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6話:社長とお寿司

「沢村さんて、社長とも仲が良いんですね」

「え?」


 昼休みに別な書類にサインかハンコと言われて、社長室に向かうことになったと思ったら、戻ってきてすぐに佐藤さんに尋ねられてしまった。


 仲……良いかな?


「専務の頃は同じ部屋で働いていたから、まあまあ知っていたけど。今はもう社長になったし部屋も地位も遠くなったから、全然だよ」


 今はコピーについてが一番意味不明だと言われて、午後からの空き時間に教えているところ。


 明日でもいいかと思ってたらダメだった。

 そりゃそうだ、だって明日は土曜日だもん。休みだよ。


 ちょうど時間があるし早い方がいいからと、週明けからは忘れていたお茶出しも頑張ると気合い十分な佐藤さんは、メモに熱心に何かを書いている。


 何かって、拡大の時の比率なんだけど。

 ちょーっとだけ大きくするとかは、誰でも知ってることなんじゃないのかな?


 これこそ教える意味が分からないと首を傾げるわたしに、それでも真面目な佐藤さんは熱心だ。


 その合間の雑談が、社長についての話っていうことは意味わかんないけど。




 わたしが微妙な返答をしてしまったからか、佐藤さんも怪訝な顔になっている。

 でも平社員のわたしが、社長と仲良しですって言うのも変でしょ。


 実際、仲良くはないし。


「沢村さんに渡された超個人情報の資料には、社長についても詳しく書かれていたじゃないですか」

「……たまーに、社長のお客さんにもお茶を出していたからね」


 秘書はいるけれど、そちらでは落ち着かない相手にはわたしが持って行くことになっていた。


 桑山クワヤマさんは、ザ・秘書って感じのいい香りのお姉さん。スーツもメイクもビシッと決まっていて、それだけで緊張する人はいるのだ。


「その点、わたしはほら、人畜無害というか空気というか」


 商談の席で緊張をさせるどころか、肩の力が抜けるはずだ。


「えっ!?でも、次からはわたしなんですよね?」

「うん。空気を目指して」

「……わかりました」


 そんな重要な席にお茶を出したくないと、首をぶんぶんと振っている佐藤さん。


 重要じゃないよ、全然。かしこまるような相手や内容じゃない時に呼ばれるだけだから、まったく問題はない。


 なんなら一緒にお茶を飲んで、他愛ない雑談でもすればいいさ。


 真面目な佐藤さんは、そんなことはしないだろうね。

 でも、その場に残っても怒られない相手だから、きっとわたしよりも上手く場をなごませてくれるんじゃないかな。


 よく知らないけれども。




 そのままコピーについて話しながら、今は社長の元専務についてを考えてみた。


 会社のトップになってからも、社長室にふんぞり返って指示をするだけの人ではない。

 だからって呼び出し放送をすればいいものを、自分の足で探しに来て堂々と声を掛けるのはどうかと思う。


 佐藤さんが仲良しと誤解するなら、こんな平社員にも昔のノリで話し掛けていたことを、どこかで見たのかもしれないな。


 ……昔、その軽口のせいで特別扱いだろうと言われていたの、かなり迷惑だったんだから。


 “ちゃん“付けされても名前を呼ばれても、特別感なんてまったくない。ちょっとでもあったなら、退職を勧められないっての。


「それもそうですね」

「でしょ?」


 息抜きで話し掛けたり会社をうろつくだけで、わたしにとってはただ偉くなったオッサンという意識しかないしなあ。


「いえ。偉いというだけでも、ただのオジサンでもありませんよ」


 どこまでも真面目な佐藤さんは、「誰かが聞いていたらどうするんですか」と、コピー室の入り口をチラチラ見ながら小声でたしなめていった。


 もうすぐ辞めるからって、トップを馬鹿にした発言は良くないか。


「じゃあ、偉いオジサマ」

「言い直した意味がありません」


 んんー……難しいな。




 社長の話は置いておいて、コピーに戻ろうとボタンを押していく。


「え、……はっ!?どうしてそうなるんですか?」

「ん?」


 何も言わなければ「いつもの」コピーなのに、人によって拡大をしろとかカラーにするのはおかしいと、佐藤さんは混乱しながらとっても細かく訊いてくる。


「どうしてって言われても……。いつもそうだから」


 お茶をテーブルに置いたらコピーする資料をお盆に乗せていくことも、その時に一言付け加えるかどうかで判断することも。

 わたしにとってはお茶と同じくらいにいつものコピー作業なのに、まったく意味がわからないとパニックだ。


「あ、この時にフセンをつけると間違えないよ」

「……何も書いてありませんけど」

「色分けされているでしょ?」


 わたしの数少ない私物、フセンも佐藤さんに引き継ぐことにしよう。

 受け取ってくれたまえ、佐藤くん。


「いえ、渡されても使い方がわかりませんので」

「あ、そう……」


 自分で用意をすると言われて、わたしの私物は会社に一個も残らないことが決定した。


 まあね、使いすぎてボロボロだしね。

 ……そんな物を渡すんじゃない。迷惑だわ。


「違います。青がそのままで、ピンクが拡大というのはわかりましたけれど。一人一人の癖を覚えるより、細かく書いたものを用意した方が間違いが少ないです」


 それもそうだ。


 どこまでも真面目な佐藤さんは、部長の“いつもの“は少し拡大をすることで、「大きく」と言われたら倍にすることを律儀にメモっていった。


「来月から人は減るし忙しくなる時期でもあるもんね。間違いが少なくなるなら、佐藤さんのやりやすい方法でいいと思うよ」


 それでも毎回、受けとる時に書き直すのは手間だからと、わたしが渡した資料にも付け加えていった。




 どれだけ読み込んだのか、資料の束はすでに角がよれている。一枚ずつパウチをすれば良かったかな。


「スマホにも保存してありますし、自分のパソコンにも入れましたので問題ありません」

「そ、そっか」


 後輩ちゃんは、コピーの好みなんていらないとバッサリだったのに。

 まるで昇給試験に出ると言われたみたいに、間違えないように気を張っている。


「そんなに肩肘張るもんじゃないよ?」


 せんべいの代わりに茎ワカメを出した時みたいに、もっともらしいことを言えば何とでも誤魔化せるのだ。


 手をヒラヒラと振りながら伝えたら、今度は妙な顔をしている佐藤さん。


「岸さんと同じことを言うんですね」

「岸さん?」


 方向音痴の森田くんに、ちゃんと営業ができるように叩き込んでいるのはわたしよりも先に退職する岸さんだ。

 営業成績もトップで会社側からは残ってくれと懇願される岸さんと、今月で退職してくれと肩を叩かれたわたしが同じとは……。


「あまり力を入れすぎるなということを言われました」


 あ、そっちね。


 確かに、お茶とコピーという仕事にも全力な佐藤さんは、大丈夫かな?と心配になるくらいにまっすぐだ。

 営業さんのサポートもしているから、残業をすることもたまにある。


「帰れる時にはさっさと帰って、美味しくてあったかいものを食べて、早めに寝た方がいいよ」


 化粧水パックをすると肌がモチモチになって次の日のテンションも全然違うからオススメだと言いそうになって、まだ二十代前半の佐藤さんには必要ないものだと思い止まった。


 キラキラした瞳と同じく、つるんとした頬だもんね。

 水分たっぷりで気合いも十分な若さがまぶしいくらいだわ。


 うん、これは引き継ぐものではないわ。いらん情報過ぎる。




 明日は土曜日で、今日は会社員としての最後の給料日。

 一応、来月も振り込まれるけど、その時は無職だから気持ち的に全然違う。


 それならと、いつも向かっている場所へと歩いていくわたし。


 岸さんの送別会は週明けの月曜なんだよね。その週の金曜に去る岸さんだから、あまり残業する人がいない月曜に設定したらしい。


 こういうところは、真面目な佐藤さんだよね。

 毎回、地図を用意しなければ迷う森田くんと幹事になったと聞いたけど、絶対に佐藤さんしか動いていないはずだ。


「まったく……。岸さんに一番お世話になっているのは森田くんだろうに」


 最後に何か言ってやろうかとも考えたけれど、それこそ立つ鳥跡を濁しまくりになる。


 余計なことは言わない方がいいのだ。

 空気として、最後まで職務をまっとうしよう。




 静かな灯りが見えて、ひとつきに一度しか来ないお店に、来月からは来れないんだろうなあとしみじみしてしまった。


 だってここは回らないお寿司屋さん。

 お酒は滅多に頼まないけど、野口さんではなくて樋口一葉が平気で飛ぶのだ。


「でも最後なら、オススメの握りと一緒に頼もうかな」


 時価が多いお品書きは怖くて、一度も頼んだことはない。

 でも前に連れてきてもらってからは一人で通うようになった、わたしの数少ない馴染みのお店。


 ガラガラと引き戸を控えめに開けたら、いつもとは違う人がすでに一杯引っかけていやがった。


 ……升酒じゃないか、うらやましい。


「お疲れさん、サワちゃん」

「お疲れさまです、社長」


 社長室までの雑談で、この店のことを話したからって。


 なんでわたしの憩いの場に、社長がくつろいでいるんだよ。


「そんなに嫌そうな顔をしないでよ。失業手当、上乗せしてもらえるような書類も作ってもらったのに」

「もちろん感謝しています。ついでに退職金を増やしてください」

「……それは無理」


 知ってる。




 社長と呼んだのに軽口を叩いていくわたしに、大将は今日も黙々と包丁を動かしているだけだ。


 このお店は、何度通ってもまったく関心を寄せない、話し掛けてこない職人気質な素っ気なさがいいんだよね。


「サワちゃんはなに頼むの?」


 コートを脱いだら温かいおしぼりで手を拭いて、隣りの社長ではなくて真っ正面にいる大将に向かっていつもの言葉を伝えよう。


「今日の握りをおまかせで一人前、お願いします」

「あいよ」

「こっちにも同じものを」


 社長も追加で頼んでいく声を聞きながら、どうせなら時価のネタを二人前頼んでくれればいいのにと言いかけてやめる。


 ちっともこっちを見ない大将は、短い返事をしたらネタに手を伸ばしながら包丁を握り直した。


 あー、カッコいい。

 こういう職人気質のオジサマって、いつ見てもカッコいいし惚れ惚れするよ。


 隣りの社長にツッコむよりも、最後かもしれない大将を見ることにしよう。




 熱いお茶をすすりながら、淡々と仕事をこなす大将を堪能しているわたしを見た社長が、昼と同じことを呟いていった。


「……相変わらず色々と・・・渋いね、サワちゃん」


 今日はすでに金曜日。あと十日、勤務したら無職になる夜。


「それで、社長。なんでここにいるんですか?」

「……いま訊く?」


 場所は教えたし、給料日の夜は絶対に行くとも話した。

 だからって、じゃあ一緒に食べようなんて約束はしていない。断じて。


「全部おごる気で来たのなら、わたしにも升酒ソレください」

「サワちゃん、ザルって聞いたからなー」


 どこ情報か知らないが、名誉毀損で訴えてやる。

 しっかり訂正しようと座り直して社長に向き直った。


「ザルではありません。ワクです」

「……もっとタチ悪いじゃん」


 それでも最後だからか、顔を引きつらせながらも同じ銘柄を頼んでくれた。


「お昼に言ってくれれば、値段がわかっているおまかせじゃなくて、時価のものを端から頼んだのに……」

「福沢さんが何枚いても足りなさそうじゃないか」

「社長ならカードで気前よく払ってくださいよ」


 ケチケチするなと言ったら、三盃さんはいまでと中途半端で情けない社長命令を出されてしまった。


「パワハラですよ、社長」

「……どっちが?」




 先に来ていて、わたしがいつも座るカウンターを取ってくれたのは助かる。

 金曜の夜だから、いつもは〆に来る人が多い店でもそこそこ混んでいた。


「あいよ」


 それでも特に仲良くもなく、お互いに呆れた顔を向けているわたしと社長の前に静かに握りを並べてくれる大将。


 節ばった指に繊細なお寿司が最高に似合ってる。


 今日も大将には敬意を込めて、一ヶ月頑張った自分へと手を合わせよう。


「いただきます」


 ピカピカの色艶のいいお寿司と、冷えたお酒を口に運んでいく。


「うまー……い」


 お寿司、最高。

 日本酒、最高。


「もう一杯、おねがいします」

「ちょっ、早い早い!!」


 握り一つに升酒一杯飲み干したわたしは、次に取りかかる前に盃を掲げて足してもらう。

 社長は慌てているけれど、三盃までと言ったのは社長だ。 


「美味しい……」

「あー、もー」


 お寿司には、冷たい日本酒だよね。


 今日も美味しい。


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