プロローグ
「……よし、もう一度」
僕の目の前にあるのは、剣。
それも、刀身の半分ほどが岩に刺さった剣である。翼を模した装飾のされたそれは、見ているだけで神々しく感じるものだ。
これは、勇者の聖剣――『ローレンスの聖剣』と呼ばれている。
世界にたった一人しかいない勇者にしか、抜くことのできない剣――そう言われている存在だ。
「ふーっ……」
ぐっ、とその剣の柄を握り、再び力を込める。
ただの剣が岩に刺さっているだけならば、容易に抜くことができるだろう。そのくらいの力を込めて、思い切り引く。
しかし――剣は全く動かない。動こうとしない。これが、岩と完全に溶接されていると言われても信じられるほどに、頑として動こうとしてくれないのだ。
ぷるぷると、腕が震えるほどに力を込めても、全く動かない。
暫く自分の体力と格闘しながら挑戦してみたが、やはり全く動かなかった。
「ぷはぁ……! はぁ……やっぱり、駄目ですか」
膝をつく。
何度となく繰り返してきたけれど、やはり無理だった。ここに到着し、必死に力を込めて抜こうとして動かない――それを、何度も何度も繰り返してきた。
だけれど、剣は全く動かない。せめて僅かにでも動けば希望があるというのに、全くといっていいほど動いてくれないのだ。
この世界に存在するとされる、二十七本の聖剣。
ブリスペル共和国首都ストーンデールから最も近い場所に存在するのが、このローレンス洞窟最奥の聖剣だ。何人もの冒険者が洞窟の奥に向かっては、この剣を抜くことに挑戦している。だが現在まで、誰一人として聖剣を抜いた者はいない。
昔は『聖剣抜きチャレンジ!』などと銘打って商売にしていたらしいが、この聖剣が確認されてから二百年以上、誰も抜くことができなかったということで商売にならず、今ではほとんど放置されているという。
僕は、そんな聖剣を抜くために、この洞窟の奥までやってきたのだ。
結果は、もう三日ほど挑戦を続けているものの、抜ける気配は皆無なのだが。
「はー……」
腰を下ろし、考える。
聖剣の数は、『天樹教』という大陸最大派閥の宗教――その教会が、正式に発表している数だ。
この世界には、魔王がいる。
魔王は世界全ての魔物を統括する存在であり、全ての魔物の創造主だとされる存在だ。スライムのような下級の魔物から、ドラゴンのような上級の魔物まで、その全てを支配するのが魔王であるとされている。
魔物は、決して人間と相容れない。ただ人間に害を為す存在であり、人間と分かり合うことはできない。ゆえに各国は、騎士団による魔物の討伐、冒険者への魔物討伐の依頼など、魔物に対する対策を行っている。
そのうちの一つ――それが、『天樹教』により祝福を与えられた勇者の派遣だ。
勇者は、世界に一人しか存在しない。
どのように選出されるのかは分かっていないが、勇者には天啓が与えられるらしいのだ。勇者に選ばれたのだ、と。
そして勇者として選ばれた者は『天樹教』の総本山――ブリスペル共和国首都ストーンデールから北に存在する大聖堂にて、勇者としての祝福が与えられる。その後、勇者は聖剣を抜き、魔王の討伐に向かうというのが今まで繰り返されてきた歴史だ。
その結果――まだ、魔物たちはこの大陸を跋扈している。
数多の勇者が、魔王退治のために送り出されたというのに。
「ふー……」
よいしょ、と腰を上げる。
無駄な努力に思えてきたけれど、一応もう一度だけ挑戦してみよう。
そう、再び聖剣の柄に、僕が手をかけたとき。
「はぁ、はぁ……!」
洞窟の最奥――その入り口に、誰かが訪れてきた。
勿論、このローレンス洞窟は入場制限などもないし、冒険者が力試しをする場所とも言われている洞窟だ。駆け出しの冒険者が、物見遊山程度に聖剣チャレンジをするのも伝統の一つだと言われている。
だから、そういった者が誰かやってきたのだろう――そう思って、振り返ると。
そこにいたのは、少女だった。
見たところ、十一、二歳程度だろうか。背は低く、桃色の髪を側頭部で二つに分けて括っている。お世辞にも防御力が高そうには見えない安物の革鎧――当然、その下にある体つきは貧相なものだ。
だが、問題は。
そんな少女が、物凄く満身創痍であることだ。
安物と思われる剣を杖代わりにしており、その足元はふらついている。ブラウスは泥で汚れており、手にも足にも至る所に生傷がある。だらりと垂れ下がった左腕は、恐らく折れているのだろう。
「やっと……やっと、見つ、けた……!」
「……」
僕は、あまりの状況に言葉を失ってしまう。
確かに、このローレンス洞窟にも、少なからず魔物は生息している。僕だって道中で、何匹かの魔物を倒してきたのだ。
だが、ここはローレンス洞窟――駆け出しの冒険者が、試しに挑んでみる極めて初心者向けの場所だと言っていい。
「ええっと……?」
「はぁ……はぁ……わたしは、これで、勇者だと認めてもらえるっ……!」
「……」
ここ、大人しいスライムとかしか出ないんだけど。
どうして、そこまで満身創痍になっているのだろう。
「あ、あの、きみ……大丈夫ですか?」
「わたしは、どうにか、大冒険の末に……聖剣まで、辿り着くことが……できましたっ……!」
「……ここ、近所の子供でも遊びに来るらしいですけど」
「苦節……半日っ……!」
少女が、感極まったかのように拳を握りしめている。
正直、僕は全く共感できない。多分、子供でも一時間あれば往復できる程度の洞窟なのに、半日もどうやって費やしたのだろう。
「はぁ、はぁ……」
「僕のこと明らかに無視してません?」
「はっ!? あなたは!?」
「今まで見えてなかったんですか!?」
どうやら、僕がいることを認識されていなかったらしい。
どこまで視野が狭かったのだろう。
「そ、その、失礼しました……ようやく、辿り着けたことに、感動してしまって……!」
「そ、そうですか……」
何をそこまで苦労したのかさっぱり分からないが、彼女にしてみれば大冒険の果てだったのだろう。感受性というのは人それぞれだ。
だが、さすがに満身創痍の女の子というのは、見ていて痛々しい。
「ええと……あ、あの、あなたは、聖剣を抜きに……?」
「ああ、はい。ただ、何回か挑戦したんですけど、抜けそうになかったので。そろそろ帰ろうかと思っていたところです」
「そ、そうでしたか! それは、失礼しました!」
「聖剣チャレンジでしたら、どうぞ。おっと……でも、ちょっと失礼しますね」
少女に近付き、掌に魔力を込める。
得意というわけではないが、僕は一応回復魔法も、初歩だけは習得している。だから、このくらいの傷を治す程度なら問題ないだろう。
「回復――」
ちょっとした切り傷を治す程度の回復魔法だが、少しくらいは効果があるだろう――そう思いながらかけると。
はっ、と少女が目を見開いた。
「す、すごいっ……体の奥から力が湧いてくるっ!」
「え」
「折れていたはずの左手が! わぁっ! 凄いです!」
「……切り傷を治す程度の魔法なんですけど?」
満身創痍だった少女が、まるで完全回復したかのように飛び跳ねていた。
僕、そんな大した魔法かけてないんだけど。元々、折れてなかったんじゃなかろうか。
「ありがとうございます! あなたは命の恩人です!」
「……謙遜としてではなく、本当に大したことをしていないのですが」
「これで元気になりました! さぁ……わたしの勇者としての輝かしい人生は、これからなのですっ!」
「……あ、はい」
もうなんか、いいや。
そんな風に、僕は少女への理解を放棄する。まぁ、中には回復魔法がかかりやすい人っていうのがいるのだろう。
少女は嬉しそうに、僕が先程まで挑戦していた聖剣の柄に手をかけ。
「えいっ!」
その剣を。
抜いた。