マサオは気づく、よく気づく。
マサオがクラスメイトの変化に気づいたのは2学期の中間試験前ぐらいだった。
正確には夏休み明けから皆が説明しがたい雰囲気になっていくのを何となく感じてはいたものの、指摘してはいけない空気が漂っていた。
似合っていない服を着た友人が自信満々に「似合ってる?」と感想を求めた際、「いや、全然」と正直に回答できない空気。
口臭が強い人に「君、口くっさいなぁ!」と指摘してあげられない空気。
彼は夏休み明けからこの様な指摘したいけど何か言いづらいクラスメイト達の変化に戸惑っていた。
具体的な事例を挙げよう。
まず始業式の日だ。マサオの出席番号のすぐ後ろのツダ君は「どこで買ったのだ?」と思わざるを得ない、床に生地が着かんばかりの赤いロングコートを着用していた。勿論始業式が行われる体育館に入る前に教師に制止されていた。
職員室に連行される彼の肩から腰にかけて斜めがけされた太めのチェーンがジャラジャラと廊下に響いていた。
次にマサオがクラス委員長のアサノさんの変化に気づいたのは席が隣だったからだ。
マサオは特に忘れ物をしない、いわゆる「ちゃんとした生徒」である。
しかしごく稀に、忘れても差し支えのない物を家に置いてきてしまう事もある。
その日は滅多に使うことがない歴史の資料集をついつい鞄に入れ忘れたのである。また、そういう日に限って歴史担当教師は資料集を開く様に指示を出し、またそういう日に限って普段なら最後のページの年表を見るぐらいの資料集に対し注釈を書き込む様に指示を出した。
マサオはこれはマズイと感じ、隣の席のアサノさんに席をくっつけても良いか小声で打診した。その時である。
「どうする?◯◯(聞き取れず、何かペットの様な名前)」
「ここは◯×△ルト(またもや聞き取れず、ヨーロッパの地方都市の様な単語)じゃないんだから。それに仮にそうだとしても@#/&(聞き取れず、聞いたことも無い単語)で浄化してあげれば良っか」
と小声で天井に向かって話し掛けていた。
長大な独り言である。
マサオはとりあえず浄化されまいと彼女と机を揃させて頂く提案を取り消した。
他にも夏休み明けから大怪我をしたのか全身包帯だらけのイイダさんは体育の時間にバリバリ全力疾走しているし、おおよそお洒落に疎そうな柔道部のコンドウ君は片目に黄色いカラーコンタクトを着けていた(日によっては紫色)。
そして、そのクラスメイト達の変化がただの違和感から決定的に「おかしい」と感じさせられた事件は次の通りである。
マサオの想い人、イナバさんが大剣を背負って登校してきたのである。
まず、説明したい事がある。
マサオは友達が少ない。何故なら彼は忙しいからだ。
詳細はまたお伝えするが、学業に専念する他、彼は放課後や休日も全てアルバイトに専念している。
つまり友達が出来ても遊ぶ時間が無いのである。
「好きなもの同士でペアを作って」に対してもあぶれる事もなければ、社会科見学での班分けに対しても「誰かマサオ君を入れてあげて」と教師からの介入も無い。
ただ、プライベートタイムを共有している「友人」がいないのである。彼には「学友」しかいないのだ。
そんなマサオに唯一、彼のプライベートタイムでもコミュニケーションが「とれていた」人物がいた。
それが先述したイナバさんである。
イナバさんは黒髪が美しく、さらにそれを後頭部でギュッと一本に縛った清潔感のある女子だ。また、端正な顔立ち、色白で平均的な女子より背が高いスラッとしたシルエット。凛とした姿勢の良さから「え?読モ?」と街行く男性から振り向かれる事請け合いの美貌の持ち主である。
イナバさんはマサオに興味があった。マサオはいつもホームルームが終わると颯爽と帰宅するため、最初はクラブ活動が忙しいと思っていたが、担任の教師から「帰宅部集合!部活無い子は職員室寄って三者面談の日決めてから帰って〜」の指示に対し、彼は普通に職員室に寄り道して行ったのである。
また、常に特定のグループで群れる事が無いマサオに何処と無く社会を知っている様な大人びた佇まいを感じていた。(何故ならマサオはそんじょそこらのフリーターに負けないレベルでシフトを組みまくるアルバイターだからである)
1学期の後半、昼休みの時のことだ。
マサオは購入したばかりの携帯電話を触っていた。格安スマートフォンである。
バイトの業務連絡がメインで、他のバイトメンバーに「リーダー、LINEできないっスか?シフト変更の時めんどーなンで」とせがまれた為、購入を決意した。彼はバイトメンバーのシフトを組む事を任されたバイトリーダーだった。
イナバさんはギョッとした。いつも真面目に授業を受け、群で行動をしない、プライベートが想像がつかないマサオが高速フリックで文字を入力していたからである。
気づけば彼女はマサオに声を掛けていた。
「マサオ君スマホ持ってるんだ」と。
マサオは「最近買ったんだよ」と答えただけで、よくよく考えれば失礼なイナバさんの発言に対し深くは考えなかった。
イナバさんはよくよく考えれば失礼な発言をしたものだと思ったがその後が続かない会話を始めてしまった責任感もあり、何と無くマサオに提案をした。
「じゃあLINE交換しよっか?」
マサオが恋に落ちた瞬間である
さらに桃色な時間をマサオは過ごす事となる。LINEを交換したその日にイナバさんからメッセージが来たのだ。
「英語のノート見せて期末ヤバイ」
マサオはギガが減ることを躊躇せずに10ページ分のノートの画像を高画質で送ったのだった。
それ以来何と無くやりとりは続いた。
「何故すぐ帰るのか」「誰と仲が良いのか」「何月生まれか」「星座は何か」「新しく買ったワンピースの感想」等他愛もない事が続いた。盛り上がりもせず、毎日では無いが途切れる事無く。
夏休みに入るとある質問のメッセージがマサオに届いた。そのイナバさんからの質問にマサオは動揺した。
「てかマッサンって彼女いんの?」
しつこい様だがマサオは友達が少ない。学友しかいない。そんなマサオに唯一踏み込んできた美少女がこの質問である。
マサオは勘ぐった。それはもう、勘ぐった。
さらにイナバマユミさんから質問は続く。
「つかバイト先に綺麗なお姉さんとかいそうだからJKとか興味なさそうだよね。マッサン大人っぽいしやっぱJDとか?」
マサオは確信した。「JKとか興味ないよね(涙)」と解読した。現国は常に90点台のマサオの読解力はそう判断した。
更にマユミからのメッセージは続く。
「私のカレシって大学生の癖にいつも遊ぶの誘ってくるんだよね。マッサンみたいにバイトすれば良いのに」
マサオは風呂に入る事にした。
「大学生と付き合ってるんだ!大人だね。俺はバイトが忙しいからそういう恋愛とかは無いかなぁ!」とメッセージを送り、風呂に入った。
その後、特にイナバさんからメッセージが来ることが無く、送ることも無く。
ただ、淡々とバイト漬けの日々が過ぎて行った。マサオ16才、高校2年生の夏休みである。
始業式の日、マサオは何と無く気まずさを感じつつも、登校した。
イナバさんは2学期早々からお休みとの事だった。担任が言うにはしばらく自宅療養が必要だと説明を受けた。
マサオの後席のカタヤマ君が「ふん。ノマレタカ」と呟いた。
驚いたマサオが振り返ると前髪が伸び過ぎたカタヤマ君と彼の前髪越しに目が合った。
彼の全ての指には「何処で買ったのだ?」と伺いたくなる様な巨大な指輪が填められていた。
マサオは久しぶりにイナバさんにメッセージを送った。
しかし返事は来なかった。既読はついたので取り敢えずイナバさんは生きているという事しか分からなかった。
その後は先述の通りである、
2学期、数学の中間テスト範囲発表時に教室の扉が開いた。そこには大剣を背中に携えたイナバさんが立っていた。
マサオは引いた。
イナバさんは帰らされた。
アルバイトを終わらせ自室に戻り、宿題もやり終えた時、いつもの様に過ごした筈なのにマサオは疲れていた。どっと疲れていた。
「きっとイナバさんが身長と同じくらい長い剣とか背負って来たからだ」とその日の出来事を振り返った。
もっと振り返るとクラスメイト達の変化、イメチェンとは言い難い、別の世界で過ごしてきたかのような変貌。点と点が結ばれていく気持ち悪い共通点。
皆、どこか芝居がかっている。まるで劇の中の登場人物のような。
マサオは落ちるように眠った。
目が醒めるとそこは朝日が差し込む自室ではなく、白一色で囲まれた空間。
そして目の前には金色の長い髪をなびかせた女性、わかりやすく表現すると女神然とした人が立っていた。
彼女はマサオに言葉を投げかけた。
「よくぞ目醒めてくれました、勇者様」と。