『天樹教』大聖堂
「さぁ、着きました!」
僕とチェリルは、並んで今『天樹教』の総本山――大聖堂の前にいた。
やはり宗教施設であるからか、その敷地は非常に広い。装飾のあしらわれた鉄柵に囲まれている建物は、恐らくストーンデールでも最も大きな建物だと言っていいだろう。左右に高く聳える尖塔、中央に存在する塔の最上部には、巨大な鐘が吊り下げられている。至る所に豪奢な彫刻が描かれた外壁は、その建築費を想像することもできないほどだ。
そして当然、その広大な敷地に入るための門――そこには、二人の門兵が槍を携えて立っている。
「はぁ……チェリルさん、本当に行くんですか?」
「はい、勿論です! わたし、勇者ですから!」
ここに至るまでも何度か、後回しにしようと提案はしてみた。
チェリルは勇者の証である聖剣を持っていないのだから、勇者として認められない。そう、僕だって何度も説得しようとしたのである。
だけれど、チェリルは一切聞いてくれなかった。
むしろ嬉々として、「『天樹教』のえらい人なら、わたしが勇者だと分かるはずです!」と断言していたくらいだ。
もう、僕は諦め半分である。楽しそうに門兵へと近付いていくチェリルの、やや後ろをついて歩く。
チェリルはこれ以上ないほどの笑顔で、門兵へと挨拶をした。
「こんにちは!」
「はい、こんにちはお嬢ちゃん。礼拝かな?」
「いいえ、違います! わたし、勇者なんです!」
「ははは、そうかい」
チェリルの言葉に対して、笑いながら返す門兵。
それも当然の話だ。彼らにしてみれば、既に勇者が選ばれて出発した後なのだから。チェリルがどれほど自分が勇者であると説いたところで、無駄でしかない。
そして恐らく、僕はそんなチェリルの保護者だと思われているのだろう。チェリルと話していない方の門兵が、溜息を吐きながら僕を見る。
溜息を吐きたいのは僕の方だっての。
「それで、お嬢ちゃんは勇者になりたいのか」
「はい! わたしは、『天樹教』に勇者と認めてもらうために来ました!」
「そうかー。でもな、お嬢ちゃん。勇者様はね、もう冒険に出たんだよ」
「はっ! そうだったのですか!」
チェリルが、物凄く驚いた様子で飛び上がる。
そして、ちょっと離れて見ていた僕の方に、とてててっ、と走ってきた。
「ゼノさん、大変です!」
「どうかしましたか?」
「わたしが冒険に出たことを、もう『天樹教』が把握しています!」
「……」
「そういえば、わたしがローレンス洞窟に向かったことの、記念式典が行われていました! これは、もうわたしは勇者と認められたということでしょうか!」
「……」
もうこのまま、平和的な勘違いをしたままでいて欲しい。
チェリルの中では、ストーンデールで行われていた記念式典は、チェリルがローレンス洞窟へ向かうにあたっての式典である。そして『天樹教』が勇者を送り出したということは、即ち自分が『天樹教』に認められたということなのだ。
だったらもう、このままくるっと踵を返してくれないものか。
「それじゃ、もう大聖堂に用事はないんですね」
「あ、でもゼノさん。わたし、勇者としての証とかそういうの貰ってませんよ」
「そういう証とかはないんじゃないですか? だって、誰もが認める勇者ですし」
「なるほど、そういうことなんですね!」
多分あると思うけど、敢えて嘘を吐く。
僕としては、さっさと次に行きたいのだ。『天樹教』は好きじゃないし、早くストーンデールを出て次の聖剣のところに行きたい。チェリルが平和的な勘違いをしてくれているのなら、僕としてはそれが一番なのだ。
まぁ、チェリルの言うところの『勇者特約』は手に入らないわけだが、そこは口先でどうにか誤魔化そう。
「あれ? でもわたし、『天樹教』のえらい人には会っていない……それなのに、わたしのことが分かってる……?」
「偉い人だから分かっているんでしょうね」
「えらい人はすごいですね!」
チョロい。
見知らぬ人間が勇者だと分かって、その見知らぬ相手が冒険の旅に出たことを何の伝手もなく分かって、その上で勝手に記念式典を開く――チェリルの頭の中にだけ存在する『えらい人』は、神様か何かだろうか。
今後、僕はとりあえず『えらい人は万能です』でチェリルを誤魔化していけばいいか。
「さて。それではもう用事はありませんね」
「あ、はい! では、聖剣を抜きに行きましょう!」
「声が大きいですよ」
ちらりと、僕は門兵を見る。
それほど離れてはいないはずだし、会話は聞こえているだろう。しかしチェリルの姿の幼さもあってか、本気だとは捉えているまい。
恐らく、「子供の相手は大変だなー」くらいに思ってくれているだろう。
聖剣を抜きに行く、なんて言葉も、勇者への憧れが強い子供の言葉だと考えているはずだ。
「あ、えっと! 門番さん、ありがとうございました!」
「あ、うん? ああ、お嬢ちゃん、気をつけてなー」
「はい!」
何故か踵を返し、門兵にチェリルはそう頭を下げ。
そして嬉しそうに、大聖堂を後にする。本気で、一体何をしに来たのだろう。
まぁ、チェリルが満足してくれたから、それで良しとしよう。
今後は二人旅になるわけだから、下手にチェリルの機嫌を損ねたままだと、延々言われそうな気もするし。
「さぁ、ゼノさん、行きましょう!」
「はいはい……――っ!?」
ただ、一瞬。
僕は後ろからの視線に、思わず振り返る。
粘っこく張り付いてくるかのような、奇妙な視線を感じたからだ。それが、刺青を晒している僕の両腕に。
ただの、奇妙な相手を見るような視線ならば、これほど僕も慌てないのだが。
まるで――僕のこの呪いを、解析しているかのようにすら思える、そんな視線を。
大聖堂の上の方から、感じたのだ。
「……? どうかしましたかー?」
「……いえ。何でもありません。走りましょう」
「は、走るんですか!?」
奇妙な違和感。
奇怪な嫌悪感。
何と言っていいか分からない、そんな気持ち悪さに身震いしながら。
今すぐにここから離れなければならない――そんな焦燥に、後押しされるように僕の足は、走ることを選択した。
「わ、わたし走るのおそへぶぅっ!」
「どうして何もないところで転ぶことができるんですか」