3 現地調達
「にゃー。本当にやるのかよ」
「食料は現地調達が基本だぞ」
「オイラんところはちゃんと補給が来たぜ?」
「そりゃ最前線は徴発してる余裕が無いからな」
「現地調達っていうか略奪だよなぁ」
「軍票なんか持ってないし」
「あげても喜ばないと思うぜ」
ロイス達の前方には辺境のありふれた田園風景が広がっていた。
ここはベルカ軍の占領下にあるスケイル共和国の中部であり、住人は爪爬人である。
三〇分ほど前に到着したロイス達は戦車を茂みに隠し、陽が暮れるのを待っていた。
太陽が山の向こうに姿を隠し、長く伸びていた影が闇に包まれ、家屋から零れる明かりだけが僅かな光源となる。
「よし。仕掛けるぞ」
「今は九月なので収穫前じゃがいも、ニンジン、玉ねぎあたりがあるはずです」
「俺とウィルで収穫。ミラが輸送。陛下は車内で待機です」
「オイラも遂に強盗かぁ」
「戦車前進」
夕食時の長閑な農村に、爆音を響かせながら戦車が乱入してきた。
畑の前で停車し、ロイス、ウィル、ミラの三人が飛び出してくる。
ロイスとウィルはシャベル。ミラはバケツを持っていた。
「掘り返すぞ!」
ミラの言う通り、じゃがいも、ニンジンが植わっている。
「あ、キャベツがあります! 確保してください!」
「ウィル、頼む!」
「にゃー。仕方ねぇ」
ロイスは掘り返したジャガイモをバケツに入れていく。
満杯になったバケツをミラが運ぶ間に、次の野菜を掘り返していく。
ミラが何往復かすることで、食料を入れている雑具箱が一杯になった。
「これ以上は入りません。そのジャガイモはバケツに入れたまま吊るします」
「よし。撤収だな」
ロイスがジャガイモの入ったバケツを持って立ち上がった時、大勢の人間が近づいてくる音が聞こえた。
見れば村の住民が篝火を持ち、こちらを指さしながら歩いてきている。
「気付かれた。急げ!」
走り出すロイス達の背後で銃声が響き、側を銃弾が通過していく。
「撃ってきたぞ!」
「陛下!」
「任せろ!」
レーネが戦車を発進させ、ロイス達を庇うように移動する。
銃弾が装甲を叩く音を聞きながら、ロイス達は戦車に乗り込んだ。
「榴弾で威嚇しますか?」
「陛下! 予定通り川沿いに!」
戦車は一気に加速し、西へと疾走する。
キューポラから顔を出して後方を確認したが、車両で追ってくるような様子はなかった。
「全員無事で良かった」
「こっちは戦車なのに、本気で戦いに来てましたね」
「たかが四人分だし、見逃してもいいと思うがな」
「スケイルでは食料を限界まで徴収していますからね。我慢の限界だったのかもしれません」
「なんて会話だ。お前らいつもこんなことしてんの?」
「いままではもっと円満に貰えてたんだぞ」
「食べ物は必須ですし」
「そうか……。過酷な旅なんだな」
そこから走ること一時間。月が周囲を照らし出す中、ロイス達は夜営の準備を始めた。
戦車の雑具箱からパップテントを二張り取り出し、片方を川岸に建てる。
夜間に火を使うと存在を知らせているようなものなので、基本的に煮炊きはしない。
夕食は缶詰による冷たい食事となる。
「ハムの缶詰が一つずつ。ライ麦パンの缶詰は三つしかありません」
「私はライ麦パンはいらん。その代わりチョコレートをくれ」
「わかりました」
ロイスが言うと、レーネは雑嚢から虎の子の板チョコを取り出した。
一日中戦車を運転しているレーネは体力の消耗が激しい。少しでもカロリーを摂らなければならない。
この旅を始めてからレーネは明らかに痩せており、ロイスの心配事の一つだった。
四人は防水シートの上に座って食事を始めた。
缶詰のライ麦パンは不味い。
脹らみは全くなく、ライ麦らしき粒々をそのまま円柱状に固めてスライスした感じだ。パンらしき香りは多少するが、粒々は柔らかくぼそぼそしていて食感は最低。酸味のある穀物のような味がする。
パンというより小鳥の餌を食べている気分だ。
かつてレーネは一口食べて『これは人間の食べ物じゃない』と評し、それ以降口にしようとはしなかった。
ライ麦パンはベルカ軍の一般的な糧食だが、通常は後方の製パン中隊が焼き上げたものが支給される。こちらはシンプルながら香ばしく、マーガリンをつけて食べると中々に美味だ。
一方缶詰のライ麦パンは補給が滞るような激戦地で食されるものだが、やはり不評で、支給されるジャムを大量に塗りたくって食べる代物らしい。
だが、補給線のないロイス達はジャムどころかマーガリンすら持っていない。
とっくに使い切ってしまったのだ。
その結果ライ麦パンは家畜の餌のような品質を前面に押し出していた。
ライ麦パンをなんとか飲み込むと、ハムをフォークで突き刺し口に運ぶ。こっちは口直しになる。
「なぁ、あの戦車の名前はリゼルだよな」
「ああ」
「じゃあ砲塔に書いてある『Josephine』ってなんだ?」
「戦車の名前だよ」
「リゼルって名前があるのにか?」
「リゼルってのは言わば犬の種類。普通飼い犬には個別の名前をつけるだろ」
「戦車はペットじゃないだろ」
「私もそう言ったんだが、ロイスのこだわりなんだ」
「女の名前なんだな」
「そっちの方が愛着わくだろ」
「わかんねぇ」
食べ終えた後は缶詰を穴に埋め、四人は川へと歩く。
ミラが食器を洗い始める中、ロイスはバケツに水を汲むと戦車へ引き返す。ウィルもそれに続き、レーネはパップテントへ入っていった。
「皇女さんタオル持ってたな」
「身体を洗うからな」
「あのテントで洗うのか。オイラも洗いてぇ」
「あの二人が終わってからな」
「その水は何に使うんだ?」
「照準器やペリスコープを拭くんだよ」
「それにしちゃ量が少なくないか?」
「あんまり入れると重いだろ」
「力不足かよ」
「対戦車ライフルを一人で持ち歩く奴に比べればな」
「弾のある銃があれしかなかったんだよ」
「お前は対戦車猟兵か」
ロイスはバケツを戦車の側に置くと、雑具箱から雑巾を取り出す。
「お前らんとこの対戦車銃、ミネルの戦車に全然効かないんだよなぁ」
「対戦車擲弾筒はなかったのか?」
「あったけど、遠くの敵は狙えねぇ」
「となると対戦車砲か」
「結局それだな。戦車砲も殆ど変わらないんだな」
「どうりで砲弾を扱いに慣れてるわけだ」
「前線にいたの一ヶ月くらいだけどな」
途中でウィルに水を汲みに行ってもらいつつ、雑談をしながら光学装備を拭いていると、女子二人が戻ってきた。
次にロイスとウィルが身体を洗いに川岸へ向かう。
「にゃふー。洗うだけでもだいぶマシだな」
「今が九月で良かった。これが冬だったら悲惨だった」
「凍死するんじゃねぇの」
「だから何としても寒くなる前に死神を見つけにゃならん」
「北東に向かってるようだが、あてがあるのか?」
「最近、西の方に小さな呪林が頻繁に生じているらしい。死神がいるんじゃねぇかな」
「なるほど。そいつはありそうだな」
「見つからなければそのまま本国に戻って情報収集だ」
「死神。会いたいけど会いたくねぇなぁ」
汗を流して用を足せば、あとは寝るだけだ
防水シートの上に二つ目のパップテントを張る。
就寝時間としては早いが、常に誰か一人は起きている必要があるため、睡眠時間が長いわけではない。
それでもウィルが入ったことにより、眠れる時間は増加した。
例えば今日のロイスは三時間見張りをしてから八時間眠ることができる
戦車の整備もそうだが、人数が増えると一人当たりの負担が減って良い。
女子二人がテント中の寝袋で寝るのは今までと同じ。
ロイスは操縦席をリクライニングして寝袋で寝ていたが、ロイスとウィルの睡眠時間が被る時間帯はどちらかが他の場所で寝る必要がある。
ロイスがそう言うと、ウィルは芝生の上に布を敷いて寝ると言う。
流石は戦場帰りだ。
雨の日は困るだろうが、それは雨の日に考えるとしよう。
夜の十一時ごろ、ロイスはレーネを起こして見張りを交代し、寝袋に入って就寝した。
夜更け。戦車の中で寝ていたロイスは何者かに身体を叩かれる。
目を開けると、レーネが名前を呼んでいた。
「ロイス~」
「へ、陛下?」
「起きてくれ」
「敵襲ですか!?」
「いや、その、なんというか」
「不審な影ですか?」
「そう。影なんだ!」
「数は?」
「わからない。そんなに多くはないが」
「方向は?」
「わからない。後ろだったり、前だったり……」
寝袋から出たロイスは戦車から飛び降りた。
「どこですか!? まだ見つけられません」
「いや、今はいないんだ」
「ほんの一瞬ということですか?」
「わからない」
「わからないこと多いですね」
「仕方ないだろう! 夢のことなんて、よくわからない」
「夢……?」
「また、影が追いかけてくる夢を見たんだ」
「ああ夢の話ですか……」
「しょうもないみたいに言うな! 深刻なんだぞ!」
そう言えば、旅に出てすぐの頃にも、影が追ってくる夢の話をしていたな。
その影について解釈することはできるだろうが、それで恐怖が収まるわけでもあるまい。
「そうかもしれませんが、夢は夢ですからね」
「私だって起きてから我慢していた。でも、どんどん怖くなってきたんだ」
「夢を思い出してですか?」
「辺りが暗いから」
「ええ……」
「だってあの辺りとか、影が出てきそうじゃないか」
レーネは雑木林のある方を指さす。
「俺は敵が潜んでるんじゃないかって方が心配です」
「それだったら戦車で逃げられる」
「じゃあ影については、どうすればいいんです?」
「それは……どうしたらいい?」
「……幽霊なんていないと言い聞かせるとか」
「はぁ~。もういい」
なんで俺が呆れられたみたいな態度を取られるのだろうか。
寝ている俺を起こしたのは見張り中にレーネなのに。
「じゃあ見張り代わりましょうか」
「いや、それはいい」
「そうですか? じゃぁまぁ、俺は寝ますけど」
「そうしてくれ」
「本当に大丈夫ですか?」
「貴方と話して落ち着いた。心配いらない」
「わかりました。では、見張りをお願いします」
「うむ。心配いらないぞ」
ロイスはレーネが心配だった。
レーネがこういった状況になったことに、負い目も感じる。
しかし、戦車一台で続ける旅では疲労が蓄積する一方だ。
睡眠の一分一秒が生死を分ける。徹夜まがいのことをやっていては、それこそいざという時レーネを守れない。
結局のところ、国家元首といえど見張りはやってもらうしかない。
戦車の中に戻ったロイスは寝袋へと入ると目を閉じて考える。
レーネがこうなった原因はわかっている。
ロイスとレーネは幼馴染だった。自らの誕生と同時に母を亡くしたレーネは、よくロイスの家に遊びに来ていた。
疎遠になったのは三年半前。父親も亡くしたレーネは若干一四歳で皇帝の地位を得た。
それから三か月と経たぬうちに、レーネは以前から研究していたという独創的かつ画期的な戦闘教義を立案し、西方戦線の速戦即決を成し遂げる。
その後も自分で纏めた戦略を基に東方生存圏確保のための戦争を始め、多大な戦果をもたらした。
当時は皆新皇帝レーネが汚染のない広大な土地を獲得し、胎生人類による豊かな新国家を創るのだと確信していた。
だが、そうはならなかった。
卵生人類国家であるミネル連邦の強烈な反撃、そして連邦内に点在する呪林の数。いずれも想定外。
そして三か月前。死神の活動と同期したミネル軍の大反攻によって戦線は崩壊し、胎生人類は消えゆく希望と刻々と迫る滅びを目の当たりにすることとなった。
疎遠になった後も、国家元首となったレーネの様子は参謀本部に所属する叔父から断片的に聞かされてはいた。
会いたがっているようだ。とか、気分転換に付き合ってやったらどうか。とか。
結局ロイスは会いに行かなかった。
ロイスはレーネのことが好きだった。相手が皇女であるとわかってはいたが、その美しさに惚れていた。
だからこそ、幼いころからあらゆる学問を異常な速度で吸収し、神童の評判を欲しいままにしていたレーネに引け目を感じていた。
自分も成長してから会おうと考えてから三年の月日が流れ、再会した時にはレーネのメンタルは崩壊していた。
想定外の長期戦で凄まじい犠牲者を出したことに対する罪悪感か。敗色濃厚となり胎生人類の悲願を達成できなかったことへの自責の念か。それとも、皇女を戦犯として処刑すると喧伝する卵生連合への恐怖か。
言ってしまえばトラウマ。叔父はそう分析していたが、いずれももう解決不能だ。
ロイスは後悔した。自分がレーネに必要とされるのは、これからではなくこれまでだったのだ。
大人達は誰も停戦など言い出さない。レーネもまた、自らへの期待があるから言い出せない。
思い上りかもしれないが、俺からの提案ならレーネは聞き入れたかもしれない。仲は良かったのだ。可能性はあった。
それも今となってはどうしようもない。
絶望的な状況を前に麻薬に依存するようになった女に対し、自分が何で貢献できるというのか。
そんな中で起きた、災菌への感染とその克服。
そして麻薬をキメてハイになったレーネが提案した、死神の血清による治療薬の作成。
ロイスにとっても救いだった。
麻薬の助けを借りているとはいえ、レーネはまだ希望を失っていない。
まだ国家のために、胎生人類のために戦うつもりでいる。
そして、成し得れば多くの胎生人類を救えたという充足感が得られ、停戦への切り札にもなり得る。
レーネの心理的重荷を軽減する方法。
それはやはり、この旅が起死回生の一手なのだと俺の口からも何度も言うしかない。
ではどんな言い方があるか。
考え始めるころにはロイスは再び眠りに入っていた。