7 領邦会議事堂
翌朝。ロイス達は戦車一両とバイク一台でマイエリンツへと移動する。
カノン、エリーゼ、セシルが跨乗しているので速度を出すことはできない。
アウトバーンの両側に広がる長閑な風景をのんびりと眺めながら進む。
ルクスバキア領はベルカの中では最も汚染の少ない土地であり、住みやすい気候で、大半が平地というまさに農業にうってつけの地域である。
一〇五年前にベルカが併合を持ちかけたのも、まずをもって農作物が目当てだったと言われている。
領邦内での寒暖や降水量の差は小さいので食の多様性に豊むというわけではないが、穀物の生産量は膨大で、ベルカのパン籠という異名を持つ。
今は冬なので稲穂を見かけることは無いが、羊や馬がうろついているのは見える。
馬車に揺られるが如き移動速度だったが、それでも昼前にはマイエリンツに到着した。
アウトバーンの出口で公安の協力者、G-16(ゲーゼヒツェン)に出迎えられる。その後方にはオープントップの小型四輪車が停まっていた。
座席が簡易なバケットシートであることから『キューベル』の愛称で呼ばれ、高い生産性と実用性から軍のみならず警察でも使われている。
本来は四人乗りであるが、今は後部座席が無線機で占拠されていることがそこから伸びるアンテナからわかる。
「G-80から連絡は受けています。滞在と物資の準備もできています。しかし、この街は今騒動の最中にあります」
「騒動?」
「闘争なき世界を名乗る武装勢力が、領邦会議事堂を占拠しました」
「なんだと。俺達がビストリナヤで襲撃されたことは知っているな」
「はい。ただ、彼らの要求は邦知事によるルクスバキアの独立宣言。そして自治法の憲法としての再定義です。貴方がたG-2の行動との関連性は無いように思えます」
「その無線で、状況を把握しているのか」
ロイスの言葉にG-16が頷く。キューベルの助手席に座る男がヘッドホンで無線を聞いているようだ。
聖別者がルクスバキアの独立を要求したのは十日ほど前だが、レーネから聞いた話では特に進展は無いらしい。
ベルカ政府とルクスバキア領邦議会の間で何度か協議は行われたようだが、そもそも闘争なき世界が求める独立国としてのルクスバキアのあり方がわからないので、議論が進めようが無いのだ。
ルクスバキア領邦内にも立法府、領邦議会、司法機関が存在するので、今議事堂を占拠している連中が主張するように、自治法をベースとした憲法を制定して行政の長が独立宣言を行えば体裁は整うだろう。
それが聖別者の指示なのかはわからないが。
「議事堂は占領され、領知事を初め議員が人質に取られていますが、戦闘は起きていません」
「無血占領か」
「はい。軍は活動を停止していますし、警察の武力で勝てる相手じゃないので、ただ観察しているだけです」
「規模と装備は?」
「数十名。戦車は最低四両。小型ヘリ一機。その他の車両が数台」
「そりゃぁ、昨日一昨日で準備したもんじゃないかもな」
「軍としては彼らは原隊から離脱していると。軍全体のクーデターではないようです」
「公安の拠点に立ち寄るのは危険なのか?」
「いいえ。闘争なき世界は議事堂周辺を封鎖しているだけです。拠点は郊外にあるので、遭遇する危険はないかと」
公安の内通者が俺達を攻撃するよう指示しなければ、な。
「ロイスさん。燃料と食料だけであれば、そのキューベルで持ってこさせることも可能です」
「そうだな。補給さえできれば野営でも構わないのはその通りだ」
しかし、この情勢を利用できないか。
聖別者がルクスバキアの独立を本当に望んでいるのなら、取引材料にできる。要求を呑む代わりに、血清を貰うのだ。
そのためには一度議事堂の占領を解くか、最低でも領知事の救出が必要になる。
聖別者の血清が手に入るなら、領知事が独立宣言をしたって構わない。それに加えて、領知事からベルカが憲法改正の準備をしていると伝えさせるのもいい。
当たり前だがベルカは憲法で領邦の独立を禁止しているので、ルクスバキア領が一方的に独立宣言を出すと違憲状態となる。
ベルカの憲法も改正した方が体裁的にも完全無欠の独立になる。
血清を受け取った後は速やかにベルカに戻れば、俺達を襲う理由も無くなるかもしれない。
その場合、管理者権限が世界中を野放図に攻撃し続ける恐怖の世界が出現する可能性もあるが……。
「今議事堂の中では何が行われているんだ?」
「新憲法の作成だそうです。終了次第、発布すると」
「なるほど」
「今日明日は闘争なき世界による議事堂占拠は続くでしょう。G-80の言う通り、物資をこちらに持ってきましょうか」
「とりあえず様子を見に街へ入る」
「街に入れば不意打ちを受ける危険があります」
「そうなんだが、闘争なき世界の目的を妨害できれば取引に使える」
ロイスはさっきまで考えていたことを説明する。
「わかりました。では途中まで先導します」
そう言ってG-16は運転席に座り、キューベルは走り始めた。
議事堂から離れた場所に戦車を停めると、ロイスは戦車から降りる。
「市場に寄れないのは、残念だねぇ」
「仕方ないわよ。昨日襲われたばかりだもの」
「小型ヘリってのはアルトクルスのことだろう。もしこっちに来ても非武装だから無視していい」
「わかったわ」
「とりあえず様子を見てくる」
ロイスとウィルは戦車を降りて、議事堂の方に向かう。
議事堂の周りは区画整理されているので、建物は遠くからでも確認できた。周辺には警官が立っていて、野次馬など相手に立ち入り禁止を伝えている。
この内側が闘争なき世界の占領区画ということか。
ロイス達は建物の陰から様子を伺う。ここからでも占領の実行犯達の姿が確認できる。軍服姿と私服姿が半々といったところか。
覆面をしている者が多いが、顔を晒している者もいる。
遠巻きに移動しながら観察することで、敵戦車の配置はわかった。
議事堂正面を塞ぐように一両。両側の通りに一両ずつ。正面の大通りに一両。正面玄関へ繋がる道に、偵察ヘリコプター『アルトクルス』も停まっていた。
ヘリの音がしないと思ったら駐機中か。
「あの、ベルカやエルフの軍人が、ここで何をしているのですか?」
声をかけてきたのは警官だった。そのうち話しかけられるだろうとは思っていた。
ロイスは軍人手帳を開くと中の命令証を見せる。
国章の下には『第一装甲師団司令部。作戦に従い行動せよ』としか書かれていないが、その下に皇帝印と宰相のサインが入っているというベルカ国内なら何をしても正当化される代物だ。
こんなものを見せられて面食らうのは当たり前なので、ロイスは手短に説明する。
「皇帝陛下勅命による行動中だ。警察に協力を願いたい」
「はっ。私は警部を務めておりますが、上官にお会いになりますか?」
「この近くに、警部殿の上官が?」
「このような事態ですので、警視正が来ております」
「では案内してくれ」
警視正って軍隊でいう中隊長か大隊長くらいの役職だったか? となると、地位的には向こうの方が上という事になるな。
周囲の観察を続けながら、ロイス達は議事堂から離れた場所に設けられた天幕へ入る。
「失礼します。ベルカ軍第一装甲師団所属、ロイス・エンデマルクです。警察に協力を請いに参りました」
「実働部隊の指揮を執るボドラークだ」
「我々は現在、皇帝陛下勅命による作戦行動中です」
「軍は活動を停止していると聞いているが」
「したがって、我々の活動は極秘となっております」
軍人手帳の中の命令証を見せながらロイスは答える。
「陛下勅命の活動に対して協力は惜しまない」
そう答えた警視正の表情は真剣であったが、少し驚きと、面倒な事になったという感情が漏れ伝わって来た。
「感謝致します」
「ただし、私の権限の範囲内でとなる。それ以上は、より上の立場の人間同士での協議が必要だ」
「承知しております」
「では、要望を聞かせてもらいたい」
「我々が武装集団の装甲車両を全て破壊するので、武装勢力に対し軍と共同の突入作戦の準備がある事と、その前に人質を解放して逃走する者は一切罪に問わないことを告げてほしいのです」
「言いたいことはいくつもあるが、まず軍との共同作戦など聞いていない」
「ベルカ軍が飛行艦を出して、議事堂の上に停止させます。戦闘ヘリも何機か」
「そんな事をしたら管理者権限に攻撃されるだろう!」
「攻撃されない確証があります。そうでなければ飛行艦など出しません」
「……君達は我々の知り得ないことを知っているわけか」
「我々も全てを知らされているわけではありませんが」
「ベルカ軍が議事堂の上に展開するのと、武装勢力の戦車を破壊するのとどっちが先だ? どっちが先にせよ、犯人を刺激すれば人質に被害が出るかもしれん」
「それは警視正殿の責任にはなりません」
「人質には領知事も含まれているが」
「領知事が殺される可能性は低いと思います」
「もっとも、闘争なき世界は領知事が独立を宣言すれば人質を解放する、とは言っていないがな」
「次はベルカの憲法改正を要求して、立てこもり続ける可能性もあります」
「いずれにせよ、飛行艦まで出てきてしまうなら、こちらに選択肢など無いではないか。人質を守るためにも、逃走する者は無罪と宣言するしかない」
「こちらは地上部隊を展開しないので犯人の扱いはお任せしますが、装甲車両は全て潰しますので、丸腰か拳銃程度の武装で逃げている犯人もいると思いますよ」
「軍との取引材料にしろとでも?」
「いいえ。こちらからの要望は以上です」
「そうか。では、上手くいくことを祈るよ」
「ご協力に感謝します」
そう言ってロイスとウィルは天幕を出た。
「飛行艦が出るってマジかよ」
「それはこれから要請する」
「あー、まぁ、呼べば来るんだろうな、皇女さんの勅命ってやつで」
「そうだ。だがこれもウィルが管理者権限を停止させたおかげだ。上手くいけば死傷者無しで解決できるぞ」
「そうなったらいいな」
戦車へ戻ったロイス達は、公安の拠点に向かいながら決まったことを話す。
マイエリンツの拠点は工事現場の事務所と倉庫だった。
早速電話を借りて第一装甲師団司令部に繋ぐ。しばらくすると、受話器からオスカーの声が聞こえた。
「G-2です」
「どうした」
「マイエリンツの議事堂が闘争なき世界に占拠されています」
「聞いてる。鉢合わせてるんじゃないかと思ったが、やはりか」
「領知事と話がしたいので、占拠してる連中を追い払う必要があります」
「こっちは何をすればいいんだ?」
「飛行戦艦をマイエリンツの領邦会議事堂の上に停止させてください。戦闘ヘリも可能な限り」
「飛行戦艦!? そりゃまた無茶を言ってくれるな」
「必要ですので」
「巡空艦じゃダメなのか?」
「大きい方が威圧感があるというだけです」
「まぁ、手配の難易度は大して変わらんか。だが戦闘ヘリの方は足が足りねぇぞ」
「マイエリンツ空港で補給してください」
「民間に燃料の備蓄があるかは保証できんぞ」
「飛行戦艦にジェリ缶積んで投下してください」
「なるほどなぁ。で、いつ到着すればいい」
「明日の夜明前」
「わかった何とかする」
「あともう一つあります」
「まだあるのか」
「二号車が壊れました。代車をください。陸路でいいです。明後日くらいまではマイエリンツにいるので」
「ああ。襲撃されたらしいな。もう気を付けろとしか言えん」
「逆手に取りましょう。俺達に管理者権限を破壊する手段ありとG-1を通じて各分隊に情報を流してください」
「また危険なことを。まぁいい。お前ならなんとかすんだろ」
「じゃあよろしくお願いします」
「お前さんの無茶ぶりも、災菌の治療薬さえできればチャラだ」
「G-2より通信終わり」
通話を終えたロイスは席を立ち、レーネの隣へ移動する。
「今ほど帝国軍が皇帝の軍隊で良かったと思ったことは無い」
「オスカー中佐の話が早いのもあると思うが」
「私達の戦車明日か明後日来るの?」
「そのはずだ。モルガンじゃないかもしれないが、まぁキューベルを借りるよりは良いだろう」
「装甲無いと不安だよね」
「ふはは。新たな戦車にはスローターと名付けよう」
「失った車両と同じ名前にした方が生まれ変わりみたいで愛着沸くぞ」
「ふむ。一理あるか」
「G-16。おそらく明後日までは世話になる」
「了解です。G-1000(ゲータウゼント)に伝えておきます。車両についても、もう一日あれば装甲車が用意できると思います」
「それについてはこちらで戦車を手配したから、おそらく不要になる。しかし何があるかわからないから、一応用意してもらえるか」
「了解です」
やるべき事が終わったので、ロイスはミラが入れてくれたコーヒーを口に運ぶ。
今回はチコリを使った代用コーヒー。しかし、美味い。
ミラが予め焙煎して挽いておいたものだが、軍用チョコレートが混ざっており、カフェインが加味されている。これが満足感に繋がっているのだ。
勿論ミラの家事スキルも素晴らしいが、軍用チョコレートをコーヒーの隠し味に使ってしまえるのは確実に補給が受けられる恩恵だ。
屋内のベッドで眠れるし、予定外の事が起きていると言っても今までの旅よりは快適な気がする。
二杯目のコーヒーを飲みながらロイスはしばらくぼーっとしていた。




