11 防衛
歩兵を先行させつつ月明かりで僅かに照らされた廃村を進む。
角を何度か曲がると、味方の兵員輸送車が後退してくるのが見えた。
その近くにいた兵士がロイス達の戦車へ駆け寄ってくる。
「敵戦車。T-36です!」
「数は?」
「二両以上!」
ミネル石軍の旧式戦車『T-36』。ベルカ軍人には理解不能な設計をしており、ゴミ箱の仇名で呼ばれる。
現在の前線で見かけることはほぼなくなったと聞いているが、パルチザンの手に渡ったか。
「弾種徹甲。砲塔一一時方向。左の障害物を崩して前進」
ロイス達の戦車が角から姿を現した瞬間、砲塔に衝撃が走る。被弾したのだ。
三人分の驚きの声が聞こえたが、音からして貫通していない。
ロイスが被害状況を確認する前に、ミラが戦車砲を発砲。
数百メートル先で火柱が上がった。敵戦車に命中したらしい。
レーネが車体を旋回させつつ、ウィルが次弾を装填する。
「もう一両いますね」
「狙えるか?」
「はい」
砲塔正面への被弾による被害はなさそうだ。相手がT-36で助かった。
ロイスがキューポラから頭を出して周囲を伺う中、ミラが次弾を発砲。またしても火柱が上がる。
「いい腕だ」
「恐縮です」
目前の脅威が消えたことでハーフトラックは再度前進。
歩兵部隊の前進に合わせてロイス達も前進したが、それ以降は散発的な銃声が聞こえただけで、大規模な戦闘にはならなかった。
朝日が昇るころには戦闘は終了しており、ロイス達は廃村の中心へと引き返す。
戦闘自体での損害は殆ど出ていないだろう。敵も戦車がやられてからは逃走に転じた感じだった。
診療所の前に戦車を停めて戻ってきた兵士達を眺めていると、その中にいたブルーノ軍曹が話しかけてきた。
「敵は引き上げたようです」
「あれは正規軍じゃねぇな」
「はい。敵兵は全てスケイルだったと思われます」
「やはりパルチザンか」
ロイスも先程敵兵の死体を見た。
鉱石人ではなく、爪鱗人だった。
ベルカ軍に反抗するスケイルが、ミネル石軍から受け取った武器で攻撃してきたのだろう。
「災菌がメインで夜襲は嫌がらせってとこですかね」
「そうだろうな。ところで、士官は見つからないのか」
「皆感染して寝込んでいます」
「第二小隊の士官もか?」
「少佐や大尉は死神に殺されちまいました。中尉も役場に泊まったばかりに感染しています」
寝込んでいるというが、後は死を待つだけだ。
役所に至っては全焼してしまったので、中にいた罹患者は既に死亡している。
「感染者は?」
「三〇は超えると思います」
兵力の約二割を失った事になる。しかも残る士官が少尉の俺だけ。
これは中隊として部隊機能喪失。全滅と言っていい。
ベンゲルフで測距するだけなら大した指揮能力は要求されないのでこのまま進むことも非現実的というわけではないが。
ロイスが考えていると、遠くから銃声が三回聞こえてきた。
「パルチザンの生き残りか?」
「いやぁ、私の部隊じゃ災菌感染者には鎮痛剤が渡されるんですが、今はそれが無いんで」
「……まぁ、死に方は自由だ」
「とりあえず皇女陛下や少尉殿は列車砲連隊出身の兵士達を連れて村を出るのはいかがです?」
「お前達はどうするつもりだ?」
「感染者を運び出してから、この忌々しい村を焼いちまいましょう」
「そうか。いや、助かるな。感染者を担架に乗せて北側に集めろ。焼却は自由に始めていい」
「了解でさ」
敬礼を返しブルーノ軍曹は防護服を着た集団の元へ向かう。
それと入れ替わるように別の兵士がロイスへ近づいて来た。襟章から曹長であることがわかる。
「少尉殿。パルチザン如きにこのような大損害。申し訳ございません」
俺に、というよりは戦車の中にいるレーネに向けて言っているのだろう。
「無事で何よりだ、曹長。陛下と俺を除けば貴方が最高階級となった。頼る事になるだろう」
「はい。私はマルクルと申します。ご用命とあれば何なりとお申し付けください」
「一刻も早くこの村を出る。全ての車両を村の北側に集めろ」
「第二小隊の車両もですか?」
「そう、全てだ」
「了解」
俺は新米少尉とはいえ皇帝の伝令士官という立場。先任曹長に舐められて統率できなくなる危険は低いだろう。
それより問題なのは、第一小隊の兵士達の顔つきに畏怖の感情が見られることだ。
列車砲連隊は災菌の脅威に晒されるような前線に出撃したことが無いのだろう。
その点第二小隊の兵士達は、防護服のせいで表情は見えないが、動きに淀みが無い。
戦友が災菌感染で死亡するのは日常茶飯事という事か。
「陛下。とりあえず戦車を村の北側に出してください」
「わかった」
煙管の火を消したレーネはアクセルを踏んで戦車を動かす。
「この後の事ですが、撤退か進行か、いかがしますか?」
「ロイスはどうしたいんだ?」
「俺としては一度後退して兵力の補充を図るのもありかと思いますが、その場合は数日単位で遅延するでしょう」
「それはわかる。私はロイスの指示に従いたいんだ」
「は、ええと……」
俺の指示に従いたい、か。
俺の理想はレーネの望みを叶える事だ。
ではレーネの望みとは? やはり死神の打倒に他なるまい。レーネだって精神的に前向きになりたい事は間違いないのだ。
「増援を呼びつつ進軍すべきです。ベンゲルフでの測距は今日中に終わります。後は、死神が来るまで待てばいい」
「ならそうしよう。この作戦の途上で行なわれる全ての指揮命令は皇帝に対してのみ責任を負う。そして私はロイスの意見に賛成だ。だから行こう」
「わかりました」
「なぁメイドさんよ。皇帝陛下とその従者はずっとこんな感じか?」
「レーネ様とロイスさんが行動を共にしだしたのはつい最近です」
「ふぅん」
「ウィルは、このまま進むのでいいのか?」
「いいぜ。ベンゲルフまで行くって約束だからな」
「ありがたい。ミラと一緒に戦車の被弾個所を確認してくれ」
「あいよ」
ロイスは戦車の車体後部に座り、村から出てくる兵士達を観察する。
第一小隊の兵士は各員が突撃銃を携行し、分隊ごとに一挺機関銃がある。
迫撃砲や歩兵砲は持っておらず、偵察部隊らしい武装だ。
対して第二小隊の兵士は火炎放射器か機関短銃を携行し、小銃や機関銃は持っていない。
その代わり対戦車ロケットと対戦車擲弾筒を装備し、兵員輸送車は多連装ロケット砲を搭載している。
菌樹や胞子を焼き、蟲を殺す事に特化した装備だ。
しかも機関短銃は偵察中隊に再編成された際に対戦車銃と置き換える形で装備されたものなので、元々の装備は対人戦闘を全く想定していない。
彼らの武装がそこまで偏っていた理由は、特別防護大隊が懲罰部隊だからだ。
危険かつ困難な任務が与えられる懲罰部隊の主な任務は、大戦初期の頃は塹壕掘りや地雷除去作業などだった。
しかしミネル連邦領内に侵攻すると、懲罰部隊のいくつかは呪林を破壊するための部隊に改変された。
災菌は胎生人類にとって致命的な病原体であり、防護服で身を固めても絶対安全というわけではない。
しかも呪林を破壊する際は最も前衛に配置されるため、蟲との戦闘も要求される。
それでいてわかりやすい戦果が得られるわけでもないという、まさに懲罰としか言いようのない任務だ。
困難な任務が割り当てられる懲罰部隊の練度は低くないと言われるが、軍法会議で有罪判決を受けたり、元々刑務所の囚人だったりと犯罪者集団であることは事実だ。
故にどの懲罰部隊も看守役として一般部隊の士官が指揮監督している。
今はその看守役がいない状況だが、列車砲発射まで皇帝を護衛するという任務は非常に割の良い任務なので、軍規を犯す危険性は低いだろう。
ただし、損害が出たとはいえ第一小隊と第二小隊は分けたままで良い。
懲罰部隊の中には卑怯な戦術を命令され、より悪名を高めてしまった部隊もある。第一小隊からの印象も悪かろう。
武装も異なるし混成する利点は無い。
集落の中央部から黒煙が広がる頃、偵察中隊の兵員と車両が村の北側に揃った。
「少尉殿。感染者の運び出しが終了しました」
「ご苦労だった。負傷者と感染者を連隊本部まで輸送しろ。車両はロケット砲が無いものを使え。以後、第二小隊長はブルーノ軍曹とする」
「了解。マルクル曹長殿。車両お借りしますぜ」
「マルクル曹長。貴官を中隊長とするから、第一小隊長を別に登用しろ」
「了解」
予定に変更は無い事は言わずもがなだ。
村に来た時と同様、偵察車を先頭に車列は進む。
最後尾の無線車から通信が入る。
「連隊本部より入電。要望に応じて対空部隊を送る」
「現状では列車砲の防空を優先されたい。正午にはベンゲルフ到着予定。打電せよ」
「了解」
対空車両をこちらに呼ぶと肝心な列車砲の防空が手薄になってしまう。
パルチザンに位置を知られたことは問題だが、こちらは車両移動だ。死神出現までは機動力を活かして交戦を避けるという手もある。
「かなり眠いぜ」
「着いたら昼寝できる」
「そいつはいいな」
「測距は第一小隊に任せておけばいい」
「今更なんだけどよ、測距って何をするんだ?」
「できるだけ正確に当てたいから列車砲と現地の海抜差を測るんだよ。あとは地形を見て座標を割り当てる」
「でもあの列車砲って向き変えられなくね」
「だからまぁ、距離だけだな。そもそも死神が現れてから悠長に仰角を変えている暇があるか――」
言葉の途中でロイスは視界の隅に違和感を覚えた。
「戦車だ!」
「なに!?」
「陛下! 稜線を探してください」
そう言ってロイスは砲塔内に戻り、ヘッドホンを着ける。
「こちら指揮車両! 敵戦車、数は二両! 全車退避せよ」
「退避!? トラックでも盾にはなります!」
「不要だ! 周辺警戒に務めろ!」
「了解!」
再びキューポラから顔を出したロイスは双眼鏡を覗く。
距離は一キロくらいか。明らかにこちらに気付いている。
「ロイス、あの隆起でいいな!」
「はい! ハルダウンを――」
稜線射撃を行うべく、戦車は一気に加速し移動する。その時だった。
強烈な音と振動が走り、乗員四人は一斉に右に叩きつけられた。
「うがっ」
「きゃっ」
「いって……陛下! 大丈夫ですか!?」
「被弾した!」
レーネは返答こそしたが、ロイスにはよく聞こえなかった。
まだ耳に轟音の余韻が残っている。被弾の衝撃は時に乗員が失神するほど強烈だ。
だが……人的被害はない! 非貫通だ!
真横から飛んできた砲弾は正面装甲によって防がれた。
稜線の後ろで停車すると、ミラがこちらに向かって来る敵戦車へ照準する。
「装填済だぜ」
「射撃開始」
ロイスの声と共にミラが発射ペダルを踏むが、初弾は外れ。
そこそこ近くに着弾したが、敵戦車は構わず接近してくる。
「敵戦車……T-40!」
双眼鏡を覗くロイスは言う。
ミネル石軍の『T-40』。走攻守のバランスが良く、卵生連合軍最優秀と名高い傑作戦車。
その戦車砲は距離千メートルでもリゼルの正面装甲を容易く撃ち抜く。
正面から被弾した場合は確実に死ぬと思ってよい。
防御力も低くはないが、砲弾が貫通すると簡単に炎上するためベルカ軍では軽油ストーブという仇名で呼ばれている。
敵戦車二両が侮れない相手である事は不幸中の幸いとも言える。
敵がもし偵察用の装甲車あたりであったなら、はなから逃走を決め込んでいただろう。
その場合は追いついて撃破することは困難で、付近のミネル石軍にこちらの存在を知られるところだった。
二両のT-40は窪地に入ったところで停車し、発砲する。
二発の砲弾が近くに着弾。すぐさま反撃したいところだが、この位置だと俯角が合わないか。
「レーネ様! 前進を!」
ミラの声に、ロイス達の戦車は数メートル前進して稜線から乗り出す。一呼吸おいて、戦車砲を発砲した。
「命中! 炎上確認!」
T-40に向けて撃ち下ろし撃破。
さぁ、次はどう動く? 撃ち合いなら高所にいるこちらが有利。
だが撃ち合いにはならなかった。残ったT-40は信地旋回するとこちらに背を向け逃走を始めた。
すかさずミラがその背中に向かって砲弾を撃ち込む。しかしこれは外れ。
「逃がすな! 陛下!」
「任せろ!」
すぐさまロイス達も急発進し、T-40の後を追いかけ始めた。
「第一小隊は止めを刺せ!」
「了解」
既に炎上しているT-40の始末は歩兵に任せる。残り一両、取り逃がすわけにはいかない。
逃げるT-40をリゼルが追う。追い付ける。最高速度はリゼルが上だ。
「撃ってきたぞ」
「走りながらで当たるか」
対するロイス達は発砲せず、彼我の距離がじりじりと詰まっていく。
数分間カーチェイスを続けただろうか。
前方に小さく人工的な凹凸が見え始めた。
あれがベンゲルフ。という事はミネル石軍に占領されているということか。
敵の本隊に発見されたら作戦が破綻する。
彼我の距離はようやく二〇〇メートルほどになったところだった。
T-40が走りながら撃った砲弾が、ロイス達の至近に着弾する。
「レーネ様、停車を」
「停車!」
ミラを信じるしかない。
車体の揺動が収まった直後、ミラが発射ペダルを踏んだ。
それと同時、T-40が進路を右へ変更。
そしてそれを見透かしたように、砲弾はT-40の車体側面、砲塔下部へと突っ込んでいった。
目の前のT-40が大爆発を起こし、砲塔が上に吹き飛ぶ。
残された車体からは火柱が上がっていた。
「よくやった! 十字勲章ものだ!」
「良く燃えました!」
ロイスに頭を撫でられながら、ミラが嬉しそうに答える。
戦車から降りたロイスは、ウィルに地面に穴を掘るよう頼んだ。T-40の残骸を埋めるためだ。
「悪いウィル」
「いいぜー。後で絶対熱出るけどな」
そう言ってウィルは土魔法を発動。地面一か所から土砂がのけられ、深さ三メートルほどの大穴ができあがる。
ロイス達は戦車でT-40の残骸を穴に突き落とすと、ウィルが土砂を戻して蓋をする。
「明らかに何かがあったという感じだが、まぁ戦車が埋まっているとは思わないだろう」
「履帯痕も消したいところですが道具もありませんし、あの林に移動しましょう」
「その前に、もう一両も埋めないといけないんだよな」
「頼む」
「にゃー。とりあえず解熱剤くれ」
その後もう一両のT-40も地中に埋めた後、ロイス達はベンゲルフから西方の山を隔てて反対側にある森林へ移動した。
Tips:T-36B/E
車体装甲厚(前/側/後):60/70/55
砲塔装甲厚(前/側/後):75/90/55
戦闘重量:36トン
エンジン:4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル550hp/2150rpm
最高速度:46km/h
乗員:5人
主砲:76.2mmL-11(30.5口径)
副武装:45mm20-K、7.62mm機関銃×1
ミネル石軍の旧式中戦車。
三〇年代前期、ミネル石軍は次期主力戦車には76mm砲を搭載すべきという意見が主流となっていた。
しかしミネル石軍は戦車に76mm砲を搭載した経験が無く、76mm砲を搭載する回転砲塔の早期開発は困難という結論が出た。そこで繋ぎとして車体右側に76mm砲を直付けし、左側にオフセットした回転砲塔には実績のある45mm砲を搭載した戦車が開発され、T-36として正式採用された。
ただし配備当初から、異常に硬い変速レバーや居住性の悪さなど、現場からの評判は良くなかった。
そして胎生枢軸の侵攻が始まるとT-36は完全に時代遅れである事が判明した。
一般車両は無線機を装備しておらず、四〇年に入ってから無線搭載型が生産され指揮車両として配備されたが、無線機はノイズが酷く使い物にならなかった。
そもそも指揮車両以外は無線を積んでいないため指揮官は手旗信号で僚車に指示を出すしか無く、高度な連携は不可能だった。
しかも無線搭載型が装備する鉢巻アンテナは目立つため指揮車両である事が容易に看破され最優先で撃破された。
正面にしか撃てない76mm砲に、車長が砲手を兼任しキューポラも無い砲塔とベルカ人にとって理解不能な設計であり、ベルカ軍の戦車兵からはゴミ箱と仇名されていた。
しかし四年間量産を続けたT-36の数は多く、何とか戦力化しようと現地でも取り付け可能な追加装甲を装着したのが本車である。
末尾のEはEkranami(平幕装着型)の略称であり、制式な型式ではない。
本車の生産時期はミネル石軍が苦境に陥っていた時期と被っているため、車体か砲塔のどちらかに追加装甲が無かったり、誤った取り付け方をした車両が散見される。
T-36は後継戦車の配備が進んでからも囮役として使用が続けられた他、パルチザンにも供与されており、未だに戦場で稼働している。




