20 そして六人
翌朝、朝寝坊したロイスがラウンジに向かうと、カノンが本を読んでいた。テーブルにはパンが置かれている。
「おはよう。国王陛下の御様子は」
「元気そうだよ。今朝私と一緒に駅に行ったし」
「列車の手配か?」
「うん。昼ご飯は列車で食べられると思うよ」
「ありがとう。カノンにも随分助けられたな」
「えへへ。そうかな。お父さんにも褒められたし、嬉しいなぁ」
「朝食を食べ損ねた。頼めばパンは出てくるか?」
「うん」
そう言った後カノンは給仕を呼びコーヒーとパンを注文する。
しばらくするとレーネとミラ、ウィルも姿を現したので人数分の食事が並ぶこととになる。
「エリーゼは無事なのか?」
「起こさないと昼まで寝てるよ」
「寝かせておけ」
ブランチの後はやる事が無いのでぼんやりと過ごしていると、レオナルド王が姿を現した。
髭がきっちりと整えられている。
「カノン。タクシーを三台呼んできなさい」
カノンが席を立った後、レーネが代表して挨拶する。
「フェレア陛下。ご健勝とお見受けしお慶び申し上げます」
「お待たせしております。リークライゼ陛下。本日の列車でアレサンドラにご移動頂けます」
「ご用意感謝します」
「出発の御準備を願います」
「承知しました」
タクシーでアレンセ駅に向かうと、特別編成の列車が待っていた。
食堂車と寝台車が連結され、最後尾は一両丸ごと客室になっている。
ロイヤルスイートというわけだ。
食堂車で少し雑談して待っていると、レオナルド王が現れ、椅子に座る。
「皇帝陛下。ご一緒にいかがですか」
「光栄です」
ロイスとレーネ、カノンとエリーゼはがレオナルド王の向かい側に座ると、テーブルに食前酒と前菜が並べられた。
スタッフが去った後、レオナルド王はワインを口に含む。
「口当たりの良いワインだ」
レオナルド王は前菜を口に運ぶと、ワインを飲んで口を開いた。
「改めてお礼申し上げる。救出に感謝します。ベルカには助けられてばかりですね」
「陛下を発見できて幸運でした」
「エリーゼ君が娘として連れてこられた時は驚いたがね。おかげで助けられたわけだ」
「二人とも、エルフ魂と称すべき精神力を持っています」
「聖別者を倒せた事は良かったですが、血は手に入らなかった。陛下達はこの後どうなさるつもりですか?」
「この国で聖別者と思われる存在の情報がなければ、ベルカに帰ります」
「帰ったら直ぐに確認します」
「ありがとうございます」
「もっとも、同じようなテロリストがまた現れるというのは勘弁願いたいものです」
「驚異的な強さでした。聖別者とは何者だったんでしょうか」
「彼はペンタグラ・ルベルと名乗りました」
「会話なさったのですね。しかし、本名ではなさそうです」
「古いエルフ語で赤い星という意味ですからね。彼の要求は私にエルフォ民主共和国の成立を宣言させることでした。拒否していましたが、エリーゼ君を見て了承しました」
「理由を伺っても?」
「外の状況を知って、私がデナリウスで粘る事に意味が無いと思ったからです」
「呪林の外であれば脱出の可能性は考えられますね」
「というよりも、公の場で人民革命党を殲滅対象として指定するつもりでした」
「え、そうなの!?」
カノンが驚いた声を上げる。
「そうだ。人民革命党の襲撃が突然であったために王としての指示を出せていなかったからな」
「とりあえず従ってチャンスを伺うんじゃないの?」
「二枚舌が大事なこともある。だが王家というものはクーデターだけは認めてはならない」
「素晴らしい心意気です」
「交渉も兼ねて彼の考える政治体制などを訊きましたが、彼は政治にはあまり興味が無いようでした」
「未知の技術を持った存在がバックにいたようですから、何とかなる自信があったのでしょう」
「蟲と災菌に怯える生活が理想国家なのかと尋ねると、格差の無い世界の素晴らしさに気付けば恐怖は不要になると言っていました」
「聖別者の後ろ盾であったユリシーの存在や、蟲を操る装置については何か言っていましたか?」
「戦場で出会い、民を不幸にする格差を無くすために選ばれたと。ユリシーはデナリウスを呪林に沈め、最終的な手段としてアレサンドラも呪林に沈める可能性もあると言っていました。詳しくは聞けませんでしたが、彼もユリシーの正体についてよく知らなかったのかもしれません」
「ユリシー側の目的が気になりますね」
「聖別者は蟲をデナリウスに導いたのも、自分達に蟲を操る装置や災菌感染から寛解させる薬を与えたのもユリシーである事は認めていました。ただ、会ったのは最初の一回だけだったのではないかとも思えます」
「前線からどうやって脱走兵を帰国させたのか。旧暦時代の遺物と思われる品々をどうやって手に入れているのか。わからない事が多過ぎますね」
ここで主菜の魚料理が運ばれてきた。
それに合わせて、エリーゼがワインクーラーから新たなボトルを取り、レオナルド王のグラスに注ぐ。
「ありがとう。君がカノンの学友で、今回も娘が世話になったようだね」
「いかにも。貴重な機会故、国王殿に質問申し上げる。ミンターフ作戦とは何か」
「聖別者から聞いたのか」
エリーゼは頷くと、自分のグラスにもワインを注ぐ。
「聖別者が革命を決意するきっかけになった事象だそうだ」
「……悪いが、軍事機密だ」
「聖別者は、イゾーラ島出身の部隊の扱いは特に酷く、捨て駒扱いだったと言っていた。ユリシーに出会わずとも、いずれ不穏分子になっていたのでは?」
「この戦争が終わった後、南部への投資を促進し、格差解消に努める」
「イゾーラ島出身者が差別を受けるのは、南北戦争で南部連合の残党が逃げ込んだからという噂があるからだ。国王殿の一声があれば、改善はするだろう」
「娘の学友の言葉、真摯に受け止めよう」
「南部の人間には、北部への不可視の劣等感や無自覚な鬱積がある。余にはわからんがな」
「南部出身の君が言うならそうなのだろう。政治家や官僚は人間の感情は考慮に入れない事が多い」
「参考にして頂けると光栄だ」
ワインを口に含んだエリーゼはそれ以上話そうとしなかった。
不可視の劣等感は、滅ぼされた側の末裔であるエリーゼも王女であるカノンに抱いているのだろうか。
普段の言動からそうは見えないが、いずれにせよ深入りすべきでない事なのは間違いない。
「デナリウスの復興は大変ですね」
「大きな悩みです。早急に壊さないといけないが、蟲は手強い。聖別者は蟲のことを完璧な兵士と呼んでいました」
「操る装置があるならそうでしょう。蟲との戦闘においては、装甲列車が有効かと存じます」
「なるほど。有効活用ですね」
「人民革命党の魔法使いが持っていた武器や蟲を操る装置など、我が国にもいくらかご提供頂きたいと思います」
「勿論です。ベルカの科学力なら解析も可能かもしれない」
「ありがとうございます」
「もし今後聖別者と思われる存在の情報があれば、陛下達はそこに向かうわけですね」
「今回の様に呪林が絡む場合は」
「その旅に、カノンも連れて行ってくれませんか?」
「え!?」
レーネとカノンの驚いた声が聞こえる。
「カノンには今のうちに、胎生人類の、それも田舎や市井の街や暮らしを見ておいて欲しいのです」
「危険が伴います。そこが戦場であるかもしれませんし、他の聖別者も危険な思想を持っているかもしれません」
「皇帝陛下も自らを危険に晒しておられます」
それは命を懸けて胎生人類を救おうとすることが、大戦争を引き起こした罪悪感への贖罪であるからだ。麻薬に頼るようになるほどの精神的負担と葛藤を経て、レーネはここにいる。
そんなこと正直に言うことはできないが。
「今回の聖別者は呪林を拠点にしていましたが、災菌に耐えられる人材が他にいないのです」
「ならばカノンも戦力になるということですね」
「それは間違いありません」
「お父さん、私行ってもいいの?」
「カノンは私達と来たいのか?」
「レーネちゃん達に会うまではさ、漠然と胎生人類は終わりなのかなって思ってたけど、自分でなんとかできるかもしれないって思ったら、楽しかったよね」
「よく言ったカノン。正直娘を甘やかし過ぎたんじゃないかと思っていたが、やはり陛下達から学ぶことは多そうです」
カノンも精神的にはかなりタフだ。食と睡眠への制約にも耐えたし、魔法使いとしての能力も十分。
「念押しさせて頂きますが、命の保証は無く、万が一の場合も責任は取りかねます」
「構いません。娘は一人ではありませんので」
「ご了承頂ければ、カノンの参加を歓迎します」
「ご厚意に感謝します。連絡頂ければ可能な限り物資と情報を提供します」
「ありがとうございます。こちらも定期的に状況を報告します」
「王とは民に欲望と夢の形を見せることで導くことができる。九年前、条約の議論をしている時にリークライゼ陛下の父君がそう仰り、同じ理念を持つことに感動しました。今や東方生存圏の確保は破綻したが、どのような状況でも我々は国民に道を示さねばなりません」
「私もそう教わりました」
主菜である海鮮のリゾットが運ばれてきたので、一旦会話を中断する。
「人民革命党跋扈の責はフェレア家にあります。南北戦争の後、同じエルフでありながら南部を敗戦国同然に扱ってしまった。聖別者の話から、先祖が戦争に負けたという自分に責のない迫害を受けたことは察せられた」
「国民は平等に扱わないといけないってことだね」
「南部の所得を上げるため経済再編成を実施し、工業化は進んだが、同時に格差も広がった。次の希望が必要だ」
「豊かになれるっていう?」
「そうだ。しかしどのような豊かさが必要かはわからない。だから経験が必要だ」
「私頑張るから、皆よろしくね」
最後に運ばれてきたデザートを食べ終えると、レオナルド王は席を立つ。
「さて、私は休ませてもらおう。昨晩はあまり寝ていなくてね」
そう言って食堂車から姿を消した。
「ふはは! カノンのことは余が目付をしてやろう!」
「お前も来るのか」
「余の力が必要だろうが」
「そうだな。よろしく頼む」
「うむ。素直に頼ると良い」
「エリーゼも来てくれるの嬉しいなぁ」
「どちらが王に相応しいのか、その目で確かめると良い」
「国王が相手とは思えない態度だったな。やはり気に食わないのか?」
「媚びる必要が無いというだけだ。レオナルド王は歴代フェレア家の中では最も南部の発展に尽力している。三〇年代の飛躍的な成長に南部の安い労働力を利用したのは合理的だ。事業を王族財閥内で回すやり方は気に食わんがな」
「それはお父さんだけじゃやめられないかなぁ」
「そうだろう。だから媚びる必要が無いのだ」
「将来事業を始めるつもりがあるなら、フェレア家とのコネは重要じゃないか?」
「王家の傀儡では南部の人間は納得せんよ。融資を受けるなら対等な立場だ」
「なるほど。迂闊に融資を受けると系列化される恐れもあるからな」
「それはそうと、ユンカーにカイザー。我がソダリータスへの支払いがまだだったな」
「その事は、ベルカに戻ってから話そう。聖別者の手がかりがあるまで暇だ」
「良いだろう。余の希望は将来的な資金提供だからな」
「俺も疲れた。夕食まで寝る」
客車は側廊下式の個室となっている。
ロイスがベッドに入って早くも微睡の中にいると、何者かが扉を開けて入ってくる。
目を開けるとレーネだった。
レーネがベルベット製のソファに腰掛けたので、ロイスも起き上がって向き合うように座る。
「全く、私にばかり喋らせて」
「仕方ないだろ。国王を前に一士官に何ができる」
「あと、他の女と喋り過ぎだろ」
「それも仕方ない。それともレーネが指揮を執るか?」
「意地悪だ……」
「俺だって二人きりの時間は欲しいさ」
「それは、嬉しい」
「ベルカに戻れば時間はある」
「ああ。今は休もう」
レーネはロイスの頬にキスをすると、自分の部屋に戻っていった。
列車は翌早朝にアレサンドラに到着。
天候が良かったので民間の飛行船で移動する事に決め、ロイス達は空港へ移動する。
既に初雪が降ったネラス山脈を越え、ロイス達はマイエリンツへと戻った。
Tips:ミンターフ作戦
エルフェニア陸軍が四四年六月上旬に東部戦線で実施したミネル連邦南西部の都市ミンターフ攻略を目的とする作戦。正式名称は『勇剛作戦』。
ミネル石軍攻勢開始後の撤退時に多大な犠牲を出し、エルフェニア陸軍最大の敗北と称される。
極めて杜撰な作戦計画と被害の大きさから現場指揮官の殆どが自決、あるいは更迭、暗殺され、戦闘記録も隠蔽されたことから忘れられた作戦とも揶揄される。
四四年春頃からエルフェニア軍が占領するロトカ油田に対しミネル石軍の空爆が続いており、野戦空港のあるミンターフを再占領する計画が持ち上がった。
当時は彼我の戦力差から勝算無しとして保留になっていたが、五月下旬からミネル石軍は大規模な部隊の配置転換を行っており、ミンターフ周辺の戦力が著しく手薄になっていることが判明した。
ミネル石軍が大規模な夏季攻勢を準備中であると判断したエルフェニア陸軍はミンターフ攻略作戦の実施を決定する。
目的は先制攻撃を加えることでミネル石軍の夏季攻勢を予防し、野戦空港を占領することでロトカ油田への空爆を阻止し、ミンターフ南部の敵軍を海軍陸戦隊と挟撃して殲滅するという非常に野心的なものだった。
開始から二週間の作戦経過は順調であり、先鋒部隊はミンターフ手前に到達した。
しかし六月二二日、ミネル石軍による超大規模夏季攻勢が始まる。
軽装備の先鋒部隊はなす術も無く全滅し、作戦計画は破綻した。
ところがエルフェニア陸軍が作戦を中止しなかったため、追走補給のため後方を進軍していた主力部隊は戦況もわからないままミネル石軍の攻勢に巻き込まれ壊滅。
七月に入ってエルフェニア陸軍は作戦中止を決定したものの完全に手遅れであり、残存戦力は敵の勢力下を徒歩で撤退するしか無く、多くの将兵が餓死または病死した。




