1 治療薬の作り方
レオネシア大陸の北西部に、ベルカという国がある。
ベルカ発祥の地である北部は旧暦時代に汚染された極寒の地で、作物は立ったまま腐り、家畜は奇形を産み、赤子は育たなかった。
互いに奪い合うものなど無かったベルカンは団結し、豊かな土地を求め南進を繰り返した。
領土を拡大すると共にいち早く産業革命を達成したベルカは、抜きん出た科学技術と圧倒的な工業力を有する強大な帝国となる。
しかし彼らの根底には常に飢えと寒さへの恐怖があった。
ベルカの貴族達は国家の持続的発展のためには南東の肥沃な大地の獲得が必要と考えていた。
そして同じ胎生人類国家であるエルフェニアとランドワーフも、持たざる国として土地と資源を必要としていた。
三つの胎生人類国家は数で圧倒的に勝る卵生人類に対抗するため、協力体制を締結する。
胎生人類国家条約機構(Viviparity Treaty Organization)。通称『胎生枢軸』である。
そして三年と七か月前、胎生枢軸は卵生人類国家と交戦状態に入った。
科学力で優越する胎生枢軸は快進撃を続け、開戦から半年で五つの卵生人類国家を占領。
戦争目的であった東方生存圏も征服し、先の大戦からの宿敵、ミネル連邦へと侵攻した。
胎生人類は勝利に沸き、熱狂した。
中でも先の大戦で四年の歳月と多大な犠牲を払っても達成できなかったコニファール共和国の打倒を一ヵ月で達成したベルカの若き皇帝、レーネに対する国民の忠誠心は絶頂を迎えた。
その後の東方侵攻戦における快進撃もレーネの指導力によるものであると盛んに報じられ、国民の戦意高揚に貢献し、レーネの存在は神格化された。
しかし、勝利は長くは続かなかった。
胎生人類の驕りは打ち砕かれ、東西で致命的な惨敗を喫した。
卵生連合の圧倒的な動員兵力と固定翼機の活用により戦線は押し戻され、慢性化した燃料不足によって反撃すら困難になった。
貴族の誇りとやらは消え失せ、なりふり構わぬ戦い方だけが残った今の戦場に蔓延するのはどうにもならない末期感だ。
残された時間は多くない。
入手した死神の血液は研究機関に引き渡したロイス達はルクスバキア領邦の首都マイエリンツに滞在している。
この日、ロイスはマイエリンツの近衛師団司令部を訪問していた。
もっとも、近衛師団は呪林に沈んだズロチで消滅している。
しかし平時は皇帝や宮殿の警護を任務とする近衛師団が消滅したという事実は公にできるものではなく、書類上は司令部をマイエリンツに移して存続している事になっている。
運良く災菌感染を免れた兵員もマイエリンツに駐屯していたが、部隊機能は喪失しており事実上の休暇となっていた。
そこにレーネが存命であることが上層部に伝わったため、平時の役割である皇帝の護衛任務が与えられた。
近衛師団の消滅が公に露呈するのを防ぐため通信大隊には最低限の人員が補充されており、ロイスが会いに来たのは新しく通信大隊の長となった人物だ。
「よぉロイス。お前さんが生きていると聞いたときは驚いたぜ」
「死神と戦った時は本当に死ぬと思いました」
「実によくやった。これで治療薬が作れればお前さんは英雄。俺も鼻が高い」
「私は中佐が近衛師団に編入された事に驚きましたよ」
「志願したからな」
「参謀本部から異動を希望する人も珍しいでしょう」
「だからすぐ受理されたぜ」
「今の状況じゃ再編成なんて当分先です。仕事ありませんよ」
「だから良いんじゃないか。参謀本部にいたのだって、前線に行きたくなかったからだ。家柄だけで佐官になったが、これ以上責任取る立場にはなりたくねぇ」
「今の近衛師団じゃ戦果とは無縁でしょうね」
「危険もねぇが出世もねぇ。気楽でいい」
いい加減な性格が滲み出ている三十代の男はオスカー・エンデマルク。階級は中佐でロイスの叔父である。
元は参謀本部の情報部に所属しており、近衛師団消滅前のロイスはオスカーの話によってレーネの近況を把握していた。
「戦況はどうなってます?」
「悲惨という表現がしっくりくる」
「そんなに酷いですか。まぁエルヴィングより西でもミネル石軍と出くわしましたからね」
「俺としちゃ死神との戦いの話を聞きたいがな。まぁ座れ」
オスカーに言われ、ロイスは司令部応接室のソファに座る。
「死神は殺したので、呪林による部隊消滅は今後起きないはずです」
「もうそういう問題じゃない。卵生連合との兵力差が酷すぎる」
「治療薬を作っても、量産する時間が無いと意味がありません」
「まぁ、本土決戦となればある程度時間は稼げるだろうが」
オスカーは不揃いなあご髭を撫でる。
全く楽観視できない状況であることをロイスは理解した。
オスカーは若いころから酒と女にだらしない放蕩者で、これ以上出世する気が無いというのも本音だろう。
しかし参謀本部に入るため士官学校は上位で卒業しており、侯爵家という優位性はあるにしても情報部で中佐まで出世している。
情報の収集と分析に長けたオスカーが悲惨と言うのなら、何か奇跡が起きて戦況が好転する可能性は無いのだろう。
「ところで、死神の血液の研究結果が出たという事でしたね」
「そうだ。ここに迎えが来ることになっている」
「既に何か聞いていますか?」
「いや。機密だから口頭連絡だ」
「そうですか。待ち遠しいですね」
「さっきは暗い言い方をしたが、災菌の治療薬ができれば希望はあると考えている」
「それは上層部も同様に?」
「そうだ。まず災菌の軍事利用に対応できる。こっちの戦死者の四割は病死と餓死だからな。病死の全てが災菌というわけじゃないが、災菌感染しても薬を飲めば戦線復帰できるというのは大きい。水や食料の管理にしても――」
ここで応接室のドアがノックされた。
オスカーが返事をすると、兵士が一人入ってくる。
陸軍省医療局のパウル・ヘルマン教授からの伝令であるという。
「死神の血液の解析結果が出たかな」
そう言って席を立つオスカーにロイスも続く。
レーネにも既に連絡済みということで、ロイス達はまっすぐ病院へと向かう。
歩いて病院に向かうと、貴族や富豪がよく使用する高級車が停まっていた。
ロイスが近付くと扉が開き、中からレーネが姿を現す。
「ロイス!」
「陛下。お待たせしました」
「ちょっと」
レーネに手を引かれロイスは車から少し離れた場所に移動する。
「その呼び方はやめろと言っただろ」
「まだ公にするのはまずい」
「じゃあいつになったら公式になるんだ?」
「まぁ、レーネが一八になったら、かなぁ」
「あと少しじゃないか。なら我慢する」
話を終えた二人は病院の入り口に向かい、オスカーと三人で病院の中に入る。
大きな病院の一角を占める研究施設に、ヘルマン教授はいた。
白髪の賢そうな初老の男だ。
その他に研究員と思しき白衣の男達が部屋の奥の方に立っている。
「お目にかかれて光栄です。陛下」
「報告に感謝する。ヘルマン教授」
「陛下の英雄的な活躍によって、極めて興味深い素材を入手できました。本日はその報告を差し上げたいと思います」
「始めてくれ」
「はい。初めに申し上げるべき事は、こうしてお時間を頂戴しているにも関わらず、ご希望のご報告ができないということです」
「治療薬はできないのか?」
「かなりの時間が必要です」
「予算も設備も検体も必要なだけ用意してもか?」
「はい。こちらをご覧下さい陛下」
そう言ってヘルマン教授は黒板に貼られた紙に目をやる。
そこにはグラフや表が印刷されていた。
「死神の体液の組成は、我々胎生人類のものと異なります。具体的に申し上げますと――」
その後の説明は専門用語が入り混じったものだった。
ロイスは固有名詞からわからなかったし、レーネも医学分野は疎いはずなので理解できてはないだろう。
ヘルマン教授もそれはわかっているのか、ところどころ要約して話していた。
ロイスの理解したところでは、死神の血液に災菌に対する抗生物質は含まれているが、その物質は胎生人類に対して毒であるためそのままでは使えない。
胎生人類への薬として用いるには何らかの化学的装飾を施す必要があるということだった。
「やはり死神は胎生人類ではなかったということか」
「はい。しかし、体液は卵生人類のものとも異なっています」
「そもそも生物なのか?」
「外皮や臓器は人工的な素材と思われますが、形状は酷似しています。もっとも、あまりに欠損が激しく、推測に頼る部分が多いのが事実です」
「それは仕方がない。私達の血は役に立たないか?」
「陛下達の血中の災菌はそれ自身が弱毒性に変質しています。その理由も興味深いものではありますが、一般的な胎生人類は災菌が変質する前に死に至るのです」
「素の状態の災菌を宿した血液が必要ということか?」
「いいえ。災菌の繁殖を完全に防いでいる胎生人類の血液が必要です」
「それは答えじゃないか」
「仰る通りです。目指すべきゴールがわかっていれば、後はその組成を人工的に作り出す方法を確立するだけになります」
これについてはロイスも理解できた。
素の状態の災菌を宿した血液などいくらでも手に入る。災菌に感染した死にかけの人間から血液を採取すればいい。
それでは意味が無いからこそ、地道に抗生物質を開発するしかないということか。
「災菌への完全な抗体を持つ胎生人類の話など聞いたことがない」
「はい。今のところは存在しないのかと」
「現状で治療薬の開発にはどれくらいかかる」
「早くても三年はかかります」
「それでは、間に合わない……」
今の胎生人類が後三年間戦争を続ける。それは現実的な話なのか?
しかし、降伏すれば確実にレーネは戦犯として処刑される。
如何なる手段を取ってでも徹底抗戦するしかない。
ロイスがそう考えた時、オスカーが口を開いた。
「陛下。お耳に入れたい情報があります」
「話せ。中佐」
「信憑性に欠ける話であるため今まで口に出さずにおりましたが、エルフェニアにて死神と似たような存在が確認されています」
「死神?」
「災菌をものともせず、蟲を操り呪林を作り出していると」
「それは確かに死神だな」
「しかし、軍人だった男が突然不思議な力を使うようになったという情報もあり、時期が重なっています」
「つまりそいつはエルフなのか?」
「おそらく、容姿は」
「エルフの見た目をした死神という可能性もあるが、災菌を完全に克服したエルフである可能性もあるわけか」
「不確定要素が多く、現状ではどちらとも言えません」
「俺達と同じく災菌感染から寛解したというだけじゃないですか?」
ロイスは口を挟んだ。
「その可能性もある。蟲を操るというのが気になるが」
「いずれにせよ、会ってみたいですね」
「中佐。そいつの居場所は?」
「不明です。その他の情報も、整理する必要があります」
「なら明日までに整理しておいてくれ」
「承知致しました。陛下」
「呪林を作り出しているとなると穏やかじゃないが、そいつの血が必要か? 教授」
「エルフのサンプルはありませんので、あるに越したことはありません」
「私達と同じ境遇なら、治療薬には繋がらないか」
「呪林を作り出しているってのは妙ですよね。寛解しているだけなら災菌を吸い込むと体調悪くなりますし、寿命も縮みます。そのエルフには何のメリットがあるんでしょうか」
「わからんな。単なる破滅主義者か」
「司令部に戻りエルフェニアの情報を収集致します」
「そうしてくれ。方針は明日決める」
「承知致しました」
オスカーに宿題が出され、ロイス達は病院を後にした。




