3 国家公安本部第三局
「前提として、我が国が選択肢を失っている理由は闘争なき世界が管理者権限と呼んでいる長距離兵器の脅威だからであり、聖別者の捕縛ないし殺害においてもこれが障害となります」
第三局の課長が説明を始めた。
「管理者権限を放置すれば無制限に防衛不可能な攻撃を受け続ける可能性があるため、やはり管理者権限は制圧か破壊することが望ましいと考えます」
「聖別者から血清貰うにも邪魔だしな。だが管理者権限を破壊すると停戦が破られるぞ」
「制圧が理想ですが、破壊してしまっても、表向きは代理の聖別者をたてれば停戦は維持できます」
「聖別者が死んだ時点で使い方がわからなくなる可能性もある。その辺りは完全に情報戦だな」
「制圧ないし破壊できた後のことは軍の情報部に考えて頂きます。目下の問題は、管理者権限どうやって近付くのか、です」
資料には管理者権限に向かういくつかの矢印が描かれていた。ルクスバキア領内のベルカ軍は分散配置されており、すぐに動ける状態ではないようだ。
「聖別者の捕縛、殺害に一週間はかかると思われます。したがって、現状の打開には管理者権限の機能停止が最低でも一週間は必要です」
「だから、闘争なき世界にバレないようルクスによる少人数部隊でこっそりと破壊するわけか」
「はい。表向きは民間人に扮する事になります。したがって武器も拳銃程度に限られます」
「そうなるな。だが個人で携帯できる爆薬で壊せるかな」
「かと言って、飛行艦やヘリを近付ければ即撃沈されます」
「だろうな。この書類には肝心なところが書いてない」
「防諜のためです。少人数で怪しまれず管理者権限に接近し破壊できる人物がいます」
「ほう。凄い奴だな」
「そこにいるウィル・ブレスラウ殿です」
「……なんですって!?」
「ブレスラウ殿は既に災菌感染しているため、感染して死ぬ可能性は無い。何より、土を操ることができると聞いています。ならば、管理者権限の土台、或いはエネルギー供給設備を破壊して機能停止させることが可能ではないかと考えております」
「ちょっと待って下さい! 管理者権限を機能停止させてからが私達の仕事ではないのですか?」
「ブレスラウ殿以上の適任はいません。勿論、公安から支援を出します」
「危険過ぎるでしょう。破壊できたとして、どうやって離脱するんですか?」
「それについてはまず、部下の紹介から始めたいと思います。中佐殿。中にいれてもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「ではしばしお待ちください」
そう言って男は立ち上がると、会議室の電話で内線に繋ぐ。そしてたった一言、許可が出たと告げて、電話を切った。
三〇秒もしないうちに、ドアがノックされ、オスカーの応答に続いて二人の男性ルクスが入室した。
年齢は共に三〇前後といったところか。中肉中背で、見た目は平凡。諜報員とはそういうものなのかもしれない。
「この二人がウィル殿の管理者権限潜入を支援します。無論、任務達成とウィル殿の命が最優先事項と心得ております」
「ウィルとこの二人で闘争なき世界に潜入するのですか?」
「ウィル殿の潜入は必須と考えますが、この二人も潜入するか、外部との連絡や仲介役に扮するかは状況によります」
「大人数だと目立つというのはわかります。ですが潜入班と支援班に別れられる程度の人数は必要ではないですか?」
「第三局としてはこのメンバーが適当と考えております」
「現地の第三局人員の支援はあるのですか?」
「大規模な物資、情報が入用となった場合は現地の人間を雇うのが定石です。指揮系統を一本化したいのです」
「そうなると、その二人次第というわけですか」
「能力もさることながら、この二人はここ一ヶ月間の行動全てがシロであると確認できています。また、家族なども全てベルカ本国で監視しております。裏切る可能性は極めて低いと判断しています」
「経過報告はどうなります?」
「最大十日なので定期連絡はありません。開始、終了、失敗の連絡は公衆電話から行います」
「傍受の危険はありませんか? 交換手が闘争なき世界のメンバーだとか」
「基本的には宅配ピザがどこかに届くとかそう言った話です。詳細な連絡が必要な場合は鉄道車両にマーキングするなどします」
「上手くいっている間は基本的に連絡なしですか」
「それが作業者にとっても最も安全です」
問いただすまでもなく、プロが考えた計画がベストであることはわかっている。
国家公安本部の中でも第三局の人員はその任務の特殊性から知力だけでなく精神力や緻密さを持つ人員が集められている。
一方で末端の構成員はその地域を担当する課長がスカウトした人員も多く、行動力を重視したがために、現地民に溶け込み易い反面、人格や教養に難のある人員が混じっているという噂を聞いたことがある。
そういった点を考慮しても、最大三名というのは妥当なのだろう。
「ロイス。いや、ウィル。頼む。無理だと判断したら引き返していい。だからなんとか、ベルカを救えるようやってみてほしい」
「軍においてウィル殿は死亡扱いと聞いております。その点でも逸材と考えられます」
「ああ。いいぜ」
「判断が早いなお前は」
「耳を触るなって! ……聖別者はルクスなんだろ?」
「声明ではそう言ってるな」
「だったら、世界中を好き放題砲撃してる兵器を破壊したのがルクスだってことになれば、ルクスはそんなに責められなくて済むよな」
「それは勿論。すぐにとはいかないかもしれないが、必ず発表する。ウィルが英雄であると!」
「それもなんか一緒に行く二人に悪いんだよなぁ」
「諜報員は名誉とは無縁です」
第三局の課長が言う。
「まぁ発表の仕方は任せるぜ。できれば聖別者の顔も拝んでくらぁ」
「我ら第三局R課の汚名返上にご協力頂き、感謝致します」
「ま、オイラ達で何とかしようぜ。同胞のやらかしは、ルクスでカタをつけないとなぁ」
「全く、同感ですな」
第三局の課長が初めて感情を表に出して肯定した。
「では、ウィル殿は我々と別室に来て頂き、詳細を説明します。今夜にも、列車で移動の予定です」
「展開が早いですね」
「諜報とは時間との戦いでもあるのです」
「そこらへんオイラ素人だから、色々教えてくれ」
「絶対生きて帰って来いよ! お前がいないと俺がもたない」
「じゃ、行ってくるぜ」
ウィルは買い物にでも行くかのような気軽な口調で会議室から出て行った。
そして日が暮れる頃、ウィル達が既に出発したことを伝えられたロイスは空になったパン籠を手に師団司令部を後にした。
翌朝。ホテルのラウンジを貸し切って焼き菓子などつまんでいたロイスだが、所在ない。
待っていることしかできないというのも、精神的にあまり楽ではない。
ここ三ヶ月ほど治療薬を作って胎生人類を救いレーネを罪の意識から解くために動き続け、常にやりがいのある時間が続いていたが、今は国家の命運もウィルに託されており、ロイスにできることはない。
ロイスは今朝の朝刊を隅々まで読んだが、管理者権限に関する記述は無い。
卵生連合の空爆を受けたルクバキア、ゴートハイム、プテルスタンの三領邦では自治体による戦災復興公社が設立され、元軍人は職を得ることができる。
特にルクバキアではランドワーフの国境沿いにできた呪林の破壊が急務であり、大砲や戦車は復興事業にも役立つであろう。
というのが一面の内容だった。
「もう少し支援策を講じることはできんかったのか」
「諜報と破壊工作はプロに任せるのが良いだろう」
「そりゃ俺だって思いつかないけどさ。脱出ルートすら未定とは」
「心配し過ぎだ。ウィルはきっとやり遂げる」
「ああ……そうだな。ウィルは優れた兵士だ」
レーネの言う通り、不安がってもどうにかなるものでもない。冷静沈着な相棒の事を信じるしかあるまい。
とはいえやる事と言えばルクスバキアの地理の把握と、本を読んで暇潰しくらいしかないが。
「ふはは。こんな時間に起きてしまった」
「いつもの事だろ」
「マウザーが戻ってくるまでやる事もあるまい」
「休暇だからな。英気を養えばいい」
「ほう、カイザーは優しいな」
「休める時は休めばいい。なぁ、ロイス」
「ああ」
「では、余の朝食を持ってこさせよう」
「ロビーに行けばくれるんじゃないの? 私はパンケーキにしよう」
「余もそうしよう」
「なら私も行くわ」
「お前らよく食べるな」
「ベルカ人は朝食二回食べるんだって聞いて、羨ましいと思ってたんだ」
「それは田舎のプロレタリアートの話だぞ」
「ま、食いだめってことで」
「ロイスも食べないか?」
「俺はいい」
「そうか。いや、私も同じだ」
「まぁ腹が減ってないのは本当だが、食いだめってのは良いかもな」
「ミラちゃんは?」
「私も不要です」
三人が席を立ってからレーネが口を開く。
「ウィルが戻ってきたらまた聖別者探しの旅が始まる。ロイスは何が食べたい?」
「そうだな。ハンバーガーのでかいやつ」
「よし。シェフに言っておこう」
「言うのは俺から伝えておく。今日である必要も無いしな」
ロイスとレーネが話していると、カノン達が戻ってきた。パンケーキはしばらくすれば運ばれてくるだろう。
「しかし、昨晩の西の空は暗かったな。煌々と輝く光と闇のコントラストが好きだったのだが」
「そりゃ昨日管理者権限に吹き飛ばされたからだろ」
「確かに大きな爆発だったが、全滅というわけではあるまい?」
「丁度いい機会ということで、生産設備をアストリンゲンに疎開することにした」
「大きい街だよね。アレサンドラから直通で行ける」
「ああ。だからクロイハンザは今日から夜は眠る街になる」
「ふはは。復旧ではなく疎開とは、まるでミネル石軍がここまで来ると見越しているようではないか」
「念のため、だ。杞憂に終わるならそれでいい」
宰相を初めとする国政の中心人物達が、これを機に工場疎開を図ったという事実は非常に重い。
何らかの勢力が管理者権限の破壊に成功し、かつ停戦が破棄された場合、ルクスバキアは守り切れない可能性が高いと判断しているからだ。
もっとも連合軍との再戦を一士官に過ぎない俺が今気にしても仕方ない。
ロイスが再び本に視線を落とした時、ホテルのスタッフがラウンジに入ってきた。
「エンデマルク様。ご親戚の方からお電話が入っております」
「わかった」
ロイスがラウンジを出て行く時、パンケーキを持ったスタッフとすれ違った。
電話を取って名乗ると、オスカーの声が聞こえてくる。
「お前達の戦車、司令部に届いたぜ」
「おお! モルガンですか?」
「そうだ。駐屯地に停めてあったんだが、昨晩こっちに輸送させた」
「H型ですよね」
「そう聞いてる。皇帝の名を冠する装甲師団にコストダウン版は寄こさないと思うが、俺には区別がつかん」
「まぁ装甲材質とかは確かめようがないですね」
「どうせやる事なくて暇なんだろ? 状態を確認しに来るか?」
「行きます」
「司令部の表に停まってるから好きに使ってくれ」
オスカーはそう言って電話を切った。
ロイスはロビーでリムジンを二台用意するよう伝えると、ラウンジに戻って師団司令部に向かうことを告げる。
「今から行ったら昼食までに戻ってこれなくない?」
「戻ってきてから食べればいいだろ。どうせ好きなだけ食える」
「それもそうだね」
三人がパンケーキを食べ終わる頃にスタッフがリムジンの到着を告げに来たので、ロイス達は早速師団司令部に向かう。
司令部となっている館の駐車場には、二両の六号戦車モルガンが停まっていた。
塗装は暗青灰色で、迷彩塗装が標準となった昨今では逆に新鮮に感じる。
「使うとすればルクスバキア領内だから、塗装はこれでいいか」
塗り直すとすれば冬季迷彩だが、市街地ではかえって目立つかもしれない。
「エンジンかけてみるか、ロイス」
「そうだな。頼む」
「じゃ、私も」
レーネとカノンがエンジンを暖気している間、ロイスは戦車の状態を見て回る。
履帯の緩みや転輪に痛みはない。この辺りはおそらく新品。
エンジンマフラーや車体側面の脱出ハッチは健在。
「エリーゼ、セシルはそっちの戦車の中を見てくれ」
そう言ってロイスは砲塔内に入る。ランドワーフに捨ててきた車両と比較して、キューポラやハッチの形状に変化はない。車内灯やベンチレーターも作動する。
「ロイスさん。砲塔回していいですか」
「ああ。半時計に十二時まで」
そう言ってロイスはキューポラから顔を出す。
「エリーゼ。そっちの戦車も砲塔回せ。時計回りだぞ!」
ロイスの指示に、しばらくしてもう片方の戦車も砲塔が回り出す。
「セシル。無線繋げ!」
「感度良し。ノイズ無し」
「私も聞こえてるよー」
「よし。レーネ、カノン、五メートル後退」
二両の戦車は微速後退する。次に同じ距離前進し、最後に砲身を後ろ向きに戻してトラベリングクランプで固定する。
後はメンテナンスハッチからエンジンと変速機を確認するか。万が一明らかな中古品だったらリコールしないといけない。
「早速やってるな」
オスカーがやってきたのでロイスは砲塔から降りる。
「二両とも問題ありません」
「そりゃ良かった。だが電話してすぐ来るのは流石だな」
「もし欠陥があったら直ぐにでも直すか替えてもらわないといけないですし」
「でもお前が戦車好きってのも大きいだろ」
「まぁ、そうですね。貴族は戦車部隊指揮してこそだと思ってますから」
「ああ。そういう貴族は多いな。戦列歩兵や竜騎兵の名残なんだろうが」
「花形ですからね」
「戦車兵の致死率考えたら、俺は木の椅子と机の方が良い」
「エリート扱いには理由があるということです」
「そうだな。ま、他に欲しいものがあったら言ってくれ。現実的な範囲でな」
「じゃあ防水シートください」
「ああ、戦車に被せるのか」
「ええ。今日は夕方から雪だそうです」
「わかった。それまでに持ってこさせて被せておく」
「お願いします」
その後、エンジン回りを確認したが、特に問題は無かった。この二両は直ぐ使える状態にある。
「いい戦車だ。二代目ゼアヒルドと命名する」
「ふはは。ならばこちらは余がエグゼクターと名付けよう」
「ほう、悪くないな」
「一号車と二号車で統一感が無い」
「しかしそれなら一号車の方を共通語にすべきではないか?」
「名前は好きに付けたらいい」
「だ、そうだぞ」
「ロイスがそう言うならそれでいい」
戦車の状態に満足し、名前も付けたロイス達は昼食を食べにホテルへと戻って行った。
Tips:国家公安本部第三局
国家公安本部はベルカ帝国の内務省に存在する国家警察。
内務省の役割は多岐に渡るが、その存在意義を端的に言えば帝政の維持である。その中で、国家公安本部は現体制に害を及ぼす組織、人間を監視、諜報、排除する役割を担っている。
国家公安本部はその性質上、有力貴族や陸海軍も監視対象としているため、現場で高い能力を示した平民こそが重要な地位を担っていた。
有能でありさえすれば身分に関係なく大きな権力を持つことができる国家公安本部は平民出の官僚志望者から非常に人気があり、中でも第三局の要職はその任務の特殊性から学業成績だけでなく精神力や緻密さを持つ人員が集められている。
一方で末端の実働部隊はその地域を担当する課長がスカウトした人員も多く、行動力を重視したがために、現地民に溶け込み易い反面、人格や教養に難のある人員が混じっていたことも事実だった。




