大聖堂へ
「さぁ、大聖堂へ向かいましょう!」
「……本当に行くんですね」
レストランを出て、チェリルと僕はまずストーンデールの街の北へと向かった。
ストーンデールは『天樹教』の中心地とされており、総本山である大聖堂は街の北に存在する。そして、ストーンデールの街から北にある山が『天樹教』の聖地とされており、住民のほとんどが年に一度は巡礼を行うらしい。
もっとも、聖地である山は今のところ関係ない。この大聖堂こそが、チェリルの目的である。
勇者であるチェリルは、『天樹教』に認められることで、正式に勇者として旅立つことができるのだ。『天樹教』による公式の認可がなければ、ただの冒険者と何一つ変わりない。
ゆえに、『天樹教』にチェリルが勇者として認められる――それこそが、チェリルの勇者としての旅の第一歩である。
「しかし、どうしてそんなにも勇者として認められたいんですか」
「だって、わたし勇者ですから!」
「いや、それは分かっていますけど……チェリルさんには、魔王を倒します、みたいな野望とかあるんですか?」
「えっ、ありませんよ」
「えっ」
「えっ!」
思い切り、自分の行動を全否定するような発言をしたチェリルに対して、思わず僕も驚いてしまった。
勇者って、魔王を倒すために生まれる存在じゃなかったのだろうか。しかも、勇者として認められて旅立つってことは、それ即ち民から魔王を討伐する期待を一身に受ける、その重責を負うことである。
だというのに、そのような野望は全くない。
一体何を目的としているのか、それが僕にはさっぱり分からなかった。
「……でも、『天樹教』から認可を貰うんですよね?」
「はい!」
「それで、勇者として旅立つんですよね?」
「はい!」
「それはつまり、魔王を倒しに行くんですよね?」
「それなんですよ!」
僕が伝える、極めて一般的な勇者としての旅立ち。その全てに、元気に返事をするチェリル。
だけれどチェリルは、何故か額に手をやってポーズを決めていた。多分、本人は知的なポーズだとでも思っているのだろう。
「魔王の存在は、『天樹教』が何度となく伝えています。この世界に存在する魔物たちの王であり、この世界を支配しようとしている邪悪な存在である、と」
「ええ」
「ですけど、よく考えてください。『天樹教』が、これを伝え始めてから、もう何百年と経っているんです! 初めて出立した勇者から、何人もの勇者が聖剣を携えて、魔王を倒すための旅に出ているんです!」
「そうですね」
現在、この世界に存在する聖剣二十六本、加えて昨日チェリルが抜いた一本。
会わせて二十七――それが、今まで魔王を倒すために旅立った勇者の数だ。そして勇者が死なない限り、次代の勇者は生まれない。そのため、最も古い勇者ではもう七百年以上前に旅立ったという記録が残されている。
さすがに僕も、その頃の記憶は残っていないが――。
「ですからわたしは、思うんです!」
「なんだか変なことを言いそうな気がしてきました」
「この世界のどこかにいる魔王さんって、実はいい人なのではないかと!」
「はい当たっちゃいました」
チェリルの言葉に、僕は思わず溜息を吐く。
世界の誰もが、魔王は悪だ悪だと口を揃えて言うというのに、何故そんなことを言うのだろう。
「で……どうして、そう思うんですか?」
「だって、初めての勇者が旅立ったときから、『天樹教』ではずっと言っているんですよ。魔王は世界を支配しようとしている、魔王は世界の脅威である、魔王は人類の大敵である、魔王を倒さなければ人類に未来は訪れない」
「……」
「でも、おかしいですよ。魔王が何百年も世界を支配しようとしていて、支配できていないなら、それただの駄目な人じゃないですか」
「……」
それただの駄目な人、という言葉が僕の胸に刺さる。
いや別に僕、人類を支配する-、とか公言した覚えはない。そりゃ魔物の王ってされる存在だし、人間を襲う魔物を生み出してるわけだから、否定はできないけど。
そもそも、人類に未来は訪れない! とか『天樹教』が言ってるかどうかは定かでないが、少なくとも七百年ほど未来が訪れているのは確かだ。
「ですから、わたしは思います。実は、魔王さんというのはいい人なのだろうと」
「何故そう飛躍するんですか」
「いい人だから、何百年も人類を支配しようとすることなく、大らかな気持ちで見守っていてくれている存在なのだと思います!」
「はぁ……」
なんだか妙な話になってきた。
今から向かうのは、魔王を絶対悪だと言っている『天樹教』の総本山であるというのに、まるで魔王を良い存在だと思っているような言葉だ。
これを『天樹教』の信徒に聞かれたら、どうするつもりなのだろう。幸い、今のところ周りに人はいないけれど、ここは『天樹教』の中心地である。こんな会話が耳に入ったら、怒り狂う住民もいるのではなかろうか。
「チェリルさん」
「はい?」
「それなら別に、『天樹教』に行かなくてもいいんじゃないんですか? 魔王を悪い存在だと思っていなくて、倒そうという気持ちもないのなら、別に勇者として任命される必要はないじゃありませんか」
「任命されなきゃ困りますよ! わたし勇者なんですから!」
「いや……何を目的として、勇者に任命されるつもりなんですか? 『天樹教』は、魔王を倒すことが勇者の使命である、って言ってますよ?」
そうなると、前提が崩れる話である。
勇者であるからチェリルは『天樹教』の大聖堂へ行き、勇者であるから『天樹教』から正式な任命を受け、勇者であるから魔王を倒すための旅に出る。それが定まった流れなのだ。
「ええ! 表向きは、魔王を倒すために頑張りますよ!」
「……はい?」
「だって、そうじゃないと勇者として認められないじゃないですか。勇者として認められないと、いろんな街の『勇者特約』が使えないんですよ!」
「……」
「お父さんからも、『勇者として認められなければすぐに帰ってくるように』って言われてますし、せっかく一人旅ができるチャンスなんですから!」
「……」
駄目だこの勇者。
世界最大の宗教である『天樹教』が、世界中に対して強要している『勇者特別約定』――宿泊施設の格安化、武器防具の格安化、様々なアイテムの無償提供、果ては他人の家に勝手に入って壺を壊したり樽を壊したり棚を漁っても無罪となる措置。
それだけを目的に、勇者になろうとしている。
その心に、魔王を倒そうなんて気持ちを全く持つことなく。
「じゃあ、一応聞いておきますけど」
「はい!」
なんだか、疲れてきた。
今まで旅立った勇者の中に、こういうのって前例いるのだろうか。
「もし、魔王に出会ったらどうするつもりですか?」
「はっ! それは考えていませんでした!」
「考えましょう。勇者なんですから」
「うーん……」
チェリルは、少しだけ考えるように腕を組んで。
それから、弾けるような笑顔で言った。
「多分いい人ですから、お友達になります!」
「……」
ああ、そうですか。
チェリルのそんな考えに、僕はただ溜息を吐くだけで留めた。