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7話:退職までの日々

「ふぁ……」


 いつもは一人で行ってるお寿司屋さんで社長と夕食を食べるという、訳のわからない夜から一晩。


「んー」


 久しぶりにお酒を飲んでも、起きる時間はいつもと同じ。

 スマホの目覚ましを止めて、まだ少し薄暗い部屋のカーテンと窓を開けていく。


「さむっ」


 年末に近くなった冬の朝はかなり寒い。


 けれどこうして換気をして目を覚まし、それから支度をするという平日と変わりない行動をすることが大事なのだ。




 暖房のスイッチを入れたら、部屋が暖まる前にサッサと着替える。

 お湯を沸かしている間にお風呂を掃除して、顔を洗ったら簡単なメイク。


「……って。これも来月からは、控えた方がいいのかな」


 メイクをしてもスッピンと変わらないなら、余計な出費は控えた方が良いよね。服は元から買わなくても、最低限の生活ができないと困る。


 それでも本格的に寒くなってくる十二月から、家にいることが増えるのだ。


「むむ、電気代が跳ね上がるのか」


 平日、九時から十八時近くまで冷蔵庫の電源しか入っていなかった部屋に、今度は自分がずっといるのだ。


 眉を描いていた手を止めて、部屋を暖めてくれている暖房を見やる。


「……」


 後輩ちゃんには「海外に行く」とか余裕を見せてしまったけれど。

 もっと根本的な、食費とか光熱費とかに退職金を使う羽目になりそうだと気付いてしまった。


 だって暖房がないと凍え死ぬ。確実に。


「電気屋さん行ってみる?いや、ダメだ」


 一人用こたつは結局、電気代がかかるから却下。


「湯たんぽとか、綿入りの半纏はんてんとか?」


 それならホームセンターかなと考え直したら、とりあえずメイクを終わらせて、朝ご飯を作ろうか。


「うーん……昼は弁当というか、朝の残りでいいとして」


 これも今後、部屋で食べるなら電気代がかかるんだよね。つまり意味がない節約ということになる。


「ハローワークは、離職届けが送られてからじゃないと行けないって話だったし」


 図書館で就職について学んで、隣接してる持ち込みオーケーの喫茶店でお弁当を食べれば、ちょっとだけでも光熱費の節約になるかな?


「よし、そっちも見てくるか」


 ごちそうさまと手を叩いたら、出掛ける準備をしようっと。




 お酒を飲んだと言っても、升に三杯じゃ翌日に残るわけがない。

 それでも口の中に残る、握りたてのお寿司と日本酒という最高の組み合わせに、連日通いたい誘惑が押し寄せてきた。


「はっ……いかん。昨日は最後だからできた贅沢!」


 社長に奢ってもらったから、もう一回、通うお金があってもいかん。


「まずは今までの光熱費を確認して、家に一日いる場合にかかる諸費用等の計算をしないと」


 休みの日は出掛けることが多いから、普通に一ヶ月分を割れば一日の使用料金がわかるはず。

 食費はそれほど変えられないから、死に直結する光熱費をもっと考えよう。余裕を残しておかないと死ぬ。


「家賃に光熱費、食費は絶対に必要なものだもんね」


 今までの七割程度の給料しか入ってこないことを、もう少しシビアに考えないとやっていけない。


 せっかくだから、それこそ海外とかのんびり行きたいところだったんだけど。


「パスポートないもんなあ……」


 パスポート代に一万円、二人だと十万前後のヨーロッパツアーは一人だと二十万からがほとんどだった。

 自力で検索した安い航空チケットで行けたとしても、十万以上はかかるとか。


「はー……、現実は甘くない」


 そもそも、年末近くにクビになった時点で甘くなかったって気付くもんだけど。

 永遠に続くものは、どこにもないんだ。


 びゅうっと冷たい風が吹いて、思わず首をすくめてしまう。


「世知辛い……」


 こういう日はおでんにしようって夕飯のことを考えるわたしは、やっぱりどっか呑気だな。




 図書館に本屋に雑貨屋に、あちこち覗きつつフラフラする。

 スポーツ新聞以外の各種新聞が、図書館にあるのは助かるな。


 っていうか、失業中って何をしていればいいんだろう?


 次の就職先を積極的に探せばいいのか。


「うーん……」


 「はい次!」って、そんなにすぐに切り替えられるものなのかな。


「いやまあ、仕事を見つけないと生活できないんだけどさ」


 バイトじゃ一時的にしのぐだけになりそうだし、保険とかの保証はなさそうだしなあ。


「辞めたら、すぐに保険証を作らないと困るよね」


 最後の給料から、住民税の一括払いをしてもらう手続きは済んである。それでも年金の支払いと手続きは自分でしないといけない。


「年末調整も自分でするんだよね?やることが多過ぎるなあ」


 今まで会社任せだった諸々が、全部自分でやらないといけないとか……。


 一人暮らしだから手続きは簡単だって言われても、今までやったことがないことはやっぱり面倒くさい。


「とすると、旅行に行けたとしても三月以降かな?」


 さすがに仕事が決まってそうだけど、せっかく貰えることになったなら満期まで失業保険をいただきたい。

 それでも生活できるのか分からない不安の方が大きいなら、サッサと次の就職先を見つけた方がいいんだろうし……。


「はー、面倒くさい上に難しい」


 だって今まで転職したいとか思ったことがない。それでも岸さんみたいに四十歳まで勤め上げて、その後は実家を手伝うって決めているわけでもない。




「実家かあ」


 わたしが実家を出てから、両親二人が暮らすだけに縮めてしまった。

 この新しい家では育ってないし、部屋もないから居場所もない。


 持てるだけの荷物を持って家を出て、後は自分で処分もしてきた実家。そもそも両親は、わたしが帰ることはないと思っていることだろう。


 バカでかい家を残されても、相続税とか固定資産税とか面倒なだけだもんね。

 その点は助かっても、まさか両親が健在なのに帰れないとは思わなかったよ。


「そうか、年末年始どうしよう」


 独身なのを良いことに、年末はギリギリまで、年明けも早々に出社していたから帰ってないんだよね。

 無職になったから帰ると言っても、寝る場所はあるのか?


「床でもいいけど布団はなさそう」


 布団も持って引っ越したんだから、実家にあるはずがない。


 つまり実家に帰る為に、布団を持って行くか寝袋を買わないといけないのか。


「うぁぁぁ……、面倒くさい」


 却下で。




 フリーのバイト情報誌を手に取って、なんとなくめくってみる。年末年始が近いからか、短期バイト募集の文字がたくさん並んでいた。


 どうせ実家に帰らないなら、年賀状のバイトもいいかも。


「行きたい会社、したい仕事、気になる職種……」


 ハローワークに行く前に、次は何をしたいか考えた方がいいかな。


「ん?今の仕事って何になるんだ?事務?」


 ハッキリ言えない仕事内容を十年以上していたって大丈夫か、自分。


「事務って言えるほど、書類に触ってないしなあ」


 お茶出しにコピーはどの分類に入るのだろうか。やっぱり雑用?


 どんな書類を書いてハローワークに登録されるのかわかんないけど、職種が言えないと困るよね。

 お茶出しでは来社したお客様とやり取りをするから、接客と言ってもいいような悪いような……。


「秘書って言えれば強そうだけど、資格ないしなあ」


 本物の秘書の人が聞いたら怒られそうなことを呟きながら、そんな風に会社員としての最後の休みが終わっていった。


「ん?来週も一応あるか」


 まあいいや。




 いつもの支度をして、いつもの駅に向かって今日も一日頑張ろう。


「あれ?」


 いつもの電車に乗ろうとして、反対側に止まった電車が気になった。

 ここから一番近い、ハローワークの場所ってどこだろう。


「隣りの区域になるけど、ここが一番近そうだね」


 そんな基準で行っていいのかわからないけれど、住んでいる土地のハローワークは片道二時間近く掛かるなら仕方がない。

 電車で二駅、歩いて少しなら断然こっちの都合が良い。


「仕事を探すにしても、近い地区の方が通いやすいよね」


 これから、どのくらい通うことになるのかわからないけれど。

 何をするにしても通いやすくないと、途中でくじけて野垂れ死にそうだ。


 いつもの電車に揺られて会社に向かいながら、これから先のことを考える。

 面倒なことが多くても、お腹はすくし美味しい物は食べたいし、できれば楽しく過ごしたい。


「……頑張るか」


 プシューッという音で扉から出て、もうすぐ通わなくなるいつもの道を歩こうか。




 そんなことを考えながら、いつも通りの一週間が始まった。

 会社に来る月曜日は今日を入れてもあと二回で、なんだかしみじみとするなあ。


 っていうか主な仕事が佐藤さんに引き継がれた今、やることがない。


「給湯室を磨いて、机回りを整理していくか」


 お菓子の補充がないかの確認と、先週、風邪っぽかった岸さんは無事なのか確認もしよう。


「軽く喉をやられただけだ」

「それなら良いです」


 頼まれたコピーと一緒にのど飴を渡したら、少し顔を歪めた岸さんが呟いた。


「つーか、そんなんまで引き継がせなくていいからな」

「岸さんの体調までは言ってませんよ」


 森田くんの方向音痴と一緒で、本人が言いたくなさそうだったのに言うわけないじゃん。

 首を傾げながら濡れ衣だと弁解して、今日の送別会は出席するのかも訊いておかないと。


「早く帰れそうな時は帰った方がいいんだけどな」

「岸さんにお世話になった人は多いんですから、見送りくらいはさせてあげてください」


 わたしもすでに伝えてあるけれど、岸さんも見送りも花束もいらないと全部却下している。


「花で飯は食えねえし、そんなところで金を使われるのも困る」

「持ち帰ることも面倒ですしね」


 そんなに混まない電車でも、花束持って帰るとか……。

 考えただけでも面倒くさいし、枯らさないように気を付けないといけないとか、無理無理と首を振るわたしに、何とも言えない顔を向けてくる岸さん。


「何ですか?」

「いや。サワって意外と薄情っつーか淡白だよな」

「合理的なだけですよ」


 塩辛よりも、たこわさが良いと言った岸さんには言われたくないぞ。




 もうすぐ退職だからって、仕事が減るわけでも泣かれるわけでもない。

 淡々と今日も仕事をこなしていく中で、何故か他の部署から呼ばれてるわたし。


「サワちゃん。寺田さんが歯の治療は終わったって、わざわざ電話をくれたらしいんだけど、どういう意味かわかる?」

「次に来社する時のお茶菓子は、せんべいがいいというお話です」

「せんべいね、わかった」


 茎わかめを出した取引先の一人、寺田さんからの奇妙な電話について、どうして社長室に呼ばれることになっているんだ。意味がわからん。


「あのぅ、わたしはここにいて良いのでしょうか?」

「佐藤くんが次にお茶出しするんでしょ?事情を把握していないと困るじゃないか」

「そういうことです」

「はあ……」


 社長室など入ったことがないのか、キョドキョドとせわしない佐藤さん。

 メモはしっかり取っているみたいだけど、秘書の桑山クワヤマさんがお茶を出したあたりから落ち着かなくなってしまった。


 桑山さんは本当に、ザ・秘書って感じの綺麗なお姉さんだからなあ……。わたしの方が年上だけど。


 丁寧に淹れられたお茶を飲みながら、寺田さんの会社についても話していく。


 一生懸命メモを取ってる佐藤さんは、必死に書きながら目の前の社長を無視することにしたみたいだ。視線を合わせない、まったく。


 まあ、そんなことを気にする社長じゃないけどね。




「ああ……、緊張した」


 息もしていなかったのか、社長室を出たら深呼吸を何度もしていく佐藤さん。

 いや、そんなに勢いよく深呼吸したら意味ないと思うよ、佐藤さんや。


「ゴホッゴホッ、ゴホッゴホッゴホッ」


 うーん……、言わんこっちゃない。


 むせる佐藤さんを軽く叩いて、落ち着くようにと背中を撫でていく。

 でも、これは言っておかないとこの先困るよね。


「佐藤さんは優秀だから、わたしよりも呼ばれる可能性が高いと思うよ」

「えっ!!?」

「え?」


 ただのお茶出しとコピーという仕事だったのに、とんでもないものを引き継いでしまったと後悔しているんだろうか。


「……」

「佐藤さん?」

「……」

「おーい?」


 目の前で手を振っても、固まったままの佐藤さんは気が付かない。


「どうかした?」

「ああ、社長。ええと……」

「ん?どうしたの、佐藤くん」


 廊下でバタバタしていたからか、気になった社長が出てきてしまった。

 同じように手をひらひらとさせるけど、佐藤さんは気が付かない。っていうか、いま気が付いたら卒倒するかもしれないな。


「どうかなさいましたか?」

「桑山さん」


 秘書まで出てきてしまった。どんな状況だ、これは。


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