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3話:帰り道

「先輩、一緒に帰りましょう」


 カツカツとヒールの音を軽快に響かせた後輩ちゃんが、手を振りながら声をかけてきた。


「……いいけど」


 後輩ちゃんの後ろには、断られたらしい別の部署の男の子が肩を落としている。帰ろうと近付いた後輩ちゃんは、そのままわたしの腕に伸ばした手を絡めていく。あ、男の子がにらんだ。


 楽しそうに見上げる睫毛のきれいなカーブと、完璧なカールがふわふわと揺れていい香りが漂っている。


 同じ女子のはずなのに、どこをどう間違うとこんなに地味になるのだろうか。


「どうかしましたか、先輩?」


 自分の地味さは昔からだと思い直して、わかっててやっている後輩ちゃんをにらんだら、会社を出たと同時に離れてくれた。


 断るダシに使うのはいいけれど、妙な誤解を広めないように。


 わたしが辞めたら傷心旅行に行くとか言って、ちゃっかり有給を取りそうだな。




 離れてからもカツカツと楽しそうにヒールを鳴らす後輩ちゃんは、腕を離したらくるんと回って振り返る。

 そんな可愛らしい顔で振り返ったらいかん。相手が誰かわかっているのか。


 ……わかってるね。だって後輩ちゃんだもん。


 チクチクとさっきより痛み出した背中を無視して、可愛らしく小首を傾げている後輩ちゃんの隣りに並んだ。


 じとっと、まだ見ているフラれた男の子を後輩ちゃんも華麗に無視したら。クビを言われた先週よりも、寒さの近付いた街を二人で歩き出した。


「先輩、今日の夕飯は何ですか?」


 ふわりとカールをなびかせながら、ウチの夕飯は何だと訊いてきた。

 うむ、よい質問だね。


「鍋!」


 一人でも、鍋は鍋。

 きちんと土鍋に仕込んできた具を思い出しながら、早く帰ろうと足が急ぐ。




 独り暮らしが長いことを知っている後輩ちゃんは、「一人なのに鍋かい!」っていう突っ込みはしない。

 ふぅんとアッサリ流したら、食べ終わった後の話にいきなり飛んだ。


「じゃあ、〆はうどんですか」

「ううん、〆ない。三分の一を残しておくの。明日の朝に卵を落として、おじやにするつもり」


 牡蠣と鱈、バラ肉とキノコ類、ネギもたっぷりぶち込んだ塩味の鍋は、ちょっとだけのポン酢と昆布だしを混ぜたタレでいただく予定だ。

 鍋があるから味噌汁はなくて、ご飯と甘辛く炒めたきんぴらごぼうの夕飯だと話していく。


 ちょっと自慢気に話したら、給湯室で見せたような怪訝な顔を見せた。


「それ、一人で食べるんですか?」

「うん」


 牡蠣は八個一パックの安物でも二個しか使わない。鱈は特売の端っこで、バラ肉だって昨日の残りだ。

 つまりたくさんの具を入れたから豪華だけど、一つ一つは残り物。


 これにも「ふぅん」と呟いた後輩ちゃんは、唯一の残り物でない具の行方が気になったらしい。


「牡蠣の残りの、六個は何に使うんです?」


 通勤で使う駅の改札を一緒に通り、いつものホームへと向かっていく。

 その間も会話を止めないで、いつもの電車に乗れるようにと階段を駆け降りた。


「三個はカキフライで残りの三個は牡蠣飯」

「うわぁー……、絶対美味しいヤツ!」


 足をジタバタとさせながら、明日と明後日の夕飯のメニューを羨ましがられてしまった。

 階段を降りながらヒールで地団駄を踏むとは、なかなか器用な後輩ちゃんだな。


「家に帰れば食事の支度にお風呂まで沸いて、服も畳まれている実家暮らしが贅沢言わない」


 プシューッと扉の閉まる音を聞きながら、すぐに反対側の扉の前に移動する。

 後輩ちゃんも無言でついてきて、少しすねながらクルクルと髪をいじり出した。


「実家暮らしですけどー。朝にハンバーグが食べたいって言ったら夕飯に出てきますけどぉー」


 ぶちぶちと何とも贅沢なワガママを呟きながら、それでも残り物がつまった鍋が良いのだと、よくわからないことを言っていく。




 見上げた視線には、色々と含まれていることが鈍感なわたしでもわかった。

 きっと男子だったら、これでイチコロなんだろうな。


 でもわたしは三十を過ぎた同性なので、含まれている意味だけを的確にくみ取ることにする。


「……食べたいの?」

「その量なら二人分でしょう」

「いやいや、足りないよ」


 ご飯は今日と明日のおじや分しかないし、きんぴらごぼうはたくさん作っても、そもそも鍋は半分こできる量はない。


 それでも鍋のお腹になったと言い張る後輩ちゃんは、通り道のスーパーでうどんとサラダを買い込んでまで着いてきてしまった。


「瓶が見えるんだけど?」

「塩味の鍋なら白ワインでしょう?」

「……」


 飲む気ということは、泊まる気でもあるのか。

 いつから計画を立てていたんだと、じとっと大きい鞄を睨んだら、パンッと叩いてふんぞり返った。


「先輩のうっすい鞄と違って、普通の女子は、いつお持ち帰りされてもいいようにとお泊まりグッズを常に持っているものなんです」

「ああ、そう……」


 財布とスマホ、手帳と鏡に化粧直しのポーチと歯ブラシに、弁当という最低限しか入っていない自分の鞄を抱え直し、今日は大事な資料が入っているんだぞと身体を反らす。


「わたしが買い物に行っている間、先輩も何か買ったみたいですね」

「うん。必要ないかもしれない資料だから」


 会社関係の書類を入れるなら、経費で買うのが普通ではと首を傾げられたけど。いるのかいらないのか本気でわからない資料なら、ファイル一冊の二百円くらい、自腹を切るよ。




 ……いや、待てよ。

 個人情報が書かれた資料を会社から持ち出したら、怒られるだけじゃ済まなくない?


 自分で書いた資料だからと普通に持ってきちゃったけど、見つかったら退職日の前にクビになるかもしれない。


 ヤバイと急にオロオロし出したわたしに、それでも後輩ちゃんはいつも通りだ。

 「ふぅん?」と軽く首を傾げたら、持ってきたものは仕方がないとアッサリ言い切る。


「それ、わたしも見てもいいですか?」

「そうだね。いらないってわかったらすぐに捨てるから、見てもらうと助かる」


 その時は細切れにして、さらに分散してゴミに出そう。


「じゃあ、早く行きましょうよ」

「へっ!?」


 手を伸ばしてきたと思ったら、今度は握りしめられてそのまま引いていく。


 おお。手を繋ぐとか、小学校以来なんじゃないか。

 ふわふわと髪をなびかせる後輩ちゃんは、手もスベスベという完璧具合だった。完璧すぎる。


 そうか。お持ち帰りされる子は、こういうところも違うのか。


 だからと言ってこれからも、絶対に自分はお持ち帰りも何もない人生だろうなあと思いながら家路を急いだ。




「ただいまー」

「お邪魔しまーす。あっはは!全然変わってない!」


 ケラケラと笑いながら、去年来た時と全然変わっていないと部屋を見回していく後輩ちゃん。

 そんなに笑う?お腹を抱えて震えているってことは、何かのツボに入ったのか。


 そうか、わたしの部屋って笑えるのか……。


 何とも複雑な気持ちになりながらも、鍵を一つとチェーンを落とす。しゃがんだら、内側にしかない足元の鍵もしっかりとかけていく。

 立ち上がりついでに鍵を鞄に戻して、コートを脱ぎながら奥に声をかけた。


「手洗いとうがいをしないと、それ以上は行っちゃダメ!」

「はーい、先輩」


 ちゃっかり玄関にコートをかけて、マフラーを靴箱の上に置いた後輩ちゃんは、ズンズンと勝手知ったるという感じで奥へと進んでいっていたのだ。

 手を洗ってうがいをしなさいと言ったら、途中で軽快に戻ってくれた。


 わたししかいない部屋の中で、そんなに可愛らしく回らなくてもいいのに。


 後輩ちゃんにカップを渡したら、その間にお風呂の用意をして部屋を暖める。

 そうだ、うどんを茹でる為のお湯も沸かさなきゃ。


 突然のお客様って、なんとも慌ただしいなあ。


 毎回きちんとアポを取ってくれる会社の関係者に感謝をしながら寝室に入って、鞄からキーケースを取り出していく。

 スマホや財布と鞄の中身を順番にトントンと小さいテーブルの上に並べて、今日作ったばかりの資料とさっき買ったファイルを持って大急ぎで戻らなくちゃ。




「そんなに急がなくてもいいですよ?」

「勝手に冷蔵庫を開けない」

「せっかくのワインを、もっと冷やそうと思っただけです」


 ふいっと顔を逸らしたら、マジマジと観察していく後輩ちゃん。


「ああ。冷蔵庫整理もかねた鍋なんですね?」

「残り物って言ったでしょ」


 ほとんど入っていない冷蔵庫を見て、今日のメニューにした理由がわかったらしい。

 いつもするわけじゃないけど、ビミョーに残った物が意外と多いことに気が付いたんだもん。煮物でもいいけど、牡蠣の時期なら鍋でしょ。


 だから一人分なのにと言うわたしに、呆れた視線を向けていく。


「そういう時は、肉か野菜を差し入れしてもらって数人で鍋を囲むんですよ」

「いま自分で言ったじゃん。在庫処分だとわかって付き合う人はいないでしょ」


 ぷらっと海外旅行と一緒で、こんな残り物鍋に誰が付き合うと言うんだか。


「ここにいるじゃないですか」

「……明日の夕飯は本当に一人分しかないからね」

「はいはい」


 うどんも茹で上がったし鍋も温まって、サラダはきちんと半分こ。

 後輩ちゃんはうどんのおわんに鍋を入れると言うので、わたしは別な小皿に取り分けることにした。




「「いただきまーす」」


あふいぃ」

「あちちっ」


 いつも静かな食卓が、一人増えただけでとても賑やかだなあ。


「ワインも開けましょうよ」

「飲み過ぎないように」

「はいはい」


 一通り口に含んだら、ワインを飲もうと立ち上がる。

 それならと、冷蔵庫から別な飲み物も一緒に取り出した。


「そのワイン、辛口でしょ?これで割るといいよ」


 はいっとオレンジジュースを渡したら、とっても妙な顔をされてしまった。変な顔なのに可愛いとは、なかなか器用だな。

 オレンジジュース八割に、辛口白ワイン二割という割り方をした後輩ちゃんが小さく呟いた。


「先輩の、そーゆーとこってアレですよねー」

「どういうとこ?」

「そーゆーところー」

「……どこ」


 みんな知らないんだろうなあと言いながら、二口目に手を伸ばしていく後輩ちゃん。


「??」


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