ゼッツブールの街
「ゼッツブールの街です!」
「そうですね」
当たり前のことを嬉しそうに叫ぶチェリルに、僕は普通に同意を返した。
一晩休んでから、暫くは歩いた。まぁ、ストーンデールの街からゼッツブールの街まで、それほど距離があるわけではない。定期便の馬車も出ている程度には近いのだ。
そのため、チェリルを叩き起こしてここまで歩いてきたが、まだ日は中天にある。チェリルの足だと夕方くらいになるかなーと思っていたのだが、僕の想定よりも早かった。
「わたし、初めて来ました!」
「そうなんですか?」
「はい! わたし、今まで一番遠くに行ったのが、ストーンデールなんです!」
「へぇ……あれ?」
あれ。
そこで、ふと疑問に思った。
チェリルの出自は、ブリスペル共和国がかつて王政だった頃に存在した、貴族家の一つだ。ゴルトベルガー家という名前は、僕も聞いたことがある。
だけれど、旧貴族ということは首都であるストーンデールに住んでいるのではないのだろうか。いや、僕の偏見なのかもしれないけど。
「……チェリルさんって、どこの出身なんですか?」
「わたしですか? ブリスペルですよー!」
「いえ、地方は」
「バド州です!」
「ああ」
その回答で、ようやく理解できた。
ブリスペル共和国は、大きく五つの州に分かれている。首都ストーンデールを中心としたストーンデール州、ゼッツブールを含むプロア州、ストーンデールの南にある、南大陸との連絡港があるセルヴァン州、隣国ロシュフォールとの境界に存在するファンデル州、そして島一つが一つの州となっているバド州だ。
かつては、この州一つ一つが貴族の管理する領地だったらしい。そして、ゴルトベルガー家は島であるバド州の元領主だったはずだ。
海を隔てていたのならば、この辺りに来たことがないのも納得である。
「じゃあチェリルさんは、ストーンデール以外の街には行ったことがないんですか?」
「ないです!」
「本当に箱入り娘だったんですね」
よく、親が許可したものだと思う。
本人が勇者であると主張していたのもあるのだろうけれど、まだ若い娘を旅立たせるとは。それも、旧貴族で箱入り娘。出会ったのが僕でなければ、悲惨な末路になっていたかもしれないというのに。
親としては恐らく、「勇者になりたいとか言ってはいるけど、『天樹教』に認められなければすぐに帰ってくるだろう」とでも思っていたのだろう。まぁ、そのおかげで僕はチェリルと巡り会うことができたわけだから、良かった。
「それじゃ、新鮮なんですね。僕はもう、何度も来ましたけど」
「そんなに来てるんですか?」
「ええ。僕は割と世界中を回っているので。ゼッツブールも、何度か来たことがあります」
「ほへー。そんなに色々行ってるんですかぁ」
「ええ。南大陸も、一通りは回りましたよ」
まぁ、なんだかんだ千年以上も生きている僕だし。
それぞれの地方で、その地方ならではの食事を楽しんでいた時期もある。まぁ、同じブリスペル国内ではあるため、ゼッツブールはそれほどストーンデールと変わりない。
料理文化とかの蘊蓄は、他国に行ったときにでもするとしよう。
「そんなに旅……あれ? でも、ゼノさんって二十六歳ですよね?」
「ええ、そうですよ」
「何歳から旅してるんですか?」
「……」
思わぬチェリルの質問に、僕は眉を上げる。
そういえば確かに、二十六歳で既に世界中を回ってるって、おかしいかもしれない。しかも、そもそも僕は徒歩だ。徒歩で世界を巡るとなれば、それこそ何年かかってもおかしくないだろう。
しかも、人間というのは無一文では生きていけない。だから毎日、人間というのは汗水流して働いているわけだ。寝床は野宿でいいにしても、食事にかかるお金というのは少なからず存在するのである。
「えーと……ですね」
「はい?」
「先も言ったように、僕は田舎から出てきたんですよ。郷里では、成人するまで村を出てはいけないと決まっていまして」
「ええ」
ええと。
一生懸命考える。十五歳で成人した僕が、二十六歳の今までどんな人生を歩んできたのか。この十一年間、僕がどうやって金を稼いで世界中を巡ってきたのか。
まぁ、多少変なところがあっても、チェリルなら気付かないだろう。そう信じる。
「郷里で一応、簡単な魔法は教わったんですよ。だから、冒険者になれば魔物を討伐して、世界中を旅できるって、そう思ったんです。ですから、成人してすぐに村を出て、冒険者になったんです」
「じゃあ、十年以上もずっと旅人なんですか?」
「ええ、まぁ、そうですね。自分がもう、何年旅をしているか分かりませんよ」
「ほへー」
上手いこと、誤魔化すことができただろうか。
ちらりとチェリルの横顔を見てみると、ふんふんと頷いていた。
よくよく考えれば、この僕の人生説明すると、物凄く変人なのではなかろうか。完全に住所不定の無職だもの。
彷徨う魔王(無職・一〇二六歳)とか書くと、もう完全に変態である。
「でも、チェリルさん」
「はい?」
「今更ではありますけど、よく僕を信用しましたよね」
「ほへ? どういうことですか?」
僕の言葉に対して、逆に問いかけを返してくるチェリル。
「いや、だって。僕、普通に怪しくないですか? 腕に刺青入ってるし、住所不定の旅人だし。もしかすると、僕が上手いこと言ってチェリルさんを連れ出して、どこかで人買いに売るつもりだとか思いませんでした?」
「人買いに売られるんですかわたし!?」
「例え話です」
あと、声が大きい。
人買いに売られるとか大きい声で言うから、周りがなんかひそひそしちゃってる。
「で、でも、ゼノさんはそんなことしませんよね!」
「信用してくれているんですか?」
「はい! わたしは勇者として、ゼノさんを信じます!」
「……」
信用してくれているのは、とてもありがたいのだが。
本来、勇者であるチェリルが最も信用してはならない相手って、僕じゃないだろうか。