夜半
夜半。
チェリルは結局、焚き火の側でそのまま眠ってしまったため、僕がマントに包んでテントの中へと運んだ。運んでいる間も、「おにくぅ……」と呟いていたため、恐らく夢の中でも肉を貪っていたのだろう。干し肉、結構食べたはずなのに。
僕の想定では、三食囓って三日は保つだろうと考えていた干し肉。その半分以上が、現状のチェリルの腹におさまっている量だ。今後、保存食は割と多めに購入しておかなければならないかもしれない。
「ふー……」
そして今、テントの中で眠っているのはチェリルだけだ。
そもそも僕には、睡眠の必要がない。体力や魔力の回復という意味では、一応睡眠を摂ることもあるけれど、本来僕は不眠不休で働ける体なのだ。
だからこの旅路は、基本的にチェリルは夜寝かせて、僕が寝ずの番をする予定である。今後、どこかの物好きがパーティに加入したときにはまた変わってくるかもしれないが、恐らくそんな物好きなどどこにもいるまい。
「……」
考えるのは、自分の体のことだ。
僕の体に刻まれた紋様――呪いのそれは、聖剣を一本抜くたびに一つ消える。少なくとも、それはローレンスの聖剣を抜いた時点で分かったことだ。
それと同時に、僕の体も僅かに活力を取り戻している気がする。僕にかけられた弱体化の呪いが、一段階解除されたような感覚だ。とはいえ、それでも全力には程遠い。駆け出しの魔術師程度の力は得られただろうけれど、それだけだ。
ローレンスの聖剣を抜いて、僕から消え去った呪いの位置は、左足の大腿部だ。
僕の体に刻まれている呪いは、残り二十六。
両腕、右足に四つずつ。左足に残り三つ。胸部から腹部と背部に五つずつ。そして頸部に一つ。
できれば、目立つ腕と首の呪いを消したいところだけれど、僕の感覚で頸部にかけられた呪いの位置は、かなり遠い。恐らく南大陸だろう。
そして、僕はこの部位それぞれの、権能を封じられている。
本来の、魔王としての僕の力を。
「……」
ぐっ、と右手を握りしめてみる。
僕の筋力は、老人並だと言っていいだろう。重いものは持てないし、維持も厳しい。現在僕が持っている樫の杖も、魔法を使うにあたっての補助という意味合いよりも、歩くにあたっての補助という形の方が大きいのだ。足腰が弱っているもので。
正直、ストーンデールの街では大聖堂から全力で走ったけれど、あの速度も老人並だと言っていいだろう。それに追いつけなかったチェリルは、老人以下である。
まともに動けるようになるには、四肢それぞれの呪いが二つ程度まで減ってもらわなければならないか。しかも現在、左足だけが呪いを一つ解除している状態であるため、右足は老人で左足は壮年くらいという、なんともアンバランスな状態なのだ。
できる限り左足に力をかけて、右側に杖を置いて歩くような形で、一応安定はしている。
だが、この不自由な状態も、チェリルに聖剣を抜いてもらうたびに消えるはずだ。
そして、僕の権能も同じく復活する。
右腕の権能――『天地神明の破壊』。
左腕の権能――『森羅万象の創造』。
右足の権能――『電光石火の天沓』。
左足の権能――『疾風迅雷の馳駆』。
胸部の権能――『千変万化の玩弄』。
腹部の権能――『不朽不滅の要塞』。
背部の権能――『千里跳梁の大翼』。
頸部の権能――『無限無尽の宝庫』。
呪いを解除すれば、その部位の権能は復活してくれる。
どれか一つだけでも復活してくれれば、今後の旅路における不便が消え去ってくれるだろう。
だが、同時にこれを持て余すことも考えられる。
「……」
何せ、僕の四肢は今老人並だ。
今のところチェリルには露見していないだろうが、恐らく素手で戦えば、僕は一般人にも劣る筋力しか持っていない。
その状態で、下手にいずれかの部位の封印を解除したとなれば、その部位だけが異常に強くなってしまう。現状で例えるならば、両腕と右足だけが老人並の筋力で、左足だけが魔王の力を取り戻すような状態だ。左足が走ることに右足がついていけない、奇妙な状態が出来上がるのである。
つまるところ、四肢を平均的に解除していかなければならないということ。
そして幸い――と言うべきかどうかは分からないが、僕の封印はほぼ均等に、北大陸と南大陸の全域に散らばっている。
北大陸の聖剣を全て抜けば、四肢の半分くらいは解除されると考えていいだろう。
「……」
僕の知る、聖剣のある場所。
それはブリスペル共和国に存在するもので、三つ。そのうちクロア島の海中洞窟を除いて、二つ――これはまだ、難易度の低いダンジョンだ。それが一応、幸いだと言っていいだろうか。
何せ、呪いのせいで僕の魔力はまだ十分じゃない。駆け出しの魔術師が使える程度の、位階の低い魔法しか使うことができないのだ。
火を熾すことはできても、炎を生じさせることはできない。
水を出すことはできても、水塊を創造することはできない。
あくまで、現在の僕はその程度の魔術師である。
その上で、聖剣を抜けるダンジョン――それが、ウェイデン遺跡だ。
ローレンス洞窟ほどではないが、こちらも初心者向けのダンジョンとなっている。ブリスペル王国の穏やかな気候ゆえだが、ここは凶悪な魔物がほとんど出ないのだ。
ただ、敵意を持って攻撃してくるゴブリンが、群れを成しているというだけのダンジョンである。
時折、ゴブリンの牙などの素材を求めて冒険者が行くらしいが、正直ゴブリンを狩っても冒険者に旨味は少ないため、ほぼ放置されていると言っていい。
ゆえに恐らく、最奥にある聖剣を抜いても、暫く誰にも気付かれないはずだ。
「まぁ……」
僕とチェリルという二人のパーティ。
老人並の筋力の僕と、それにも劣る体力のチェリル。
この組み合わせで、ゴブリンを倒せるかどうか。
どう考えても。
「無理ですよね」
無理である。
僕は初心者程度の魔法しか使えないし、チェリルはまともに動けないし。
だから最初から、僕とチェリルで攻略しようなんてつもりは全くない。
そして攻略できないのなら、誰かにやってもらえばいいだけの話だ。
「依頼料は、まぁ銀貨二十枚もあれば事足りますかね」
最初から、これは決めていたことだ。
僕が依頼主になって、冒険者ギルドにゴブリンの討伐を依頼する。流れの魔術師がゴブリンの素材を求めて依頼を出すことは、別に珍しくもない。
それでウェイデン遺跡のゴブリンを、さっさと掃討してもらって。
何もいないウェイデン遺跡から、聖剣を抜く。
それで、僕の目的は達成である。