緑のばらの花言葉
「実玖さんは、緑色の薔薇の花言葉を知ってる?」
中庭のすみっこでめそめそ泣いている私に向かって、梨華野さんが言った。
この世から消えてしまいたい。現在そう願っている私は、天の神様から存在を気付かれないようにと、しゃがみ込んで小さく小さく身を縮めている。
ああ神様、本当に私に気付かないで。私なんかに注目しないで。――こんな願いがもう手遅れだってことを十二分に理解しているけれど、でも願わずにはいられない。
今日、各々のクラスで学園祭の出し物が決まった。私のクラスは演劇。
ふうん、演劇かあ。お題目はかの有名な『ロミオとジュリエット』。演劇なんて裏方をちょこっと頑張ればいいだけだろうから楽かも――なんて呑気に思っていた私に、なぜか神様は目を付けてきた。
「配役はあみだくじで決めます」
学級委員の一声を聞いても、私は『自分には絶対に関係ない』と謎の自信に満ちあふれていた。それが――
「えーと、こっち、次はこっち。……よし、決まった! ジュリエット役は葉山さんね」
ピンクの蛍光ペンを、黒板に貼り付けた紙から離した学級委員が言った。ちなみに葉山というのは、残念ながら私のことだ。
あみだくじ。紙に書かれたただの線の集合体。そんなゴミのような存在が、私の運命を決めてしまうなんて。
すっかり落ち込んでしまった私は、放課後になってから、隣のクラスに在籍している友人・梨華野さんに緑の茂る中庭で愚痴を聞いてもらうことにしたのだった。
「辞退したいですって言えば良かったんじゃない?」
「そんな雰囲気じゃなかったんだもん」
「今からでも、先生か学級委員に言えば?」
「でも……嫌がってるの私だけみたいだし、うちのクラスって、なぜか自分から名乗りを上げて引き受けてくれそうな目立ちたがりの女子もいないし」
小心者はあみだくじの結果に抗議することもできない。だって、みんなの反応が怖いんだもん。
「じゃあ、我慢するの? 嫌だ嫌だって思いながら受け入れるの?」
梨華野さんの声が少し硬くなったのを感じた。
梨華野さん、呆れてるんだ。情けない私を怒ってるんだ。
そう思ったら視界がにじんできて、気が付いた時には涙がするすると頬を滑っていた。
「ごめ……なさいっ……」
突然泣き出したうっとうしい私に、梨華野さんは黙ったままハンカチを差し出してきた。深い緑色の薔薇の刺繍がちりばめられている、白いレースのハンカチーフ。品の良い梨華野さんらしい持ち物。
「ありがと……」
震える声でお礼を告げながら、私は梨華野さんからハンカチを受け取った。涙で汚してしまうことにためらいを感じながらも、頬と目元を静かに拭う。
その時だった。梨華野さんが急に、緑色の薔薇の花言葉を知っているかと訊ねてきたのは。
私が小さく頭を左右に振ると、梨華野さんは「緑色の薔薇の花言葉はね、『あなたは希望を持ちえる』っていうのよ」と教えてくれた。
「他に『穏やか』という花言葉もあるけどね」と補足しながら、梨華野さんは少しだけ笑んだ。
「梨華野さん……」
つぶやきながら、私は梨華野さんが貸してくれたハンカチを見つめた。私の涙なんかが染み込んでしまった、綺麗なそれ。白い生地に広がっている緑色の薔薇。
――あなたは希望を持ちえる。それはきっと、梨華野さんからの励ましの言葉……優しさだ。
「最初から諦めないで。嫌なら嫌って、頑張って言ってみましょう? 状況が変わるかもしれないわ。もっと自分の気持ちを大事にして、実玖さん」
梨華野さんの力強い視線と言の葉。それらは私の背中を、優しく温かい手のひらのごとく押してくれた。
「うん……。私、頑張ってみる」
大きく頷いてから顔を上げる。そうして私は今日、初めて梨華野さんの美しい焦げ茶色の瞳をはっきりと見つめたのだった。