13 情報
死神を呼び寄せる前に何としてでも捕虜を解放、避難させなければならない。
列車砲の砲撃に巻き込んでしまうからだ。
ベルカ軍は同士討ちを極端に忌避する。
どこの国の軍隊でも同士討ちは可能な限り避けるべき事だろうが、ベルカ軍においては鹵獲兵器の運用と並んで禁忌であり、露見すれば出世の道が閉ざされるどころか下手をすると軍法会議ものである。
同士討ち厳禁の萌芽はベルカ軍の各師団が上級貴族の持ち物であった時代に互いの領民を殺傷しないと約束した紳士協定であるが、中央集権化が為された現代でも皇帝陛下の戦力を悪戯に損なったと解釈される。
貴族は平民を守る存在であるという騎士道精神も理由の一つで、何かしら合理的な理由があったとしても割り切れるものではない。
捕虜の存在がある限り、例え死神の撃破が約束されているとしても列車砲が発射される事は無い。
捕虜奪回のため戦闘か、諦めて撤退か。
レーネに相談しようとロイスが戦車に戻ってくると、泣きだしそうな顔のレーネがテントから出てきた。
「ロイス~、やっと帰ってきたか」
「陛下。どうしました」
「怖い夢を見た」
またか。と思わなくもない。しかし、勇気づけるのが俺の役目。
「大丈夫です。影なんかどこにもいませんよ」
「いや影じゃない」
「別の夢ですか?」
「ああ。ロイスが、死ぬ夢を見たんだ」
「それこそ簡単に確かめられます」
そう言ってロイスは右手を出す。
レーネは少し戸惑ってからその手を振れた。
「実体があります」
「ああ。そうだな。……って夢だってことはわかってる! 子供みたいに扱うな!」
「そんなんじゃないですよ」
「だがまぁそれでも、安心はした」
「やけにリアルな夢というのは誰にでもあります」
「そうだよな」
少し沈黙を挟んで、レーネが再び口を開く。
「そういえば、偵察からの報告を聞きに行ってたんだな」
「はい。大問題が一つ。この街に友軍の捕虜がいます」
「何……では、助ける必要があるな。敵軍の規模は」
「一個大隊と思います。戦車が数両」
「厳しいな」
「はい」
「ロイス……死神の討伐は、やめるべきだろうか」
「それでいいんですか? 確かに、状況は非常に悪いですが」
「状況もそうだが、戦えば本当にお前が死んでしまう気がしたんだ」
「それはそうですが、覚悟の上です」
「私が嫌なんだ!」
「陛下……」
そう思われるのは嬉しい。
しかし、今は死神を倒せる可能性を見出している。ここで諦めて帰っても、絶望しか残らないのだ。
「やっぱり死神に挑むのはやめよう。そうすれば皆生きて帰れる」
「しかし、帰ったところで俺達は後何年生きられるかわかりません」
「もしそうでも、今死ぬよりは良いんじゃないかと思ったんだ」
「しかし、俺達は良いとしても、陛下が……。災菌の治療薬無しで戦局挽回は難しいです」
「私の処刑だって、決まったわけじゃないだろう。いや、私一人で済むなら、処刑くらい」
「それは俺が嫌なんですよ!」
思わず声が大きくなってしまった。
しかし、偽らざる気持ちだ。
死神退治というレーネの提案に乗ったのは、レーネの前向きな気持ちを応援したいからだけではない。
それこそがレーネの命を救う最も可能性の高い手段に思えるからだ。
「ロイス……本当にそう思ってるんだな?」
「本当です!」
「そうか」
レーネはだいぶ安心したような表情になった。
やはり、レーネも本心では自分も長生きしたいと思っていることは間違いない。
「戦況が悪いからこそ、俺達はここにいます。そして、災菌への治療薬を作ることが真に胎生人類の救いになります」
「しかし、死神の血清から治療薬が作れるというのも予測に過ぎない。本当に戦っていいのか?」
ここはもう、理屈より俺の気持ちを伝えた方がいいだろう。
「俺は陛下を助けるためなら、か細い希望にだって縋ります。諦めてただ震えて待つなんて絶対嫌です」
「ロイス……。ではロイスは捕虜を解放し、作戦を続行すべきだと思うんだな?」
「ただし、彼我の戦力差が大きく解放できるかわかりません。失敗すれば兵は無駄死にとなります。だから陛下の意見を伺おうかと」
「私は、ロイスの判断に従う。ロイスにだけはわかってほしい。今の私に部隊の指揮能力は無い。そうだろう?」
「それは……まぁ戦術レベルの指揮は未経験かもしれませんが」
「今の私は弱気だが、麻薬を吸えば強気になり作戦続行の判断をするだろう。でもそこに合理性なんてない。だから後で不安になる。でもロイスの判断なら従える」
「わかりました。では、作戦を継続します」
「賛成する」
「ではミラとウィルを起こしてください。俺は中隊に指示を出してきます」
「わかった」
ロイスは戦車を背にして歩き出した。
作戦は既に考えてある。
レーネがはっきりと作戦中止を断言しない限りは、作戦続行を進言するつもりだった。
捕虜の解放は必須であるが、隠密に行うことはできない。
実行すれば必ず敵の大隊と交戦になる。数では大きく劣勢。
失敗すれば偵察中隊は壊滅するだろう。
全く考えるに値しない命題だった。
忌避すべきは同士討ちであって、友軍の戦死ではない。
引き際さえ見誤らなければ、俺達だけは戦車で離脱できる。レーネとミラとウィル、そして俺さえ無事で良いと考えるならば、そこまで分の悪い賭けではない。
戦況が悪化した大戦中期以降、レーネはこうした非情な判断を何度も迫られ、精神を病んでしまった。
ここから先は俺がやろう。こんなところで希望を捨ててたまるか。
天幕に戻ったロイスはマルクル曹長とブルーノ軍曹に指示を出す。
「これより捕虜解放の準備を行う」
ロイスは簡易テーブルの上に広げられたベンゲルフの地図上を鉛筆で指す。
「日の出前までに収容所に向かい、捕虜と接触。武器を渡す。その後捕虜の蜂起と連携して敵に攻撃を仕掛ける」
「攻撃のタイミングは?」
「寡兵だから夜襲が好ましい。捕虜に武器を渡して戻ってから仕掛ける」
「収容所の付近には警備兵がいるので、戦闘は避けられません」
「歩兵のみで行動する。足音はこの雨脚である程度かき消せるだろう。それに俺の魔法は闇に溶け込む」
「おお。遂に少尉殿の魔法が見られるわけですな」
「対戦車擲弾筒と機関短銃は全て捕虜に渡す。第二小隊は死亡した兵士の装備を引き継ぐ」
「対戦車ロケットはどうするんで?」
「持っておけ。敵戦車の処理を頼むかもしれん」
「了解でさ」
「第二小隊は武器の輸送に必要なだけ人員を出せ。第一小隊は一個分隊。機関銃は不要だ」
「了解」
「部隊を街の入り口に集めろ。俺とウィルも合流する」
作戦を伝えたロイスは戦車へ戻り、解放した捕虜を戦力に組み込んでミネル石軍と戦う計画を話す。
「いい考えだと思う。ただ、攻撃開始は日の出直後が良いと思う」
「そうですか?」
「夜襲ではこちらが少数だと敵に教えるようなものだ。目標が殲滅ではなく撃退であるならば、日中の方が捕虜と連携しやすい」
「確かに、そうですね」
「後は、捕虜達には我々が大部隊だと伝えた方が良い」
「そうしましょう」
「私の魔法は目立つから、待っているべきなのはわかっている。ここで祈っている」
「周囲で戦闘の気配があったら迷わずエンジンを始動して、敵が来たら一旦逃げて待機してください」
「わかった」
「それと、ウィル。できれば石軍との戦いに参加して欲しいんだが」
「あー、いいぜ」
「良いのか!?」
「土魔法で援護すれば良いんだろ?」
「そうだ。だが、ベンゲルフまで来るところまでは約束していたが、敵軍との戦いは想定していなかった」
「そうなんだけどな。でもここまで来て何もしないで帰るのも馬鹿らしいだろ」
「そんな理由で良いのか?」
「んにゃー。時間が無いんだろ? さっさと行こうぜ」
「ウィル。感謝する。作戦が終わったら、望みは何でも叶える」
「皇女さん。今の言葉、忘れないでくれよ」
「勿論だ。だからロイスを頼む」
「願いを叶えてもらえるか。こいつはやりがい出てきたな」
そう言ってウィルは歩き出し、ロイスはその後に続いた。
「ウィル。俺からも礼を言う。レーネの言葉も嘘じゃない」
「そこは疑っちゃいねぇよ」
「本当にいい奴だな」
「別に人助けで戦ってるわけじゃない」
「そうなのか?」
「まぁ今はいいだろ。兵が集まってるぜ」
ウィルの言う通り、街の入り口に武装した兵士が集まっていた。
「改めて言うが、可能な限り俺かウィルの魔法で敵を倒す。こちらの発砲は敵が撃ってからにしろ。そして撃ったらすぐ移動。では作戦開始だ」
兵士十数名と共に、ロイスとウィルは夜雨の降るベンゲルフへと入った。




