翌朝
翌朝。
高級ホテル『ロイヤル・ストーンデール』の絶品の夕食を食べ、寝る前にもう一度温泉を堪能し、ふかふかの寝台で眠り、そしてこちらも絶品の朝食を食べてから、出発前にもう一度温泉を堪能して、僕の一晩の贅沢は終わった。
ちなみに、支払い金額は金貨一枚と銀貨十枚である。一応、そんなに高くない部屋を選んでくれていたらしい。いや、十分高いけど。
そして僕は昨夜、チェリルに「明日の朝にロビーで待ち合わせましょう」とちゃんと伝えている。
もう少し待てば、出てくるだろう。
「……」
考えるのは、今後のことだ。
僕の――魔王の呪いを解くためには、あと二十六本の聖剣を抜かねばならない。そして、聖剣を抜くことができるのは勇者であるチェリルだけだ。
昨日、「もぉ、露店が全部終わってましたぁ……」とべそべそ泣いていた少女が勇者だなんて、本気で信じたくない事実ではあるけれど。
だけれど問題は、彼女が非常に弱いということである。スライムを踏む頻度は不運に愛されているのではないかと思えるほど高いし、スライムを踏んだら必ず転ぶ程度に運動神経が悪い。恐らく、最初に向かったダンジョンがローレンス洞窟でなければ、彼女はもう死んでいただろう。
そして、僕の知る二十六本の聖剣――その八割は、危険なダンジョンの奥にある。
「はぁ……」
ダンジョンとは、つまるところ魔物の湧き出る地である。
それは僕――魔王が、世界と繋がっている『魔脈』の中心地だ。魔王に対して『魔脈』は魔力を与え、魔王によって『魔脈』から魔物が生まれる――その循環により、ダンジョンというのは成り立っているのである。
『魔脈』による循環が失われると、そこに生息する魔物が非常に弱体化するのが特徴だ。僕との繋がりを失うというのは、つまりそういうことである。
しかし問題は、それでも危険だということだ。
新たに魔物は生まれなくなる。だが、最初からいた凶悪な魔物が死ぬわけではない。つまり、当初にいた魔物たちがほとんど生き残っている状態だと、難易度は全く変わっていないということだ。
そして僕は魔王だが、魔物の全てが僕の言葉に絶対服従するわけではない。魔物の第一目的は、『人間を殺す』という意思のみなのだから。
僕が隣にいたところで、魔物たちは関係なくチェリルの命を狙うだろう。
「……」
それに加えて、聖剣はそれこそ世界中に刺さっている。
北大陸の北端ウヴァル帝国から、南大陸の南端プランジュ王国まで、世界中である。ただ世界を一周するだけでも、軽く一年以上の時間はかかるだろう。さらにダンジョンも攻略していかなければならないのだから、もうどれほどの時間がかかるのか想像もできない。
さらに問題となってくるのが、僕の強さだ。
僕は魔王であるが、聖剣によって封印されているため弱体化している。正直、二十六本の封印が重ねられている僕は、一対一では上級の魔物にすら勝てない。つまり、できるだけ簡単なダンジョンから攻略を始め、聖剣を抜いて強化してから危険度の高いダンジョンに向かわねばならないということである。
端的に言うなら、行ったり来たりをしなければならないわけだ。これをチェリルに追求された場合、僕はどうやって誤魔化せばいいのだろうか。
「……」
まぁ、今考えたところで仕方ないことではある。
現状で考えるならば、まずこの国――ブリスペル王国に存在する残る三つの聖剣――そのうち二本は抜いておきたいというのが本音だ。
ブリスペル王国自体は穏やかな国であり、生じるダンジョンというのはその地の気候の過酷さによって難易度を増すため、あまり危険なダンジョンがないというのが特徴である。
ただその例外とされるのが、絶海の孤島クロア島のダンジョンだ。
何せ、このダンジョンは入り口自体が海上に存在するという珍しいダンジョンであるため、船で向かうと船ごと入り口近くで転覆させられるのだとか。僕は問題ないが、チェリルは間違いなく溺れるだろう。
だからまず、それ以外の二つ――割と簡単なダンジョンから攻略していきたい。
「……」
宿を出ていく人間が、誰もいなくなる。
既に朝という時間は過ぎ、受付の人数も三人から一人に減っている。恐らく洗濯を担当しているだろう人間が、籠に大量に入ったシーツを地下に運んでいる様子も見えた。恐らく今頃、客室ではひたすら掃除が行われているのだろう。
そして今、ロビーに残っているのは僕だけだ。
「……さすがに遅くないですか?」
思索に耽ってはいたが、我慢できずにそう発する。
僕は間違いなく、チェリルに「朝にロビーで」と伝えたはずだ。そして現在は、陽がほぼ中天に差している状態である。これを朝と捉えるか昼と捉えるか、十人居れば十人が昼だと考えるだろう。
僕は朝方からずっと、ここで座って待っているのだけれど。
「あ……」
すると、突然に。
どたどたぁっ、「ぴぇぇっ!!」、ずんがらがっしゃーん、「へぶっ!」、どんっ、「ふえっ!」、ずざざーっ、「……ぴえん。しくしく」
以上の騒がしい音が、二階より上の客室へ続く階段から発せられる。誰が何をしているのか音だけで分かるという貴重な例だ。
もう多少のことでは驚くことのなくなった僕は、のんびりと階段の方を見る。当然ながら、そこでは荷物を抱えたチェリルがうつ伏せになって倒れていた。
「おはようございます、チェリルさん」
「挨拶!? この状況で最初に言うのって挨拶!?」
「遅いですよ」
「まずわたしを心配してほしいんですけど!」
騒がしいチェリルに対して、僕は穏やかに返す。
最も困るのは、チェリルが逃げ出すことだったのだ。僕の目的を察するとか、聖剣を抜く危険性を知るとか、目端の利く誰かに僕の正体を教えられたりとか。それでチェリルの協力が得られなくなるのが、最も最悪の状態である。
それを考えれば、遅刻程度笑って許せるものだ。
「ふぇぇ……物凄く鼻を打ちましたよぉ……」
「はいはい。それじゃ、立ちましょうか。昨日、受付の人にお昼が美味しいお店を聞いていますから」
「もうちょっと心配してくれませんか!?」
「騒げる元気があるなら大丈夫ですよ」
「むぅぅ……!」
立ち上がるチェリルが、僕へ非難めいた視線を向けてくる。
まぁ、僕も学習したのだ。
昨日、チェリルはローレンス洞窟で何度となく転んでいた。何度となく鼻を打っていたし、何度となく傷を作っていた。頭を打った回数も数え切れない。僕は一応、都度回復を行ってはいたけれど。
その経験の結果、僕は分かった。
チェリルのことは、心配するだけ無駄だということを。
「お昼が美味しいところは、ハンバーグらしいですよ」
「ハンバーグ! わたしハンバーグ大好きです!」