くらい設定する)
「勇気/臆病」だけだとキャラが薄っぺらくなるので、矛盾を設定するといいらしいんで、三つくらい適当に入れときました。
クレオパトラからパクって、
「敵と向き合ったときは勇敢だが、戦いでは取り乱す」
「賢明で意志が強く、計算高い野心と、それと相反する、愚かで意志が弱く、情熱に屈する」
ですわ。これで僕もクレオパトラ級のキャラが作れました。クレオパトラ級って言うと戦艦みたいでかっこいいね。
具体的な描写はそちらで考えておいてください。
3.主人公の「真の姿」を考えておく。(ジレンマを用意して、乗り越えた後はどうなるか想像)
クレオパトラ級の「準備」ができたんで、次は「発覚」ですね。
まずは重圧です。銀行のお話なんで、不正な取引がバレそうになるんですな。ええ、主人公が不正をしますよ。何か問題でも?
レクター博士くらいの凶悪犯でも共感が得られるんですから、まったく問題ないですよね。
重圧を強めるために、1兆円くらいは着服っておきましょう。別に金額はこだわらないです。
次にジレンマに嵌めます。ジレンマって、前向きと後ろ向きがあるですよ。知ってました?
このまま不正がバレて逮捕されるか、それとも、不正の証拠を見た同僚を消すか、のジレンマです。後ろ向きジレンマですかね。
ストーリー全体の価値要素で「勇気/臆病」というのがありますんで、主人公は勇気を出して、同僚を消します。ライダーキックで。
4.主人公の「完成」した状態を考えておく。(欲求がどうなるか、どう変化したか)
最初はまっとうなヒーローを目指していた主人公が、不正に巻きこまれて、同僚にライダーキックするような悪党へと変化するんですね。これはもはやダースベイダー級と言っていいでしょう。
まさに転落プロット! すごいオリジナリティ!
人生にどんな意味があるか、って答えまで用意しておくといい感じになるらしいです。
あえて言うなら「勇気って、こういうことじゃないよなあ」ですかね!
潜在能力もフルに発揮しますよ。不正の証拠を次々に消していきます。天才ハッカーも顔負けなスキルですし、検察とかも内部工作でからめ取ったりします。
そんなえげつない工作するヤツだったの! と視聴者も大興奮まちがいなしです。
クライマックスでは、SWATの対敵性改造人間部隊との全面大バトルになります。多勢に無勢エンドです。
5.主人公の第一印象を工夫する。(オリジナリティを大事に)
クライマックスまでイメージしてから、遡って冒頭を作るといいらしいです。
後々は天下の大悪党になるんで、その片鱗を見せておかないといけません。
ちょっとでも気に入らないことがあると切れ散らかして手が付けられなくなる、とか、融資した中小企業からの貸しはがしが、もう、言語を絶する、みたいな。すごい勇気の片鱗ですわ。
あと、常に全裸でお願いします。変身後も全裸です。流行りの全裸中年男性ですから。
ええ? ボツ? そんな! 読みもしないで!
――――――
ええ、我ながらつまらないですよ。
でもね、ある程度、面白そうに作ろうとすると、とたんに「……この方向性は次回作で使えそうだから、ここで出しちゃうのもったいないな……」ってなるんです。
私の次回作なんかどうでもよかった。
少しでもこの投稿がほんの少しでも役にたつかもしれないと思った方は、ぜひ『キャラクター 登場人物の本質と創作の技法』を買っていただきたい。電子版もあります。
そして心のなかでそっと「T・Y・R・M (サンキューロバートマッキー)」とつぶやきましょう。